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その腕(かいな)に我が身を委ね、せめて心は温もりに埋め。

 

何だか、不思議な夢を見たような気がする。

昔、母と交わした会話を思い出す回想夢な場面だったはずが、次に展開されたのは主の切迫感溢れる命令に飛び起きて、見渡す闇に沈む暗がりの世界はほんの僅かに炎に照らし出されていて、私はそのまま横たわるエストお嬢様の上に覆い被さり、降り注ぐ黒い雨から庇った……何だかよく分からないが、そんな夢を見た。


「……んにゃ~う」


しかし、ユーリの喉から零れ出るのはいつもながらの寝ぼけた子ネコの鳴き声で、ユーリは幾度か瞬きを繰り返してからゆっくりと瞼を開いた。

まず目に飛び込んできたのは、視界一面を覆う銀色グラデーションの何か。ところどころ濃淡の波があるのだが、その絶妙なバランスなどまるで芸術作品のように美しい。


「……に、にゃう(ってこれ、見慣れたシャルさんの毛並みじゃないですか)」


動物大好き主のポリシーなのか、はたまたシャル本人が綺麗好きなのか。同僚の毛並みはいつも艶やかで見応えがある。

毎度の事ながら、ユーリはイヌバージョンのシャルが寝入っている傍らに、子ネコ姿で眠っていたらしい。彼のお腹の辺りは呼吸のたびに上下して、頭上からはこれまた聞き慣れた「ぐー、ぐー」という寝息が。

しかしころりと寝返りを打てど、寝床になっているのは天日干ししてお日様の匂いがする寝藁ではなく、冷たく硬い床の上だ。


ユーリはむくりと四つ足で立ち上がり、月光に照らし出される室内を見渡した。

庭に面している側の壁、アーチを描く大きな大きな窓にはガラスが入っており、それが幾つも並んで月の光をホールに取り込んでいて、夜間にも関わらずそこそこ明るい。

流石に上部や窓の無い壁は暗がりになっていてよく見えないが、天井もとても高いようで、広々としている。数十人は余裕で収容出来、家具の類は見当たらないし、皆でダンスでも出来そうだ。

足下を見下ろしてみても、灰色っぽい床の上を窓のアーチが綺麗に陰影を作り上げていて、月光が届かぬ先は闇と同化している。


……はて。

そもそもここはどこなんでしょう?

私、寝る前はどうしていたんでしたっけ。


シャルが呑気に熟睡している様子から察するに、緊急の危険は無さそうではある。

だが、目覚める前の状況からして、確認せねばならぬ事は山ほどあった。

ユーリはその場で軽く飛び跳ねてみる。ホセによって刃物で刺された箇所は微妙に疼いて、小さな痛みが走った。まだ完治はしていないようだが、動けない程ではない。

ぐっすり眠っているシャルの前脚に、ユーリは大人しく身を預けて両目を閉じた。そして心の中で主人へ向けて強く念じる。


主ーっ、主ーっ、カルロス様ーっ!

おーはーよーうーごーざーいーまーすーっ!


果たして、寝汚い主人は未だ就寝前であったのか、ややあってから反応があった。


“ユーリ、目が覚めたのか。気分はどうだ?”


特に悪くありません。

主、ここはどこなんでしょう?


“悪いが、俺は今エストに付きっきりだ。シャルを起こすから疑問ならシャルに聞け”


ある意味、清々しいほどに優先順位がはっきりしているご主人様である。

カルロスは早々にご自分の意向のみを伝達して、呆気なくテレパシー回線を切断してしまった。

そして、即座に頭上からの規則正しい「ぐー、ぐー」が途切れる。もぞもぞとシャルの前脚が動き、ユーリはもたれていたそこから立ち上がった。

どうやったのかは分からないが、カルロスに掛かれば眠っているしもべを遠隔から強引に覚醒させる事も可能であるらしい。むっくりと身を起こしたイヌな同僚は、眠たげなボケーッとした眼差しで周囲を見回し……


シャルさん、おはようございます。


彼の傍らにてちんまりとお座りしているユーリを真正面から捉えると、おもむろにぐあっとあぎとを開いた。

ユーリは冷静に、数歩後退る。一瞬前まで彼女がお座りしていた地点に、シャルの鼻面が勢い良く突撃してきて、目の前で鋭い牙が合わさったガチッという音が鳴る。


「……まだ夜じゃないですか。やれやれ、こんな時間に起こされるだなんて、迷惑極まりない話ですね」


そしてシャルは、何事も無かったかのように悠然と寝そべった体勢に戻り、面倒臭そうに鼻面を左右にゆるりと振った。


……今の、明らかに私は喰われそうになったご自分の行動に関しては、スルーですか。


「何の事です? わたしはただ、いつものようにユーリさんの毛繕いをしようかと無意識に動いていただけですよ。

子ネコ姿のユーリさんを食べるだなんてそんな、食べ応えの薄い事はしません」


牙が! 牙が目の前でガチッて!


「今は深夜なのですから、騒がないで下さい。

それで何ですか。マスターはわたしに、ユーリさんと話せと仰っていましたが」


ペタンペタンと、シャルの尻尾が不機嫌そうに硬質な床を叩く。

ユーリは寝起きで不機嫌な同僚相手への抗議は諦め、再びお座りをしつつ改めて周囲を見回した。


ここ、どこですか?


「王都にあるパヴォド伯爵家のお屋敷の中の、マスターが魔法陣を敷いているホールですよ。治癒の魔法陣は事前準備があった方が効果が高いそうで、伯爵家の屋敷内で陣が敷かれているのは、このホールだけですから」


一旦言葉を切ったシャルは懐かしむように辺りを見渡してから、ユーリから視線を外して窓の向こうを見つめた。


「そしてここは、わたしとあなたが初めて出会った場所ですよ」


え? だって、私とシャルさんが初めて出会ったのは……


森の家だったはず、そう言いかけて、ユーリはふと言葉を途切れさせた。

いつだったか、主人は言っていなかっただろうか。


――シャルの時は学院の施設を利用したが、ユーリの方は伯爵邸でだったしな。


幼少期に、ユーリを召喚した場所。カルロスははっきりと、『居城』ではなく『伯爵邸』と表現していた。それは領地に建つあの立派なお城よりも、こちらの屋敷の方がしっくりくる名称。


シャルさんは私が初めて召喚された時には、もう主のしもべだったんですか。


「当然です。わたしはマスターの第一のしもべ。

ぽっと出のあなたとは、年季が違うんですよ、年季が」


窓の向こう、星々が煌めく夜空を眺めていたシャルはチラリと流し見るようにしてユーリに目線を送り、再び外に目をやった。


シャルの口振りから推察するに、彼の方はユーリとの初めての出会いを克明に記憶しているらしい。

ふと、ユーリは思った。

意外と大人げないところがあるこの同僚の事だ。二度目以降に当たる春先からの召喚で、最初の頃はシャルはユーリに辛く当たっていたのは。

……もしかすると、ユーリがシャルの事を全く覚えていなかったから、という理由も含まれていて、拗ねていたのではあるまいか。


今だって、甘えたがりのイヌな同僚は、昔の事を覚えていないユーリを暗に責めているように見える。

それは裏を返せば、ユーリに自分の事を覚えていて欲しかったという事で。


しゃ~る、さん。


「み~」と、とっておきの甘い鳴き声で呼び掛けると、シャルは不承不承といった体でユーリに鼻面を向ける。

シャルが組んだ前脚にごろんと寝そべっても、彼は振り払う様子も無い。


「何なのですか、ユーリさん。

話がそれだけなら、わたしはもう寝ますよ」


いやいや、まだ本題にも入っていませんから。


ふいと鼻面を背けて、シャルはまたしてもユーリから視線を外し、寝入り体勢に入ってみせるので、ユーリは容赦なくてしてしと彼の前脚を叩いて注意を引いた。


それでですね、ホセさんはどうなりました? 洗いざらい情報を吐きましたか?


捕虜の尋問という分野において、ユーリは何となくパヴォド伯爵の手腕に関して欠片も疑っていなかった。尋問する現場を直接見た訳でもないのに、あの方の普段からの雰囲気がそんな印象を抱かせてしまう。

ユーリの当然の問いに、シャルは「ああ」と一つ頷いてそれに答えた。


「彼なら死にました」


……は!?


呆気なく、あまりにも簡素に伝えられた回答に、ユーリは言葉の意味こそ理解出来たものの、何がどうしてそうなったのか、それに至る過程について全く想像が及ばず硬直してしまう。

そんなユーリの動揺を察しているのかいないのか、シャルは淡々と言葉を続ける。


「わたしが全速力で現場に向かっていたら、黒ずくめの不審な人物と鉢合わせしまして。

幸い、向こうから襲ってきたので遠慮なくこちらの姿に戻り……」


いやそれ、ちっとも幸いじゃありませんから!?


平然と、何が起こっていたのかを語る同僚の説明に、ユーリは思わず反射的に、シャルの鼻面に全力ネコパンチツッコミを入れていた。

しかし、やはり非力な子ネコのアタックなど何の痛痒も与えられないらしく、シャルは気にせず言葉を続ける。


「戻った衝撃で着ていた衣服がほぼ飛散し……」


ちょっ、服!? 私には衣服の洗い物任せておけないとか言っておいて、自分は引き裂いて飛び散らせるとか!?


たまりかねて二撃目を放つも、やはりイヌな同僚は頑丈だ。薄ら暗がりの中でも何とか判別がつく限り、表情一つ変えていない。


「まあそんな些細な問題は置いておきましょう。

何故なら問題の黒ずくめの男は、わたしに向かって一瞬たりとも迷わず即座に黒くて臭い粉を投げつけてきましたので。どちらにしろ、わたしが着ていた衣服は飛散するか溶け落ちる運命だったようです」


そんな……服……哀れ。


シャルの沈痛な言葉に、ユーリはがっくりとうなだれていた。何か、最初にもっと衝撃的な台詞を聞いた気がするのだが、まだ理解が追い付いていかないのだ。


「わたしが臭い粉に咳き込んでいる間に、黒ずくめは問題の林に駆け込み、妨害をくぐり抜けてパヴォド伯爵家の馬車に強引に飛び込みました。

謎の黒ずくめの正確な狙いは何だったのかは不明ですが、例の粉を撒いてホセさんにとどめを刺し、逃亡していきました。以上」


いや、以上って……

つまり、あの人は仲間に殺されたんですか?


ユーリの問いに、シャルは鼻面をゆっくりと傾ける。


「簡単に手に掛けられる相手を仲間だと認識していたのかどうか、わたしには分かりません」


ずっと、引っ掛かりを感じてはいた。今までずっと上手く潜伏していたであろうホセが、簡単に尻尾を掴ませるなど腑に落ちないと。

焦りからスタンドプレーに走ったのか、それとも。

……正体を勘付かれた諜報員は、何がしかの手土産を用意出来ねば消されてしまうのか。

ユーリはぶるりと身を震わせて、両目を閉じた。シャルの前脚に縋りつく。


それで、ホセさんが生きている間に何か……ああ、いえ。

シャルさんが情報を引き出せている訳ないですね。


改めて問おうとしたが、ユーリは自ら疑問を取り消した。黒ずくめに追いすがって、駆けつけた時には消されていたのならば、この同僚が話を聞き出せているはずは無い。

だが、シャルはユーリの一人合点にムッと不満を露わに示す。


「何ですか。わたしでは情報収集に不適当だとでも?」


いえ、物理的な問題が。


「うっかり毒で昏倒させられた情けないユーリさんとは違って、わたしにも人脈というものがあります」


……え、あるんだ。


ふふん、と自慢げに嘯く同僚の台詞に、ユーリは思わずパチリと両目を開いて意外な思いでシャルを見上げた。

この肉食獣様にとっては、人間などエサに近い存在、良くて観察用生物なのだろうと思っていたユーリである。

個人的に彼が知己を得る相手など、主人であるカルロスやその近しい人々以外に果たして存在し得るのだろうか。


「わたしとホセさんは、これでも一応昔馴染みだったのですよ。

それが例え、互いに偽りを被せあったものでも」


シャルはあたかも、さして重要ではない出来事であるかのように呟いて、組んだ前脚の上に顎を乗せた。

単なる知人ではなく、友人だと断ずるのでもなく。シャルの言葉の選択に彼の複雑な心境を推し量れず、ユーリは相槌に躊躇った。


「今となっては、何があの人の偽りの姿で、どれが演技だったのかは分かりません。

ただ……イリスさんの事を話す時の彼は、マスターがエステファニアお嬢様と喋っている時と、同じ目をしていた」


そう、なんですか……


この地に溶け込み、骨を埋めていく覚悟で堂々と潜伏していたのならば。カルロスが分かり易い態度に出ているように、ホセもまた、隠すつもりなどなかったのだろうか。

だからこそ、炙り出し神経を逆撫でさせる手段として、利用されてしまった……?


いよいよ掛ける言葉に悩んだユーリだったが、シャルが何の予告もなく不意に立ち上がったせいで、呆気なく床にコロコロと転がってしまった。


ちょっ、シャルさん。


「静かに。誰か来ます」


足下から抗議の鳴き声を上げたのだが、シャルはユーリと違って夜目も利くのか、ある一点の暗がりの先をじっと見つめたまま微動だにしない。

ユーリもそっと立ち上がってシャルの傍らに佇み、そちらに目を凝らしてみる。多少は夜の暗幕に慣れたはずの目は、だがやはり同僚が見据える物を映し出してはくれない。


静寂が降りるホールに、本当に小さくキィ……という、金属が擦れる音が鳴った。話し声で簡単に打ち消されそうなほど、それは小さい。

そして、硬質な床を踏むカツリという足音。それは何の躊躇いもなく、規則正しいリズムを刻みながら連続してホールに波紋状に響き渡ってゆく。


数歩目で、ユーリの目にもブーツの爪先が暗がりから現れ月光に照らし出されるのが見えた。そして更にもう一歩。

闇夜に浮かび上がったのは、礼服から夜着に着替えたグラだった。


ぐらぐら様、まだ起きていらしたんですね。

こんなところに何しにいらしたんでしょう。


謎の緊張感でもって、暗闇に目を凝らしていたユーリは、グラの姿を認めて何だか拍子抜けし、みぃみぃと呟いた。


「ここに居たのか、ユーリ」

「ええ。彼女の怪我を治療するならば、この部屋で寝かせておくのが一番手っ取り早いですから」


何故かは分からないが、グラはユーリを探しに来たようだ。

もしや、本当は人間のクセに子ネコとして日々ゴロゴロしていた暮らしを咎められるのだろうかと、反射的に身を竦めてしまう。

シャルはそんなユーリを庇うつもりがあるのかどうか、平然とした声音でグラに答え、眠たげに欠伸をかました。余裕過ぎだろう。

そんなイヌの礼を失した態度にも、やはりグラは表情を変えない。……いや、薄暗くて細かな表情の変化が例えあったとしても、読み取り辛いだけだが。


ひとまず、ユーリは主家の若様のご用件を伺うべくトコトコと前に進み出て、ジーッとグラの顔を見上げた。

彼女を見下ろしてきたグラは、ゴホンと咳払いをしてぎこちなく視線を逸らす。よくよく観察してみると、表情もいつもの無表情ではなく、やや強張っているように見えなくもない。


「ユーリ、お前に話がある」

「みゃ~(如何いたしましたか)」


視線を逸らされたまま発したグラの台詞の前に、ユーリは大人しくお座りをして話を聞く体勢を取り、彼を見上げた。

だが、若様は僅かに眉根を寄せて彼女を見下ろしては視線を逸らすばかりで、肝心の話とやらを始めようとしない。ユーリは焦れて首を傾げた。


「『にゃー』ではなく、きちんと私に分かる言葉で答えろ。

本当は話せるのだろうが」


やがてグラは、数秒間の沈黙の後に素っ気なく命じてきた。


「に、にゃう(いや、話せるには話せますが)」

「グラシアノ様、ユーリさんは子ネコ姿で人の言葉は発せられませんよ。よろしければわたしが通訳致しますが」


主に頼もうか、躊躇していたユーリの背後からのっそりと歩み寄ってきたシャルが、おもむろに口を挟んだ。

グラは「……そうか」と、低い声音で呟くと、再び咳払い。


「あー、今回のお前の勇敢な行動には、あれの兄として感謝している」

「ユーリさん、グラシアノ様はこう仰っています。

『此度の働き、誠に大儀であった』」

「み、みぃ……(は、はあ……)」


ようやくグラの話とやらが始まったのは良いのだが、シャルは何故に大真面目に、グラの発したお言葉をビミョーにニュアンスを変えた上でユーリに語ってくれるのだろうか。

いや、この同僚は本当に真面目にやっているのだろうか。シャルがグラの言葉として、ユーリに向かって語り掛けてくる言語は、グラが今現在使っている大陸共通語のままなのだが。

シャルは傍らのユーリからクルリと視線を転じて、グラにひたりと焦点を合わせる。


「グラシアノ様、ユーリさんはこう申しております。

『卑賤なるこの身が、親愛なるパヴォド伯爵家の皆様にお役立て頂けるならば、望外の喜びにございます』」

「みにゃっ!?(私そんな台詞口にしてませんよ!?)」

「……あの短い鳴き声が、そんな意味になっているのか?」


同僚の口からしれっと吐き出された忠義心溢れる言葉の羅列に、ユーリはギョッとして傍らのシャルを見上げるも、向こうはどこ吹く風だ。

グラは不信感も露わにシャルとユーリを交互に見やる。

しかし、同僚からの叫びと貴公子様の疑惑に満ちた眼差しを一心に浴び、デカいイヌは鷹揚に首肯する。


「ええ、そうですね」


……だからシャルさん、それはどちらに対しての相槌ですか。


「さあグラシアノ様、続きをお聞かせ下さい」


ユーリの力無いツッコミは黙殺して、シャルは厚顔にグラを促す。

グラはしばし逡巡した末、唇を湿らせてから会話を続行した。


「今夜の行動はお前にとって、非常事態故の対応策だったと、私も承知している」

「ユーリさん、グラシアノ様はこう仰っています。

『先の緊急時における……』」

「シャル、それはもう良い。私はユーリと直接話をつける。下がれ」


重々しく語られたグラの台詞を、シャル的独創性による意訳の試みを遮り、若君様は片手を振ってデカいイヌに確固たる口調で命じた。

同僚はしばし沈黙した後に黙したまま頭を垂れ、数歩後退る。ホールから退出する素振りは見せないが、グラはユーリと2人きりになりたい訳でもないのか、それ以上重ねて命じはしなかった。


「ユーリ」

「にゃー(はい)」


気を取り直して真上から見下ろされ、ユーリは神妙に返事を返したのだが、グラは眉を顰める。


「その姿では話にならん。さっさと人間に化けろ」


今この場で? 化けている訳では無いのですが……様々な反問がユーリの胸の内を駆け巡ったが、ユーリは大人しく主人に強く呼び掛けた。

即ち、今すぐ人間の姿に戻してくれ、と。


カルロスはもしかしなくても、しもべの状況を全く把握していないのかもしれない。疑問や空白を置かずに、呆気なく願いは叶えられ……


「……っ!?

な、どうして何も着ていない!」


若君様は月の明かりのもとでもはっきり分かるほど顔を真っ赤にして、何ともはた迷惑な文句を叫んだ。


「元々、裸でしたもので。

お見苦しい姿を晒してお目汚ししてしまい、大変申し訳ございません」


スッとグラの足下に跪いて謝罪をすると、頭上から何かが降ってきた。はて、これは何だろうかと、暗がりで目を凝らしてしげしげと眺めると、どうやら上等な布地……グラが着ていた夜着の上のようだ。


「そ、それでも着ていろ」

「お心遣い、感謝致します」


有り難く袖を通させてもらうも、やはりというか何というか、丈も寸法もユーリには合わずぶかぶかで、肩から滑り落ちそうだ。


「若君様、私へのご用とは」


気を抜くとずり落ちる生地を肩で抑え、見上げながら改めて問うと、グラは顔面の赤みが引かぬまま咳払いを繰り返し、不自然に顔を背けたまま言った。


「だ、だからだな。

私は責任はとる。何も煩う必要は無い」

「……はい?」


ユーリには今ひとつ、グラが言いたい事は何なのかが見えない。

反応の薄いユーリの態度に、グラはやけに焦った表情で早口にて重ねて告げた。


「だから私は、お前を妻に迎えると言っているんだ、ユーリ」



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