表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
94/168

 

再び舞台は幕を開ける。

前幕のラストでフレイセ姫にぶっ飛ばされた青年は自らをカミロと名乗り、レデュハベス山脈の裾野に広がるガベラの森の向こうにある、人間の国からやってきた探検家だという。

彼はマレンジス大陸各地を旅して回り、そこで見聞きしたその土地の風土や気候、人々の暮らしや習慣などを纏めた見聞録を執筆して幾つかの書籍を発表しており、若くしてそこそこの評価を得た。その実績を女王ロベルティナに買われ、彼女の許可のもと、デュアレックス王国にしばらく逗留してこの国についての本を書いてみないか、という話が舞い込んできたのだという。


「片隅とはいえ、ごく普通の人間がデュアレックス王国の王宮で寝起き出来る機会なんて、そうそう無いからね。俺ってツイてるよ」


うんうん、と頷くカミロに、彼の隣でベンチに腰掛けていたフレイセは小首を傾げた。


「ねえカミロ。ガベラの森って、どんなところ?」

「どんな、って……上から見たら、姫のドレスの色みたいなグリーンが絨毯みたいに広がってる感じ、なんじゃないの?」

「呆れるぐらい説明が下手ね、あなた。

だいたい、この王宮から見下ろす世界は殆どずっと白一色よ」


ほら、こちらにおいでなさいよと、フレイセ姫はカミロを促し、舞台の中央に進み出た。そうやって歩を進めてゆくうちに、舞台袖からはゆらゆらとした真っ白なスモークが舞台の床を漂い始めた。


「あれ。空はこんなに晴れてるのに、急に霧が? それになんだか、とても……甘い良い匂いがするね」


カミロの呟きと共に、バサッと音を立てて背景画がめくれ上がり、一面に純白の花々が咲き乱れる花畑の風景が表現された。雲一つ浮かばぬ抜けるような青い空と、穢れなき雪原を彷彿とさせる純白の花畑の直中に立つ2人は、まるで大空に浮いているかのようだ。

フレイセ姫は尚も観客席目前にまで歩を進め、立ち止まって周囲に見惚れるカミロへ向かって腕を振ってみせる。


「とても綺麗なところだね……でも姫、そんなに端っこにまで寄ったら危なくないか。それで、ここはいったい?」

「アタシを誰だと思っているの? フレイセ、即ち古の言葉で輝ける太陽の愛娘とまで呼称される程の者よ?」


フレイセ姫は自慢げに胸を張り、それからドレスの裾を軽く払っておどけるように軽くお辞儀をした。


「ようこそカミロ殿、我がハイネベルダ宮殿が誇る他に類を見ない風光、マレンジス大陸随一の空中庭園へ」

「確かにこの景色ほど、『空中庭園』に相応しい場所は無いね。

……ああ、そうか。ここから見上げる空に殆ど雲が浮かんでいないのは。この城は、雲の世界よりも高い場所にあるんだ」


カミロは感嘆の溜息を漏らし、花々が咲き乱れる足元を指差した。


「ねえ姫、ここに座っても良いかな?」

「良いんじゃないかしら。この空中庭園は、今はアタシの貸切だから」

「そんなところへ俺を連れてきて良かったの?」


カミロの隣に腰を下ろしたフレイセは、ツンと澄まして致し方無いと言わんばかりに頷いた。


「わたくしが許しますわ」


突然口調を改めるフレイセに、カミロは吹き出す。


「姫はちっともディベルキュルスのお姫様らしくないね」

「あなたこそ、話に聞く平民の割にはアタシに媚びへつらわないわね」

「『高貴な方々はとても明晰で高品格で包容力がおありだから、低脳で短命な人間の些末時にわざわざかかずらうほど、お暇でも愚昧でもありますまい』って言ったら、宮殿の大抵のお貴族様達は『んんっ』とか咳払いして見て見ぬ振りしてくれてるよ。

プライドが高いってのは、善し悪しだね」


カミロが笑顔で言い放った台詞に、フレイセは膝に立てていた肘をガクッと崩した。


「……ああ、でも。

こうやって見渡す下界は本当に真っ白で、地上の様相は本当に何も、なぁにんも見えないね。

全て雲に覆い隠されて、世界はまるで、この宮殿だけしか存在しないみたいだ」


客席を見渡しながら、カミロはゆっくりとそんな台詞を呟く。フレイセは傍らの花畑から花を一輪摘み……そういう演技なのだろう。傍らに手をやり、持ち上げた時には白百合らしき花を一輪手にしていた。


「一面、木々で覆われた緑の絨毯なんて、滅多にお目にかかれないのよ。白い世界の向こう、それが地上。

だからかしらね。アタシ達ディベルキュルスの一族は、新緑には特別な意味を持たせているの」

「ふうん。色に意味があるんだ。どんな?」


フレイセは指先でクルリと回した白い百合を、自らの髪に挿した。


「例えば白は『神秘。世界を包み込むもの。其を拭い取りしは、即ち其の内包する全ての権利を得る』」

「……もしかして、俺達が結婚式で白い服を着るって言い習わしは、そこからきてるのかも」

「ずっと昔から色言葉はあるから、もしかしたらそれが伝わったのかもね。他にも真紅は『決意』とか、紫は『叡智』だとか、色々あるわ。

アタシ達は、自分を表す表明にその色彩を取り入れたりする習慣があるから、知ってると便利よ」

「そうなんだ。覚えておくよ。

それで、姫の綺麗なグリーンは?」

「新緑は『世界。愛で満たされし幸福の象徴。其は全て。完全として類を見ない頂きへの輝き』」

「……ねえ姫、そんな物凄い言葉で言い表されてる色のドレスを着てる姫は、もしかして凄い人?」


カミロの問い掛けに、フレイセは胸を張る。


「やあね、今頃気がついたの?」

「うん、本当はぶつかった瞬間に気がついてた。『この柱はただもんじゃない!』って」

「だからアタシは柱じゃ……」


真顔で頷くカミロに、フレイセはキーッ! と苛立ちを露わにしかけるも、


「おお……高尚にして尊貴なるハイエルフの麗しき姫君よ、この矮小なる只人に御慈悲を~~~」

実にわざとらしく、上半身と両手を地面に押し当てて平伏しては身を起こし、再びははーっと平伏す……という動きを繰り返した。端から見ていると、その動作の擬音は『へ~こらへ~こら』などと称されそうなぐらい、身が入っていない不真面目な動きだ。


「だからアナタね、そのよく屁理屈ばっかり回る口を何とかしなさいよーっ!?」


フレイセ姫、御年50歳。うっかり『自分、下民に簡単に腹立てちゃう心狭い下品な輩ッス』宣言行動。


「いやあ。姫は、誰かから満たしてもらう愛じゃなくて、紫色に着られるでもなくて、いずれは紫色のドレスを着こなせるようになると良いね」

「余計なお世話だーっ!?」


笑顔で両手を叩きながらのたまうカミロに、フレイセ姫の往復ビンタが飛んだ。



次の幕でも、やっぱりお父様エルフさんに唆され、フレイセ姫へ求婚するエルフ男性陣の乙女心をくすぐるとは言い難い、何かがズレたアタックが続くも、フレイセ姫はカミロ青年を巻き込み逃れまくる。

どうやら、『精神的に同年代の口喧嘩友達』として、徐々に親しくなっていったらしきフレイセ姫とカミロ青年は、漫才のような会話を交わしながら、時にお互いの知恵を出し合い難を逃れ、時に囮にされて盛大に文句を言い合い、急速に仲が近付いていく。

そうして時間は流れ、再び白い雲間のような空中庭園に並んで腰を下ろし、のんびりと語らっていた最中。


「ねえ、姫。大事な話があるんだ」

「何よ、改まって」


カミロがふと真顔になり、フレイセ姫に向き直った。彼のいつになく真剣な雰囲気に気圧されたのか、フレイセ姫は僅かにたじろぐ。


「俺がハイネベルダに滞在出来る期間が、あとひと月も無いんだ。もうすぐここをお暇して、また旅に出るよ」

「……え……? でもカミロが宮殿に暮らし始めてから、まだ少ししか経ってないじゃない!

本を書くんでしょ? こんな短期間で……」


カミロが突如口にした別離に、フレイセ姫は動揺を隠せずに言葉を募らせる。だが、カミロはゆっくりと首を左右に振った。


「人間の俺とハイエルフの姫では、一日一日の時間の長さが違うんだよ、姫」

「何バカな事言ってるのよ、時間は平等に決まってるじゃない」

「姫、よく聞いて。

例え同じ時を共に過ごしていても、ね? 俺と姫の感覚は密度が全く違うんだ。

姫は『カミロが宮殿に来てから少ししか経ってない』と言ったね。だけど、百年も生きられない人間にとっては、このハイネベルダで暮らした十年は、とても長い長い時間なんだよ」


同じ役者が演じているのだから、外見が老いたようには全く見えなくても不思議は無いが、確かに幕を経るごとにカミロ青年のフレイセ姫への態度は、同年代から徐々に年下の女の子を見守るような精神的な成長が見受けられた。まさか十年も経過していたとは思いもよらなかったが。


「気が遠くなりそうなほど、長い長い時間を生きるハイエルフが、俺達人間と直接関わり合いにならない道を選んだのも、納得だ。

きっと姫はこの先何百年何千年も生きて、そうして俺という存在も忘れ去ってしまうんだろうね」

「何でそんな事を言うの、カミロ? アタシ達は友達でしょう? 絶対忘れたりなんかしない」

「無理だと思うよ、姫。

確かに、俺の名や友人として交流した事は忘れないかもしれない。

だけど、具体的にいつ、どんな会話を交わしたのか、どんな顔をしていたのか、どんな声だったのか……徐々に薄れて思い出せなくなる」


百年も生きられない人間でさえそうなんだから、と、カミロは淡々と呟いた。


「その日、その時感じた事を忘れたくないから、だから俺は自分が体験した記録を書き残してるのかも」

「じゃあ、じゃあアタシも書くわ。カミロと過ごした出来事を、今までのも思い出せる限り全部。

そうしたら、例え忘れてたとしても読み返した時に絶対思い出せるでしょう?」

「ふふ、姫ってば必死だね」

「だからカミロ、ずっとここに居てよ」


カミロの服の袖を掴んで懇願するフレイセ姫に、彼は再び首を左右に振る。


「それは出来ない。女王陛下とのお約束は、ハイネベルダへの滞在期間は本を書き上げるまで。

俺だってここに居たかったし、だからこそ今まで、延ばし延ばし誤魔化してきたけど……これ以上は無理だ」

「アタシからロベルティナにお願いするから!」

「姫、俺は単なる人間で、本来ならこの宮殿に足を踏み入れる立場じゃないんだ。

いったいどんな理由でここで暮らして、俺は何をすれば良いと言う気?」

「今までと同じで良いじゃない」

「明確な目的もなく、ただ姫とお喋りしていれば良いと言うつもりなら、俺達の関係は友達とは言えなくなる」


あくまでもやんわりと、しかし頑なにフレイセ姫の側から旅立つと決意を仄めかせるカミロに、フレイセ姫は「イヤイヤ!」と駄々っ子のように叫んだ。


「分かんない、どうしてよ?

カミロが何でそんな事言うのか、アタシには全然分かんない!」

「ねえ、姫。俺は本当は、もっと早くにこの宮殿を去るはずだったんだ。

だけど、何だかんだと滞在期間を引き延ばし続けた。その意味を、姫は考えてみてくれないか?」


フレイセ姫はそう言い捨てて走り去り、その背中にカミロはそんな台詞を投げかけ、喧嘩別れのような形で舞台は暗転。

そうして次に明るくなった時には、舞台は再び第一幕の背景と家具が置かれ、フレイセ姫のお父様エルフさんがまたしてもツボの中を覗き込んで、


「姫、姫や。儂の小さなフレイセや」


などと呼び掛けていた。


カミロさん曰わく、劇中の時間は第一幕から十年は経っているらしいですが、お父様エルフさん……そう言えば彼は、女王様からはベルベティーと呼ばれていましたが、それってベアトリス様のファミリーネームと一緒じゃないですか……かの紳士の行動はものの見事に変化が見受けられませんね。


「アタシの事は放っておいて」


舞台の上にはお父様エルフさんしか立っていないのに、どっからともなくフレイセ姫の声が響いてくる。お父様エルフさんは、肩を落としてトボトボとソファーに歩み寄り、ドサッと乱暴に腰掛けた。


「のう、姫や。儂は亡き妻の分も、目一杯そなたに愛情を注いできたつもりじゃ。

そんな儂は、そなたの押し殺しておる気持ちも分からん父だとでも思っておったか?」

「……」

「姫、あれは人間じゃ。連れ合いを早くに亡くす寂しさを、儂はそなたにまで味わって欲しゅうないのじゃ」

「……」


一瞬、世界に沈黙が訪れて、


「ちょっと待ったぁぁぁぁぁっ!?」


お父様エルフさんが腰掛けていたソファー、そのすぐ傍らの座席クッションシート部分が勢い良く吹き飛び、その下からフレイセ姫が現れた。うずくまって隠れていたフレイセ姫の出現方法が予想外だったのか、その拍子にソファーから転がり落ちるお父様エルフ。

いわゆる奈落から登場する歌舞伎役者とは、ああいった飛び上がりっぷりを披露するものなのだろうか。

どうやらあのソファーは、座席を持ち上げると下に小物が収納可能な作りだったらしい。


「お父様! 連れ合いって、連れ合いって、つまりそれ旦那様とか伴侶とか夫って意味じゃない!

どうしてカミロの事で、そんな単語が出てくるのよ!」

「……あ、儂、ちょっと失言したっぽい?」

「逃げるな!」


床に転がり落ちた体勢のまま、舞台袖に向けてゴロゴロと転がっていこうとしたお父様エルフさんの進路に素早く回り込んだフレイセ姫は、ガシッと父の両肩を掴む。


「姫よ。そなた、毎日のようにカミロ殿の事ばかり話しておるじゃろう? カミロ殿をどうこうするなど、儂には造作もない事。じゃがそれではフレイセ、そなたの心に傷が付こう。

儂は知っておる。そなたの外界への憧れも、そなたが身の内に抑えつけている気性も。じゃが……儂はそなたを手放しとうない。ないのじゃ……」


むっくりと起き上がりながら告げるお父様エルフさんは、どこか寂しげにフレイセ姫の頭を撫でた。


「お父様は、お母様が早くに亡くなると知っていたら、妻に迎えなかったと仰るおつもりですか?」

「……フレイセはカミロ殿と誼を結んで以来、儂の痛いところばかり突くようになってしもうた。

この十年を、女王陛下は全てご存知だ。陛下はとうに、姫とカミロ殿の仲を許しておられるよ。今まで何も言わなんだは、ただ儂が、認めぬとゴネておっただけじゃ。

儂は、乙女心の分からぬクソオヤジらしいからの」

「……まさか、本当に?」

「宮殿からの退出を命じられたカミロ殿は、命知らずにも女王陛下に願い出たらしいのう。『フレイセ姫が欲しい』と」

「カミロ……」


フレイセ姫はお父様エルフさんの傍らから立ち上がると、しずしずと舞台中央へと歩み寄り、観客席へ向かって歌い上げる。


「本当は心のどこかで分かってた。

このまま共に笑い転げる時間をずっと過ごせやしないのだと。

だけど考えたくなんてなかった。

例え刹那の交流だとしても、だって彼は当然のような顔で、アタシの心に住み着いてしまった。

永遠の時など不可能だと分かりきっているのに、それでもそれを望んでしまうのは。

それは静かに静かに降り積もる。彼はきっと、真白のそれを温かな花弁に喩えるのだろう」



そうしてフレイセ姫は、空中庭園に佇むカミロ青年に背中からアタックをかまし、ふわりと舞い上がる白い花びらに包まれて二人で笑い転げるのだった。



最終幕、舞台は再び玉座の間へと早変わりし、そこではこれまで登場した役者が殆ど勢ぞろいで壁際に居並んでいた。もちろんロベルティナ女王はやっぱり美しい真紅のドレスを着こなして玉座に婉然と座し、その傍らに立つお父様エルフさんは、ハンカチを両手で握っておいおい泣き崩れている。

玉座の前に跪いているのは、白い衣装に身を包んだフレイセ姫とカミロ青年の両名。


「姫や、そなたに儂から贈り物がある」


ひとしきり泣き暮れたのか、お父様エルフさんは玉座の段差を下りてフレイセ姫の肩に手を起き、顔を上げさせた。

そして彼女に、何かを差し出す。


「お父様、これは……!」

「そう、我がベルベティー氏族の長たる証を、儂は今こそそなたに譲る。

なればこそ、必ず、必ずこのハイネベルダに帰ってくるのじゃぞ。我らが長殿」


父から受け取った何かを、フレイセ姫は押し戴く。


「承知仕りました」

「フレイセや、やはり旅立つのかえ」


親子の会話に一区切りつくのを待って、おもむろに発せられたロベルティナの問いに、フレイセ姫ははっきりと「はい」と答えた。


「陛下、それが例え瞬きの間のような出来事であったとしても。わたくしは目を閉じていたくはないのです」

「許そう、新たなるベルベティーよ。存分に、見聞を広めてくるが良い」


女王は立ち上がり、右腕を真っ直ぐに真横に伸ばす。その勢いで、肩から掛けていたこれまた豪奢なショールがバサリと翻された。


「帰還の暁には、妾の右腕たるに相応しい成長を期待している。

そしてカミロ殿。そなたとはこれきり、この先会いまみえる事が叶わぬやもしれぬが……我らが一族の太陽を、そなたに託す」

「我が身命に賭して、お守りする所存です」

「うむ」



そうして人々からの祝福の言葉に……一部のフレイセ姫の求婚者さん達からは、カミロ青年への恨み節が混じっていたけれど……包まれて、並んで手を繋ぎ玉座の間を出たフレイセ姫とカミロ青年は、穏やかに語らい合う。


「さあ姫、これからどこへ行こうか。

このマレンジス大陸は広いよ。まずは北へ向かって雪を眺めるのも良いし、南の海で泳ぐのも2人でならきっと凄く楽しい」

「うん、ワクワクするわ!

でもちょっとカミロ。まだアタシを『姫』なんて呼ぶつもりなの? 入り婿のクセに生意気よ!」

「えーっ、ゴホン。じゃあ……フレイセ」


それがカミロ青年なりのけじめか何かだったのか、友誼を深めてもこれまでずーっと『姫』とだけ呼び続けていたフレイセ姫の名を、彼は緊張気味に口にした。

しかし、フレイセ姫は即座に「ぶっぶー」と、不正解と言いたげな擬音を被せた。


「残念、『フレイセ』はアタシの愛称というか通称であって、本名ではありません。

カミロはアタシの伴侶なんだから、夫婦間だけの愛称で呼んでちょうだい」

「え。じゃあ……ベルベティー……?」

「それは氏族名。人間で言うところのファミリーネーム。

カミロだって今は、『カミロ・ベルベティー』なんだからね。

ああっ。まさか、伴侶に名前さえ覚えてもらえていなかっただなんて!」


よよよ……と、わざとらしく嘆くフレイセ姫にカミロ青年、わたわたと慌てふためく。新婚早々から振り回されているようである。

そんな旦那様の様子を十分楽しんだのか、フレイセ姫はやがてケロッとした表情でカミロ青年の顔を見返した。


「仕方ないから、今教えてあげる。アタシの名前はね……」


笑い混じりに彼女はそう言いながら、カミロ青年の耳元へ顔を寄せ……それに合わせて緩やかに舞台の灯りは落とされてゆく。

そうして舞台袖から再び、手燭を手にした黒っぽいローブ姿の人が舞台袖からすすす……と音もなく滑るように舞台の中央へと進み、客席へ向かって軽く会釈した。


「こうして彼らは高き頂きから地上へと降り立ったのです。

しかしこれより後、世界は一度ひっくり返る。いずれ再びの帰還を願われたフレイセ姫が、帰るべき宮殿へともう一度戻る事が出来たのかどうか。それは誰にも分かりません……」


黒っぽいローブ姿の人物は、また舞台袖へと消えてゆく。後に残されたのは、再び煌々と照らし出される舞台の上で、明るい新緑色の森の中を思わせる背景画を背に、幸せそうに笑いながらじゃれ合うフレイセ姫とカミロ青年の姿で……舞台の幕はゆっくりと下ろされた。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ