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パヴォド伯爵と魔法使い

 

「久しいね、カルロス。

この頃は私も多忙で、君の顔を見に行く事すら叶わなかったが……息災なようで、何よりだ」

「ご無沙汰しております、閣下。ご健勝そうで何より」

「いやいや、このところすっかり体が鈍ってね……寄る年波には勝てないものだ」

「またご冗談を」


本棚と、お酒の並んだ棚……そしてテーブルと1人掛けのソファ。

蒸留酒のグラスを片手にそこに座った中年の男性は、正面に立ったままのカルロスを見上げて笑う。

この部屋はこの方の、私的なプライベート空間……というやつでしょうか?


エストの乗ってきた馬車がお城に入るなり、お城の召使いの人にカルロスは問答無用でこちらの部屋の前へと連れて来られ、通されてみればこじんまりとした室内で寛ぐ男が1人。


彼を目の前にし、カルロスは腕を胸元にあてがって会釈。そして敬語。

主がそんな態度であるならば、しもべであるユーリがカルロスの腕の中でそっぽを向いている訳にはいかない。

床にペタンとお座りし、男の視線が寄越されると大人しく頭を下げた。


紹介されずとも、カルロスや男の態度でだいたい予想がつく。

ユーリが想像していた以上に若々しいが、この目の前の40代ほどの男性がエストの父であり、カルロスの後見をしていたパヴォド伯爵だろう。


ネコに向かって『面を上げよ』なんて重々しく許可を出す人種など居るとも思えないので、ほどほどだと思われるところで顔を上げた。だが、さっさとカルロスに視線を戻していると思われたパヴォド伯は、予想に反してしげしげと興味深そうな眼差しをユーリに注いでいる。


腹回りがせり出した、恰幅の良い紳士でもない。

威圧感を増す眼光や鷲鼻で、迫力を滲ませている訳でもない。

パヴォド伯の風貌は、すらりとした美少女顔の美青年がそのまま年食っちゃいました、といった、いかにも権力者としてイメージしていた人物像とはかけ離れた、気迫や覇気といった堅い雰囲気に欠けた風貌の、洗練されてはいるがどことなく浮き世離れした美しい人、といった印象を受ける。流石は親子、エストとよく似ている。


あの綺麗なエストお嬢様が、まさか父親似だったとは……異世界はびっくりの連続です。


こちらも遠慮なくパヴォド伯を観察し返して、ユーリはそんな感想に落ち着いた。

だが、外見が『こう』だからといって、中身も決め付けるのは危険だ。

なよなよしく穏やかで人の良いだけの男が、あんなに活気づいた城下街を持てる訳が無い。


馬車で通過した際に車内から眺めただけであったが、夕刻近くの大通りはどの店も賑わい、行き交う人々は誰もが健康そうで笑っていた。

路地をじっくり観察する暇は無かったが、物乞いのような貧しい身形の人も見当たらない。

領主として、街を荒らす事は簡単だが、治安の良い街を維持する事はとてつもなく難しい。


「それで、この子は君の新しいペットなのかい?

男の子かな、女の子かな」

「はい、ユーリといいます。性別はメスで……

ユーリ、この方はパヴォド伯爵、エスピリディオン・ファビアン・パヴォド様だ。ご挨拶しなさい」


はい。お初にお目もじ仕ります、閣下。

ユーリと申します。どうぞお見知り置き下さいませ。


『メス』ってなんですか、『メス』って……と、内心大いに不満ではあったが、伯爵閣下の手前、文句を垂れ流す訳にもいかずに丁寧に頭を下げる。

ネコのままで言葉が通じるとも思えなかったが、敬語を使うのは気持ちの問題だ。


それにしても、バーデュロイ国では家名と爵位が同一なのか。分かり易いと言えば分かり易い……のだろうか。

ユーリがイメージする中世ヨーロッパ貴族の名前は、敬称なども混じって無駄に長いのだが。


「物静かで大人しい子だね。女の子だからかな?

こちらにおいで、ユーリ」


パヴォド伯から手招きされてしまい、ユーリは困惑してカルロスを見上げる。彼女の主はコクリと頷き、


「閣下の仰る通りに。失礼のないようにな」


無表情で促されてしまった。貴人に対して失礼のないようになどと、相変わらず万事を元の世界での常識で推し量ろうとしてしまう傾向にあるユーリには、難易度の高い命令である。

恐る恐る、ソファにゆったりと腰掛けているパヴォド伯爵の足元にまで歩み寄り、ちんまりとお座りして見上げる。

このまま伯爵の膝の上に飛び乗ると、許可も得ずに触れたとして処断されてしまうのか? それとも、足元でただじっとしているだけでは面白みが無いと苛立たせてしまうのか?

下手に不興を買われるような判断を下しては、累はカルロスにまで及んでしまう。


彼は手にしていたグラスをテーブルにカタンと置くと、足元のユーリを見下ろして笑う。

ゾクリと、彼女の背筋を駆け抜けてゆく恐怖感。

殊更に厳めしい外見を持たずとも、危害を加えられるような発言が無くとも。ただ笑うだけで、人の心に畏怖をもたらす事が出来る人種が居るのだと、ユーリは生まれて初めて知ったのだ。


硬直してしまったユーリを、両手を使って掬い上げるようにして、伯爵は彼女を自らの膝の上に座らせた。

内心(ひいぃぃ~~!?)と、怯えた悲鳴を上げるユーリであったが、かといってジタバタ暴れて逃れ、カルロスの背後に隠れる訳にはいかない。

大人しく、恐れ多くも伯爵閣下の手で背中を撫でられる、などという機会に恵まれてしまったユーリは、されるがままにじっとしていた。


「カルロス。この子はシャルと同じ、『***』なのだろう?」


ひたすら伯爵の膝の上で置物状態になっていたユーリは、かのお方が主に話し掛けるので、ジリジリと体を捻ってカルロスの方へと向き合った。伯爵閣下のご尊顔を拝し続けて、またあの恐慌をきたす表情を間近で見つめたくはない。

主の姿が視界に入ると非常に安堵する自分自身に、(そこまで怯えてたのか、私!)と、二度驚いた。


「はい。とはいえ、ユーリとは数日前に契約を結んだばかりですが」

「なるほど、君は本当に優秀な術者だな。

『***』召喚の儀は、失敗例が多いと聞く。それを二匹も、自らの内に取り込まずに保有したままにしている術者は、君ぐらいなものだろうね」


……何か、嫌な話の流れであるような気が致します。

2人も居るのなら、1人くらいは……みたいな?


冷や汗が流れ落ちそうになっているユーリの背中を、変わらずにゆったりとした手付きで撫でる伯爵。頭上の彼の表情は、背中を向けてしまったのでユーリには知る事が出来ないが、目の前のカルロスは、努めて保っていたらしき無表情の中で、ひくりと僅かに眉が動いた。


「私の行動は、閣下の意にそぐわぬと仰せですか」

「いいや? 以前にも言っただろう、カルロス。

『***』であるシャルを簡単に身の内に取り込んでは、長期的にその威力と偉力とを人々の心に覚え込ませておくことは難しい。人は、慣れる生き物だからね」


……な、なに、を……?

この人は、何を言っているのだろう?


パヴォド伯爵の声音は、カルロスとユーリがこの部屋へと入室したその時から全く変わらない。荒ぶりも激昂もせず、ただ穏やかで優しげな、今夜の夕食は好物なんだ、とでも気ままに雑談しているかのように。


「シャルを常に側に付き従わせれば、それと知る者に対して、君は『いつでもその気になれば力を得る事が可能』なのだと、簡単に示すのに丁度良い、とね」


パヴォド伯爵の言は、ユーリの耳には『君は示威行為に、武具を常に身に着けて歩きなさい』と、同義のように感じられた。

それも伯爵の言い草からは、使い魔から得る力とは、下手なナイフや鈍器程度の迫力や威力ではなさそうだ。大規模な爆弾の遠隔作動スイッチか、軍用機のヘリが常に上空で滞空してます、レベルだろうか。


「今日はエストだけではなく、君の同期のアルバレス侯の孫とも会ったのだろう? 彼にもユーリを紹介したのかな?」

「いいえ。あの男が知れば、間違いなく無力なユーリから躊躇なく魂を抜き取りますので、隠しました」

「そうか。カルロスは本当に賢い。

君の特異性が簡単に広まってしまうより、最も効果的なタイミングで開示しなくては、切り札の意味が無いからね」

「はい」


クスクス、と、機嫌良く降ってくる小さな笑い声。

使い魔を……いや、『クォン』を、ただ、兵器や道具としてしか捉えていない。

そこに何らかの愛着めいた感情もあるのかもしれないが、所詮はモノ以上には考えていないようにしか思えない。

伯爵にとっては、ユーリの主であるカルロスでさえ、盤上の駒の一つでしかないのだろうか。


私達にも感情があり、生きた存在なのだと……理解していても、切り捨てるべきところとして、敢えて排除して考えていらっしゃるのでしょうか……

これが、権力を持つという事なのなら、辛い生き方ですね……


「閣下。いくらお忍びとはいえ、ご令嬢とアルバレスを共に外出させるとは、些か外聞が……」


アティリオの名が出たせいか、ずっと気にかかっていたらしき事項に関して、懸念を申し立てるカルロス。

自分は馬車の中で、恐らくは未婚の姫君であるエストの手や髪、耳を撫でたり触れたりして、明らかにアプローチを仕掛けていた癖に、そんな事実は彼女の父親の前ではおくびにも出さない。


「それは実はね、カルロス。これはまだ未確定事項なのだが……とても嬉しい知らせがあるのだよ。

アルバレス侯の孫とエストは、婚約が決まるかもしれない」

「……閣下、それは孫にあたるどのご子息の事でしょう?」

「なにを言ってるんだい?

勿論我々がたった今話題にしていた、アティリオ・ミュゼラ・アルバレスに決まっているじゃないか」

「しかし、彼はハーフエルフですよ?」

「アルバレス侯爵の内孫である事には変わりがない」


えー、あのマント男さん、マジでエストお嬢様に横恋慕ー!?

いや、貴族間の婚約や婚姻には、本人の意思とか考慮されないのかもしれませんが。


相変わらず伯爵の膝の上に乗せられたまま撫でられつつ、ガビーン!? と、尻尾を伸ばしてわなわなと震わせているユーリをヨソに、穏やかな口調のパヴォド伯と、内心を押し殺しているらしきカルロスの会話は続く。


「それにね、カルロス。

私はエストには幸せになってもらいたいのだよ」

「しかし、あの男では……」

「このままではあの子は、殿下が成長なされた暁には、本当に側妃に召し上げられてしまうだろう」

「……それは」

「あの子は聡い。それはそれは、上手くご正妃様や他の側妃の間を取り持ち、後宮の手綱を握るだろうとも。

しかし、そこにエストの幸福はあるのだろうか」


室内に、沈黙が下りた。

ユーリとしては、少し怖いという印象を抱いたパヴォド伯爵が、自分の娘の事に関しては彼女の未来を憂う心があるのかと、なんだか安心するものがあった。

伯爵といえども父親であり人の子、やはり娘は可愛いのかと、垣間見せられた人間らしさに緊張感が解れていくのを覚えた。

……そう、この時は。


「その点、アルバレス侯の孫は実に都合が良い。

彼は昔からエストと交流もあり、術者である君でさえ難色を示すハーフエルフだ。

家格も申し分なく、王家に対しても侯爵家に対しても、この後どう転んだとしても捌きやすい」


……あれ? 何か変な言い草じゃないですか、伯爵閣下?

なんだかそれ、エストお嬢様が本当に幸せになれるように旦那様を厳選したというより、閣下がエストお嬢様を餌に策略を巡らせやすい、みたいな……?


「ですが、それではあまりに……」

「これは君への相談事ではないよ、カルロス。

殿下の側妃への話も、アルバレス侯の孫との婚約も、あくまでどちらも『纏まるかもしれない話』だ」

「……申し訳ありません。出過ぎた真似を致しました」

「いやいや、カルロスらしいね」


唇を噛んで俯くカルロスに向かって、先ほどから一切揺らぐ事が無い穏やかな声音が、ユーリの頭上から降ってくる。

おずおずと、ユーリは勇気を出して体を背後へと向け、伯爵閣下の顔を見上げた。


「あの子の幸せの為に、これから先も、君もより一層頑張ってくれるだろう、カルロス?

だって君は、昔からエストの事を本当に大切に思っているのだから」


閣下はただ、笑う。

笑いながらそんな言葉を、カルロスへと告げた。


この方、は……

結局はご自分の娘でさえ手駒でしかなくて。

そして、後見して養育した配下と娘が想い合っている事を見透かした上で、尚その感情さえ、利用されようとしていらっしゃる……?


恐らくカルロスは、彼自身の想いが伯爵に知られている事に気が付いている。

そして伯爵もまた、こうして言外に脅迫してくる事から考えても、知っている事をカルロスが自覚している事に気が付いている。


――あなたは、わたくしの父の思惑に、十分に応えてしまった。


エストのあの言葉の意味は。

カルロスが、優秀な魔法使いに育ったという意味だけではなくて。

決して、パヴォド伯爵に反旗を翻す事が叶わないほど、雁字搦めに捕らわれた状態である事を、彼女もまた知っている、という意味ではないのか。

……そう、他ならぬエスト自身の存在によって。



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