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社交界シーズンの王都は、貴族ではない身分の人々にとっても、祭りのようなものらしい。

開催時期に合わせて、国内各地の領土で暮らしている貴族達がいっせいに集まり、彼らに普段から仕えている人々も付き従う。当然王都の人口は常よりも膨れ上がり、様々な商売の売れ行きも加速する。

人が集まれば王都も活気づくから、こういう店も当然繁盛する訳で。


「ユーリさん、まだ怒ってるんですか?」

「別に怒っていません」


寝台の上へと、荷物袋から引っ張り出した着替えを無造作に広げ、シャルからは断固として背を向けたまま、人間の姿に戻っているユーリは下着を身に着けてようやく一息ついた。


「シャルさん、部屋から出て行って下さい」

「怪しまれるからダメです」


同僚は彼女が裸だろうが着込んでいようが、どちらでも全く気にも留めていないという事実は嫌というほど理解しているのに。着替える姿をじっくりと見物される事態には、流石に恥ずかしいものは恥ずかしいと感じて、羞恥心に耳まで赤くなってしまう。


「せめて向こう向いてて下さい」

「嫌です」


クスクス、と楽しげな笑い声と共にシャルの腕がユーリの背後から伸ばされてきて、彼女の胸の前で組まれる。ビクリと震えるユーリの反応などお構い無しで、シャルの頭が肩に乗せられて……首筋にシャルの体温のままの吐息がかかり、くすぐったさにもがく。

背中でじかに触れた感触に、ユーリは眉を上げた。


「何でシャツの前開いてるんですか!?」

「だってここ、そういうお店なんですよね?」

「そうかもしれませんが、私は服を着に来ただけですっ!」


隙あらば服を脱ぎ脱ぎしたがる天狼さんの足をダンッと踏みつけて、ユーリは寝台の上に広げていた主からのお下がりのお洋服に手を伸ばした。



連盟本部の塔を辞したカルロスは、どこでユーリを変身させよう……と、頭を抱えた。

宿屋で部屋を借りれば話は早いのだが、そういった余分な出費は出来れば避けたい。かといってこれからまた城壁の外に出て、変身可能な人気の無いところまで足を伸ばして……などという手間暇をかける時間も勿体無い。

これから向かうパヴォド伯爵家のお屋敷で部屋を借りれば良いのでは、というしもべの真っ当な意見は、「間諜の目がどこぞに潜んでいないとも限らん」との懸念により、今後は伯爵家のお屋敷内での気安い変身は控える事になり。


そうですね、スパイなら屋敷に出入りする人間に目を光らせているかもですしね……

だからといって主、最終手段に繰り出した場所が『下町の連れ込み宿』ってどうなんでしょう。


宿の路地裏に潜み、人気が途切れたところで広げられたマントの下で人の姿に戻されたユーリは、シャルと共に大急ぎで店に駆け込み、地球の日本で言うところのラブホでご休憩にて部屋を確保した。

よほど盛り上がり切羽詰まったカップルだと思われたか、誰かに追われて逃げ込んだと思われたか……ユーリとしては、後者だと考えて欲しいと切実に願うばかりである。

結局お金が掛かってしまうが、普通の宿屋さんで部屋を借りるよりは安上がりらしい。


「シャールーさーん。そんなにべったり張り付かれたら、着替えが出来ません」


何はともあれ、ようやく服が着られるのは嬉しいはずなのに、その場の勢いで共に部屋に入ってきた同僚がユーリの背後から抱き付いてきて、うなじの辺りに頬擦りしてきている。ハッキリ言って、くすぐったい上に着替えるのには邪魔である。

オマケに、首筋の辺りで不意にチクリとした痛みが走った。たとえ本性は天狼さんであっても、今現在は人間バージョンである。人の首を舐めないで頂きたいし、そんなところに吸い付かれたり甘噛みされても困る。人間の皮膚の脆さを理解しているのだろうか。


「ダメです。まだ匂いが残ってます」

「え、私臭いんですか!?」


話す為に少し顔を上げてくれたお陰で、先ほど熱く濡れた感触が這った辺りが外気の温度差で冷やされゾクリと震えが走った。そんなユーリの反応に構わず、せっかく離してくれていたらしいシャルの顔が再び首筋に埋められると、夏の暑さとは異なる熱で火照った身体が目眩を起こしそうだ。

背後に大きなわんこを背負ったまま、なんとかズボンに足を通して引き上げたユーリは、鼻の利く同僚の臭い発言にギョッとして背後を振り向こうとして固まった。今頭を動かしたら、確実にシャルの額とごっつんこである。


そんなユーリの気遣いをどう思っているのやら、シャルは両手で彼女のお腹の辺りを撫で回してきた。

うなじにスリスリやお腹撫で撫でなんて、シャル以外の普通の人間にされたらセクハラだと怒りを露わにするところだが……何しろ、相手は天狼さんだ。ご飯として美味いかどうかの確認中という危険性もあるが、むしろイヌとしての『撫でれ、構え、遊ぼー』アクションという可能性も大いにある。


「なんの為に、ほぼ毎晩わたしがユーリさんを舐めていると思っているんです?

危険動物や魔物が近寄ってこないように、お守り代わりにわたしの匂いを移して差し上げているんですよ」

「え、そうだったんですか?」


確かに、シャルはここ最近よく舐めてくるなあ……とは思っていた。一緒に暮らし始めてからと比べても、ずいぶん仲良くなれた証のようなものか。と、普通のイヌとのコミュニケーションを連想していたが……それだけでは無かったらしい。

言われてみれば確かに、この同僚が敬愛するご主人様を盛んに舐め回し擦り付く姿は見た覚えが無い。カルロスが執拗にシャルのお腹を撫でくり回して、尻尾や翼でペシペシされている姿は頻繁に見掛けるが。


「たとえ王都の中でも、備えておくに越したことはありません。あなたは鈍臭いですから、わたしの匂いが薄れたら野良犬や伯爵閣下の飼いイヌに吠え立てられそうです」

「……我ながら、反論出来ないのですが」


いつ何時、どんな災難が襲い掛かってくるかサッパリ分からないが、シャルの目が離れたところでライオネル君に追い掛け回されたり誘拐されたりした経験があるユーリとしては、ある種の災厄を確実に避けられるお守りなら貰っておきたい。

何でベアトリスの部屋から出てきてからここに至るまでずーっとシャルに弄られ続けていたのかと思いきや、彼女の匂いが混じったので消そうと試みていたらしい。


シャルがボタンを外して胸元をはだけさせているせいで、密着している背中から彼の体温が直に伝わってくる。先ほどから彼女の心臓が、バクバクと早鐘のように活発化しているのは承知しているだろうに、同僚は全く頓着せずにユーリの身体を撫でてゆく。だんだんユーリの呼吸が乱れてきて、抑えきれずに吐息が唇から零れ落ちているのだが、彼は意に介した様子も無い。

子ネコ姿で撫でられる事にはだいぶ慣れたが、こちらの姿の彼女を撫でくり回して可愛がろう、などと考える非常識な輩は当然いない。

ユーリの耳元にシャルの吐息が吹きかけられ、首筋を彼の銀色の髪がさらりと滑り落ちてゆく。くすぐったさに、ユーリは奇声や笑い声を出しそうになる口を懸命に押さえた。


「こんなものですかね。

それから、これはわたしが預かっておきます」


後ろから抱き締められて、シャルの手のひらがユーリの身体をあちこち這い回っていたのは、そう長くはない時間だったはずなのだが、『シャルの匂いが移った』と天狼さんが納得して彼女を解放した頃には、ぐったりと寝台に倒れ込んでしまった。

緊張と羞恥に極限まで耐える、拷問のような背後から擦りつきタイムに、ユーリは疲れ切ってもはや声も出ない。寝そべったまま同僚を恨みがましい目つきで睨み上げると、寝台の傍らで涼しい顔をしてユーリを見下ろしているシャルは、彼女の眼前にヒラヒラとピンク色のリボンを振った。


「それ、私のです……返して」

「駄目です。これは『ユーリさん』がエステファニアお嬢様から頂いた物であって、『ティカさん』には所有権はありません」


エストから贈られた、ユーリが毎日身に着けている可愛いお気に入りのリボンに手を伸ばすも、シャルはひょいと腕を引っ込めて自らの服のポケットにそれをしまい込む。


「あなたが自分で選んだのでしょう? 『ティカ』という架空の人間を作り上げてまで。

そうまでして、クォンである事を隠してアルバレス様に気に入られたいと? 馬鹿馬鹿しい」


ふん、と鼻を鳴らして吐き捨てるシャルのお腹に、ユーリはていっとパンチを繰り出してみた。寝転がったままなので、ちっとも威力が出ない。


「そもそも、アティリオさんに私がクォンだとバラしたのはどこの誰ですか。

シャルさんは強いから、弱い私の身の守り方が分からないんですよ」


パンチされた事そのものは全く気にもしていないようだったが、ユーリの文句には気分を害したように眉をしかめた。


「何ですか、シャルさんヤキモチですか?」


ユーリは寝台の上に身を起こしつつ、まだ身に着けていなかったシャツを羽織ってわざと軽くからかい染みた台詞を当て擦ってみたら、天狼さんはむぅと膨れっ面で彼女を睨み付けてきた。


……え、否定しないんですか?

てっきりポンポン嫌味が返ってくると思ったのに。


予想外なシャルの反応に、思わずボタンを留めようとしていた手が止まってしまう。

しかし、よくよくこれまでの事を思い返してみると、この同僚は意外と嫉妬深い質なのではないだろうか、と思い当たった。

そもそも召喚されたばかりの頃、ユーリの事が気に食わないとシャルが考えたのだって、突き詰めればシャルはご主人様であるカルロスの事が大好きだからだ。普段から、何かと主人の寵愛を争って張り合ってしまうのが、いい証拠だろう。


そして最近、シャルの中でユーリの立場は仲間とか家族とかペット(?)といった、『ちょっと甘えてしまう気安い対象』に落ち着いているらしい。

シャルの嫌いなアティリオが『ティカ』を気にして構ってくるせいで、妬心が煽られたと。


「私は別に、アティリオさんに媚びを売って気に入られようとしている訳じゃありませんよ」


苦笑しながらちょいちょいと手招きしてみたら、シャルは意外と素直にユーリの隣に腰掛け、無言のまま彼女の服のボタンを留めはじめた。

彼が天狼さんの姿の時、たまにしているように頭を優しく撫でてみたら、同じように目を細めて少し気持ち良そうにしている。


……どっちの姿でもシャルさんなんだから、当たり前、なんだけど……


「むしろアティリオさんが笑顔で話し掛けてくるだけで、かなり神経磨り減るというか……なるべく私には構わないでいて欲しいですねぇ」

「ユーリさん」

「はい、何ですか?」

「髪を纏めるのなら、わたしの予備のリボンを貸して差し上げます」


ボタンを留め終えて、今日もやっぱり持ち歩いていたブラシを取り出し、シャルはにっこりと笑う。何だかよく分からないが、彼の中の不満はかなり解消されたようだ。

もぞもぞとポーラー・タイの位置を調節しているユーリの髪の毛を、手際良く梳いて整えてゆく。いつもの如く、今日も問答無用で髪型をお揃いにされる前に、ユーリはリクエストを口にする。


「シャルさん、私、サイドで纏めるよりも三つ編みが良いです」

「面倒臭いから嫌です」


が、嬉々として伝えた希望は呆気なく同僚から却下されてしまい、ユーリは頬を膨らませて不満も露わにもう一度「三つ編み」とねだってみた。


「……仕方のない人ですね」


シャルがいつも使っているのと同じ黒いリボンを片手に、彼は溜め息をついてユーリの髪の毛を一房取り上げた。

彼女の髪は地球での火事で少し焼けてしまったらしく、こちらにやってきて気がついた時にはもう、肩にかかる程度に短くなっていた。それからずっと伸ばしているが、長くもなく短くもない髪を、シャルの指が器用に動いて頭頂部から編んでゆく。

ユーリはあくまでも三つ編みとしかリクエストしていないのだが、髪が引っ張られるこの感触は間違いなく……編み込みだ。

シャルはいったい幾つ予備のリボンを常備しているのか、ユーリの髪を真ん中から二つに分けて編み込んだ両サイドでリボンを結び、「出来ました」と、軽くポンと彼女の頭を叩いた。

鏡が無いので仕上がりは見れないが、触ってみた感触ではかなりしっかり編み込まれていて、簡単にはほつれそうも無い。


「……確かにこの髪型にするのは、面倒臭そうです。

シャルさん、なんで編み込みなんて出来るんです?」


ブラシをしまって、シャツの前を合わせた同僚は、ユーリの疑問にどこか遠い眼差しを向けた。


「わたしはマスターと共に、幼少期からエステファニアお嬢様にお仕えしていまして……

『シャーリーは髪が長いから、自分で結う技術が必要でしょう?』とゴリ押されて練習させられました」


察するに、ご幼少のみぎりのエストがシャルと戯れたいが為の方便のような気もしたが、確かにこの同僚の髪の毛は平均的なバーデュロイ男性の髪型と比較すると、少し長い。

そして、昔からずっと長かったらしい。

 

「もしかしてシャルさん……髪を切ると、天狼さんのお姿に戻った時には毛並みが所々ハゲてたりするんですか?」

「さあ? 敢えて切ろうと思った事も無いので、よく分かりません。

ユーリさん、今度髪を切って差し上げましょうか? 思い切りよくサッパリとした、ショートカットなんて如何です?」


にっこり、と笑みを浮かべながら、立てた人差し指と中指を軽く左右に動かし、開いたり閉じたりとハサミの動きを再現してみせる。微妙にカニっぽいイメージが湧くのはご愛嬌か。


「わ、私はロングに憧れますね!」 


ともあれ、ハゲにゃんこに変身の危機からは逃れたいユーリである。



護身用具は背負うべきか否か、しばしシャルと話し合い、ひとまずユーリは毒水の素が入った袋だけを首から提げて歩く事で合意に至った。

ベアトリスの話を聞いた直後であるし、大きな水鉄砲を小柄なユーリが背負うと、マントか何かを被らないと目立つ事この上ない。が、魔術師でもないのに夏場にマント姿というのも怪しい。

よって、シャルが一緒に居る限りは大量に背負った荷物にさり気なく隠しつつ運ぶ、という案で落ち着いた。

この状態で雨でも降れば軽くテロ行為に匹敵するので、護身用毒水の素入り袋の扱いには細心の注意が必要である。


シャルの妨害を受けつつ、ユーリが身仕度を調え主人の下へと馳せ参じると、ご主人様は下町の露店で買い込んだ王都庶民のB級グルメを絶賛ご堪能中であった。

そう言えばそろそろ昼時である。


「おお、お前ら遅かった……な……」


何の串焼きかは分からないが、タレの匂いからして美味しそうだと、主人の手元に視線が吸い寄せられてしまうユーリに、カルロスは手にしていた串焼きを全て押し付けて、シャルの前に仁王立ちした。

好きなだけ食べても良いらしいと判断し、早速あむあむと串焼きにかぶりつくユーリをヨソにご主人様は険しい表情で、あちこちの露店から漂ってくる匂いに眉をしかめているシャルを睨み付け。

カルロスはやおら、ぐわしっ! と、自らのしもべわんこの頭を小脇に抱え込んだ。


「痛いです、マスター」

「こ・の、ア・ホ・イ・ヌ、がっ!

何度言えば分かるんだ! ちったぁ人間社会の常識と倫理観を学べ!

今度こそ去勢して元の世界に送り返すぞ!?」


ご主人様のイエローカードな発言に、ユーリは思わず食べかけの串焼きをブッと吹き出しそうになってしまった。


「それは困ります」

「いや、『困ります』以外に言うべき事は無いんですか、シャルさん?」


ユーリが思わず、食べ終えて串だけになった棒をビシッと突き付けツッコミを入れると、シャルは何かを考え込むような表情を見せ。


「マスター、わたしの故郷は異様に暑いから帰りたくないです」

「……お前にとっちゃ、それが一番問題なのか?」

「大問題です」


それが何か? と言いたげなシャルの態度に、ご叱責中であるはずのカルロスの方が疲れたように肩を落とした。


「……ユーリがこの国の出身者でなかった事を、幸運に思えこのアホイヌが」

「はあ……それよりもマスター、ユーリさんの姿をご覧になって、真っ先に言うべき事があるでしょう」


カルロスの腕から解放されたシャルは、首や肩をコキコキと小さく動かしながら不満げに唇を尖らせた。


「あ?

……あ、こらユーリ! 誰が串焼きを全部食って良いと言った!」

「えー? でも主、食べちゃダメとも仰っていませんでしたよー?」


恐らく、鶏か何かの肉らしき串焼き、カルロスから渡された三本を美味しくペロリと平らげたユーリは、にっこり微笑んで「ごちそうさまでした」と、ご主人様に感謝の気持ちを捧げる。

シャルはそんなカルロスとユーリの間に割り込み、胸を張った。


「違いますマスター、そっちじゃありません。

彼女のこの髪型をご覧下さい」

「ん? ああ、その服でその髪の組み合わせは……型破りだが、まあ良いんじゃねえか?」


「可愛い可愛い」と、編み込みを崩さない程度に優しい手付きでカルロスから頭を撫でられて、ユーリはほにゃらと笑み崩れた。

そして、その傍らで不服そうにむぅと膨れるシャル。


「あー、はいはい。

久々に頑張って編み込んだのか。力作だなシャルー」


カルロスは実に疲れた表情で、ユーリの頭を撫でていた手をそのまま斜め横に動かして、『褒めて褒めて』と全身で訴えてくるわんこの頭も撫でてやった。


……もしかしなくても主って、普段から結構シャルさんの嫉妬心で苦労なさってるんですねー。

まるで、奥さんを平等に扱う事を強要されてるハーレムの主人のようです。



露店で腹拵えを済ませたカルロス様と愉快なしもべ達ご一行は、貴族のお屋敷が建ち並ぶ区画へと足を踏み入れた。そのまま真っ直ぐ、パヴォド伯爵家のお屋敷に向かう。

屋敷の裏側に回り込んで、使用人が出入りする勝手口にて身元を示す通行証を示しつつ、カルロスはエストの腹心の侍女、セリアのスケジュールをそれとなく聞き出した。


「さっき連絡は飛ばしといたんだが……返事がまだ返ってきてねえんだよ。仕事が立て込んでんのかもな」


いつものように、堂々と敷地内を歩くカルロスに付き従いつつ、ユーリはあちこちをキョロキョロと見回した。

伯爵家ご一家が生活し、客人を迎え入れる棟は贅が凝らされているが、こちらの使用人が行き交う裏方は相変わらず質素な佇まいである。

表側の庭の芝生は青々と輝いていたが、裏口付近の地面は土が踏み固められているだけで、すれ違う人々もお仕着せ姿の人ばかりで、皆それぞれ忙しそうに歩いてゆく。

領地から王都までの移動にご同行させて頂いたユーリにも、見覚えのある人々が何人か見受けられた。


カルロスはすれ違う人々と軽く挨拶を交わしたり、セリアの行方を尋ねたりしている。

厩舎から馬を連れて姿を見せた顔見知りの馬丁さん(向こうは無論、ユーリの事は黒ネコだと認識しているだろうが……)が教えてくれたところによると、今丁度、彼女はお客様を迎えているところらしい。


「セリアに客……?

あいつの家族は確か、王都よりもっと北の街に住んでたはずだが」

「セリアさんもお年頃ですし、求婚者さんかもしれませんよ」


首を傾げるカルロスは、それでもセリアが居ると教わった裏庭に向かった。


あの仕事熱心なセリアさんが、主人であるエストお嬢様のお世話をお休みするだなんて、どなたが訪ねていらしたんだろうなあ。

大事なお話の最中だったらどうするのでしょう?


などと、少し心配になりながらもシャルと共にカルロスの後を並んでついていったユーリは、そこで信じがたい光景を目撃した。


小さな花壇と、直射日光が遮られる大きな樹の下で。

敷物を広げて並んで腰を下ろした二人は、傍らのバスケットから取り出した軽食をつまみつつ、楽しげに語らっている。

一人は夏の木漏れ日を受け眩く反射させる艶やかな金茶色の髪を持つ少女、お仕着せ姿のままのエストの生真面目なレディーズメイド・セリア。

そしてもう片方、セリアの傍らに腰を下ろしティーカップを優雅に傾ける人物は、暑い最中でも長袖な魔術師のローブを身に着け亜麻色の髪を緩く纏めて下ろしている、セリアの天敵であるはずの怪しい公子、ナジュドラーダのブラウリオ。


「ようセリア。ここに居たのか」


カルロスはこの異常事態に気が付いていないのか、これが通常運転だと認識しているのか、平然と二人に歩み寄っていく。

その声に気が付いたセリアとブラウは、揃ってこちらを振り向いてきた。


「ご機嫌よう、カル先輩。偶然ですね」

「元気そうだなルティ。今日は仕事なのか?」


親しげにカルロスに呼び掛け、にっこり、と、可愛らしい女の子にしか見えぬ笑みを寄越してくるブラウに、ユーリは一瞬固まり……次いで、何となく事態の表層を理解した。

恐らくセリアは、『ブラウリオ公子』と『連盟の魔術師ルティ』が同一人物である事に気が付いていないのだ。頭っから別人だと決め付けていれば、同じ顔である事にも気が付けれないのだろう。

ルティ姿のブラウは可愛らしく化粧をしているし、脱がない限りはどっからどー見ても女の子である。

どちらの姿でもアティリオの事を『兄さん』と呼び掛けて、それとなく血縁者である事を周知させ、顔が似ていてもおかしくはない、とも思わせているのだろうか。


「やだな、カル先輩。セリアはとっくにあたしの授業から卒業しましたよ?

今のあたし達は先生と生徒じゃなくて、お友達でーす」


「ねー?」と、声を合わせて揃って仲良く小首を傾げる姿は、とても親しい友人同士のように見える。


「それでカルロスさんの後ろに隠れてるその子が、ルティが話してた女の子?」

「そうそう。ティカちゃん、こっちにいらっしゃいよ?」


気のせいか、セリアの榛色の瞳が向けられたユーリは、その眼差しに何やらチクリとしたトゲを感じた。

こちらの姿で会うのは初めてなのにどうして突然マイナス印象を持たれているのだろう、と一瞬狼狽えた彼女は、一見にこやかな表情で手招きしてくるブラウの姿に、ハッと思い至った。


……おのれ、女装男子!

さては貴様、セリアさんにあること無いこと吹き込みやがったな!?


「初めまして、わたしはパヴォド伯爵の第一令嬢エステファニア様にお仕えしております、セリア・リュリュメル・アントです」

「初めまして、セリアさん。

私はカルロス様のお家にご厄介になっている、ティカと申します……」


握手の習慣はこちらにもあるらしい。

おっかなびっくりカルロスの影から出て、笑顔で差し出されたセリアの手を握ったら……ビミョーに強い力が込められた。


「そう……本当に、カルロスさんがあなたをお世話しているのね……?」


もしもしセリアさん。気のせいでしょうか、目が据わっていらっしゃいますよ?



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