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馬車が森を抜けて主要街道に出たところでカルロスも車内に乗り込み、馬車は一気に加速して目的地に向けて駆け抜ける。
執事がお嬢様の隣に座る訳にもいかないのか、乗り込むなりカルロスが堂々と「ユーリが揺れる車内に驚いてるからな。俺が近くに居てやらねえと」などとエストと似たような内容を言い放ち、彼女の隣に座った事で、先ほどから突き刺さるような忌々しげな眼差しを向けてきている。
いるのだが……唯我独尊俺様なユーリの主様は、実に平然とその眼差しを跳ね返している。時折エストのふんわりカールした髪を指先で優しく梳いて、耳元に何事かを囁いたりと、オジサマ執事さんの血管大丈夫だろうか?な行状には、流石にユーリも同情を禁じ得ない。
どうして主がシャルさんを連れて来ずに、敢えて私をネコ姿のまま連れ出したのか……ええ、ええ。ようやく納得がいきましたとも。
主にダシにされる為に、馬車酔いになりかねない状況下に置かれているのかと、今更ながらに得心したカルロスの忠実なしもべであるところのユーリは、相変わらずエストの膝の上で丸くなっていた。
この状況では、主と楽しくお喋りという気分にはなれない。
私、馬には蹴られたくありませんしねぇ……
そうなれば、ユーリは黙って丸くなって思索に耽るぐらいしかする事が無い。
という訳で、早速気が付いた事をつらつらと考えてみる事にする。
……広くて真っ直ぐな街道に出た事でスピードが上がった割には、車内の揺れは予想よりも酷くはない。
相変わらず、突き上げられるかのように上下左右に揺れ動くものの、エストの膝から転がり落ちる危険性は感じられないというのは驚きだ。
馬車の性能が突如バージョンアップなどするハズもないので、カルロスが乗り込む前に何らかの対策……(衝撃緩和魔法とか?)を施したか、そうでなければ街道の整備状況が良いかのどちらかである。
ユーリの生活していた日本では交通量も多く、国民は乗り物に乗って移動する生活が当然、国道は整備されているのが当たり前であったが、こちらの世界ではどうなのだろうか。
領主なる存在が置かれている事から考えるに封建制度で、農民は土地に縛られていてもおかしくはない。むしろ、安定した税収入を得るためにあの手この手で縛り付けておくだろう。
街道を使うべき人間が存在するからこそ、道は整備されているものだ。農民が利用する機会はあまりない。
となると、真っ当に考えられるのは商人の行き来、流通が発展しているという事になる。
商人が集まる土地というのは、栄える。情報、金、物品、伝手……そして集まれば集まるほど、蜜に惹かれるように彼らは益々群がってくる。しかし損害を被る危険性を敏感に察知すれば、あっさりと次の上手い商売場所に移る。それが商売人だ。
そんな街を維持する事が可能な支配者……それは即ち、一筋縄ではいかない人物である、という事で。
ではここで一応別視点、真っ当ではない理由で、街道整備の必要に駆られる理由を考えてみよう。
街道を使うのは人である。
あるが……頻繁に利用し、歩きやすい道を造るとなると、一度に大人数の集団が通るから。ではその集団とは何者か?
他の地域に人が纏まって移動するとなると、パッと浮かぶのは旅人に行商人、避難中難民、戦争を仕掛けに行く部隊、だ。
難民の受け入れ・避難の為に大事業とか有り得ないし。という訳で真っ当じゃない可能性は戦争に使う為、になる。
領主の姫君であるエストお嬢様が、ろくな護衛も付けずにお忍びで領内を出歩いますし……流石に戦時下って事は、ないですよねぇ?
ユーリの背中を撫でるエストの、手入れの行き届いたひび荒れ・あかぎれ・擦り傷一つ見当たらない指先を観察し、無いなと判断を下した。
彼女の肌は、多くの人材やモノが費やされて、美容に関して大いに力が入れられている。身に纏っているドレスの感触からも、いかにも高貴なご令嬢らしく細部に至るまで手が込んでいるように見受けられる。
大貴族の姫君というものは、当主にとっては一種の商品な訳だから、内面と外面を磨き立てる事が重要な訳だが、そうして作り上げる『芸術品』というものはべらぼうに金が掛かる。
つまり、とてもではないが、エストは戦費に資産を湯水の如く費やしている家の姫君には見えない。
“相変わらず、お前の発想転換力は面白いな。
異世界人は、街道一つでそこまで考えるもんか”
揺れる狭い車内で、エストと隣同士に座り、いかにも『揺れるし、狭いんだから、偶然こうなっても仕方がありませんわ』と言わんばかりに、エストとカルロスは至近距離でドレスの裾に隠れて手を重ね合っている。
2人で睦まじくしていると思えば、そんな事をしながらも主は黙り込んだしもべの思考を読んでいたらしい。
執事さんの目には映りにくいところで、そのような行動……主、まるでドン・ファンのようです。
“誰が漁色家だ”
冗談混じりにからかってみただけだったのだが、カルロスからは即座に、そんなメッセージがユーリの脳裏へと苛立ちの感情を伴って送られてきて、ついでにネコ耳をペシッと軽く叩かれてしまった。
「カルロス、どうかなさいましたの?」
「なんでもねぇよ、エスト。
ユーリの奴がご主人様に対して失礼な事を考えてたから、軽く躾ただけだ」
「ユーリちゃんはまだ小さいのですから、あまり厳しくなさらないで下さいまし」
「子供の頃からしっかり躾ねえと、本人の為にもならねえからな」
テレパスで会話はしていたのだが、表面上ではそんな事は分からない。エストの目には、カルロスが急に寝ているユーリに意地悪をしたように映ったとしても、無理からぬ構図だ。
カルロスは「心配は無い」と呟きつつ、エストの頬を彩るふんわりカールの髪の毛を耳にかけさせ、露わになった耳たぶ……そこに飾られたピアスに、そっと指を這わせた。そして再びそこに唇を近づけ。
「これ、まだ着けてくれてるんだな」
「わたくしの宝物ですもの。
今日もまた一つ、素敵な宝物が増えましたわ」
今ここで、この場で2人っきりであるかのような、そんな熱々空気がユーリの頭上から吹き付けてくる。
別に邪魔入りしたい訳でもないが、なんだかなあ、という微妙な居心地の悪さ。元の世界でも、バカップルと呼ばれる人種とお近づきになった事がなかったユーリには、こういった場面での対応策がサッパリ分からない。
それにしても。カルロスにとって、ユーリが年頃の人間の娘であるという事実は忘れられがちであるが、エストに対しては殊の外隠し通したい項目のようだ。
まあ、気になる女の子に誤解されたくはないという気持ちはよく分かるし、ユーリにとってもカルロスは異性というより仕えるべき主だ。自分を保護してくれている雇い主、という感覚が一番近い。
主がエストお嬢様の事がお好きで、仲良くされていらっしゃるのはとても喜ばしい事です。
けれど、エストお嬢様に私は子ネコであるとしか、知らせようとなさらないのは。まるで『森崎悠里』という存在を全否定されたような、そんな寂しい気がするのは、どうしてなのでしょうか。
そんな事は、最初から分かっている。
主のカルロスが求め認めているのは、気紛れに可愛がれる、愛嬌に溢れた使い魔の子ネコであるユーリであって。
不器用で鈍臭い、取り柄の一つも無い未熟な半人前の人間である森崎悠里ではない。
せいぜい、愛玩動物としての価値しか無い無駄飯食らいのくせに、人として扱えと要求する方が厚顔なのだと。
私も早く、一人前になりたいものです。
そうすれば、この正体不明の寂しさも、消えて無くなってくれるのでしょうか?
エストの膝の上で丸くなったまま微動だにしない、眠ったように大人しいユーリの背中を撫でる彼女の手付きは、とても優しい。
労るように、ゆっくりと一撫でする毎に少女の手のひらの温もりが、寂しいと震える寒さを追い払っていくようで。
それはまるで、遠い記憶の彼方に眠っていたユーリの幼少期の、母親の記憶を思い起こさせるような。昔はよく、母に抱き付いては撫でて貰う事をねだったものだ。
――泣いてるのか?
――お前さえ良ければ、俺がお前の親になってやる。
――そうか、お前には母親が居るんだな、ユーリ。
――……たとえどんなに離れても……
――……これでお別れだ……
――いつか必ず来る、遠い遠い先の未来でまた会おう。
ん……あれ、何でしょうか、これは。私の母はこんな口調ではなかったのですが。
お母さんの事を思い出しそうになっていたんですが、何故か違う記憶らしきものが。
う~ん? と、不可解さに首を傾げて尻尾をパシパシと動かして、あれは誰から言われた言葉だったのだろうと、さして他意もなく車内をキョロキョロしていたユーリは、微妙に気まずそうな表情をしているカルロスと目が合った。
ジーッと見つめ返してみると、ぎこちなく視線を外される。
……ははあ。あれは私の幼少期の、主とのやり取りですか?
また勝手に人の思考を読んだせいで墓穴を掘った、と。
実にわざとらしく、あからさまにエストの膝の上のユーリから視線を外したまま、カルロスはエストと重ねた手に少しだけ力を込めたようだ。
エストは不思議そうに小さく首を傾げて、カルロスの名を呟く。
主と契約を結んだ当時の出来事など、全く記憶に残っていないものと思っていたが、意外なきっかけで昔の思い出が蘇るものだ。
初めてカルロスに召喚されたのは、母を探してさ迷っていた最中の出来事で。
“……ノーコメント!”
ですから主。それは認めたも同然ではないかと、あなた様のしもべは愚考する次第です。
なんだかなあ。
ネコ姿とはいえ、どうして主からぎゅーぎゅーされても断固として抵抗する気になれないのか、分かっちゃいましたよ。
私がちっちゃい頃に、ギュッとして欲しい時にギュッとしてくれたのは、母だけではなくてあなたもだったんですね。
ユーリがニマニマしながらカルロスを見上げている間に、馬車は街の周囲を囲む城壁の外門をくぐった。
その街はパヴォド伯爵のお膝元、伯爵家の居城の裾野に広がる城下街・フィドルカ。