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都へ忍び寄る影

 

悠里は、自らの両足にかかる重さと痛み、そして吹き付けてくる熱気によって半ば朦朧としていた意識を取り戻した。

彼女のすぐ側でごうごうと燃え盛っているのは、巨大なぬいぐるみだろうか。ふと気が付けばおもちゃ屋のバックヤードは炎に包まれていて、可燃性のおもちゃは薪のようにあちこちで火の気を増していく。


熱い……無意識のうちにそんな呻き声を漏らすが、悠里のその声を聞きつけ救出してくれるヒーローなどおらず、


「あははは!

やった! なんだ、始めからこうしてれば良かったんだ!」


床に倒れ伏した悠里の視界には映らないが、倉庫のどこかからか野々村の歓喜に満ちた哄笑が響き渡る。


(なんで……!? だって、煙に反応するスプリンクラーが設置してあるはず……!)


倉庫に限らず、悠里のバイト先であるおもちゃ屋さんは店舗内の至るところに火災探知機や警報機が設置されており、つい最近にも消防署が見回る定期的な火災対策チェックをパスした上で営業しているはずなのだ。

にもかかわらず、炎は大事な商品を糧にごうごうと燃え盛り、煙をもくもくと立ち上らせている。何か救いがあるとすれば、悠里は床に倒れ伏しているお陰でまだあまり煙を吸い込んでいないという事だが、倉庫内に煙が充満するのも時間の問題だろう。


「さて……一応お礼を言っておくよ、森崎さん。

オレの望みを叶えてくれてサンキュー。ま、一応生きてる事を願っとく」

「……何をっ……ゴホゴホッ!」


床へ肘をついて上半身を強引に持ち上げた悠里は、自分勝手な言葉を一方的に投げつけてくる野々村を罵倒しようと口を開くも、すぐに煙を吸い込んでしまい、激しく咳き込む羽目になった。

刺すような痛みが目を刺激し、ボロボロと生理的な涙も零れ落ちてくる。

力なく再び床に伏せたが、咳は止まらず息も出来ず苦しい。


「……誰か……」


助けを求める声も掠れて弱々しく、救助隊がやってくる様子もない。

全身を襲う熱さと痛みに、もう駄目なのだろうかと瞳を閉じ意識を遠のかせる直前、悠里の視界に映ったのは、弾け飛ぶような眩いばかりの閃光だった。


ふと気が付けば、野々村の哄笑はふっつりと耳に届かなくなっていた……



……暑い……


全身を火照らせてゆく熱気に喉の渇きを覚えて、ユーリはパチリと瞼を開いた。

周囲をぐるりと見渡せばそこは茎の長い花々が咲き乱れる花畑で、ユーリは今日も、ある意味主の垂涎の的な子ネコ姿で柔らかい土の上に丸まっていた。


真夏の日差しが照りつける屋外で昼寝などしていては、あんな火事現場での回想夢を見ても不思議ではない。

どうしてこんなところで昼寝なんてしていたのだろうと、ユーリは寝ぼけた頭でこれまでの事を振り返ってみる。


そう……確か、シャルさんが狩りから帰ってきて。

あのぐりふぉーんがぐわ~っ! で、ここに逃げ込んで来たんでしたっけ。


咄嗟にユーリの思考を過ぎるのは、地球での空想上の生物グリフォンに似た魔物、ワシシの鋭い嘴と苦悶の形相そのどアップというインパクト抜群の光景だったが、頭を振ってその記憶を霧散させ、その後の出来事を思い出そうとする。


それで……またあの光る蝶が飛んできて、主が何か期待しながら「王都に向かうから支度しろ」と仰って……


そしてその命を受けて、シャルは捕らえてきた獲物が留守中に傷まないように、大急ぎで捌き始めたのだ。

その光景に怖れをなしたユーリは全速力で逃走を図り、『家の中でシャルが発見しにくい場所ナンバー2』にランクインする前庭の花畑に身を隠した、という訳だ。


息を潜めてじっとしていれば、まず見付からない仕事部屋の香料棚ではなく、シャルが見つけようと思えば見つけられる花畑にやってきたのは、探して欲しいと思ってしまう乙女心からだろうか。


柔らかい地面を無意味に前足の肉球で叩き、勇気を出して家に戻らなければ……いやしかしあれは……などと、ぐりふぉーんへの恐怖にまごついているユーリの頭上に、サッと影が過ぎった。

おや? と、訝しむ間もなく、ユーリの胴を両手でむんずと無造作に掴み取り、勢い良く持ち上げられる身体。

ユーリは慌てずすかさず、彼女を眼前にまで持ち上げてきた同僚の顔を冷静に見返した。


なんだかこんな扱いに慣れてしまった自分が、ちょっとばかり悲しいです。


「ユーリさん、あなたはまた花畑に座り込んで。そんなに花がお好きなんですか?」


ユーリがうっかり昼寝に入るまでは、ぐりふぉーんをザクザクしていた筈のシャルは、何事もなかったかのようにそんな呑気な台詞と共に首を傾げつつ、ユーリの毛並みに絡まった土を手で無造作に払う。


大型の獲物を捌いた直後の割には、シャルからは生臭い臭いが漂ってこない事が、不思議と言えば不思議である。

ユーリはくんくんと匂いを嗅ごうと鼻を動かす。色とりどりの花々の香りに混じって、シャルからは彼愛用の石鹸の香りが仄かに漂ってきた。

シャルは肉食獣であるが、雑食としての生活が長いせいか、血の臭いも余り好きではないのかもしれない。


私、そんなに花畑に逃げ込んでばかりでしたっけ?


「ええ。あなたはことあるごとに、マスターの足下か花の中に駆け込んでいますね」


ユーリは自らのこれまでの行動パターンを振り返り、そうだったかもしれないなぁ、と何となく納得した。そして同時に、そんな風に彼女の行動分析が出来る程度には、シャルはユーリの事を見てくれているという事なのではないか、という期待のようなものがほんの少しばかりだが湧き上がってくる。


「ユーリさん、ごめんなさい」


現金な話だが、そんな希望的観測によって徐々に機嫌を直しつつあったユーリに向かって、シャルが唐突に頭を下げた。


……な!?

あ、あの自尊心の塊のようなシャルさんが、誰かに促される前に自分から謝罪なさるだなんて……! あ、明日は槍が降るんですね!?


「……ユーリさん。

ちょっとその耳、齧っても良いですか? 真面目な話をまともに取り合わない耳なら、要りませんよね?」


何気に、我が強くてプライドの高い同僚の意外な行動に驚いて、バカ正直な反応を見せたユーリにたいして、シャルはすぅっとその両目を細めて一見したところでは笑顔のように見えなくもない表情で、彼女を睨み据えてきた。そんな顔を間近にしたユーリの背筋にゾクッと走り抜けてゆく恐怖感、本能的に硬直してしまう身体。

殺気など、全く察知出来ない事には自信があるユーリだが、大抵の動物達がこの天狼さんを恐れる理由が、何となく理解出来たような気もしないでもない。


い、一体全体、シャルさんは何を謝っていらっしゃるのでしょう?

それが分からない事には、私も受け入れようが無くてですね!


顔面が引きつるのを感じながら慌てて取り繕うと、シャルは微妙に表情を変えて、いつもの何を考えているんだかよく分からない微笑に戻った。


「今朝の事です。

わたしは常々、あなたに足下でうろちょろされては、うっかり踏んでしまうと忠告していたにも関わらず、ええ、あなたがわたしの足下に駆け寄ってきたりしたから。鈍臭いあなたが、危うくわたしの獲物の下敷きになるところでしたね」


ふぅ~と、実にわざとらしい溜め息混じりに、シャルは小さく首を左右に振った。

そして土塗れのユーリにシャルは嘆息しつつ、「そろそろ出発ですよ」とユーリを掴んだまま玄関へと足を向けた。


「まあ要するに、わたしはあなたの不注意な性格をいつでも念頭におくべきであったのですが、今朝に限ってそれを怠った事にたいする心からの謝罪です」


……シャルさん、ソレ、口では謝罪とか言ってますけど、何気に実質的には人の事をめちゃくちゃ馬鹿にしてますよね?


一応、最後まで黙ってシャルの言い分を聞き終えたユーリは、黄金の右前足をぶんぶかと振り回しつつ、シャルの頬に狙いを定めた。

シャルは実にわざとらしく「おやおや」と呟きつつ、微妙にユーリを掴んでいる両手を伸ばして顔からの距離を空けた。


「ユーリさんは本当に捻れた人ですね。

わたしはこんなに誠心誠意、謝っているというのに」


「どこがですか!?」という抗議の意味を込めた鳴き声を上げるユーリに構わず、普段よりも歩調を速めつつ、シャルは有無を言わさず風呂場に直行し、洗い場にユーリを下ろすと湯船のぬるま湯を手桶で汲んで、中身をユーリの頭から容赦なくぶちまけた。

綺麗好きな同僚がやりそうな事だと、ユーリは半ば予想して四肢を踏ん張らせて備えてはいたのだが、滝のように一気に流れ落ちてきた大量のぬるま湯の勢いに負けて、軽い子ネコの身体はコテンと転がってしまう。


……シャルさん。常々思っていましたが、あなたは相手に合わせて手加減というものをですね……


「ねえ、ユーリさん。

あなたはアレにひどく怯えていましたが、あなたにとって、アレはそんなに贈り物には相応しくない物なのですか?」


ユーリの愚痴を遮って、ぐしょ濡れの子ネコを抱き上げ脱衣所に戻ったシャルは、タオルで乱暴に彼女の毛並みを拭いつつそんな問いを投げかけてきた。

シャルの言う『アレ』とは、ぐりふぉーんことワシシを指しているのだろう。


えーと……私の中で贈り物とはですね、ラッピングされているものでして。


「なるほど、ラッピング……つまり、簀巻きにしてくれば良かったのですね」


何事かを考え込んだ同僚が出した結論に、ユーリは微妙に同意しかねた。例え外観からは窺えないよう配慮しても、中身を覗き込んだら結局は一緒である気がして。


そもそもシャルさん。アレ本当に食べるのですか?


「エルフや特権階級の人々の間では、精が付く珍味として高値で取り引きされる、立派な食材ですよ?」


乱暴に水分を拭われたユーリは、頃合いを見計らってシャルのタオル攻撃から床に逃れた。

同僚の言い分を吟味し、一つ頷く。


まあ、ベアトリス様も楽しみになさっていたようですし、きちんとラッピングして持って行けば、きっと喜んで下さいますよね!


「……は?」


ユーリが出した結論を耳にしたシャルは、目を見開いて間抜けな吐息と疑問符を漏らした。

そんな同僚の姿に、ユーリの胸に不安が去来してくる。

そもそも、シャルにあのやたらとそっくりなぐりふぉーんの似顔絵を描いてあげたのはベアトリスだし、「これが食べたい」と要望を出していたのは疑問の余地が無い。

急遽、またしても王都に向かう予定が立ち、だからこそ今日の訪問で手土産にぐりふぉーんを持参していくのだろうと思っていたのだが……


え、シャルさんもしかして、プレゼント包装には自信がおありでないとか? それでしたら私、頑張りますけど……

確か、あのワシシとやらは体力の無いエルフの、滋養強壮に向いているんですよね。ベアトリス様には、元気な赤ちゃんを産んでもらわなくてはいけませんし!


ユーリの懸命な訴えに、何故かシャルはがっくりと肩を落として、「もういいです」と力無く呟いていた。

ユーリとしては、苦手な分野である『食材確保という名の死体解体』に、懸命に歩み寄って慣れようとしている姿勢を示したつもりだったのだが、やはりこの同僚から見れば、彼女の態度は人任せの傲慢なものでしか無いのだろうか。ユーリはひっそりと、小さく嘆息を漏らすのだった。



相変わらず、主から乗り物代わりに便利に使われている空飛ぶイヌな同僚は、王都へ出発しようと支度を整え勝手口に姿を現したカルロスに向かって、大量の荷物を背負うよう促した。


「……シャル、これはいったい何だ?」

「前回の事で、わたしも学んだのです。マスター」


デカい背負い袋に、厚く包み紙でくるまれていても臭ってくる馬鹿でかい肉入りズタ袋、ホルスター代わりの肩紐付き水鉄砲。並べられた数々の荷を前に、ご主人様は不思議そうに顎に軽く手を当て首を捻っている。

そんなカルロスに、恐らくは忠実なしもべたるシャルはイヌバージョンでお座りした体勢のまま、真面目な声音で畳み掛けた。


「不注意なユーリさんには、やはり護身用の武具が必要不可欠であると。

要注意人物であるあの根暗マント……もとい、危害を加えてくる危険人物には容赦なく毒水放射をさせるべきです」

「お前の言いたい事も、まあ分からんでもないが……

流石にこれは、逆に悪目立ちするんじゃないか?」


滔々と語る天狼さんの訴えに耳を傾けたご主人様は、ユーリが自分の世界から持ち込んだデカい水鉄砲を両手に持ち、ジロジロと眺め回してから改めてシャルに目線を戻した。


「背中に背負わせて、マントでも着せておけば良いのですよ。

それが無理ならば毒の素を常に携帯してもらって、直接投げさせればよろしい」

「ふむ……一理あるな」


と、何やら同僚とご主人様は傍らにちょこなんとお座りし、黙って控えているユーリ本人をそっちのけにして、過剰防衛に当たりそうな護身用具について合意に至ったらしい。


「そうだな。ユーリは本当に、いつまで経っても危なっかしいところが抜けんからな。

これぐらいの武装をさせておくのがちょうど良いか」

「その通りですよ、マスター。

毎回毎回ユーリさんが陥ったり突撃していった危険を取り除きに行く、我々の苦労を思えばこれは必要な処置です」


……何だか好き勝手言われている気がしますが。

でも確かに、私にとって、王都は毎回散々な目に遭っている事は否定出来ません……

主、いっそ私は家でお留守番という訳にはいきませんか?


主題の当の本人である筈にも関わらず、話し合いの輪から閉め出された格好になっていたユーリが恐る恐る口を挟むと、カルロスは水鉄砲を両手で構えたまま彼女に向き直った。そのせいで、銃口が思いっきりユーリの眼前へ向けられている形である。

ご主人様としては他意は無いのかもしれないが、思わず反射的に両手を頭上に持ち上げて『ホールドアップ!』してしまうユーリ。


「……っ!」


そして何故か、そんなユーリの姿を目にした途端、何事かを言いかけていたカルロスは言葉を飲み込んで水鉄砲を地面に下ろし、両手を万歳させて固まっている黒ネコを抱き上げてぎゅむ~! と、力を込めてきた。


「マスター、ユーリさんに脂下がるのは構いませんが、そろそろ出発しましょう。

ユーリさんも、飢え死にしたくなかったら大人しくついてきなさい」


主、苦しい! と、抗議しながらジタバタともがくユーリと、そんな彼女に頬擦りするカルロスへ、シャルは冷めた声音で催促し、不機嫌そうに尻尾で地面をびたんびたんと叩いていた。



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