閑話 ご主人様から見たわんことにゃんこ そのご
――カルロスちゃん。この世界に産まれてくるという事はね、とても大変な事なのよ。
そよ風が心地良く吹き付けてくるバルコニーのチェアに腰掛け、淡い朝日に頬を照らし出されながらレディ・フィデリアは言った。
あれはそう、まだエストが彼女のお腹の中にいた頃の会話だ。
俺はまだ8歳で、父を失った衝撃から立ち直れていなかったのだと思う。
俺の中の父の記憶は殆ど霞のようにあやふやなもので、『逃げろ!』と、強く背中を突き飛ばしてきた父の顔がどんな風だったかさえ、曖昧だ。
ただ、バーデュロイを目指して焼け付く灼熱地獄のような砂漠をたった1人で横断し、その最中に自らの中へと溜め込んだ感情は……無力感と絶望感は……決して忘れる事など出来はしない。
ザナダシアの広大で荒涼とした砂の海の中に建つあの塀の中から、『ロクな装備も食料と水も持たない子供が1人、脱走したとしても生き延びてゆける筈も無い』世界浄化派の連中のそんな油断と、俺は偶然男に産まれていたという幸運から、今ここでこうして生き延びている。
父から教わった水と風、そして光を操る魔術を駆使して、俺の祖母にあたる人が居る筈だという、手のひらの上へ指先で綴ってくれた父の遺言を頼りにバーデュロイへと逃げ延びて……
砂漠の強行軍、それからパヴォド伯爵閣下に保護されしばらく経つまでの、短くない期間の事は正直全く覚えていない。
何も喋らず、感情を表に出さず、痩せ衰えている薄汚れた子供を何故閣下が見出されたのか、俺には全く見当もつかない。
ただふと、気が付いた時にはレディ・フィデリアと共にバルコニーに居て、彼女は自らの丸く膨らんだ腹部を優しく撫でていた。
そして、俺に微笑みかけながらこう言った。
――この中にはね、『幸せ』がたくさんたくさん詰まっているのよ。あなたも撫でてみて?
子供の頃の俺は自分の手を問答無用でとられて、レディ・フィデリアに促されるまま、ドレスの上から丸みを帯びたお腹を撫でてみた。その動きに応じるようにエストが内側から蹴りつけてきて、俺は驚いて固まってしまったんだったか。
――あなたのお名前を教えてくれる?
――そう、カルロスちゃんというの。良い名前ね。
そうしてレディ・フィデリアは自分のお腹を撫でていた手で、俺の頭を優しく撫でながらこう言った。
――生きなさい。
母の言葉に力強く同意するように、お腹の中から存在を主張してくるエストの動きを、その時俺の手のひらは確かに感じていた……
世界浄化派の連中と久々に関わったせいか、ふとした拍子に昔の思い出を回想していたカルロスは、瞬きをして意識を現在へと引き戻す。
師匠であるベアトリスの部屋に集った面々のうち、イヌバージョンのシャルと人間バージョンのユーリは昼間の疲れが出たのか床の上にも関わらずうとうとしており。わんこのお腹の辺りに抱き付いているにゃんこの肩へ、
「ティカ、そんなところでうたた寝をしたら、湯冷めをして風邪をひいてしまうよ?」
アティリオが引っ張り出してきた掛布をふんわりと掛けてやっていた。
ユーリはもぞもぞと掛布を引き上げつつ、「ありあとうごあいまふ……」と、実に怪しい呂律で礼を口にしている。
床に寝そべったままのシャルは薄く片目を開いて、アティリオへと無言のまま視線を送る。そこに敵対心でも感じ取ったのか、アティリオもまた何か口にするでもなく目を細めてシャルを睨み付けた。
そんな殺気立った静寂の攻防戦の最中でも、気配など全く感知出来ないにゃんこは実に穏やかで平和そうな寝顔を晒して、鼻から『すぴ~、すぴ~』という、何とも脱力させられる寝息を立てている。
子ネコ姿の際にいつも聞いている寝息だが、うちの娘は相変わらず愛らしいな、うむ。
カルロスは自らのしもべの姿に満足感を得ているのだが、ユーリの寝姿を間近で目撃したシャルとアティリオの方は、彼女の様子に興が殺がれたようにふいっと目線を逸らす。
さて、そんな男2人はともかくとして、問題は……
「ねっ、ねっ、ルティどう思う? アティのあの態度。さ・ん・か・く……に、進展しちゃうと思わない?」
「そうですねぇ、師匠っ。
アティ兄さんは基本的に女性や子供には優しいですが、他意のない親切心からの行為を他の誰かが邪険にしてくると、ムキになりますからね。発展しちゃうんでしょうかっ」
「アティは天の邪鬼で素直じゃないものねえ。妨害されたせいで、逆に気になってしまう……とか?」
「他の男から敵意を向けられちゃうと、女の子の事はさておき勝負には乗っかって、気が付いたら彼女に絆されてたパターンもありましたよ」
コソコソと部屋の片隅に陣取り、シャルとユーリとアティリオのやり取りを興味津々で眺めつつ、人様の色恋沙汰を邪推して声量を抑えて囁きあい、時折「キャ~ッ」と謎のテンションにて盛り上がって歓声を上げている、小娘2人組の方である。
……おかしい。あっちにいるのは300歳越えの婆さんと、女装した成人済みの青年の筈だ。だが何度目を擦って見直しても、20代の女2人が他人の恋バナに花咲かせてるようにしか見えん!
「ルティ、何をコソコソと内緒話をしているんだ?」
無闇にお互いの神経を逆撫でしないよう、シャルからは距離を取るべきと判断を下したらしきアティリオが、べったりと引っ付いてボソボソとお喋りしていたベアトリスとルティを怪訝な表情で見やる。
「なんでもないわよ、兄さん?」
にっこり、と、笑みを浮かべてアティリオをいなすルティの態度は、カルロスにとっても昔から見慣れたもので、『彼女』が『彼』だっただなんて、まさに青天の霹靂である。
匂いで大抵の人物を区別するシャルが、『アティリオとルティは紛れもなく近しい血縁だ』と判別しているのを読み取り、それ以上のプライバシーを侵害しないよう深く尋ねる事もしなかったが為に、基本中の基本である『では、ルティの性別はどっちなのか?』という点に関してはわざわざ確認するまでもないと、自らの主観のみで捉えていた。
連盟においては少数派の自分と同じく、エルフ族の特徴が外見に現れていない容姿を持つ、お茶目な後輩の女の子だと、ずっとそう信じて疑っていなかったのだが。
実は男だったという驚愕の事実が白日の下に曝されても、別段怒りは湧いてこないし、さして嫌だとも思わない。
「ねえ、カル先輩」
カルロスのしもべであるにゃんこは、ルティの事を『得体の知れない、冷酷さと酷薄さを秘めている人物』と警戒しているが、彼と長年交流がある身としては、『ルティ』としての彼への信用や態度を変えるつもりはない。
カルロスとて、自身の秘密全てを語った訳ではないのだ。女を装っている事も、それを打ち明けられていない事も、それを補って有り余る時間の共有と、交わした言の葉の重みがある。自分自身の考え方や、大切なもの、そして背中を預けられるという信頼感。『ブラウリオ』としての彼は、見知らぬ貴族であるけれど。
精神を共感させ、互いの思考を共有出来る主人とクォンの関係であろうとも、別々の人格を持つ別個の生き物なのだ。相対する人物にたいして、全く異なる見解を抱いていたとしても構わないと考えるし、そうでなくては危険ではないかとも思える。
しもべ達とは違った人間関係を築く、(そいつはそんな一面ばかりじゃないんだ)と、強く言い募りたくなるような、そこに何ともモヤモヤとした気まずさがあっても。
「なんだ?」
「カル先輩がシャルに張ってる結界……外殻膜、でしたっけ。それは、どんな毒でも防げるように構成されているんですか?」
ルティの疑問にカルロスは再び、術者達が集まり会話を交わしている椅子から、やや離れた位置の床を陣取って寝そべっているわんことにゃんこの方へと目をやった。
シャルは前脚と後ろ脚、そして翼で自らの腹の辺りに抱き付いてすぴすぴと寝息を立てているユーリをガードするような体勢をしており、苛立たしそうに尻尾で掛布をペシペシと叩いている。時折寝ているにゃんこの頬を舐めつつ、アティリオからの視線を感じると彼の方へと鼻面を向け……グルグルと低く唸る。
おお、シャル。お前もようやく、生き物にヤキモチを妬けるように……って、前々から感じてたアティリオへの不満と今現在の苛々が混じり合って、完璧混同してやがる。
相変わらずのわんこのボケっぷりと、こんなところで簡単に眠りこけるにゃんこの意外な図太さに、何か複雑な感覚を抱きつつ、カルロスはルティへと向き直った。
「いや、特に毒を防げるように、つー限定や特定はしてねえ。自分の世界では存在しなかった危険物の濾過、とだけだ」
「細かい排除指定を付け加えていきながら組み立てられる構成じゃないのよ、外殻膜って」
カルロスとベアトリスの解説に、ルティは口元に人差し指を軽くあてがいつつ、「なるほど……」と呟く。因みに彼女もとい彼は、結界術を構築出来る実力は無い。術者としての純粋な魔力保有量と魔術展開力は、連盟の中でも低い方である。
だが、ルティの真価はその頭脳と戦闘センスにある。
「師匠、基本的な疑問なのですが……そもそも、瘴気とは何なのですか? 山から下りてくる毒気と言われても、霊峰レデュハベスはデュアレックス王国の、王の居城が建つ場所の筈。何故、瘴気などというモノが溢れ出てきたのでしょう?」
「それは……」
ルティの問いに、ベアトリスはそっと両目を伏せた。彼女の周囲を包む結界は変わらずその姿を覆って見通しにくくしているが、雰囲気や浮かべている表情はなんとなく伝わってくる。
「レデュハベス山脈が王城に相応しいから、かつてのデュアレックス王国の人々はそこに城を建てたのではないの。そこに蓋をするように、封じ込める為に建てられたのよ」
ベアトリスの淡々と語られる内容に、アティリオが卓の上に両手をついて身を乗り出した。
「では師匠。かつて瘴気とは完全に封じられていた毒素なのですね?」
「ええ」
「なあ、婆さん。って事はもしかして、魔物も瘴気も、元々からレデュハベス山にあったモンで、どっかのバカが封印破って呼び出したとか解き放った……のか?」
現代においてこそ、そこかしこで見掛ける魔物達は、百年前を境に急増している。それ以前は殆ど目撃される事も無い、遥か太古の昔からの伝承上の存在だったにも関わらず。
「えーっと、ね……王城にあった封印は、悪戯やうっかりぐらいじゃ破けない強固なものだったのよ? ただこう、どんな術にも恒久的な持続は期待出来ないという事に、あたしらのご先祖様は思い至らなかったみたい」
「師匠~、だからつまり、瘴気って具体的には何なの?」
ルティの疑問から微妙に本題が移行していき、彼の質問が宙ぶらりん状態になっている事に拗ねたのか、ベアトリスの袖を小さく掴んで注意を引く。
「えー、整理するからちょっと待ってねルティ」
ベアトリスは軽く顎を撫で、ポツリポツリと語り始めた。
封印が緩むまでは、ベアトリスも他のエルフ達も、自分達の祖先が王城に封じているモノが解き放たれたら具体的にはどうなるのか、全く理解していなかった。これは恐らく、エルフ族の王国としての栄華が余りにも爛熟しきり、気が遠くなるようなデュアレックス王国の長い歴史の中に、いつの間にか埋没してしまったのだろう。
そしてついに百年程前に封印は緩み、デュアレックス王国は魔物達の住処と化した。
完全に封じが解けた訳ではない。隙間から漏れ出ている現状で既に、マレンジスは甚大な被害を被っている。
「で、肝心の王城で封印していたモノっていうのが、『異界の門』なのよ」
「……は?」
「え。魔物と瘴気、ではなく……ですか?」
既に周知の事実を織り交ぜて語られた師からの昔語りに、カルロスとアティリオは思わず声を上げていた。
異界の門とは、文字通りこのマレンジスとは別世界に通ずる裂け目の事。カルロスもクォン召喚の儀の際に、魔術によって強引に割り開いた事が幾度かある。
一瞬息を飲んだルティは、パチンと指を鳴らした。
「な~る。つまり、あたし達のご先祖様方は、ハッキリ簡単に『危険物』だと理解出来る魔物と瘴気ではなくて、『異界の門を封じている』とだけ捉えていた。ソレが制御された限定的なものしか通さない『門』ではない、という事実は慢心さで忘れ去られてしまった……」
という事は、つまりどういう事だ?
カルロスは師と弟弟子の言わんとするところについて、思考をグルグルと回転させた。異界の門というフレーズからふと、つい先日、外殻膜が剥がれ落ち始めてエラい目に遭っていたわんこの姿が脳裏を過ぎる。
「まさか……瘴気も魔物も、本来は異世界の空気と生き物なのか?」
シャルはただ、マレンジスの大気に触れているだけで皮膚や粘膜が爛れてゆく。それはまるで、瘴気を浴び続けた症状に酷似して。
「だが、このマレンジスには異世界からの異物を排除する防衛機能があるだろ?」
他ならぬ、異世界から呼び出された存在であるカルロスのわんことにゃんこの体を気泡のようにすっぽりと包むそれは、全く揺らぐ気配も無く強固に存在し続けている。
けれどもしも、この世界に溢れ出た異界からの魔物を包むモノはマレンジス側を防衛するものではなく、異界の門の向こうの世界に存在するモノであり、封印されていたその門から潜り抜けてきた者を保護する防御機能を有していたとしたら?
「門の大きさの違いじゃないかしら?」
ベアトリスは人差し指を軽く翳し、魔術によってシャボン玉のように虹色に輝く一抱えほどの大きさの泡を作り出した。カルロスも知らない術だ。
「この内側がマレンジスだとするわね? 異世界の門を開くのはクォン契約が大半だけれど、その時の影響は……」
弟子達の目を順繰りに見つめてから、ベアトリスはおもむろに泡に向かって唇を窄め、ふーっと息を吹きかけた。彼女の吐息によって、泡の内側に小さな泡が幾つか生まれて舞い踊る。
「こんな感じね。見ての通り泡は壊れて無いし、マレンジスという世界そのものにたいしての影響も少ないわ」
「だけど、これがより大きな力だったとしたなら……」
自身の言葉を引き継いだルティに頷き、ベアトリスは「風よ」と短く術を発動させると、指先に掲げた泡に小さな不可視のつむじ風が激突し、マレンジスを模した泡は音もなく弾けて消え失せてしまった。
「……これが、今のマレンジスの姿なのですか、師匠?」
呆然と呟くアティリオに、ベアトリスは「いいえ」と首を左右に振った。
「これは、なんの方策も立てずに傍観し続けた先に、起こり得る未来よ。
まだ気泡は完全に崩壊して消失してはいないわ。その証拠に、シャルの外殻膜の下地になっている気泡は、未だ健在でしょう?」
ベアトリスの一言に、カルロスとアティリオ、そしてルティの視線が自然とシャルの方へと向けられた。彼らが真剣な議題を論じている最中の、わんことにゃんこは……
「ぐー、ぐー」
「すぴ~」
術者達の焦燥感や危機感など全く知らぬげに、寄り添いあって爆睡に突入していた。
「……」
「……」
「……寝辛くないのかしら?」
……我が家のわんことにゃんこは、本当に肝心なところで外してくれるな……
神経尖らせとくべき大事な場面でも、俺の気が抜けちまうような絶妙な間抜け日常風景を晒すのはなんとかならんのか、お前ら。
と、カルロスが内心でどれだけ嘆こうとも、しもべ達が眠っている最中では心の中での声が彼らに届く事は無い。
「と、ともかく、だ。
つまり婆さん、俺達は異界の門を閉じに行かなくて良いのか?」
「やれるものなら、とっくの昔に改めて封印してるわよ。
けど、忘れないで欲しいわね。閉じに行くにも瘴気の中を突っ切って山登りしなきゃいけないし、術を紡ぐ為に最適な星の巡りの配置はまだ訪れてないの」
「再封印云々以前の問題に、そもそも瘴気が色濃く渦巻いているレデュハベス山脈の頂上にまで登れなきゃ、お話にもならない訳ね」
苦々しく呟いたルティ、その言葉を耳にしたアティリオは、名案を閃いたとばかりに両手を軽くポンと叩いた。
「それなら簡単だ。
あの暴虐クォンをひとっ飛びさせて、レデュハベスの頂上に向かわせれば良いじゃないか。アイツにとって、瘴気は毒にならないのだし」
それはいかにも理に適った意見であり、反対する理由など見当たらないように思われた。しかしカルロスは思わず、アティリオの肩に腕を回して引き寄せ、その耳元に真剣な声音で囁きかけていた。
「なあアティリオ。うちのシャルに『封印作業』なんつー繊細な仕事が、果たしてやり遂げられると思うか?
あの、『魔術師と敵対した時の対策法ですか? 殺られる前に殺れ』とか即答するうちのイヌに?」
「……僕としたことが、あの暴虐クォンにたいしてうかうかと、過剰に過ぎる期待を寄せてしまっていたようだ……!」
飼い主様からのご意見に真顔で耳を傾けたアティリオは、迷うことなく自らの不明を恥じた。
何気に酷い認識を深められている当の地獄耳の持ち主は、幸か不幸か今のところ夢の世界に旅立っているので、未だに呑気な寝顔を晒し続けている。
「あ、それならアティ兄さん、アティ兄さんが自分の周囲に外殻膜を張れるようになれば良いんじゃない?」
「はあ?」
あたしだって良いこと思い付いた! とばかりに、ルティが不意にアティリオの背中から飛び付くようにして抱き付いた。
「だからこう、一旦異世界に移動して召喚術で呼び戻して貰えば気泡で覆われる訳だから、外殻膜が張れるようになるじゃない?」
「駄目よ、ルティ」
確かに、理論的にはそれが可能ならばかなり利点があるな……と、思わずカルロスも同意しかけたのだが、すかさずベアトリスから制止が入った。
「異世界に行くというのは、簡単な事じゃないのよ。それこそ、アティが潰れたりひしゃげたり弾けたり溶けたりするかもしれないわ」
重々しく告げられる、師の飾らない言葉にルティは「申し訳ありません」と表情を引き締めて謝り、喩え話の中で大変な事になっていたアティリオはげんなりした顔で溜め息を吐く。
「師匠……ひょっとして王城に大きな異世界の門があるのは、先ほどのルティの発想を実行に移そうとした、傲り高ぶった先人でもいたのでしょうか?」
「可能性は高いわね」
……俺も、危険性なんざすぐさま思い付かずに真っ先に『便利そうだ』とか思っちまったしなあ。昔からシャルが苦しい思いをしてるとこを見てて、この体たらくなんだ。繁栄してる時代のエルフ族は高慢ちきで『自分達は無敵で完璧で絶対的存在だ』とか、考えてる奴らが多かったらしいし……有り得るな、おい。
カルロスは複雑な気分で髪をかきあげつつ、そろそろベアトリスの部屋から辞して自分に貸し与えられた部屋へと下がるべく、床の上で眠っているわんこを揺さぶり起こして、にゃんこを抱きかかえて運ぶ事にした……のだが。
「おーい、シャル。そろそろ部屋戻るぞー。おーい?」
「……眠いですマスター」
ゆっさゆっさと遠慮無く肩の辺りを揺すった結果、寝たい時に寝るイヌポリシーを持ち、なおかつ寝ているところを起こされるのを嫌がるわんこは、梃子でも動かない構えで抗議だけ告げて再び目を閉じた。
「……そーか。婆さん、シャルが動きたくねえみてーだから、今夜は置いてくわ。好きにもふもふしてくれ」
「えっ、ホント!? やったわ!」
カルロスがワザとらしく、やれやれと肩を竦めながらベアトリスにそう告げると、師は冗談でなく本気で目を輝かせて喜び出し……シャルは無言のままのっそりと立ち上がり、タトタトとドアにまで駆け寄って器用にノブを回して部屋から出て行ってしまった。
抱き枕代わりにしていたわんこが急に立ち上がったせいで、ユーリが床に頭部を打ち付けたゴンッという小さく鈍い音が響いたが、シャルは寝ぼけているせいか気が付いた様子も無い。
「あはははっ!」
「ちょっと、どーゆー意味よ、シャルッ!?」
「……いったぁ~?」
「ティカ、大丈夫か!?」
ルティはお腹を抱えて大笑いし、ベアトリスは静かに怒りの炎を燃やし、熟睡しているところを突然放り出されて痛みで目を覚ましたユーリは、もぞもぞと身を起こしながら両手でぶつけた部分を抑えつつ、半泣きで呻く。即座に彼女の傍らに膝をついたアティリオが、心配そうに「どれ、見せてごらん」などと声を掛けながらユーリの手をそっと離し、患部の状態を確認しだした。
……やっぱりあのアホイヌには、再教育の必要があるな。
ぶつけた部分をアティリオから丹念に診られて、半分寝ぼけながらも困惑しているらしきユーリは、カルロスを頼る事にしたのか普段の子ネコ状態の癖なのか、迷わず主人へと抱き付いてきたので、背中を撫でてあやしてやりつつ。
「はっ……! 実は、カル先輩も含めた、複雑な四角関係だったのでしょーか、師匠っ」
「いや~、なかなかのやり手ねティカちゃん。まさかこうまで少年らの気持ちを引っ掻き回していくとはっ」
「誰とくっ付くんでしょうねぇ。あたしはアティ兄さんがイチ押しですがっ」
「あらぁ、カルロスだってまあそこそこいい男よ?」
有り得ねぇぇぇ。
……なあ、そこの2人。内緒話は本人に聞こえない位置でやってくれないか。
再びうとうとしながら、カルロスの肩にコテンと頬を乗せたユーリを抱き上げつつ、カルロスは嘆息を漏らした。
ほんの少しばかり、『ひょっとしたらうちのアホイヌよりも、アティリオの方がよっぽどユーリを大事にするんじゃねえか?』などという思いが過ぎったのは秘密だ。
婆さんの部屋の前の廊下で、そこだけは無駄に行儀良くお座りして待機していたシャルの頭を、俺は一発ぽかりと殴っておく。
「急に何をなさるのですか、マスター?」
ユーリを抱え直しつつ、俺はぽやーっとしているわんこの不満を黙殺した。