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唐突ですが、やはりというかなんというか、私、ただ今大ピンチです。
「それで、ティカちゃん?
君はどこの国の生まれで、どんな経緯でバーデュロイに来たのか、教えて貰えるかしら?
ああ、もちろんベアトリス師匠に辿り着いた経緯もね?」
報告がしたい、と告げてベアトリスのお部屋に場所を移したルティの格好をしたブラウは、椅子に座っているユーリの真っ正面に立ち、腰に両手を当てて見下ろすようにして詰問してくる。
で、す、よ、ね~? 普通、訝しみますよねそりゃあ。我ながら不審人物な自覚はバリバリあります!
ベアトリスが気を利かせたのか、単純にブラウが呼び集めたのか、室内にはベアトリスとユーリだけではなく、カルロスとイヌバージョンのシャル、そしてアティリオも思い思いの場所で寛いでいる。
ユーリがこのマレンジスでの足跡をもっともらしく捏造し、ブラウに説明したとしても、だ。この世界の知識が無く、全く見知らぬ国を祖国と偽っても、すぐさまボロが出るのは目に見えている。
王都へと足を踏み入れるだけでも、身元を証明する身分証が必要になるのだ。国境を越えるにも、恐らくはパスポートに相当する何らかの証書が要るだろうし、入国記録など残っている筈も無い。密入国を装うには、ユーリにはサバイバルの知識が殆ど無いから無理がある。
心配そうに、チラチラとユーリへと視線を寄越してくる主人と同僚に目をやってから、ユーリは思い切って唇を開いた。
「それが……お話したくても、何も話せないんです」
「へえ、それはまたどうして?」
獲物を狙う猛禽類の眼差しとはこんな風なのだろうか、ブラウの瞳がキランと光るのを眺めつつ、背中では冷や汗がダラダラと流れ落ちてゆくのを感じながらも、ユーリはめげずに言葉を続ける。
「つい何日か前に、私は気が付いたらこの国に居ました。
そちらの……カルロス様のお家です。バーデュロイという国家の中の、パヴォド伯爵領という場所だと教わって、どこから来たのか、何者なのか、どうして倒れていたのかを尋ねられましたが……私は、何一つ分からなかったんです。
このマレンジスの地図を見てもピンときませんし、何を見聞きしても、しっくりと馴染むような感覚も覚えなければ、何かを思い出す事もありません」
「ティカ、君は記憶が……?」
滔々と語られるユーリの言葉に、アティリオは戸惑ったように声を上げ、ブラウにねめつけられて大人しく口を噤む。
「それで?」と、続きを促してくるブラウに、ユーリは誘拐されていた真っ只中につらつらと考えていた設定にやや変更を加えつつ、続きを舌に乗せる。
「人が多いところに行けば何か分かるかもと、王都に連れてきて頂いて、ベアトリス様と面会をしたら……知り合いの孫? だと言い出されて」
「だってティカちゃんってば、あたしが昔お世話になった人と、同じ顔なんだもん。今回の事件をちゃっちゃと片付けるまで、王都見物を勧めたら……後は、ルティも知っての通りね」
ユーリの奇想天外な説明に、ベアトリスは実にもっともらしく重々しい声音で相槌を打ち、椅子の上で足を組みながら顎を撫でた。
ユーリの発言はまるっきりの嘘という訳でも無いし、全ての記憶を失っていて何も思い出せない、などと断言してもいない。
虚構に真実味を与えるのは人間の思い込みであり、誰しも自分の都合の良いように解釈しているに過ぎない。
「ブ……ルティ、さん。ルティさんこそ、分かるのなら教えてくれませんか?
私はどこの国で生まれてどんな風に生活してきて、どうして今はバーデュロイに居るのか」
カルロスから召喚された春以前に、ユーリの生きた足跡など、このマレンジスの地にはどこにも存在しない。入出国記録も無く、戸籍も存在せず、親類縁者もおらず、彼女を個人的に見知っている人間など、皆無。まるで煙のように、ある日忽然とそこに現れた黒髪の少女。
その背景を、探り当てられるものならやってみせれば良い。強引な当て推量か、作り上げられた人物像を勝手に押し付けてくるぐらいしか出来まい。そう、真実に辿り着かない限り。
挑戦的な態度に見える事がないよう、ふるふると怯えたままブラウの質問に答え終えると、ユーリは自分の話は終わりとばかりに口を閉ざした。
彼女のような、弁舌に長けてはいない人種が下手に言葉を重ねては、手掛かりを与えたり矛盾点を暴かれたりしかねず、そういった隙を巧妙に突かれて畳み掛けられたら太刀打ち出来ない。
嘘を吐く時には、多くを語りすぎては嘘臭く感じてしまう。多弁で煙に巻けないのならば、だんまりを押し通すのみだ。
しばらくじっとユーリを観察してきたブラウは、
「ふぅん。なるほど、ね……確か、カル先輩が引き続きティカちゃんの面倒を見るんでしたよね?」
室内を見渡して、可愛らしく小首を傾げた。女装男子にああいった仕草が許容されるのは、だいたい何歳ぐらいまでなのだろうか。やたらと様になっている。
「僕はまだ、どうにも納得がいっていないがな」
「ほぼ常時、本部に詰めてる術者が文句言うな」
「ま、ティカちゃんの事はそれで良いとして……」
相変わらず、面と向かい合うと軽い口喧嘩に発展するカルロスとアティリオのやり取りに割って入り、ベアトリスは水が入ったグラスの中身を一息に呷り、ブラウに視線を定めた。
「じゃあルティ、さっさと本題の報告に入ってちょうだい」
「はい」
卓上にコトン、と、空になったグラスを置き、弟子の1人であるらしいブラウをせっついた。
それを横目に見つつ、槍玉に上げられている状態からはなんとか脱出を果たしたユーリは、そろそろと立ち上がって、先ほどから我関せずな態度で床に寝そべっているシャルの傍らに座り込んだ。首の辺りに腕を回して抱き付き、そのもふもふした毛並みに頬擦りしても天狼さんは全く態度が変わらず、嫌がって暴れ出す素振りも無い。
「ああ、そうだ。
あなたのあの臭~いお洋服、ちゃんと洗っておきましたからね。今は陰干ししてあります」
「え、ホントですか? スカートの裾に泥とかが跳ねてたと思うんですけど……」
ふと目を開けたシャルからおもむろに告げられて、ユーリは驚きながらも心配な箇所について言及してみる。こちらの世界にも、頑固な泥汚れをスッキリ落とす洗剤の類いがあるのだろうか。
それにしても、先ほどまで着ていた服を何度も臭い臭いと嘆かわしげに言われると、年頃の乙女としては流石に傷付く。シャルの鼻が特別良いのだから、仕方がないと分かっていても。
「柑橘類の皮と一緒にお湯に浸けて置こうかと思いましたが、洗濯板の上で洗ったら簡単に落ちましたよ」
洗濯のコツは、全力でゴシゴシせずにまぁるく円を描くようにしながら力を抜いて洗う事です、などと、相変わらずどこの主夫だと尋ねたくなるような台詞を告げるシャル。
「シャルさん、ありがとうございます」
「いいえ、わたしはあなたのような不器用な人種ではありませんので、簡単な仕事です」
ふふん、と、いかにも至極簡単朝飯前な作業だ、と言わんばかりに自慢げにうそぶきつつも、尻尾が揺れているのがおかしい。
遠慮なく抱き付いたまま、シャルの毛並みを堪能しているユーリはさておき、室内では深刻な話題が持ち上がろうとしていた。
柔らかで聞き取りやすく自然な高い声と、服装や仕草に細やかな変化を付ける事で見事に『女性の雰囲気』を獲得しているルティことブラウは、例の黒ずくめ2人組は逃走を計る為にわざと大通りの人込みに紛れたようで、あと一歩のところで逃した事を報告し、
「そこで一つ、気になる事があるのだけど」
毛並みに頬擦りしてくるユーリを、尻尾でぺちぺち叩いているシャルへと視線を向けた。
「ねえ、シャル。君はあの黒ずくめ達に接近したんでしょ? 匂いで特定は出来ない?」
「無理ですね。彼らの匂いを嗅ぎ分ける前に、わたしはあの臭い黒い粉を浴びてしまいましたので、匂いなんて覚えていません」
確かに、あの黒装束を脱いで隠して人込みに紛れてしまえば、判別するのは難しそうだなあ……などと考えているユーリの傍らで、シャルはブラウの問い掛けに興味無さそうに淡々と回答し、あ~ふ、と、欠伸を漏らす。
確か以前、シャルは『ブラウリオ公子という人物は知らぬ』と言っていたが、ルティとしてならば面識があったらしい。
「そう……地下に魔術遮断結界を張っていた術者は、確保してあるわ。
世界浄化派所属のクォーター、10歳だそうよ」
室内に集った弟子達を見渡して、ベアトリスは苦々しい声音で言葉を紡ぐ。師から告げられた内容に、はっきりとカルロスの眉がしかめられた。
「……その子は、生きてるのか?」
「辛うじて、ね。今は昏睡状態で治癒を受けてるわ。許容量を越える術を展開したんだもの、持ちこたえるかどうかは五分五分よ」
どういう事なのでしょう。世界浄化派は、エルフ族の血を引く者を根絶やしにしようとしている癖に、手の者に術者を加えている、と? ですが、10歳って……
“術者に対抗する為に、捕獲したエルフ族を人質にしてガキを働かせてんだよ。
ゲッテャトール子爵邸には、補佐する魔法陣が無かったからな……ガキが王都の結界の内側で陣無しで結界を維持し続けて、生きてるのが不思議なくらいだ”
親類を盾に、脅迫して手先として操り、まるで使い捨てのように見捨ててゆく……世界浄化派の思惑は、毒をもって毒を制すなどという覚悟でさえなく、文字通り道具でしかないのだろう。
「今回の事件、ルティはどう見る?」
アティリオからの促しに、しばし逡巡するように瞬きをしたブラウは、ゆっくりと唇を開いた。
「そう、ね……結論から言ってしまえば、ゲッテャトール子爵はトカゲの尻尾として切り捨てられたんだと思う。
あたし達を殺すつもりなら、わざわざ天井裏から降りてこずに、そのまま瘴気の砂を振り注いでくれば良いだけの話よ」
「観察、そして世界浄化派の存在をアピールする為に、わざと姿を現したって事ね」
「はい。恐らく、世界浄化派の連中が誰かを探している、というのは確実なのだと思います。あの地下通路で、ティカちゃんが探し人本人であるのか否かを、探っていたのではないでしょうか?」
ブラウとベアトリスのやり取りに、カルロスがぽむと両手を叩いた。
「つまり、だ。あの黒ずくめ2人組の狙いは端っからティカの方であって、アティリオの方こそついでに誘拐されたって事に……いやむしろ、アティリオがティカを危険な地に追いやった結果、つーか」
「……大大叔父様に、反当主の意を表面化するつもりがまだ無かったのなら、アティ兄さんを攫う意味も分からないし、巻き添えを食ったと考える方が自然なのよ。
大大叔父様、平気そうなお顔をなさってたけど、内心はびっくりしたんでしょうねえ。人質は魔術師連盟の構成員、とだけ認識していたのに地下から甥っ子が現れたなら」
「……ルティ、カルロス。ちょっと黙れ」
カルロスとブラウはタッグを組み、意地の悪い眼差しをアティリオへと向けてハーフエルフさんの痛いところを突く。
……主。ブラウさんというか、ルティさんと仲良しだったのですね。
“まあな”
「……つまり、だ。世界浄化派の連中が探している、黒髪黒眼の子供とやらかどうかを見極めて、ティカではないという結論に至ったから瘴気の砂を撒いて行った、と。そういう事か?」
「そうね、確実に殺すつもりがあったのなら、もっと効率的な手段を取っただろうし、該当人物を確保する必要があるのなら、隠し階段で独りになったところで攫ってた筈……
殺すのでもどこかへ連れて行くのでもなくて、ただティカちゃんの心に恐怖を塗り込めたかった、って見方もあるけど」
「……いくら世界浄化派が異常な連中だろうと、ここまで大掛かりな事をしておいて、目的が嫌がらせという事は無いんじゃないか?」
アティリオとブラウの推測に、ユーリはシャルの翼に軽く煽られつつ、ポツリと零した。
「私が世界浄化派の人達が探している人かどうか分からなかったから、不確定要素を排除する為に、魔術遮断結界の中へ誘拐された、と」
「その理論でいくと、世界浄化派の探し人さんは術者、もしくは魔力を操る能力を保有している知的生命体って事になるわねえ」
ベアトリスの合いの手に、ユーリは首を傾げた。
「魔力を操る能力は、エルフ族の血を引く魔法使いさん達にしかないんじゃないんですか?」
「いんや、この世の中に広く浸透している魔術ってのは、あくまでも魔力を公使する術体系の一種だ。
実際、魔力を練って操る魔物は多いし、シャルだって日々、魔力を使って空飛んだり料理したりしてんだぜ?」
「……なんですと!?」
シャルが魔力を持っているらしいという事を聞いてはいたが、それを自在に操っているなどという話は初耳である。
思わずユーリがシャルの鼻面を覗き込むと、同僚はキョトンとした表情でぱちぱちと瞬きを繰り返しながら彼女を見つめ返し、
「あなたは今更何を言っているんです。
いくらなんでも、この翼の羽ばたきだけで人を乗せて空を飛べると思う方が、非論理的ではありませんか?」
呆れたようにやれやれと鼻面を左右に振り、組んだ両前脚の上に下ろして目を閉じた。先ほどからシャルは実に眠たそうであったが、このままベアトリスの部屋で眠ったりしては、彼女にわしわしと撫で回され安眠妨害されてしまうのではあるまいか。
あ、主……私、いずれネコではなくて天狼さんの姿に変身出来るように術を組み替えて頂いて、自由に空を飛びたいという野望を抱いていたのですが……!
“そんな願望があったのか、ユーリ。
残念だが、姿形はそっくりシャルを真似出来るが、俺はお前に魔力までは与えてやれん”
ガーン……!