表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
56/168

 

カルロスと思念によるテレパシー回線が繋がった。もうそれだけで、ユーリの胸にはこの上ない安心感が満ちてゆく。

もう大丈夫だ。後はこのまま頑張って、主人の下へと逃亡を図れば良いだけ。ユーリが上手くやれずとも、カルロスならば絶対に迎えにきてくれるのだから。


“ん……だいたいの状況は把握した。取り敢えず、そいつら2人は逆さ吊りだ”


……だ、大丈夫……なんですよね? 何故に顛末を理解するなり、主の第一声が『アティリオ・ブラウを逆さ吊りに処す』なのでしょう。

『自由を奪う』というと私の中で真っ先に浮かぶイメージが逆さ吊りなのは、確実に主の影響ですねこれは。

それで主、シャルさんはその、私が行方不明になって心配していたりは、その……


何故だろう。同僚の現在の様子を尋ねているだけであるというのに、やけに後ろめたいような感覚がする。

そんなユーリの内心など全てお見通しなご主人様は、


“ああ、シャルな……あのアホイヌ、俺がユーリとの思念が突然繋がらなくなった、つったら、王都のど真ん中でイヌバージョンに変わろうとしやがるから、眠らせといた”


ええと……


“街の外か、連盟本部の中ならともかく……王都の中で一般人が、イヌバージョンのシャルが空飛んでるのを目撃したら、魔物が侵入したと大騒ぎになるからな”


な、何か面倒ばかりお掛けして申し訳ありません……


忙しい最中にどいつもこいつも手間が掛かる、と言わんばかりのカルロスからのお言葉に、ユーリは居心地悪く謝罪の念を送った。しもべの方が主人に世話を焼かれていては、立つ瀬がない。


ユーリが主人との絆を確かめ合っている傍ら、狭い螺旋階段を先行して登っていたアティリオは、ふと立ち止まって自らの手に視線を落とし、握ったり開いたりしだした。


「どうかしたの、アティ兄さん?」


体力切れで文字通りお荷物となったユーリを軽々と背負ったままのブラウが、背中の彼女から従兄弟へとその顔を向き直して訝しんで問い掛けると、アティリオは何かに納得したように一つ頷く。


「どうやら遮断結界の効果範囲は、主に地下に限定されていたようだ。少し待っててくれ」

「了解」


そんな短いやり取りの後に、アティリオはぶつぶつと口の中で何事かを囁き始めた。

カルロスとの情報交換に集中しようにも、どうやら主人の方も慌ただしく動いているようで、テレパシーは断続的だ。ユーリはアティリオの声に耳を澄ませてみる。


「界に満ちる無限の源、妙なるものよ。

我が意志を映し出す水鏡となれ」


パチンと小さく何かが弾けるような音がして、アティリオの指先に、白く光る蛍光ペンを使って一筆書きで描かれた矢印のような物が現れる。

彼の指先に浮かぶそれを思わず凝視し、何故に矢印? と、ユーリの頭には疑問符が浮かぶが、こちらの世界に矢印記号が存在するのかどうかも分からない。アティリオのイメージとしては弓矢なのだろうか。


「何、その形? 何かアティ兄さんらしからぬ素っ気なさじゃない? もっとこう、夢と冒険心を出そうよ」


作り出した術者本人でも、受け取る側でもないブラウがムチャな注文を付ける。個人的にはユーリも、今回の一筆書き矢印より、前回見た一筆書き蝶の方が幻想的でセンスに満ち溢れていたと思う。そう、あの光る蝶はなかなか綺麗だったから、出来ればアクセサリー代わりに一つ欲しい、などと思っていたのだ。


「連絡用の書簡に冒険心なんて不要だろう。そもそも、この形状が一番スピードが出るんだ」

「へー、どれぐら……」


アティリオは従兄弟の相槌を待たず、矢印を浮かべさせた指先を軽く曲げた。と同時に、弾丸のごとく凄まじい勢いで飛び出していった光る矢印書簡は、ブラウの耳元を掠めるようにして方向転換し、そのまま螺旋階段の壁にぶち当たるも、まるでそこに遮る物など何も無いとばかりに、速度を落とす事なくそのまま突き抜けてどこぞへと飛んで行った。矢印が通った後の壁をジーッと観察してみるが、抉れた後すら見当たらない。


「目ではなかなか追いきれない速度だな。知っているだろう、ブラウ? 情報伝達系統は僕の得意分野だ」

「……兄さん、今、ワザとボクを狙わなかった?」

「なんの事だ? 第一、あの書簡は万が一ぶつかったとしても無害な事は、お前もちゃんと知っているだろう」

「当たったところで痛くないって知ってても、すんごい速度で目を狙って矢が飛んできたら驚くからね?」

「そうか。お前の強心臓にも苦手意識はあるんだな」


……アティリオさん、何気に今までの鬱憤が相当溜まっています?


内心呆れるユーリをヨソに、軽い口喧嘩をしながら再び階段を登り始めたアティリオとブラウ。


“悪い、ユーリ。待たせたな”


仲が良いんだか悪いんだか不明な従兄弟コンビよりも、ユーリにとっては主人であるカルロスからのテレパシーに集中する方が重要だ。


いいえ。主、私にも、何が何だか分からない状況なんですが……アティリオさんとブラウさんは、別行動で何かのお仕事中だったっぽくて、気がついたらザナダシアの間諜っぽい連中に捕まってました……ブラウさんがあの黒ずくめはザナダシアの細作、それもかなり未熟な連中だって推測しているんですが、根拠はよく分かりません。


“なるほど……まさかナジュドラーダのブラウリオの仕事に巻き込まれるとはな”


カルロスの口振りでは、ブラウが何やら荒っぽい類いのお仕事に関わっている事を、主人は承知していたように感じ取れる。


ナジュドラーダ……? ブラウさんはエストお嬢様を狙ってる、単なるナルシストあんちゃんじゃなかったのですか。


“ナジュドラーダ伯爵家は、アルバレス侯爵家の一門だ。ブラウリオはそこの跡継ぎ。表向きはキザったらしい貴族のボンボンだが……どうやらユーリが目撃した事実からして、裏では誰かさんの忠犬として暗躍してるようだな”


忠犬? 犬……スパイですか。にしては、あまり身を潜めていないどころか、むしろ目立ちまくってますが……


“似合わない女装と滑稽な言動、シュールな化粧ばかりが強烈に印象に残って、中身はサッパリ分からんがな。体型が判別出来ないし、下手に顔を覆って隠すよりは、正体を見破られにくそうだ”


嫌な隠し方である。


“お前の言う黒ずくめの連中の正体だが、少なくともザナダシアに迎合する連中じゃないか。

ユーリが見た、石や生物を溶かす謎の黒いモノ……あれは恐らく、ザナダシアの世界浄化派の連中が手下に使わせてる『瘴気の砂』だ”


……瘴気の、砂?


“ザナダシアの領地北部は、デュアレックスと接してる砂漠だ。北から流れ込んできた瘴気が砂に混じって黒く染まり、色んな物を溶かす強力な毒薬になる。

世界浄化派の連中が周辺国から恐れられてる一因だ。その精製と持ち運び方法を編み出した事で、連中は強い発言力を得たんだ”


強力な毒薬で得た、権威? そんなのは……諸刃の剣ですね。


と、カルロスとのテレパシーに集中していたユーリは、ご主人様からの有り難い講釈に熱心に耳を傾けていたのだが、階段を登るアティリオとブラウが足を止めたので、彼らの様子を観察してみた。


「このドア、多分向こう側からは隠し扉になってるんじゃないかな」


薄暗くて分かりにくかったが、彼らが足を止めて注目していたのは小さめの木製のドアのようだった。だが、こちら側からは取っ手のような物が見当たらず、アティリオが押してもドアは開かないようだ。


「ここは緊急避難脱出用通路、ってところですかね。ティカ、ちょっと下ろすよ」

「あ、はい」


階段の途中で慎重にブラウの背中から下ろされたユーリは、自分の足で立ちながらそっとドアから距離を取る。何となくだが、アティリオとブラウは穏便にコッソリと脱出する事を望んでいるのではなく、先ほどから派手に立ち回って誘拐犯達の注意を惹き付けたがっているような気がする。


“うちのネコは賢いなあ”


そう、何よりもこの主人が、先ほどまではユーリが誘拐された事を焦っていた割には、今はまったくもって落ち着き払っているところからして、裏に何か絡んでいそうだ。


主……今、いったい何をなさっていらっしゃるのですか?


“別に俺が企んだ訳じゃねえんだが……総合すると、売国奴の検察・摘発任務に今現在就いてるのがブラウリオって事になるな。相手が相手だ、アティリオは連盟本部から、その補佐と伝達に駆り出されてるみてえだな”


何か話の流れからして、誘拐の主犯はザナダシア相手に売国行為を行っていた疑いがあり、ブラウは以前から密かに内偵を進めていた……という事らしい。

そんな大仕事の最中にたまったま、ユーリがアティリオのそばに偶然居たものだから、そのままついでに攫われてしまった、と。纏めてみると、なんとも間抜けな話だ。


“アティリオからの伝書矢、相変わらず早ぇな。もう本部に届いてるらしいじゃねえか。

お前が巻き添え食ったなら仕方がねえ。婆さんの協力要請を受けてやるか……ユーリ、すぐに迎えに行くから、無茶はするなよ”


「アティ兄さん、ボク思うんだ。

美しいこのボクの前に立ちはだかる、開かないドアなんて……ぜ~んぶ、爆破しちゃえば良いんだよ」


ご主人様からのお優しいご忠告に、素直に『はい、主』と、頷こうとしたユーリだったが……ブラウの穏やかな台詞と盛大なる爆発音によって強引に遮られた。咄嗟にユーリを庇って、階段を共に何段か転げ落ちたアティリオのお陰でどこにも怪我は無いが、彼女の視界に映るのは、突如として弾け飛んだドアと、もうもうと立ち込める煙。


「ば、ばく……?」

「ななな、何事だっ!?」

「あっれー? 何か、想定以上に爆破威力があったな。鍵を壊せるぐらいの威力で良かったんだけど」


“……やっぱりあのバケモン、逆さ吊りにしてやる”


いきなり何事なのかと唖然としながら階段の上を見上げるユーリの目に、残っていたもう片方の胸元のニセ乳がどこぞへと消え失せたブラウが、ご機嫌に破壊されたドアの向こうへと、蹴りつけるようにして足を持ち上げ……重たい何かが倒れたような音を響かせてから、踊り込んだ。

ドアと繋がっている部屋か廊下には誰かが居たらしく、慌てふためく声が聞こえてくる。


「ティカ、怪我は?」

「大丈夫です」


ユーリを胸元へと抱き込むようにして庇いながら階段を転げ落ち、背中を石壁にぶつけたアティリオは、真っ先に彼女の怪我の有無を確認して、安堵の息を吐き出し、


「君はここに隠れていて。僕らが決着をつけてくるから」


螺旋階段にへたり込んでいるユーリに、安心させるように頭を軽く撫でてから立ち上がり、ブラウが消えた壁の向こう側へと飛び込んでゆく。


ユーリは階段を這うようにして登り、派手に破壊されたドアの向こう側をこっそりと覗き込んだ。

もうもうと立ち込める煙と、ドアを隠していたらしき書棚は先ほどのブラウの蹴りによってか倒れており、高そうな絨毯の上に本がバラバラに散らばってしまっている。


どこかの金持ちの書斎、だろうか。ユーリが覗き込んでいる向かい側の壁面にもずらりと書籍棚が備えられており、室内にはどっしりとした立派な執務机に、その奥にはガラス張りの両開きのドア、そして広々としたテラスまで備わっている。

ユーリが隠れながら見渡せる範囲から察するに、この建物は王都の中のどこかのようだ。見覚えのある広場の噴水が、視界の片隅でキラキラしている。


部屋の主人の護衛だろうか。幾人か倒れた人影があり、室内でまだ動いているのはアティリオとブラウ、そしてこの部屋の主人らしき、恰幅の良い紳士……というか、小太りの男。服装や撫でつけられた髪の毛など、金持ちではありそうなのだが……いかんせん、焦ったようにギョロギョロと目線を動かして、侵入者の視線から腰が引けている辺りに、全く威厳が見当たらない。


あ、あれが誘拐の主犯さん? 何かこう、私がイメージしていた、威圧感漂うヤクザ的な雰囲気全く無いんですけど……むしろこう、気弱なカエル顔のお爺さんというか……


「お久しぶりですねえ、ゲッテャトール子爵。相も変わらず不細工だ」


ああ、美しくないイヤだイヤだ、と、嘆かわしげに首を左右に振って溜め息を吐く、ナルシー爆破犯。


ブラウさん、あなたはもうちょっと歯に衣を着せた発言は出来ないのでしょうか。


ブルブルと震えていたカエル……もとい、ゲッテャトール子爵と呼ばれた老人は、ビシッとブラウに向けて杖を突き付け、


「き、貴様のようなおぞましい姿を晒した輩に、醜いだの不細工だの言われる筋合いはないわ!」


敢えて誰も口にはしなかった台詞を、ついにブラウに向かって言い放つ勇敢なる者となった。

それに、てっきりブラウは激昂するかと思いきや、彼は余裕綽々でカツラな金髪縦ロールを指先で軽く払い、鼻で笑う。


「ボクの美しさに嫉妬し、谷底へと引きずり込まんとする俗物の、なんと哀れな姿だろう。美しさはそう、時に鋭利な刃物となる……!」

「……このバカは放っておいて。

お久しぶりです、大大叔父上。このような形でお会いしたくはなかった」


「ああっ……」などと、聞き飽きた陶酔台詞を垂れ流すブラウを華麗に無視し、アティリオは真顔でゲッテャトール子爵と向き合った。

脳内で勝手に翻訳した、『大大叔父』などという言葉なんてあったかな? と、ユーリは一瞬戸惑うが、バーデュロイには存在する『曾祖父母の弟』を指す単語が、日本語では存在しないので咄嗟にそんな造語が浮かんだらしい。


誘拐事件の首謀者が、アティリオさんの親戚……つまりこれは、有り体に言えば単なるお家騒動ですか!?


明かされたっぽい事件の謎の一端に脱力しつつ、アティリオの親戚にしては、まったく似ていないなあ……などと、壁に隠れたままゲッテャトール子爵を観察してみるユーリ。

子爵は不愉快そうに手にした杖を床に勢い良く突くが、フカフカの絨毯は音も衝撃も吸収してみせる。


「黙れ、痴れ者が! 貴様のような穢らわしい亜人なぞ、ワシの縁者でもなければアルバレス侯爵家の家名を名乗る資格も持たぬわ! 恥を知れい!」


老人とは思えぬ大音声は、ビリビリと室内やガラスを震わせて響き渡る。

アティリオとブラウが突然現れて、怯えているのかと勝手に勘違いしていたが、ゲッテャトール子爵が落ち着きなく身を震わせていたのは、怒りを抑えつける為だったらしい。

アティリオは老人の叫びに眉を潜め、


「僕の姿が気に食わない事と、故国を売り渡す事は、全く別の話でしょう。ゲッテャトール子爵。

いったい何故、卿はザナダシアと通じ合われたのか」


淡々と事務的に、事情説明を求める。


「何故、何故かだと? 貴様がそれを尋ねるのか! 貴様のような穢らわしい亜人を一掃する、その至上命題に疑問の余地などありはせん!

正しき貴族爵位は高貴なる正しき血筋が受け継ぐべきであり、そこにアルバレス侯爵家の血を引かぬ貴様が受け継ぐなど、偉大なる祖へ顔向けが出来ぬ愚行よ! 許し難い蛮行じゃ!」


顔を真っ赤にし、口角泡を飛ばしながら叫ぶゲッテャトール子爵。よほど今まで、アティリオがアルバレス侯爵家の爵位を受け継ぐ身として定められている事に、納得がいかなかったらしい。


「ただ、僕を排除する為に、ザナダシアの世界浄化派を招き入れ、王都での活動を支援していたと?

そんなバカバカしい……僕がアルバレス侯爵に相応しくないと仰るのなら、一門の当主たるアルバレス侯爵閣下にそう奏上なさればよろしい。あなたには、一族を率いる閣下へ助言や忠言を口にする権利がおありの筈」


呆れ返ったように諫めるアティリオに、子爵は手にした杖を振り回して打ち据える。

初撃では驚いてされるがままになっていたアティリオだったが、


「はいはい、そこまでそこまで」


更に杖を振りかぶった老人の枯れ木のような腕を、いつの間にか子爵の背後に回り込んでいたブラウが掴んで止めた。


「残念だけどもねえ、ゲッテャトール子爵が仰りたいのは、アティ兄さんに侯爵としての業務が務まるかどうかじゃないんだな。

いっそ、兄さんが愚鈍だとか、病弱なら子爵としてはまだ問題は無かった。それを口実に廃嫡を進言出来るからね。だけどもゲッテャトール子爵としては悔しい事に、アティ兄さんはアルバレス侯爵家の人間として、陛下からの覚えもめでたい。燦然たる後継者だ」

「きっ、貴様、このワシを誰だと思うておる! 下賤なる者が高貴なるこの身に触れることなど許されぬ大罪であるぞ!」

「高貴な方は、祖国を売り渡したりなどなさらないと思われますがねえ……ゲッテャトール子爵、あなたは単に、エルフ族の血を引く者を疎んじていらっしゃるだけだ。

魔術師連盟を存続させている王室も、現在のバーデュロイの体制も、そして、ハーフエルフである孫を後継者に定めているアルバレス侯爵閣下の事も」


ブラウは子爵の腕をギリギリと容赦なく捻り上げ、杖を取り落とさせるとそれを蹴りつけて弾き飛ばし、絨毯の上を滑ってきたそれは、ユーリの目の前の書棚の角に当たって止まった。


「よせ、ブラウ! いくらなんでもご老体相手にやり過ぎだ!」

「ボクはねえ、アティ兄さん。

血筋だの高貴だの、そんな言葉で脚色して命令するだけしてふんぞり返って、自分の手は汚したがらない輩はどうかと思うんだ」

「……『アティ兄さん』に『ブラウ』じゃと……?」


顔色を変えて従兄弟の手を掴んで止めさせようとするアティリオと、お化粧のせいで表情がよく分からないままのブラウ。そんな彼らが口にする互いの呼び名に、ゲッテャトール子爵は訝しげに背後を振り仰いだ。


「ようやく気がついて下さいましたか、大大叔父様?」

「貴様、そのなりはなんじゃ!? アルバレス侯爵家一門に属する高貴なる男子たるもの、常に毅然たる装いを心掛けんか!」


自分の腕を捻り上げている相手に向かって説教とは、何故だろう、疑念を抱いたアティリオとゲッテャトール子爵の血の繋がりが、今やけに納得がいった。


「ボクの麗しい姿を隠さない事には、勘付かれてしまうのだから仕方がないじゃないですか。

お陰様で、大大叔父様の主家にたいする反逆の現場もしっかり押さえさせて頂きましたし、証拠書類も有り難く頂戴させて頂きましたよ」

「どこに仕舞っとるか貴様ーっ!?」


どうやらブラウは、子爵とアティリオが口論しあっている間に、執務机をこっそり漁っていたらしい。

ジタバタと暴れる老人を片手だけで押し止め、ブラウのもう片方の手で摘んだ紙をひらひらと振って……ぺたんこになった胸元にもぞもぞと仕舞い込む姿を見て、激する子爵。確かに、収納場所はもう少し選ぶべきではないかと思う。


「ワシは国の為、アルバレス侯爵家一門を思うて常に行動しておる! 反逆なぞ、そのような世迷い事を……!」

「あいにくと、アティ兄さんを『アルバレス侯爵家の血を引かぬ亜人』だなんて罵った一言は、しっかりボクの耳に入りましたよ大大叔父様。それは伯父上夫妻にたいする、ひいては両者の婚姻を纏めたお祖父様にたいする侮辱であると、懇切丁寧に説明しなくては理解出来ませんか?」


ブラウが掴んでいた腕を解放してやると、ドサッと床へ崩れ落ちるゲッテャトール子爵。

そんな彼を見下ろして、アティリオはとても悲しげに口を開く。


「ゲッテャトール子爵、あなたはエルフ族の血を引く術者全てが、このバーデュロイから……ひいてはマレンジス全てから姿を消せば、満足であると仰るか?」

「当然じゃ! エルフ族なぞ……訳の分からん術を操る奴らの血を引く者なぞ、この世界には要らん! 魔物と一緒くたに消え失せれば良い!」


子爵の叫びに、ブラウが肩を震わせ……「あはははは!」と、突然大笑いしだした。


「何がおかしい!」

「これは傑作だ……! 世界浄化派の絵空事をこうまで信奉している輩が、まさか身内に存在していただなんて!」


お腹を抱えて涙まで浮かべて爆笑するブラウ。お陰で崩れに崩れた化粧に、更に頬を滴り落ちた跡まで追加されて、不気味度が大幅アップしている。


「ゲッテャトール子爵、あなたは数百年前のマレンジスの実情をご存知ないのか」


たいして、アティリオは相変わらず淡々とした口調で語り出す。


かつて、エルフ族の王国デュアレックスは、周辺諸国の人間達から恐れられていた事。しかし純血のエルフに拘ったエルフ達は、人間との間に混血児が生まれると、その子はデュアレックスから追放していた。

人間達はエルフ族の血を引くというだけの理由で、エルフ族と人間の間に生まれた混血児を不必要に崇めたてた事……


「デュアレックス王国は、どの国家よりも長く古い歴史を持つ。エルフ族の血を引いているという事は、王国の正統性を高めるに足るものとされていたんですよ、大大叔父様」

「貴族が高貴な血族であると、当時そう認識されたのは……祖先にエルフ族の血が入っていたからだ」

「……下らぬ! ワシは純粋な人間であって、亜人の血なぞ……!」


子爵の言は、途中から悲鳴じみた声にすり替わった。何故ならば。


「大気に満ちる大いなる源よ、清らかなる水よ、我が下へ集いて具現せよ」


呟やかれた一言は、ユーリの主人であるカルロスが照明用の魔術を唱える時と同じ、適性のある元素を魔術によって呼び集めるだけという、ごく簡素な術だ。そこに殺傷能力など無く、呼び集められた元素は水、その手のひらの上に浮かぶ球体はただただ、素朴な美しさを秘めているだけ。


「どうなさいました、大大叔父様? 単に水を集めるだけの術ですよこれは」

「何故、何故だブラウリオ! 高貴なる人間である貴様が何故、そのような亜人どもの奇怪な術を……!」


子爵が恐怖したのは、人である筈のブラウが、エルフ族の血を引く者しか扱えない魔術を披露してみせたからだ。


「何故って、先ほどから申し上げているではありませんか。ボク達アルバレス侯爵家一門は、バーデュロイ王国の貴族達の中でも、最も色濃くエルフ族の血を引いているからですよ。

それとも今度は、ボクの母がハーフエルフの男と不貞を働いたのだと、声高に叫び立てますか?」

「バカな、そんなバカな事がある筈が……!」

「ボクらの大大叔父様であるゲッテャトール子爵閣下ならば、更にエルフの血が濃いですからね、きっとボクなどよりもよほど高度な魔術を扱えますよ。ああ羨ましい羨ましい」


クスクスと、楽しげに笑うブラウは、茫然自失している子爵の頭上へと手のひらに翳していた水をバシャリと振り掛ける。

アティリオはブラウの行動に溜め息は吐いても、驚いている気配も無い。恐らくはそう、従兄弟が魔術を扱える事を、彼もまた知っていたのだ。


「世界浄化派の言い分は、確かこうでしたね。

『全てのエルフ族の血を引く者を消せば、魔物もまた闇へと還る』

ここでいうエルフ族の血とは、どの程度の濃さを指すのでしょう。ハーフエルフか、クォーターか、その子供までか? 魔術を扱う資質がある者全てか?

一滴でもその血を引いている者が対象となるのならば……恐らく、このマレンジスに生きる人々ほぼ全てが該当する事になりますよ、ゲッテャトール子爵閣下」


平坦な声音で告げられたアティリオの宣言に、老子爵は潰れたカエルのような呻き声を発して、絨毯の上に倒れ伏した。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ