5 ※暴力・残酷描写有り
ただ今、どことも知れぬ狭くて埃っぽい、薄暗い小部屋からこんにちは、なユーリです。
相変わらず誘拐犯らしき人物はちらりとも姿を見せず、室内に居るのは手首足首を拘束された私とアティリオさん、ブラウのあんちゃんです。
「じゃあ、現状を整理しようか」
相変わらず珍妙な扮装を纏ったままのブラウが、しごく真面目に場を仕切っている。床に転がったままなのは起き上がるのがちょっと大変だからだろうし、メイク落としだってここには無い。だからそう、彼は決してふざけている訳ではないのだろう、とは思えるのだが……いかんせん、直視しがたい姿だ。ユーリは慎ましく、ブラウから僅かに視線を逸らした。
「その前に、お前のその珍妙な姿をまず何とかしろ。そろそろ見るに耐えなくなってきたぞ、僕は」
だが、みの虫か芋虫を連想させるそのうにょんうにょんと身をくねらせるブラウの姿に、アティリオの方は気持ち悪いとばかりに蹴りつけようとにじり寄り……バランスを崩して彼の隣に倒れ込んだ。
いったい彼らはこの非常時に、何をしているのだろう。
「ハッハッハ、アティ兄さんったら、この僕の美貌が眩しすぎると恥入る必要なんてないとも!
兄さんはこの美しいボクの従兄弟なんだから、十二分に鑑賞に耐え得る顔さ。自信を持って下さいね!」
アティリオがブラウのようなナルシズム的自信の塊の性格になっても、それはそれで世界が息苦しくなるような気がするユーリである。
無言のまま、寝返りを打つようにしてブラウから背を向けたアティリオは、彼の戯言を黙殺した。
『兄さん』なんて呼んでいるから彼らは兄弟なのかと思っていたのだが、正確には従兄弟同士らしい。
「ボクとアティ兄さんは、それぞれ別れてとあるお仕事中でした。だけど不意を打たれて、気が付けば見事にここでこうして捕らわれの身。
この部屋で目を覚まして以来、外部からの何らかのアクションは全く無し、静かなものだね。
連絡や脱出を試みようにも、少なくともこの部屋全体に魔術遮断結界が張られていて、縛られてて動けませーん」
無言を貫いているアティリオをヨソに、ブラウが今の状況を纏めてみたところで何か進展がある訳でもなく、ユーリの脳裏には疑問ばかりが湧き上がる。
彼らが取り掛かっていた仕事とは何なのか?
何故こうして誘拐されたのか? 誘拐犯の目的は? 組織的な犯行?
こうして拘束している理由と、生かして一纏めに部屋に転がしているのは何故?
それに……
「あのう、アティ……さん」
うっかり『アティリオさん』と呼び掛けそうになったユーリは、どもりつつもユーリのすぐ目の前で転がっているハーフエルフ魔術師へと声を掛けた。ユーリは……いや、チカ……ティカと呼ばれる女の子は、アティリオとは今日が初対面であって、彼は『アティ』としか名乗っていないのだから、『アティリオ』だなんて決して口にしてはいけない。
呼び名なんて些細な事からもボロを出さないよう、しっかり気を付けて行動しなくては、余計な勘ぐりをされて、益々ややこしい疑いを持たれてしまう。
万一に備えて、少女・ティカのプロフィールを捏造しておかねば、言動に一貫性が見えず怪しまれてしまう可能性も出てくる。
えー、ティカはごく普通の人間の女の子。つい最近気が付いたらバーデュロイ国に居て、故郷の事も過去の事も何も覚えていないが、どうも無くした記憶では誰かに襲われたのか、乱暴されるかもという脅迫観念に駆られて、見知らぬ人には怯えてしまう。記憶喪失だから、世間知らずで常識も知らない。故郷の手掛かりを求めて王都にやって来たばかり。
この国のエルフやハーフエルフといえば、すべからく魔術師連盟の魔法使いさんだと認識していて、定期的に村を訪れては困り事の相談に乗ってくれてる凄い人達で、他国では偏見の目で見られてて大変らしい。
魔法が使われているところを見た事は有るけれど、それは村の結界修復の光ぐらいで全然詳しくない。
嘘をつく際の心得曰わく。虚構に現実味を持たせるのならば、真実を巧みに織り交ぜるべし。
よし、もしも私の事を何か尋ねられたら、この設定を渋りながら小出しにして押し通そう。話さなくても、常にこの設定を念頭に置いて振る舞わないと……もうこの人物背景が既に十分怪しい人間ですが! だけど、私にはバーデュロイの国籍も無いし、王都事情にも明るくないから流れ者を装うしか無いじゃないですか!
「何だ?」
何か名案でも浮かんだのか? と言いたげな期待を滲ませた表情に、ユーリはびくびくと震えながら疑問を口にした。
「魔法使いさんって、縛られてても魔法使えるんですか? 私には、結界の有無なんて全然分かんないんですけど……」
「喋る事が出来て、術に集中出来るなら問題は無いよ。魔術遮断結界は……この部屋のは、探知遮断が付与されてるから、初めは分からなかった」
つまり、アティリオは実際に何らかの魔術を使用しようとして、効果がかき消される事を確認した、という事か。
――連盟の連中に、俺の住まいを知られたくねえからな。
けど、見る奴が見れば遠距離からでもそこに結界があって、誰が張ったのかはだいたい分かる。けどそれじゃあ意味がねえだろ? お前流に言うと、『ステルス』を付加してる。
結界の効果について、主人であるカルロスが軽く説明してくれた内容を必死で思い返しつつ、ユーリはぐるぐると思考を回転させた。
結界がそこにある、という事も、誰が張った物なのかも、知ろうと思えば出来る事。逆に言えば、知られたくは無い、気付かれたくないから探知遮断を付与した。
探知遮断無しで結界を張って手掛かりを残しておけば、簡単に自分のところに辿り着かれると、犯人は分かっているから……?
「……魔法について詳しい人間なら、魔法使いを拘束しておくのなら猿ぐつわをしておけば良い、って分かってる。でも、私みたいに全然分からない素人なら、縛られてても魔法が使えるなんて分かんない……なら、どうやって魔術遮断結界なんて構築したの?」
「良いところに目を付けたねえ、ティカちゃん。
そ、術者を無力化する魔術遮断結界なんて、ド素人が用意するのはまず無理だ」
相変わらず、芋虫のようにむにょんむにょんと謎の動きを繰り広げているブラウが、楽しげに口を挟んだ。
「ティカちゃんが術者……魔法使いを怖い人だと思っていたとして、気絶してる魔法使いを魔法が使えないように確実に無力化しようとしたら、どうやる?」
ブラウの問い掛けに、ユーリは首を傾げた。うっかり脳裏に、『ひと思いに殺ってしまえば良いんですよ』などと、笑顔で言い出すとっても闘争派な先輩様の声が過ぎったが、んな恐ろしい意見は言えない。
「えーと、まず両手足縛って猿ぐつわを噛ませて目隠しをして、身長よりも高い位置に逆さ吊りにして……」
「待て、もう良い」
「ティカちゃんってば、過激~。何そのスマートな拷問ルート」
……何かマズかったのだろうか。
ユーリとしては、術者が短時間で高い殺傷能力を発揮すると知っていたからこそ、無力化するならば徹底的にと考えただけだったのだが。
アティリオは眉をしかめてユーリの顔を見上げてくる。
「ティカ、君は魔術師に何か恨みでもあるのか? そこまで念を入れるなんて……」
あなた様は怖いです。基本、魔術師様方は怖いです。
だって私、クォンですから。言えませんけど。
「ま、素人さんが魔法使いを警戒すると、それぐらいの対応をするって事だね、兄さん。
この中途半端な監禁状態はおかしい。非っ常ーにおかしい」
「ああ。誘拐してきた者をわざわざこうして同じ場所に集めたり、そのくせ魔術遮断結界が張ってあったり……」
不可解な状況に叩き込んでおきながら、その場には他にも誰かが居る……監禁場所を複数用意出来なかったのか、ユーリはそこまで考えて、ハッと顔を上げた。
「口が自由で、同じ場所に人が居れば、必然的に中に居る人同士は話し合う……」
「うん、つまりそれは、ボクらの会話や様子をどこかから監視されてるって事になるね」
「べ、ベラベラ喋り倒しちゃいました、どうしましょう!」
誘拐犯はわざわざ魔術遮断結界を張るという手間を掛けてまで、アティリオやブラウから聞き出したい情報があるのか?
しかし、そうだとするとこんな悠長な事などせずに、目的の情報を吐かせるべくそれこそ拷問にでもかけそうなものだが……
「さて、そう考えると……下手に喋るのも躊躇われるな」
そうアティリオが低く呟いて、おもむろに立ち上がり、ユーリは驚いて「え、縄は!?」と、叫びそうになった。唇から漏れかけた声を噛み殺す。
すぐさまユーリの傍らにしゃがみ込んだアティリオは、固まっているユーリの手足を固く縛っている荒縄を、手早くぷつりと切った。いったいどこから取り出したのか、アティリオの手には薄いナイフが握られていて、彼は無言のまま自分の唇に人差し指を軽くあてがって、静かにするようにというジェスチャーを寄越してくる。
コクコクと頷いて了解の意志を伝え、ユーリは痺れが残る手首をさすった。
無様に床に転がって、みの虫のようにぐにゅ~とした動きをしていた筈のブラウもまた、無言のまま立ち上がり、慎重にドアの様子を調べている。
ブラウはスッと片手を持ち上げて、こちらには背を向けたまま何本か指を立てたり握って動かしたりといった仕草を示す。その動きに合わせてゆらゆらと揺らめくドレスの袖は、レースが過剰なまでにたっぷり縫い付けられていて……
そうか。ブラウさんが床に転がったりぐにゃぐにゃしてたのは、彼があの服のどこかに今アティリオさんが持ってるナイフを仕込んでて、縄切ってたんだ!
そう考えると、続いてアティリオがブラウの隣に倒れ込んで彼に背を向けたのも、自分の縄を切らせる為なのだと分かる。つまり、ユーリに「状況を整理しようか」などと話し掛けてきたのも、全ては監視しているであろう誘拐犯を油断させる、縄を切っているなんていう状態を悟らせない為の、時間稼ぎだった訳だ。
などと考えているユーリの目の前で、ブラウのドレスの袖口からにゅっと数枚剃刀が出てきて、彼はそれを指先に挟む。
……そ、その奇天烈な扮装の中に、どんだけ刃物隠し持ってるんですか? 公子サマ。
「ティカは僕らの後をついて来て。離れないようにね」
ブラウから手信号で何かを伝えられたらしきアティリオは、ユーリの耳元に唇を近付けてそう早口で囁くと、無言のままブラウと頷きあい……
「さあ……」
アティリオがドアの前に佇み、ドア目掛けて全力で体当たりを仕掛けた。
バンッ! と、派手な物音を立ててドアがぶち開けられ、その向こう側に立ち竦んでいる、恐らくは聞き耳を立てていたと思しき黒ずくめの覆面さんに向かって、
「狩りを始めようか!」
嬉々としたブラウの叫びと共に、彼が投擲した剃刀はアティリオの頭上を掠めて標的へと殺到する。
「ぐわぁっ!」
「兄さん、1人逃がした!」
「ちっ。思ったより結界の範囲が広いな!」
怖っ。ブラウさん今、迷わず目を狙って剃刀投げましたよ。
聞き耳を立てる為には、薄くドアを開けておかねば会話は聞き取れなかったのか? 鍵が掛かっていないドアの前に居た謎の誘拐犯達は、アティリオとブラウの奇襲に不意を打たれて目を押さえて悲鳴を上げているが、1人即座に反応して身を躱した黒ずくめは、迷う事なく戦略的撤退を選択して廊下の角に消え、その向こう側から黒いモノを撒き散らしてくる。
それと同時に、ピーッと鳴り響く甲高い笛のような音。
アティリオとブラウが素早く避けた黒いモノは、廊下に着弾するなりシュウシュウと嫌な音を立てながら床を溶かし、ごく小さくだが、穴を開けている。……あんな物が直撃していれば、ただでは済むまい。怪我をした仲間が倒れているというのに、そんな乱戦の最中に撒き散らす道具ではない。実際、ブラウの剃刀によって怪我を負ってうずくまり、避け損なった黒ずくめの2人は苦痛の呻き声を上げてそれ以上動かなくなってしまった。
どうやらアティリオは、ブラウの剃刀投擲から逃れた黒ずくめに向かって魔術を使おうとしたようだったが、廊下も遮断結界内であるらしい。咄嗟に魔術に集中しようとした隙に距離を広げられ、忌々しげに舌打ち一つ。
更にブラウがドレスの胸元に手を突っ込み、中から詰め物らしきパッドを一つ引っ張り出し……パッドを引き剥がして曲がり角の奥に向かって投げつけると、突如として弾け飛ぶ閃光。ユーリはまだ閉じ込められていた部屋の中で、口をポカーンと開けた状態で唐突に始まった戦闘を眺めていたのだが、その光を間近で直視した訳でもないのに目がチカチカする。
「手応えが無いな。逃げたか」
「ティカ、狙い撃ちにされたくなかったら戦場では立ち止まらない!」
「ええっ!?」
痛みに瞼を閉じて目元を押さえているユーリに向かって、アティリオからそんな叱責が飛んできた。どうやら知らないうちに、彼女は戦場に足を踏み入れていたらしい。
大慌てで痛む目を開けて周囲の様子を窺うと、石造りの廊下を突き進むアティリオとブラウの姿。置いていかれてはたまらないと、派手に暴れ始めた彼らの後を反射的に追い掛け……ふと、この2人について行く方が危ないんじゃ? という一抹の不安が過ぎる。
どういう原理なのかは不明だが、閃光弾のような物を放って曲がり角を曲がった直後の不意打ちを受ける可能性を阻止したらしきブラウは、ドレスの胸元を盛り上げる片側がぺったんこ状態でアンバランスなお姿のまま、両方の手首を軽く捻り再びその指先に薄い刀を数枚挟む。
もしかしなくても、その残ったもう一つのニセ乳も閃光弾だったりするのですか、ブラウ様。
公子サマの珍妙過ぎる扮装は、全部丸っと引き剥がしておかねばヤバい。非常に危険だ。その下にどんな武装を隠し持っているのか、分かったものではない。
誘拐犯が何を考えてユーリ達3人を攫ってきたのかは不明だが、縛って転がしておいただけで、ブラウとユーリが身に着けていた物は何も取り上げられていない辺り、最も警戒されていたのは魔術師であるアティリオで、素人っぽいユーリやブラウは侮れていた可能性が非常に高い。確かにユーリは戦闘訓練など積んでいない100%一般人だが、ブラウは明らかにゲリラ戦に慣れている。服に仕込んだ暗器の中から、瞬時に最善の判断を下して武器を選択し、人を傷付ける事にたいする躊躇いも全く見当たらない。
いくらなんでも、ブラウの武装を確認しておかないなど、油断し過ぎとしか言いようが無いが……もしや、女装のせいで本当に女だと思われて服には手を着けなかったのか?
ひ~ん。シャルさん、主ーっ! 怖いよ~っ! たーすーけーてーっ!
届かないと分かっていても、心の中で悲鳴を上げ続けるユーリであった。
「兄さん右!」
廊下を先行するアティリオとブラウは足音を消す事もせず、速やかに駆け抜け……従兄弟の警告に即座に反応したアティリオは、右側に身を捻って薄暗い廊下の影から奇襲を仕掛けてきた黒ずくめの投げナイフを避けた。一瞬前までアティリオが立っていた方の壁にナイフは突き刺さって、その衝撃を物語るようにビーンと小さく揺れる。それと殆ど同時に、ブラウが低い体勢から剃刀を投擲して、影の向こう側から上がる悲鳴。
や、やっぱり付いて来るんじゃなかった雰囲気が、ひしひししていませんか今っ!?
人の気配だとか、殺気を察知など全く出来ないユーリは恐れ慄きながら、爆走中の従兄弟コンビの後を追い掛けるのであった。狙われたら間違いなく死ぬ。挟み撃ちなんてされたら、乱戦に突入などされれば、それは即ちユーリの死亡フラグだ。
シャルさん、主ーっ! ここ怖いーっ!