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人気の無い路地裏に、全速力で走る2人分の足音が響く。ほんの少しばかり道を逸れれば、そちらは多くの人々で賑わう活気と喧騒に満ちた大通りである。だが、そこは静かな住宅街なのか網の目のように張り巡らされた狭い路地が伸びており、建物はどれも見上げるほどに高く、空が狭い。

ユーリは無心に足を動かして駆け、左に曲がった。


体が変化する、という事は、少なからず生活や行動に影響を及ぼすもの。

特にユーリの場合、急激な身長と体重の変動もある上、二足歩行と四足歩行という移動方法や体の動かし方の違いに慣れる必要も出てくる。シャルが夜間には必ず元の姿に戻るように、ユーリもまた主人の意に従い、人間とネコの姿をいったりきたりして、強制的に慣れさせられる毎日を過ごしている。


「はっ、はっ、はっ……」


そしてここ数日エストの下に預けられていたユーリは、その間ずっと人間の姿に戻ることなく、身軽な子ネコ姿でジャンプしたり抱っこされてばかりいた。

有り体に言えば、カルロスのネコ可愛がりタイム『ネコじゃらしでダッシュ&大ジャンプ!』もしくは『ネコ、トンネルに猛烈まっしぐら突撃!』を、ここしばらくサボっていたという事である。あれらは主が息抜きに楽しむ為であると同時に、ユーリがネコの体の動かし方を学ぶ為の時間でもあった。いわゆる、趣味と実益を兼ねて、というやつだ。

……ネコ可愛がりタイムのその意義を、カルロスから滔々と上記の説明を受けてごり押しされた経緯があるユーリは、主人の趣味が99.9%を占めているに違いないと睨んではいるが。


「んんっ、はっ、はっ……」


ともあれつまりユーリは、ここ数日間ネコとしてゴロゴロしてばかりいたせいで、体力や筋力が落ちたようなのである。オマケにコルセットは苦しくて走りにくく、ただでさえ遅いユーリの走る速度は益々落ちる。更には土地勘も無い為、人があまり通らない入り組んだ路地裏を直感的にぐるぐると駆けたせいで、すっかり方角を見失ってしまった。


「このっ、待てと言っているだろうっ!」


だが、追っ手ことハーフエルフ魔術師のアティリオは、まだまだ体力がおありのようで、大声で怒鳴りつけてくる。流石は研究室に引き籠もってばかりいる事を許されぬ、ハードな外回り仕事が義務付けられた魔術師。

走る速さも向こうの方が明らかに早く、ユーリは縦横無尽に曲がり角でターンする事で、速度の優位性を削いでいた。直線の道を真っ直ぐに走っていたならば、とうの昔に彼に捕まっていただろう。


ああもうっ、アティリオさんしつっこい!


右に左に、明確な目的も無いまま追っ手をやり過ごせる場所を求めて走り回っていたユーリは、ただでさえ狭い路地がますます細くなっているような気がして、嫌な予感を覚えながら再び角を曲がり……慌てて方向転換をしようと急ブレーキを掛け、つんのめって壁に肩をぶつける羽目になった。ユーリが無作為に走り回った結果、ついに行き止まりに突き当たってしまったのだ。


ダンッ! と、彼女の背後から勢い良く伸ばされた腕が、ユーリを閉じ込めるように彼女の顔の左右で壁を突く。両腕で抱えた荷物を盾にするようにしっかと胸元で抱えつつ、ユーリが恐る恐る体の向きを変えて背後に向き直ると……いつも目深に被っているフードが零れ落ち、さらけ出されたアティリオの顔が、眼前で彼女を見据えていた。


「……捕まえた」


お互いに呼吸は酷く乱れていたが、いち早く息を整えたアティリオは、そう低く囁くような声を発してふっと笑みを浮かべる。

激しい動悸とまだ整わない吐息のまま、ユーリは思わず背後の壁にべったりと背中を張り付けてしまうが、彼女は壁すり抜けなどという便利な特技などは持ち合わせておらず、逃れる筈もない。それどころか、より背後へと距離を取ったせいか、アティリオの顔がますます近寄ってくる。彼の水色の瞳には彼女の姿がくっきりと映っていて……ユーリは恐怖から息を飲んだ。


「さあ」


ほんのすぐそば、目に映るものはアティリオの姿だけ、手を軽く持ち上げれば簡単に触れられる距離にいる彼は、うっすらと笑みを象った唇を開き、低く潜められた言葉を囁いてくる。

殺される! 背筋を走り抜けるゾクリとした感覚に、身を震わせながらユーリはギュッと瞼を閉じ……


「さあ、小さな盗っ人さん、観念して僕の荷物を返して貰おうか」

「……へ?」


アティリオから言い放たれた思いがけない台詞に、ユーリは固く閉じていた両目を開きつつ、間抜けな掠れた吐息を漏らしていた。口は声を発した微妙な状態のまま、半開きになって硬直してしまう。

眇められたアティリオの眼差しには、殺気立っているというよりもむしろこう、幾分呆れた色が混じっているような……


「誰に頼まれたのか、出来心なのかは知らないが、明らかに術者と分かる者の荷を奪おうとするのなら、連盟に所属する全てのメンバーを敵に回す覚悟をする事だ」


君にそんなご大層な意志があるようには見えないが……などと、アティリオは溜め息混じりに呟く。

ユーリは未だ震えが治まらない全身を叱咤しながら、もつれる舌を動かして声を絞り出す。この状況は、ユーリが想定していたものとは、些かズレがあるようだ。事態の正確な把握と確認をして、保身に努めねば。


「……に、荷ってなんの事、ですか?」

「今、君が、しっっっかりと、その腕に抱きかかえている袋の一つだ。もう諦めて返しなさい」


幼い子供に言い聞かせるような、そんな疲れを滲ませたアティリオの声音に、ユーリは視線を手にした荷物に落とす。ブーツが入っている麻の袋に、主人であるカルロスからのお下がりの少年用の衣服一式と、ぬいぐるみが入った麻袋と……一際手触りの良い、リネンのような滑らかな生地で作られた袋が、何故か彼女の腕の中で存在を主張していた。


……えーっと……


ユーリは自らの行動を、脳内で高速逆再生してみた。

荷物をしっかり抱えながらアティリオに向き直る、アティリオの腕が檻のように伸ばされて逃走を封じられる、行き止まりに突き当たる、当て所なく逃げ惑う、荷物を拾い上げて猛ダッシュ、衝突者がアティリオだと気が付く、ぶつかった衝撃で尻餅をついて荷物を落っことす、ご機嫌でお店を出て道端で人とぶつかる……

荷物を拾い上げてから今まで、コレを離したり他の袋を持った覚えなど全く無い。つまり、衝突の衝撃で落とした荷物を慌てふためきながら拾った時に、アティリオが取り落とした袋も纏めて掴んだ、という事に……


「こ、コレ、あなたのですか?」

「そうだ。まったく……」


恐る恐るその袋を差し出すと、アティリオはユーリが壁とオトモダチ状態を余儀無くされていたその手を壁から離し、袋を受け取った。

彼が袋の中身を確認している間に、コソコソとその場を離れようとしたユーリは、「待て」と呼び止められた。


「あの、まだ何か……?」

アティリオは、ユーリの同僚であるシャルが天狼と人間の二つの姿を持つ事を知っており、また彼女の黒髪はバーデュロイでは珍しい色合いであるらしい。故に『黒髪の女の子=カルロスの使い魔黒ネコのユーリ』という図式を見出したとばかり、ユーリは考えていたのだが、どうやら敵はそう断定して追い掛けてきた訳ではなさそうだ。


下手に口を開いてボロを出しては適わないと、アティリオの前から姿を消そうと目論んだのだが……そう簡単に逃がしてはもらえないらしい。

細い路地に仁王立ちして道を塞いでいるハーフエルフは、汗ばんだ前髪を鬱陶しげにかき上げ、ユーリを見据えてくる。


「荷物を返したなら、それで簡単に許されて解放されると思っているのか? いいか、人から物を盗むという事は自分の尊厳を汚す行為であると同時に、君自身の身を危険に曝す事にもなるんだ。

お金が必要ならば真っ当に働きなさい。誰かに脅迫されて渋々僕の荷物を狙ったのなら、正直にそう言いなさい」


えええ~、スリ? 置き引き? 当たり屋? アティリオさんの中でどれに該当しているのかは分かりませんが、私、すっかり盗みを行った扱いで、再犯を防ぐ為に説教されてるー!?


「あのう……私、あなたの荷物を盗むつもりは全くなかったのですが……」

「現行犯が何を言う」


犯罪に手を染めた事が無い、平凡な一般市民になんたる濡れ衣であろうか。ユーリの命を狙って追い回してきた輩から説教を受ける謂われなど無いと、むしろそちらの方が殺人未遂の犯罪者じゃないかと言いたい。


「私は、身の危険を感じて逃げ出しただけです!

勝手に人を盗賊に仕立て上げないで下さい!」

「……君は何を言っているんだ?」

「追い掛け回す前に、荷物返せぐらい、言って下さいよぅ……本気でまた襲われると……」


ずりずりと、壁に背を預けたままユーリは崩れ落ちた。

慌てて勘違いして、早合点して勝手に怯えて。アティリオを一方的に責めるのはユーリの身勝手だと分かっていても、涙がぼろぼろと零れる。命を狙われるだとか、怯えて警戒心を常に抱くべき相手をいなすだとか、こちらの世界は複雑だ。


「……どうもよく分からないが、僕の荷物を盗んだのは故意ではないと?」


地面にへたり込んだまま無言でこくこくと頷くユーリに、頭上から深々と溜め息が降ってきた。

うっかり泣き出してしまったせいか、綺麗に畳まれた清潔感と高級感溢れるハンカチが差し出されてきたが、ユーリは首を左右に振って固辞する。そんな物をひけらかしてくるなど、貧乏人にたいする無意識の嫌味なのか、公子サマ。


「苦し紛れの言い逃れではなく、本気で早合点だと主張するのなら、君は途方もなくそそっかしい人間だと自分で認めている事になるが?」

「鈍臭くてバカで危なっかしいと、同僚からよく言われます……」


もう、出来れば放っておいて欲しい。せっかくのおニューの服は汗を吸い込んで、あちこち泥や砂埃を被ってしまって悲しくなってくる。怖いものに遭遇すれば、浮き足立って即座に逃走の二文字で頭の中がいっぱいになってしまうという悪癖は、どうすれば矯正出来るのだろう。

俯いたままのユーリの頭に、ポンと何かが乗せられた。何だろうと手を伸ばして摘まんでみると、仕立て屋さんでスカートとお揃いで購入した帽子だった。衝突した時か全力疾走をしていた時にでも、いつの間にか落ちたのだろうか……


「これは君のだろう?」

「はい」

「お転婆も大概にして、早く家に帰りなさい。

危険人物に似ていたのかどうかは知らないが、子供を襲うような奴だと勘違いされたなんて……そんなに僕の人相は悪いのか?」


さっきまで手ぶらだったと思ったが、アティリオはいったいどこにこの帽子を抱えてたのかなあ、などという疑問が湧きあがりつつも、泥も砂も被っておらず、綺麗なままの帽子を再び頭に乗せる。

そんなユーリはさておき、アティリオは何やら、一目見て不振人物の汚名を被せられた事に、多少ショックを受けているようである。


似た雰囲気や顔立ち以前に、そもそもユーリを付け狙ってきた本人なのだが、イヌ派なアティリオにとってはカルロスのクォンである黒ネコを追い掛け回したつい先日の出来事は、犯罪に当たらないのだろう。今目の前にいる人間のユーリと、黒ネコのユーリが繋がらないのならば、尚更だ。


「……どうも昔から遠巻きにされがちだしな……この耳のせいだけじゃなくて、気が付かない間に不快感を持たせるような表情でもしてるのか?」


アティリオは壁に手と額を突き、聞いていて何かこちらが反応に困るような独り言をブツブツと呟きつつ、ズーンと落ち込んでいるようだ。彼が常にフードを目深に被っているのは、自分の顔やハーフエルフ特有の中途半端な長さの耳にコンプレックスを抱いている為らしい。

2人揃って自身の至らなさに、精神的ダメージを被り落ち込む路地裏の行き止まりにて、微妙な空気が流れる。


と、アティリオがふと壁から顔を上げて、未だ地面に座り込んだままのユーリに手を差し出してきた。もう立ち直ったのだろうか。


「なんにせよ、この時期に女の子がこんな人気の無い場所を1人でブラついているのは危ない。家まで送って行こう」


むしろあなたが一緒に居る方が危険なんですが、とか、あなたが追い掛け回してきたからこんな場所に辿り着いたんだ、などなど、言いたい事はあれども正直にポンポンと口に出すのは、自分の首を締める事になりそうだ。


アティリオの手は取らずに立ち上がったユーリは、そういえば、と、改めて周囲を観察してみる。ここは王都のどこらへんなのだろう。

薄汚れた古い壁、人の気配も無く、人が1人やっと通れるような狭い路地、何階にも高く建てられているせいで、日照の悪そうなカビ臭い建物……窓らしき四角く壁をくり抜かれた場所には、王都だというのにガラスすら入っていない。

光あるところには影もある。富める民があれば、貧しい民も……


「……ここは、君のようなお嬢さんが気軽に出歩ける場所じゃない。早く離れよう」


スッと肩を軽く押されて促され、ユーリはギュッと抱えた袋を抱き締めた。

王都はそう、華やかなだけじゃない。


「もうすぐシーズンだから、ただでさえ人が増える。こういうところに踏み込むのは止めた方が良い」


どんなに見回しても、目印になる白亜の王城も、連盟の塔も見えない。そう、ここは……


「あっ」

「うん?」


アティリオと共に歩くなど、出来たら遠慮したいところだが、自分の早とちりによるミスのせいだと自らに言い聞かせ、大人しくハーフエルフに連れられて大通りを目指して歩き出したユーリの目に、ガラスが入っていない窓の向こうで動く人影が見え……あっという間に薄暗い路地裏たる地上、アティリオの背後へと降り立ち、彼が振り向く前にその首筋に手刀を叩き込んだ。小さな呻き声を漏らし、アティリオは成す術もなく崩れ落ちる。


「な、ななな……」


目の前の黒ずくめの顔を隠した人物は何者か、何故突然アティリオを不意打ちしたのか、ユーリが驚愕していられたのは、ほんの束の間の事だった。タッと、彼女の背後に誰かが降り立った音がして……ハッと振り返る前に、後頭部に激しい衝撃と激痛が走り……ユーリの視界は暗転した。



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