可憐なお客様と余計なオマケ
「本当に君はどうしようもない輩だな!
そんな君に負けただなんて、未だに自分に腹が立つ! 君は僕の人生の汚点とも言うべき存在だ!」
「あー、そうかいそうかい、そりゃまた結構。
負け犬はとっとと立ち去れ。俺の家から今すぐ出て行け。惨めったらしくトボトボ歩いて帰るがいい!」
「ああ、出て行ってやるとも!
こんな気分の悪いところ、一分一秒だって留まりたくはないね!」
「もう二度とくんな!」
「君が真面目に連盟に顔を出せば、僕だってこんなところに来る必要は無いんだよ!」
「てめぇが伝達役引き受けなきゃ済む話だろうが!」
「同期の誼とか意味不明な事言って、上が押し付けてくるんだよ!」
……えー、ただいま、我が主と『厄介なお客様』は、周囲が口を挟む隙の無い怒鳴り合いを繰り広げていらっしゃいます。
私としましては、その勢いに押されて呆然としているしかございません。まあそもそも、私はずっと隠れて様子を窺っている身なので、特に何をするでもないのですが……
魔法使いのお家に客人が来訪したのは、カルロスが風呂から上がって身支度を調えてすぐの事であった。
森を横切る小道をギリギリ通れる、程度の大きさの馬車が門扉の前に停められ、シャルが出迎えの為に出て行く。
客の前に姿を表すな、と命じられてはいたが、様子を探るなと禁じられてはいないユーリは、好奇心の赴くまま花畑に身を隠しつつ、馬車から下りてくる客人の姿を見物していた。因みに、何故玄関にまで馬車を進めないのかと言えば、前庭が花畑で埋まっているせいで、馬車が進入出来ないのだ。
まず、馬車から下りて来たのは亜麻色の髪をしたマント姿の人物。花陰からではやや見えにくい上に、ユーリの目には如何にも魔法使い! なイメージに沿うファッションのせいで、性別はよく分からない。
その人物は、出迎えに現れたシャルを一目目にするなり、
「……お前! まだ浅ましくカルロスに魂を捧げずにいたのか!」
斬りつけるような激しい口調で、開口一番に怒鳴りつけてきた。
声はどちらかというと幾分高めだが、恐らく男性であると予想される。
顔を合わせるなり叱責を飛ばしてきた、そんなマントの男に対してシャルは慇懃に頭を下げる。
「お久しぶりでございます、アルバレス様。ようこそお越し下さいました」
反論するでもなく、ただ型通りの歓迎の挨拶を寄越すシャルに、アルバレス様なるマントの男はフンと鼻を鳴らした。
うーん……私、シャルさんの心が読めなくて良かったかもしれません。
今のシャルさんが何を考えているのか、考えるだに恐ろしい……
人間の姿だったなら、間違いなく冷や汗がダラダラと溢れ出ていそうなほどの気まずさに、ユーリは揺らしていた尻尾をパタリと落とし、溜め息を吐く。
と、そこへドアが開いたままの馬車の中から、涼やかな声が聞こえてきた。
「アティリオ様、シャルを苛めないで下さいな」
「エステファニア嬢、僕は彼を苛めているのではありません。本分を説いているのです」
そんな会話を交わしながら、マントの男が差し出す手の平に白魚のような手を乗せ、馬車のタラップを下りてきたのは、森の中には似つかわしくないような逆に幻想的でぴったりなような、ふんわりとドレープの広がるドレスを身に纏った人……クルクルとウェーブのついた金髪はキラキラと光を反射し、それに彩られた小顔は愛くるしさに満ち。数年後には『絶世の』などと形容されそうな美少女だった。
……異世界のお姫様だ!
うわ、こっちに来てから会う人会う人男ばっかりでムサいとか内心思ってたけど、お姫様キターッ!
何か性格の悪そうな、キャンキャン怒鳴り散らすお客様に気分が沈んでいたユーリだったが、美少女の登場で一気にテンションが上がり、ピンっと耳と尻尾も上がる。
「エステファニアお嬢様、ようこそお越し下さいました。
お嬢様のお越しを心より歓迎致します」
「有り難う、シャル。カルロスの家令としてすっかり板についたようで、わたくしも嬉しく思いますわ」
「過分なお言葉、身に余る光栄にございます」
アルバレスだか、アティリオだかと呼ばれたマントの男に対しては明らかに歓迎の挨拶にも心が籠もっていなかったシャルだったが、エステファニアお嬢様なる美少女の事は心底から歓迎している様子で、本当に嬉しそうな輝くような笑みを浮かべている。
お客様2人と、お付きの人らしい壮年の人物と御者の方が、シャルに案内されて目の前の花畑の間の細い道を歩いて家の玄関に向かう姿を息を潜めて見送りつつ、ユーリは花に埋もれたまま思考を巡らせた。人間の姿では仕事に追われて考える暇もあまりないが、ネコの姿では考えるぐらいしかする事が無い。
すぐそばを通り過ぎた際にじっくりと観察したマントの男は、年齢的には主であるカルロスと大差ない年頃に見受けられた。
シャルはカルロスに魂を捧げる事が本分だと言い切った事から察するに、彼もやはり魔法使いなのだろう。
この世界では使い魔は使役する対象ではなく、魂を抜き取り自らの力を増す為に吸収して当然。
それが普遍的な常識としてまかり通っている世界なのだと、知ってはいてもあまり実感は湧かなかった。それはユーリの主が彼女を殺そうとしないからだし、同じ境遇であるシャルがあまりにも普通にカルロスと一緒に生活していたからでもある。
だが、今日の客人の言動によって、ユーリの胸には言い知れぬ不安が広がってゆく。
シャルは使用人として、また仕事の助手として、カルロスの有能な片腕である。彼は十二分に主の役に立っているし、あれほどテキパキと家事をこなす実務能力など、得難い存在だと思われる。
にも関わらず、出会い頭に『何故まだ死んでいない?』と、見下すように頭ごなしに怒鳴られ、そしてそれに反論さえせず、ただ黙って言葉の暴力を受け流すだけの同僚。
あのアルバレスと呼ばれた男は、多くの人から進んで傅かれ世話をされて当然の富裕層の人間である為、シャルの能力は使用人としてこなせて当然の実力であるとしか評価出来ず、それ故に『主へ魂を捧げる事が使い魔として正しい行動』と考えているのか?
それとも、『同一の魂を自らの力にする』という行為は、魔法使いにとっては躊躇う事さえ愚かしいほどの、至極当然で真っ当な選択なのだろうか?
もしもユーリの存在を彼が知ったなら。眉一つ動かさずに殺されてしまうのだろう。
何故ならば彼女は、カルロスに魂を捧げるべき存在であり、死ぬ事に究極の価値を見出される使い魔なのだから。
ホロホロと、ユーリの瞳から零れ落ちた涙が畑の土へと染みを作ってゆく。
そこになんの感情もなく、ましてや悪意や害意さえ一片も抱かぬまま、『食べ物』として搾取されるのが当然だと、それこそがこの世界の魔法使いである人々の、絶対的に正しい考え方なのだとしたら。
その契約を結んだユーリやシャルに、彼らは些かの人権も認めようとはしない。いや、権利云々についての考えさえ欠片も浮かばないに違いない。
“……だから隠れてろと言ったんだ”
不意に送られてきた主からの短いメッセージに、この世界での魔法使いの人々が使い魔をどう捉え考えているのかを知ったユーリが、心構えはあれど深いショックを受ける事を見抜いていた事を悟る。
この家は揺り篭のようだった。
彼女にとっての異世界において、主のカルロスは生まれ育った世界でありながらこちらの常識で量れば異質どころの話ではなく異常であり、根本的なところではこの世界の常識に沿う考え方を持っていなかったからこそ、異世界の人間であるユーリもまた、自らの価値観を保っていられたのだ。
主、私は死にたくはありません。
“俺が構わんと言ってるんだ。お前は俺に従って生きろ”
……はい。
主には主なりの考えがあり、それがこの世界での『正道から逸れた生き方』であろうとも、それを貫こうとしているのか。
ユーリはカルロスの手によって隠され守られている。それは彼女にとっては良いとしても、カルロスの使い魔として知られ、矢面に立たされているシャルはそれをどう受け止めているのだろうか。その事が無性に気にかかる。
無能で無力であるから主から無条件に庇われるユーリと、有能で実力があるからこそ他者から侮蔑の言葉をぶつけられるシャル。
時折、もしかしてこの同僚から嫌われているのだろうかと不安に思う事があったが、そんな不平等な状態であるのならば、彼から疎まれていても当然ではないのだろうか。
ユーリは一階の部屋の様子が窺える窓枠に片っ端から飛び乗り、シャルの姿を探してみる。
探し人は程なく見つかり、玄関脇の控えの間で馬車を操っていた御者の方と差し向かいで、のんびりとお茶を飲んでいるところであった。
その表情は穏やかで、先ほどのマント男・アルバレスとやらの発言を気に病んでいるようには見えない。
同僚は大抵いつも笑顔なので、本当に気にも留めていないのか、怒鳴られ慣れてしまっているだけなのか、ユーリには判別がつかない。が、とりあえずこちらは平穏なようだ。
嫌な感じの男と愛らしい姫君、そして主の様子を見物するべく、ユーリは続いて応接間の様子が窺える窓目掛けて飛び乗った。
上手い具合に窓の一つが開いていて、室内の人々の動きも会話もバッチリ。こちらは窓枠の梁に取り付けられた丈夫な板の上に飾られた鉢植えの影に身を隠し、スパイとしては完璧。こういう時、小柄で身軽な子ネコの姿は実に便利である。
さて、問題の客人方の様子はというと……
「はっ。エストに頼み込まねえと、俺に辿り着けれなかったような奴がよく言うな」
カルロスはソファの上で足を組んでふんぞり返り、マント男・アルバレスを睨み付けてそう吐き捨てているところだった。
それに、美しいエステファニア嬢が表情を曇らせた。
「ごめんなさい、カルロス……わたくし達の都合で、お仕事のスケジュールを変えさせてしまって」
「エストはちっっっとも悪くはねえぞ。
そこの、年下の少女に、べったり頼るしか出来ない、無能が全て悪い」
カルロスは爽やかな笑みを浮かべて、マント男を皮肉る。
「随分と偉そうだがな、カルロス。君は事態を正確に把握しているのか。
そもそも、君が連盟への奉仕を怠ったなら、後見であるパヴォド伯家が引っ張り出されるというのは自明の理だろう。そんな事も分からないのか」
「……なるほど? アティリオお前、エストを盾に人を脅迫する気か?」
「僕はそんな事は、一言も言っていない。言い掛かりは止めて貰おうか」
どうも彼らの関係が今一つ掴めないが、睨み合う男性2人はお互いをあまり良くは思っていないようだ。そんな彼らはしかし、あの美少女エステファニア嬢の事は好意的に見ている、と。
どうも、カルロスが『連盟』なるものに対して不義理を働いている事を、あのマント男……恐らく名前がアティリオで名字がアルバレス……は、不満らしい。
三角関係的な感情も含まれているのかなぁ、などと、微妙にハラハラドキドキしている野次馬なユーリはさておき、室内ではカルロスとアティリオの口論は益々激化してゆく。
「奉仕、連盟への奉仕だぁ? ふざけやがって……体の良い国へのゴマ擦り、点数稼ぎじゃねえか!」
「それでも、だ! 国から睨まれるという事がどういう事か、分からないとは言わせないぞカルロス!」
「自分達の考えばかりに固執して、シャルを良く思わないような連盟なんざ、俺はどうでも良い」
カルロスのその一言に、アティリオはバンッ! とテーブルを乱暴に叩いて立ち上がった。
「本当に君はどうしようもない輩だな!
そんな君に負けただなんて、未だに自分に腹が立つ! 君は僕の人生の汚点とも言うべき存在だ!」
……というところで冒頭に戻る訳なのですが、怒鳴り合う主とアティリオ……様、の、様子を目の当たりにしていても、全く動揺する素振りも見せずに優雅にティーカップを傾ける美しきエステファニア嬢は、実は儚げな風情に反して結構肝が据わった方なんでしょうか?
何気に、お付きの方の空気っぷりも凄いです。あれが正しい使用人のあるべき姿なのですね、勉強になります。