番外日常編 ある日のシャルさん
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わたしのマスターは、基本的に女の子には甘くて男には辛いと思う。
わたしと同僚に対する態度の違いが、それを如実に表している。
今日もマスターは、わたしの同僚なユーリさんを子ネコ姿にして、愛おしげに抱き上げて手ずから餌やりをしている。
わたしがマスターの手で食べさせて頂いたのは……赤ん坊の時分だけである。ユーリさんはもう、18歳だというのに。
わたしが焼いた焼き菓子を割って、ユーリさんの口元へと運んで食べさせるマスター。ユーリさんはパクリとそれを頬張り、口や頬をもごもごさせている。
「美味いか、ユーリ?」
「み~(美味しいです~)」
「んー、よしよし。お前は本当に素直で可愛いなあ。
俺の事好きか?」
「み~(主大好き~)」
「そうかそうか」
その様子をなんとはなしにぼんやりと眺めていたわたしに、マスターがこちらを振り向いてニヤリと笑った。
何か無性に苛立つ。
“ふふん、どうしたシャル。
羨ましいのか、ん?”
マスターはわざわざ思念による言葉を伝えてきて、わたしは『何の事か分かりません』と答えて、踵を返した。
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調合のお仕事の後は、とにかく臭いがキツくて辛い。
もしやわたしは職業選択を誤ったのだろうかと、真剣に考える瞬間だ。
フラフラしながら頭から湯船にザブンと突撃して臭いを取り除き、そしてようやく頭がしゃっきりしてきた。
ザバッと湯船から顔を出したら、目の前で人間の姿のユーリさんがお湯につかっていた。子ネコ姿で入浴なんて試みられたら、鈍臭い彼女は間違いなく溺死するけれども。
「ユーリさん、いつからそちらに?
もしやこれが噂の、堂々たる覗きというやつですか」
彼女の肩に鼻面を乗せつつ問うと、ユーリさんはわたしの『撫でれ』という要求に抗えずに応え、ガシガシとやや乱暴に首筋や背中、お腹の辺りをかき回しつつ、
「私がお風呂に入っていたら、毎度の事ながらシャルさんがフラフラしながら入ってきたんじゃないですかっ。
あーもー、お湯が汚れちゃいましたよ全く……」
グチグチと文句を言うものの、その手はやはりわたしの毛並みに夢中のようである。
わたしは遠慮なくユーリさんの顔面をベロンと一舐め。
「んぐっ!? びっくりしたー。
急に何するんですか、シャルさん」
「ユーリさんが美味しそうだったので」
「……その牙で噛まれたら、冗談じゃなく肉が削げ落ちますので、舐め舐めだけで勘弁して下さい……」
という訳で、もう一回ベロンベロン。うん、何か美味しい。
ガックリうなだれていたユーリさんがくすぐったいと笑った。
最近、やけに頻繁にユーリさんがとても美味しそうに見える。
◆
ある日、ユーリさんがむうう……と唸っていた。
自由な時間があれば、たいていは二階の書斎に入り浸っている彼女が、何やら居間のソファに深々と腰掛け思案している。
「ユーリさん、いったいどうしたんですか?」
「シャルさん……どうしておもむろに隣に座るんです?」
わたしがポスッとその隣に腰を下ろしながら問い掛けると、ユーリさんはずずっと反対側にズレながら胡乱な眼差しを送ってきた。
「さて? どうしてでしょうねえ」
話すのならば、隣に腰を落ち着けた方が良いと、深い理由もなくそう思っただけなのだが、眉間に皺を寄せながら何故と聞かれても困る。
むしろユーリさんの方こそ、何故ソファの限界いっぱいにまで仰け反るのだろうか。
そんな事をされたら逆に、それ以上に距離を詰めたくなるのだが。
「近いっ! シャルさん近いですからっ!
つーか重っ!?」
じりじりと座っている場所を移動させ、手凭れの部分に背中を押し付けているユーリさんに上からのし掛かるような体勢になったところで、彼女の口から悲鳴が漏れ……何故だか体中が熱くなった。
“真っ昼間から何してやがんだ、このアホイヌがっ!?”
そんなマスターからの思念がわたしの脳裏に叩き付けられて、それと同時に一瞬にしてユーリさんの体が子ネコの姿に変化し、彼女は着ていた服の中からもぞもぞと這い出てピョンとソファから下り立った。
ズンズンと足音高く居間のドアの前にやってきたマスターは、バンッ! とやや乱暴に開け放ち、目をぱちくりさせているわたしをヨソに、
「にゃ~、にゃーっ(うぇ~ん、主ーっ)!」
ユーリさんは一目散にマスターの足下へと駆け寄り、マスターは彼女を腕に抱き上げて頬擦りした。
「んー、よしよし。怖かったなあ。もう大丈夫だぞ?」
猫なで声でユーリさんに話し掛けるマスター、擦り寄るユーリさん。
妙にムッとした気分が湧き上がってくるわたしにマスターはふふんとせせら笑い、彼女を抱いたまま悠然と居間を出て行った。
いったい何だと言うんだ?
納得のいかなさにムカムカとしつつ、せめてソファの上に残されたユーリさんが着ていた服を畳んでおこうと手を……
“シャル、それに手出ししたら、ユーリから向こう一週間は半泣きで逃げ回られるぜ?”
笑い含みの思念が送られてきて、わたしの手はピタリと止まった。
……本当に、ユーリさんはさっぱり分からない。
◆
ある日の夕食の後、後片付けを終えたわたしが食堂に戻ると、食事中は人間の姿だったユーリさんが、またしても子ネコ姿になっていて、イスに座っているマスターの膝の上で小さく尻尾を揺らしていた。
いつもならば、ネコじゃらしで遊んだり彼女を撫で回しているマスターであるというのに。ただ彼女の背中に軽く手を置いているだけで2人とも黙り込み、目を閉じている。一見したところでは、眠っているように見えなくもない。
「マスター、何をなさっていらっしゃるのですか?」
わたしの問い掛けに、マスターとユーリさんは同時に目を開いてこちらを見てくる。
「ん? ああ……ユーリの世界の音楽を聴いてた。こう、ユーリが頭の中で精密に浮かべてだな、それを追跡すれば、自宅が手軽にフルオーケストラの公演会場に早変わりだ。
こいつの故郷の国は高い水準の娯楽性で、世界でもそこそこ一目置かれてたらしくてな。なかなか面白いぞ?」
……ユーリさんは本当に、多種多様な手段でマスターの気分転換を提供している。
まさか、頭の中に記憶した音楽を思い浮かべて楽しませるだなんて。そんな手法、わたしには思いもよらなかった。
“どうしたシャル? お前がどーーーしても聴きたいのなら、聴かせてやらんでもないぞ?”
テーブルに片肘を突いたマスターから、ニヤニヤしながらそんな思念が飛ばされてきたが、わたしは『別に興味ありません』と頭の中で答えて、ふいっと踵を返して自室に戻った。
後日、マスターが寝ている間にユーリさんにせがんで、たくさん歌って貰った。
聴いていて何故か破壊的な衝動が沸き起こってきた。
彼女の故郷の歌は、恋歌が多いようだ。別に実体験ではないと笑うユーリさんに、あっさりわたしの中の暴れ回りたい気分は消えた。
なんだったのだろう?
◆
またしても今日も、マスターが子ネコ姿のユーリさんと戯れている。
「はははは、そらそらユーリ頑張れ~」
「みーっ(だから私にはネコじゃらしに釣られる性質は無いんですってばーっ)」
壁にぶつかっても怪我しないよう、わざわざクッションをそちらに立てかけて、細長く纏めた布地を等間隔に置き、その横に胡座をかいたマスターが上下左右に動かすネコじゃらしを、ユーリさんは障害物をジャンプして避けつつ必死で追い掛けていた。
本人の自己申告通り、彼女は目の前でネコじゃらしが揺れ動いていても、鬱陶しいとしか思わない。だが、その遊びが大好きなマスターは、ユーリさんが鼻で笑いつつネコじゃらしを無視すると、とてもとてもご機嫌斜め~になる。
なので、非常にマスター思いなユーリさんは、そのお遊びに前向きに取り組んでいるのである。
「そーれっ」
「にゃっ(おのれ猪口才なっ)」
そしてやっている間に段々、ユーリさんの方もその遊びに熱中しだすのが常であった。
そして、ユーリさんがすっかりネコじゃらししか見えなくなったところで、ジャンプした勢い余って彼女はクッションに正面衝突し、
「おおっ!?」
「に!?(え!?)」
立てかけてあったクッションが倒れてきて、彼女はその下敷きになった。
驚きと重さで些か混乱し、上手く脱出出来ないらしきユーリさんが下で懸命にもがいているようで、クッションはもぞもぞと動き、視界にそれだけ見えている尻尾がブンブンと揺れる。
そしてマスターは、そんなしもべの危機を救ってやるでもなく、片方の手が口元を覆い、もう片方の握りしめた拳は膝の上でプルプルと震わせている。
そしてぐりんっと、マスターはわたしの方に顔を向けてきた。その表情は、命のやり取りの最中や後には引けない仕事中さながらに緊迫感に満ち、真剣そのもの。
“やべぇ……なんだこの愛くるしさ! うちの娘超絶ラブリー過ぎる!
ぜってーヨソの野郎に嫁にはやらん!”
……誰か、我々のマスターの行き過ぎた親バカっぷりを諫めて下さる方はいらっしゃらないものか、と、頭の片隅で考えつつ。わたしは、ユーリさんの上に乗っかっているクッションをひょいと持ち上げて、同僚の救出に及んだ。
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「そこで俺は考えた」
3人で食卓を囲んでいた最中、脈絡もなく唐突にマスターがそう宣言して、静かにスプーンを置いた。
わたしには今一つ理解が追い付かないが、大方ユーリさんとの思念による会話を交わしていて、ふと声が漏れたのだろう。
別に、わたしとてユーリさんと同席している場で、マスターと内緒話を交わす事ぐらいあるので、それについてはどうとも思わない。
「何をでしょうか、マスター?」
わたしがそう問い掛けると、マスターはこちらへと視線を向けてきた。
わたしは遠慮なく、大皿の上のサラダを大量に取り分けてドレッシングをかけた。
フォークを刺してもごもごと頬張る。実に美味しい。
わたしは肉しか食べないと思われがちだが、葉物野菜も好物である。
「シャル……俺と一緒に風呂に入れ!」
マスターは、至極真面目な表情を浮かべて命じ。斜め右の席に着いているユーリさんは、遠い眼差しでパンを千切ってスープに浸している。
わたしはモグモグごっくんとサラダを飲み込み、
「嫌です」
いつもの笑みのままわたしは簡潔に返事を口にし、再びフォークをサラダに突き刺してあ~む、と二口目を口に運び、モグモグと咀嚼。
「昔はあんなに、何をするにも俺の後をついて回ってきたのに……!」
マスターはテーブルに肘を置き、頬杖をついて嘆くが、赤ん坊の頃の習慣を持ち出されても困る。
というか、マスターはわたしの洗い方がしつこいというか、撫で回したいのか執拗にゴシゴシしてくるので、逆に毛並みから油分が抜け過ぎてパサパサになってしまうから嫌なのだ。
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「シャルさん、いざ、尋常に勝負です!」
「受けて立ちましょう。ユーリさんがわたしに勝とうだなんて百年早いという事を、しっかりその身体に刻み付けて差し上げます」
腰に片手を当て、もう片方の手をわたしに向けて人差し指をビシッと突き付けてくるユーリさんに、わたしは鼻で笑いながら取り敢えず両腕を組んで見返してみた。威厳が出る態度とは、どうすれば示せるものなのだろう。
「……で。お前ら結局、組んず解れつ何やってんだ?」
わたしとユーリさんの、真剣勝負の真っ只中であるわたし達の自室のドアにもたれかかったマスターが、我々に呆れた眼差しを向けながらそう問い掛けてくる。
わたしはブリッジ状態でマスターを上下逆さまに瞳に映し出し、ユーリさんは丁度わたしのお腹の上で交差して乗っかるような形で、体重をわたしに乗せつつ四つん這いに……これは間違いなく、同僚の計略に引っ掛かってしまったようだ。
だが、それをすんなりと認めてやるのも癪である。
「見ての通り、今私達は真剣ツイスター勝負中です、主!」
シートに四色の絵の具で丸い円を描いた、ユーリさんお手製のツイスター用シートを床に広げ、お互いの手足を置く色を交互に指定していくという、単純だが難しいゲームだ。本来は指示盤を使うらしいが、そっちは作っていないので指定制にしたらしい。
「ほ~」
そして、わたしやユーリさんの思考からゲームの趣旨を理解したらしきマスターは、ドアにもたれ掛かったままニヤリと笑った。
「ならその『シジバン』とやらの代わりに、俺がお前らに平等に指示してやろう。文句は無いな?」
「主……我々しもべに変なポーズをさせて、耐え忍ぶ姿を見て大笑いする気満々ですか」
「……」
「何を言うか、ネコよ。
思いがけないランダム制とやらが、そのゲームの醍醐味なのだろう?」
因みにわたしは何気に、先ほどから会話に加わる気力が残っていない。
ユーリさんの体重の重さに耐えつつ、逆さまになった頭のクラクラ加減を耐えるのみ。子ネコ姿ではあんなに軽いのに、人間の姿だと無駄に重たくないですかユーリさん?
それから数回マスターが指示した命令に従って動いた結果、わたしとユーリさんは同時に床に転げた。
……人間の手足の動作限界の長さや角度からして、ムリなものはムリな色を指定しないで下さい、マスター。
わたしとユーリさんによる、今宵の真剣勝負は引き分けとなった。
ユーリさんはまだ何か、元の世界で遊んだゲームの道具をせっせと製作しているようである。
◆
「そこで俺は考えた!」
とある食後のティータイム中に、またしてもマスターが唐突な一言を申された。
今回は、ユーリさんもカップを片手にキョトンとした表情を浮かべているので、2人だけの内緒話中に、声が漏れ出たのではないらしい。
「何をでしょうか、マスター?」
「シャル、イヌバージョンになれ! ユーリ、ネコにするから二階で支度してこい!」
わたしの疑問には答えず、嬉々としてお命じになるマスター。
わたしは思わずユーリさんと顔を見合わせる。
主の真意は今ひとつ分かりかねたが、我々は彼のしもべ。粛々と命に従ってそれぞれの動物姿にて、マスターの足下に跪くわたしとユーリさんを満足げに見やるご主人様。
「それでマスター、我々を突如こちらの姿にされたのは……?」
わたしの問いに、マスターはユーリさんを抱き上げてわたしの背中に寝かせ、マスターご自身は……わたしの腹にべったりと貼り付いてきた。
「もちろん、お前らの毛皮を撫で回したくなったからだ!」
マスター……その、自分がやりたいと思った事を貫き通す姿勢そのものは、素晴らしいのではないかと思います。
ですが、わたしの腹を撫で回すマスターのその手付きが、どうにもこうにも鬱陶しいのです。
「にー(夏の暑さにも負けず、よくやりますねえ。流石は主)
み~(そう言えばシャルさんって、その毛皮暑くないんですか?)」
「ああ、それはユーリさんにも言える事ですよ。
ユーリさんだって、ネコの姿でいても暑さに耐えきれないとは感じないでしょう?」
マスターのいつもながらの動物好き衝動にたいし、遠い眼差しを浮かべたユーリさんが気を取り直したように問い掛けてくる。
ユーリさんは常々その点について、不思議で仕方がなかったらしい。どうせわたしはマスター曰わく、ユーリさんよりも鈍いそうですから? そんな疑問を抱いたのは、たった今ですよ。そんな実情は彼女には言いませんけど。
さあマスター、我々しもべの疑問解決はお任せします。
「あのなあシャル……まあいい。
お前らクォンの外殻膜には、マレンジスの気候に耐える機能も備わってるから、夏場に毛皮の動物でいてもある程度の暑さなら耐えられる。冬場の雪原の中でも同じな」
ほー、そうだったのですか。
今のわたしは夏毛ですから、それで十分涼しく過ごせるのだと思っていました。
「み~(つまり主は、夏だろうが遠慮なく我々しもべを撫で回したいが故に、外殻膜に気候変化への耐性を付与したのですね?)」
「その通りだが、何か文句でもあるか?」
えっへんと威張りくさるマスターに、ユーリさんは呆れたような鳴き声を漏らし、もぞもぞと動いてわたしの背中の上で丸くなったようだ。
子ネコ姿の時のユーリさんは、実によく眠ると思う。これもいわゆる、ふて寝だろうか?
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今日もマスターは、わたしとユーリさんをイヌネコ姿にして、戯れる時間を楽しんでいた。
「にゃ、にゃ~(ところで主、ふと疑問に思っている事があるのですが)」
寝そべるわたしの腹を枕代わりに、まったりと横たわるマスターの腕の中で、ユーリさんがてしてしとその肉球の一撃を幾度も振るう。ユーリさんのそんな些細な行動にさえ、マスターの眉尻が緩むのはなんとかならないのだろうか。
「どうした、ユーリ?」
「みみ~(私の姿を子ネコにするだけでは飽きたらず、まさかネコ娘になさったりなどは……?)」
「……なんだそりゃ?」
「みぃ(人間の私の頭にネコ耳をくっ付けたり、お尻から尻尾を生やさせたり?)」
「要するに、ユーリさんもわたしと同じように部分変化がしたい、と」
懸命に説明している彼女の発言を要約すると、そういう事だろう。
しかし彼女は、「んにゃうっ!」と、激しい抗議を表明してきた。
「あー、期待させてるところ悪いが、な。
俺が与えた姿の方に、元の体の一部を露出させる事は可能だが、逆は無理だ。あくまでも、ユーリは本体が人間でネコは仮初めの姿だからな」
「み~(それを聞いて安心しました、主……)」
マスターとユーリさんのやり取りを総合すると、つまりユーリさんの現在の子ネコ姿に人間の体の一部を露出させる事が可能、という事になる。
わたしは真剣に、『子ネコ姿に人間の体の一部』のどの部位を付け加えたら利便性が高まるだろうかと、想像を巡らせてみた。
前足を人間の手にしたら細かい作業にも向いているだろうし、首から上を人間の体のままにすれば、簡単に人間とコミュニケーションが取れそうだ。
“……シャル。お前のその、ボケた思考回路と鮮明で詳細な想像図はなんとかならんのか?”
何かいけませんでしたか、マスター?
“明らかに魔物だそんな生物はっ!!”
頭の中がキーンと痛むほど、マスターから厳しいお叱りのお言葉を賜ってしまった。
わたしはただ、より良きしもべとしての後輩の有り様を模索していただけだというのに、何がいけなかったのだろうか。マスターのお考えは時に深遠過ぎて、ついていけれないものがある。
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ふとわたしは気が付いた。
ユーリさんがよく口にする発想の逆転とやらを、今実行してみれば良いのではないだろうか。
鼻面を向ければそちらには、子ネコ姿のユーリさんの頭を撫で回しつつ、「お前は本当に可愛いなあ」などとメロメロな台詞を口にしているマスター。
つまり、ユーリさんを改変するのではなく、マスターの将来のつがいであるエステファニアお嬢様で想像してみれば良いのでは。
わたしはエステファニアお嬢様のお姿を思い描き、彼女の頭にネコ耳を取り付けてみた。ドレスの後ろから、尻尾も覗かせてみる。
……さして強そうな印象は受けない。この姿に、あまり意味は無さそうだ。
「しゃ、シャル……お前……!」
何故か突如として、マスターがわたしのあぎとをガッ! と掴み、真剣な目を向けてきた。
マスターの腕の中から放り出されたユーリさんは、ふうやれやれと溜め息を吐きつつ、こちらのやり取りに無関心そうに絨毯の上に丸くなった。
「どうかなさいましたか、マスター?」
「……な、なんでもないっ……!」
わたしのキョトンとした眼差しに、マスターは首を左右に振って、何かを振り切られたご様子だった。
本当に、我々のマスターは不思議な方である。
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ゆらゆら、ふわふわする。
とても緩やかで、心地の良い空間にわたしは漂っている。
慣れた匂いと共に、前脚に安心する温もりが伝わってくる。
「にー、なぁん(シャルさん、大好き)」
どこかからかそんな声が囁かれて、わたしは心地良い微睡みに落ちてゆく……
――ゆーりはね、ずっとずっとしゃーちゃんのこと、大好きだよ!
――だからしゃーちゃんもゆーりのこと、ずっとずっと大好きでいてね? やくそくね!
ユーリさんが傍らに寄り添っている晩に見る夢は、いつも幸福感に満ちているのだ。