7
ガタゴトガタゴトと、パヴォド伯爵一家に連れられ馬車に揺られてやって来ました、アルバレス侯爵の居城。
領地の境が国境だそうですから、城壁がやけに高いのも頷けます。防衛を考えて作られているんですね。
思えば、パヴォド伯爵の居城が由緒ある広大な古城で、高い塔があったり城壁が高かったり、隠し通路の入り口っぽい場所がある(カルロス談)のも、同じような理由なんでしょう、きっと。
ユーリは最近すっかり慣れてきた抱っこによる移動の間、目の前の建築物を首を限界まで仰け反らせて見上げつつ、そんな事を考えていた。
一言で表すと『うわー、おっきい~』という、田舎者丸出しな感覚である。
城門をくぐって城内へと足を踏み入れると、吹き抜けになっていて広々とした玄関ホールだ。目の前には赤い絨毯が敷かれた大きな階段が、緩やかなカーブを描きながら二階へと繋がっている。
「おお」という声がして、二階から姿を見せた初老の男性が、深い皺を刻んだ顔ににこやかな笑みを浮かべ、ゆっくりとそこを下りてくる。その彼の背後には付き添いだろうか、若々しい青年が続く。
「おお、よく来てくれたのぉ、エスピリディオン殿」
「久々ですね、ドゥイリオ殿」
「うむうむ、細君はほんにいつ見ても麗しい。ご機嫌よう、レディ・フィデリア」
パヴォド伯爵から『ドゥイリオ殿』と呼ばれた初老の紳士は、続いて本日ユーリを抱っこしているネコ好きたるフィデリアに、笑みを深めて彼女が差し出した手の甲に軽い接吻を落とした。
「ご機嫌よう、ドゥイリオのおじさま。お元気そうでわたくしも嬉しゅうございますわ」
ネコを抱っこしている貴婦人に対しても、なんら躊躇いなくこの行動……ドゥイリオのお爺様は、なかなかどうして器の大きい人物のようですねぇ。
ユーリは尻尾を揺らしつつ、じーっと好々爺といった雰囲気を醸し出すドゥイリオを観察する。伯爵一家とやけに親しげな空気の中、グラやエストの成長を喜んでいるようだが、この人は何者なのだろう。
でんっと構える居丈高な貴族というイメージを抱いていたユーリにとって、アットホームなお出迎えをして下さるところが意外なのだが、この初老の男性がアルバレス侯爵家の人間というのは想像に難くない。
玄関ホールでの立ち話から、美しい庭が見渡せる開放的なラウンジへと場所を移し、メイドさんがお茶を淹れてくれる間に、ユーリは続いてチラリと、若い方の男性に視線をやった。
青年のあの亜麻色の髪は、アティリオを彷彿とさせてビミョーな感覚を覚えるのだが、フード付きのマント男とは別人である。
到着早々、お茶とお菓子を頂きながら歓迎のお喋りだなんて、ユーリが想像していたお貴族様の生活とは随分違う。
フィデリアの膝の上に下ろされて同席を果たし、お茶の間もレディの手ずからお菓子の欠片を分けて頂くなどという、来訪側のマナーとしてどうなんですかそれ? と、尋ねたくなるような行動をなさる伯爵夫人。
いや、焼きたてらしきマドレーヌは有り難く食べますけれども。美味しくうまうまです。
そんな私の様子を眺めながら笑う、伯爵閣下とドゥイリオのお爺様が何か怖いです。
「あなたとこうしてお話しするのはお久しぶりですね、エステファニア嬢。
本当にお美しくなられた……こうしてあなたの愛らしいかんばせを、心ゆくまで愛でられる幸運に浴する私は、本当に幸せ者です」
そんな中、当然のようにお茶の席に着いた、アティリオ似ではあるが人間である青年が微笑みながらエストに声を掛けた。
……何か今、このおにーさんの口から、もったいぶったクサい台詞が聞こえてきた気がするのですが。
エストお嬢様のお隣に座られているぐらぐら様、無表情から眉間に皺が寄りだしましたねえ。
エストのレディーズメイドであるセリアや、フィデリアのレディーズメイドらしい年配のメイドさん、それに侯爵家で働いているらしきメイドさん達は席に着かずに背後に控えているのだが、堂々と同席する資格を有するという事は。
まさかこの青年がアルバレス侯爵なのでしょうか……って、普通挨拶するのは身分が高い相手を優先するでしょうから、ドゥイリオさんよりもこのおにーさんが目上って事は無いですよね。
「有り難うございます、ブラウリオ様。ブラウリオ様のような見識の深い方にそんな耳に心地良いばかりのお言葉を頂いてしまったら、わたくしは少しばかり鼻持ちならない娘になってしまいそうですわ」
エストは青年ににっこりと微笑み、喜んでいるのか違うのか、どちらとも取れる返答を返している。
……かの青年の名は、ブラウリオというらしい。パヴォド伯爵家の方々よりも、アルバレス侯爵家の人々は名前が似たり寄ったり過ぎて、ユーリは頭の中がこんがらがって辟易してきた。
もっとスッキリした名前にならないものか。『一太』『二朗』『三夫』とか、どうだろう。
「いいえ、エステファニア嬢。あなたの愛らしさは、間違いなく今年の社交界の話題を攫う事は間違いありません」
三夫もといブラウリオは、尽きることなくにエストに向かっての賛辞を口にしている。
このブラウリオはアルバレス侯爵家の人間らしき事は確定として。ユーリが伯爵の口から聞き及んだところによると、エストへの縁談が持ち上がっているのはこの三夫ではなく、一太もとい、アティリオの筈だ。それなのに何故、こうもあからさまにアルバレス侯爵家の人間である公子が、彼女を女性として非常に好意的に見ている発言を、積極的に繰り出すのか。
「これこれブラウや。あまりにもレディ・エステファニアが可愛らしくて舞い上がるのは分かるが、彼女を困らせるような真似は慎むようにの」
「……ええ、お祖父様。皆様方、失礼しました」
二朗ちゃんことドゥイリオは、若者の暴走とは微笑ましいとばかりに「カッカッカ」と笑って済ませてしまったが、ユーリはどうもあのブラウリオ公子にたいして好感を抱く事が出来ない。
……変なあだ名を考えるより、名前を省略しとこう。
えー、『ドゥイ』のお爺様に『ブラウ』のあんちゃん、と。
ブラウにーちゃんは、ドゥイお爺様の孫なのですか。あまり似ていませんねえ。
一つ嫌なところを見つけると、どんどん芋づる式に嫌気を増していくものだ。
ブラウがエストに向ける眼差しがイヤらしく感じるだとか、仮にも客人であるフィデリアがかいぐりかいぐりしている、明らかに可愛がっている飼いネコっぽいユーリにたいして、不愉快そうな蔑む眼差しを向けてくるだとか。
別に、ネコが嫌いだというのならば仕方が無い話だし、飲み食いする場に連れ込まれては不快だと考えるのも、さして悪い事だとは思わない。
だが、それを客人の前で分かり易く顔に出すというのは、如何なものなのだろうか。
状況的に見て、アルバレス侯爵の爵位を預かっている人物とはドゥイであると思われる。
となると、ブラウはそんな彼の跡を継ぐ人間……という事になるのだろうか。
当代では友好関係を築いている両家だが、次世代を継ぐと思しき青年らの、お互いを見る目がやけに冷たい気がするのは由々しき事態ではなかろうか。
だが、それはそれ、これはこれというものがある。
ぐらぐら様、頑張れ~。
エストお嬢様のお側に、図々しいブラウなんかを近寄らせるなー!
眉間パワーで撃退だー!
無言で冷戦を繰り広げる公子達の戦場において、懸命に応援の念を送るユーリであった。
アルバレス侯爵のお城の客室の中でも、伯爵閣下とフィデリア夫妻に用意されたのはかなり豪華な一室である。
主人達がのんびりとお茶を楽しんでいる間に、連れてきた従僕の皆さんは、必要な荷物などは既にしっかりと運び終えていたらしい。あのまったりティータイムは、下に仕える人間が裏ではバタバタする時間を捻り出す為の行いだったらしい。
お茶を嗜んだ後に、そのままフィデリアに抱っこされて夫妻にあてがわれた寝室にまで連れてこられたユーリは、その広い間取りのお部屋からバルコニーに出ていた。柵の間からふと見下ろせば、気が遠くなりそうな遥か彼方に地面が見える。うっかり滑り落ちでもしたら、などと考えてしまい、ユーリはぶるりと身を震わせた。
そろそろ夕刻に差し掛かるこの時刻、地平線へと日差しは緩やかに吸い込まれていき、世界が黄金と茜を合わせたような色合いに染まる。
小高い丘の上に建てられているこの城の中でも、見晴らしの良い場所を提供されているのだろう。見渡す限りの大パノラマは、夕暮れを渡る鳥達の群れと、美しく輝く湖が望める。
そして、パヴォド伯爵家の居城から眺めた時よりも更に間近に迫る大山脈、レデュハベス。日出る方角にあんな高い山があったら、この城の夜は余所より長いのかもしれない。
今宵のアルバレス侯爵家の居城で開かれる『細やかな歓迎の宴』に出席するべく、華やかな夜会用のドレスに着替えているフィデリア。礼服に改めている伯爵閣下。
そんな彼らのお着替え風景を眺める訳にもいかず、ユーリはこうしてバルコニーに出てきたのだが。
「フィー、君は本当にいつまで経っても美しいね。
この滑らかな肌を他の男の目に触れさせるなど、彼らの心が君の美しさに狂わされてしまうのではないかと、私は心配で気が気でないよ」
「何を言うの、ディオン?
わたくしの胸に住む殿方はあなた1人きり。美しく装いたいのも、あなたの為だけでしてよ」
「君は本当に可愛いよ、私だけの奥さん」
「可愛いのはあなたの方よ、旦那様」
などという、あんたらどこの新婚バカップルですかとツッコミを入れたくなるようないちゃらぶ会話が、絶えず背後から吹き付けてくる。
奥さんのお着替えをせっせと手伝い、頻繁にちゅーを交わしているらしき伯爵閣下。ユーリは断固として背中を向けているので、それとしか考えられない『ちゅっちゅ』という物音から判断している。
これで実は、夫婦2人して可愛らしい音を立てる靴を履いて踏み鳴らしている、という意表を突きまくりな光景だったりしたなら、閣下にたいする忠誠心が『三べん回って「わん」』を喜んで行うほどに上昇する気がします。ネコの喉の限界に挑戦してやりますよ、私!
うふふふ……と、虚ろな笑いを内心浮かべつつ、雄大なる景色に見入るユーリ。
子供達が目の前に居る状態でも、何か激甘空気を平然と構築していらっしゃったご夫婦は、夫婦のプライベート空間に移動してからは益々糖度を上げた会話を繰り広げている。
パヴォド伯爵という人は本当に何を考えていらっしゃるのか、ちっとも見当がつかないユーリである。案外、本心からこの『万年新婚夫婦生活』を楽しんでいるのかもしれない。
「ああ、バルコニーに居たのだね、ユーリ。
こっちへおいで」
と、存分にいちゃらぶを楽しむお着替えタイムがようやく終わったのか、背後からパヴォド伯爵の呼び声がする。
ユーリはクルリと振り向いて家具を避けつつテテテテッと室内を駆け、ソファに腰掛け喉元のクラバットの調節をしているらしき閣下の足下に、ちょこなんとお座りした。
パヴォド伯爵はユーリを両手で掬い上げるようにして自身の膝の上に乗せると、彼女の頭を撫でながら笑った。相変わらず、心構えの無い時に見ると、心臓に悪い笑みだ。
「私達はこれから晩餐に出るが、ユーリは連れてけないからね。
待っている間は寂しいかもしれないが、ここで大人しくお留守番をしているんだよ」
どうやら今夜の晩餐は、伯爵家の家族だけでのお夕飯ではないので、ネコはパーティー会場に連れて行けないらしい。
どうせ重々しい雰囲気の晩餐でも立食パーティーでも、さして興味がある訳ではないユーリであるが、エストの傍を長時間離れるというのは些か問題だ。
特に、エストに気がある素振りを見せたあの、三……もといブラウ公子の動向が気になる。
伯爵閣下はそんな事を考えているユーリの頭を撫でながら、笑う。
唇の端を持ち上げ、ユーリの喉元を指先でくすぐり、
「晩餐会は時間が掛かるからね。それまでちゃ~んと、良い子にしているんだよ、ユーリ?」
そう囁いて、彼女を床へと下ろした。
これは……つまり閣下、『晩餐の間に、お前にどれだけの行動を取れるかは見物だが。私達夫婦が寝室に帰ってくる時間までにやり遂げられるというのならば、留守の間の事には関与せず、知らぬ顔をしておいてやろう』という事ですか……
思いがけず与えられたらしい機会に考え込むユーリに、メイドさんの1人がトレーに乗せたお料理を運んできて、
「ああ、ありがとう。そこへ置いてちょうだいな。
さ、ユーリちゃんのご飯ですわよ」
嬉々としたフィデリアの声によって、思索は中断を余儀なくされた。
床にトレーを置くのではなく、フィデリアはユーリをテーブルの上へと運び、目の前には何かのソースが掛けられたお魚の丸焼き。初めて見るお魚だ。
「さあ、お腹いっぱいお食べなさいね」
「みぃ~」
この後の行動に悩むのはさておき、まずは何はともあれ腹拵えとばかりに、頂きますと一声鳴いてお魚さんにかぶつくユーリであった。
この伯爵家の飼いネコ生活になってから食べるご飯はお魚ばかりなのだが、たまにはお野菜を口にしたいと思うのは人としてしごく自然な考え方ではなかろうか。
もごもごとお魚さんを平らげ、お腹一杯になって眠気に襲われているユーリの頭を一撫でし、
「では、行ってくるよ、ユーリ」
「お母様とお父様はすぐに帰ってきますから、ユーリちゃんは安心してお留守番をしていてちょうだいね」
夫妻はそんな言葉をユーリに掛けてくる。
お夕飯が乗っていたトレーは、ユーリが食事を終えるなりメイドさんの手によって下げられ、汚れた口元はフィデリアがハンカチで丁寧に拭って下さった。有り難いが、いたたまれない。
そんな彼らは、伯爵夫妻の身の回りのお世話を担当しているらしきメイドさん達を引き連れ、すっかりとお支度を調えた麗しの貴婦人の腰に腕を回し、何事かを囁きながら寝室を後にしていった。
私もそろそろ、行動方針を考えなくては……しかし、眠い……
パヴォド伯爵閣下が、アルバレス侯爵家の居城を探索するようユーリに遠回しに仄めかしたのには、何かこの家の人間に疑わしい点がある故と考えられる。そしてそれを彼女の主人であるカルロスに把握させ、彼が動くのを期待しているものと思われる。
もしくは、自分では入手出来ない類の情報を集めてくる事を、ダメ元で期待しているだとか……
眠気を堪えて、よろよろしながらカーテンがそよ風に揺れる大きな窓をくぐり、バルコニーにまで歩いていったユーリは、すっかりと薄暗くなってしまった景色を視界に収めながら白い床にへにょんと横たわった。
……まずは、このバルコニー伝いに他のお部屋に抜けて、出来たら怪しいブラウ公子の真意を探りに……眠い……