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せっかく、主の居ぬ間……というか寝ている間の、使い魔同士水入らずリラックスほのぼのタイムであったというのに、シャルは表情をややしかめて「マスターを起こして下さい」と告げてきた。
カルロスの私室にまで早歩きで駆け付けたシャルは、コンコンとドアを軽くノックするも、中からは返事が無い。
先ほどから、ユーリは懸命に主に向けて念を送っているのだが、それにも全く返事は返ってこない。明らかに、カルロスは熟睡している。
シャルはカチャリと静かにドアを開き、ユーリを室内へと送り込んだ。
「ではユーリさん、マスターを起こして差し上げて下さい。来客の詳細は、その先触れで理解して下さるので。
それでは、わたしはお風呂の用意をして参りますので、少し失礼します」
嫌な役割を振られた!? と、ガガンとショックを受けるユーリの目の前で、ぱたむと閉じられるドア。
未だネコの姿であるユーリでは、カルロスの私室のドアの開閉のみならず、お風呂の用意だって出来ないのだからして、理屈の上では当然の役割分担ではある。
シャルが『先触れ』と称した光る蝶は、何故か先ほどからユーリの耳元に止まったまま微動だにしていない。
花畑から移動する際に、同僚が自らの指先から彼女の耳元に勝手に引っ付けた物だが、これからどうやって情報が引き出せるのだろうか。とても不思議だ。
とはいえ、お客様が来訪されるというのに、家主がぐーすか寝入っていては流石にバツが悪いだろう。
シャルの態度から推察するに、なんだかちょっと、困ったお客様のようだし。
ユーリは勢いをつけてぴょこんとカルロスのベッドに飛び乗り、すーすーと健やかな寝息を立てる主の寝顔を見下ろした。
相変わらず、目を閉じ静かで穏やかな表情をしている彼は、文句のつけようのない美青年である。
主は眠っている姿は天使のようですのに、何故に起きると途端に残念なお方になるのでしょう。異世界の七不思議です。
てちてち、と、頬に軽く肉球パンチを繰り出すも、カルロスは全く起きる気配が無い。
低血圧の性質は無さそうなのだが、だからといって彼は寝起きがすこぶる良いという事も無い。
仕方がなく、体全体を使って全力で頬を押し上げるようにしながら、一心不乱に念じる。
あーるーじーっ! 起きて起きてーっ! 起きて下さーいっ!
“ん~? 眠い起こすなアホネコ吊すぞ”
カルロスの唇はムニャムニャと動いて、意味のなさない唸り声とも呻き声ともつかぬ囁きが漏れただけだったが、明らかに寝ぼけている主からの思念は飛んできた。
お客様が来るんですーっ!
『吊す』とは具体的にどうなるのか不明で不穏な単語であるが、めげずにてちてちてちてちと、連続肉球パンチを繰り出すユーリの利き前足を鬱陶しげに払いのけ、カルロスは不機嫌にパチリと瞼を開いた。ベッドの上に片肘を突いて上半身を起こし、寝乱れた金髪を軽くかきあげて、あふ、と小さく欠伸を漏らす。
そして彼は寝起きの不機嫌さを滲ませたまま、枕元にちょこなんと座り込み、ゆらゆらと尻尾を揺らしながら主を見上げているユーリを睨みつけ……何故か「うっ!?」と、言葉に詰まった。
そしてカルロスはベッドをバフバフと、無言のまま一心に殴りつけだした。いったい何がしたいのか、ユーリにはサッパリ分からない。眠いところを起こされた彼なりの、苛立ち解消法なのだろうか。
「はー……良し、落ち着いた。
さてユーリ、来客が来ると?」
ちょいちょいと軽く手招きされるので素直にユーリが歩み寄ってカルロスの膝に前足を乗せると、主は彼女の耳元から例の蝶を自らの指先に移し、シャルと同じようにしばし無言のままそれをじっと見据える。
「……なるほど、あいつか……面倒くせぇな」
そして幾度か瞬きを繰り返して小さく息をつくなり、実に嫌そうに吐き捨てる。
そんなカルロスが指を軽く振ると、止まっていた蝶は空気に溶けるようにしてゆっくりと消えてしまった。結構綺麗だったのに、残念である。
主、シャルさんが今、お風呂のご用意を調えて下さっています。
「ああ、分かった。
……ユーリ」
はい。
「客が来てる間は、お前は身を隠してろ。決して気取られるな」
承知致しました。
ベッドから降り、ブーツではなく室内履きに足を入れたカルロスは、軽く寝癖のついてしまった髪をまたかきあげつつ、そう命じてきた。
ユーリはそんな主の背中に向かって軽く頭を下げ、承諾の意を表す。
カルロスはそんな忠実なしもべの返答に軽く頷くと、湯を使うべく階下へと降りていった。
……さて、困りました。
出て行く際に主がドアを閉めてしまったので、私は主の私室にうっかりと閉じ込められてしまいましたよ?
ベッドの上に座り込んだまま、ユーリは小首を傾げた。思いがけず、リアル脱出ゲームだ。
別段、カルロスは客人にユーリの存在を知られたくないからと、それならばいっそのこと閉じ込めてしまおうとした、訳ではない。単純に、ドアを閉じたらネコ姿のユーリが出られない、という燦然たる事実を失念しているだけであると思われる。
このまま、カルロスが気紛れにユーリの姿変化の術を解くのを待つか、自力で変化出来るよう頑張ってチャレンジしてみるか。
そうでなければ、ネコの姿のままドアノブを捻る努力をするかの三択となる。
……姿変化の術って、どうやって自分の意志で姿を変えられるのでしょう?
しばらく、ベッドの上でゴロゴロと転がってみたり、一心に『戻れ戻れ』と念じてみたり、ダダーッ! と室内を駆けてみたり、バック転を繰り広げてみたりといった試行錯誤の努力を重ねたユーリは、カルロスの私室のど真ん中の床におもむろにお座りすると、ショボーンとうなだれた。
分・か・ら・ん!
早く人間になりたーい! とばかりに、思いつくまま様々な方法を試してみたものの、ちっとも成果は上がらず、相も変わらずネコのままである。
姿変化のコツは、今度シャルに質問してみるとして……どんどん同僚に尋ねたい項目が増えていくが、あれだけ毎日一緒に過ごしているというのに、ちっとも質問の機会が得られないのは何故だろう。
ともかく、これで残るは『待つ』か『ドアノブの壁に挑む』かの二択。
ふっ……昔の方はこう仰っています。『そこにドアがあるのなら、ノブを回したらイイじゃな~い?』と!
カッ! と目を見開いたユーリは、ドアの下に駆け寄ると、せいやっ! とばかりに大ジャンプを行う。
が、惜しいところでノブにまで前足が届かない! こちらの世界では人々の身長も一様に高いらしく、そんな彼らの背丈に合わせた住居のドアノブもまた、当然のように高い所に位置している。
二度、三度とネコまっしぐらジャンプを行った結果、試行し思考するネコたるユーリは、カルロスのベッドに飛び乗ると、複数乗せられている枕の一つを口に銜えてベッドから落とし、そのままドアの下まで銜えて引っ張っていった。微妙な位置の微調整を行い、助走をつけていざジャーンプッ!
ガチャゴチッ! ……ぼて。
「おや、こんなところにマスターの枕が……
それで、床にゴロッと寝そべってどうなさいました、ユーリさん?」
ユーリが跳んだまさにその瞬間にドアを開いたシャルは、ドアアタックで勢い良く彼女をふっ飛ばし、床に伸びたユーリを満面の笑みで見下ろしてきた。
ワザとですか。偶然ですか。ノックが無かった事実を、私はどうみるべきなんでしょう?
「さて、なんのお話ですか?
わたしはただ、マスターのお着替えを取りに上がってきただけですが」
にっこりと邪気の無い笑みで言い切られ、ユーリは言葉に詰まった。
このほぼ常に笑顔の同僚が、腹の内ではいったい何を考えているのか、全くさっぱり予想がつかないが、再びこの部屋に置いていかれてはたまったものではない。
ガッシとズボンにしがみついてくるユーリを「おやおや」などと呟きつつ再び肩に乗せ、シャルはカルロスの洋服タンスから着替えを取り出し、主の下へと向かった。
因みに、シャルの肩に乗っているユーリ、という構図を目撃した動物好きなご主人様であるカルロスは、
「……なんて羨まっ……!
ユーリ! 今すぐ俺の肩の上に乗れ!」
全裸で湯船につかった状態のまま、水面をバシバシと叩きつつそんな命令を下してきた。
それにはユーリも、そっぽをむいたまま即座に『否』の返事を念じた。
例え主がすっかりと忘れ果てようとも、彼女は年頃の乙女である。
「何故だ! おのれユーリ、使い魔の身の上で主の命に刃向かう気か!?」
たかだか肩の上に乗るかどうかで、えらい剣幕だ。
「マスター、ユーリさんは意外と頻繁に爪を立ててきますから、服を身に着けてから肩に乗せる事をお勧めしますよ?」
「くっ……シャルめ、自分はもう体験済みだからと余裕ぶりやがって……!」
「マスターを出し抜けたというお墨付き、有り難く頂戴致します」
そんなこんなで、お洋服を身に着け風呂から上がってくるなり、カルロスは問答無用でユーリを抱き上げて肩の上に乗せた。
バランスを取るため慌てて爪を出してしがみつくと、即座に「痛いだろうが!」と、怒鳴られて膝の上に乗せられてしまうのだった。
「ね? マスター」
その様子を眺めていたシャルは、それ見たことかと言いたげにクスクスと笑みを零し、カルロスは苦虫を噛み潰したような表情で彼を睨み付けた。
……うちの主と同僚は、本当にいつも仲がよろしいと思います。