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相変わらず、レディ・フィデリアのお膝の上からこんにちは、なユーリです。
むしろここから早く下ろして頂きたいんですが。
いや、かいぐりかいぐりしてくる貴婦人の手付きが乱暴で痛い、って訳ではないです。ただひたすらに、頭上から時折降ってくる閣下の眼差しが怖いのであります……
やってる事も台詞内容も、愛妻を可愛がる旦那なのですが、閣下が堂々とその手の言動をなさると、その本心は全く別のところにありそうな雰囲気が滲み出て本当に怖いです。
ユーリは体を震わせつつ、視線を伯爵令息と令嬢の方へと向けた。
どうやらエストは、たくさん兄弟を持っているらしい。
昨日、フィドルカのお城でちらほらと小耳に挟んだところによるとエストは長女で、妹が1人居るのを除けば残りの兄弟は全員男のようだ。
エストよりも幼い弟妹達はまだ社交界に出られない為、彼らはお城でお留守番である。
そしてこの馬車に乗って王都へと向かっているのが、伯爵夫妻と今年社交界デビューするエスト、そして推定長男の君な訳だが。涼やかな切れ長な目でも可愛らしい垂れ目でもなく、ごく平凡な目つきと、いつ見掛けても不機嫌そうに眉間に皺を寄せた寡黙な推定長男の君は、母譲りの髪と目の色以外は、その性格も他者に抱かせる印象もサッパリ両親と似ていない。
「まあ、グラちゃんったらお母様の体を気遣っていますの?
本当にグラちゃんは心配性ですこと。ウフフフフ」
手の甲を口元にあてがい、笑い声を漏らすフィデリア。
ユーリの目から見ても彼女は若々しい美女だが、既に成人した息子を持つ母親である彼女が、更にこれから子供を出産……というのは、確かに不安になる。こちらの医療水準は今一つ不明なので、なんとも言えないが。
「グラは本当に、昔からお母様っ子だね。もう少しお父様にも懐いてくれても良いのに」
そして伯爵閣下は、ふうやれやれ、と、息子は成長してもいつまで経ってもつれないと言わんばかりに、額に手を当てて軽く溜め息を吐く。
えーと、伯爵閣下。それはつまり、
『お母様のご実家の顔色ばかりを窺っておもねり、父、ひいてはパヴォド伯家の地盤や権威を蔑ろにするつもりか?
なるほど、お前がそのつもりでいるならば、私はお前を後継ぎから外しても構わんのだぞ。お前の代わりは幾らでも居るのだからな、グラ』
という意味でございますか。
因みにこれは、あくまでもこの馬車に同乗しているグラ氏が、本当に長男で跡取りであった場合の推測だ。次男以下であった場合は、これとはまた異なる意訳になる。
『グラ』と呼ばれた推定長男の君は、父親からのそんなお言葉に目に見えて顔色を青褪めさせ、呼び名の通りに馬車の揺れに合わせてグラッグラと身を傾げさせている。
ところで彼の名前は本当に『グラ』で良いのだろうか。愛称か通称の類かもしれない。
「まあ、お父様ったら。わたくし達にとってお母様は、お父様と比べる事も出来ないほど大切な方なのですから、お兄様がご心配なさるのは当然ですわ」
「嬉しいわエストちゃん。
お母様はグラちゃんもエストちゃんも大好きよ」
兄の窮地を救うべく、ころころと明るく笑い声を響かせるエスト。母と娘は向かい合わせの馬車の中で小さく手を握り、フィデリアがにこやかに囁く。
「ほら、よーく見てご覧グラ。これが親子の姿というものだよ。
だから君も、今ここで何をすべきか分かるね?」
「はっ……」
そして伯爵閣下は、にこやかに妻と娘の様子を指し示し、息子に笑顔で『行動で示せ』と威圧しだした。
それにグラはまだ青い顔色の上、更には冷や汗までかきだし、落ち着かずに目はさ迷い、父の意図を汲み取るべく懸命に頭を働かせているようである。
……なんというかあのぐらぐら様、ちょっと可哀想な気がします。
あのパヴォド伯爵閣下の息子として、相応しいかどうかを日々試されているだなんて、どれだけ精神的に気力を削り取られる毎日なのでしょう。
自分も人間として対面していれば、いったいどんな難題をふっかけられていた事か……と、遠い目をしつつ、子ネコ姿は本当に有り難いなどと考えながら、相変わらずフィデリアの膝の上で大人しく丸くなっているユーリ。
しかし、どうやら伯爵閣下が遠回しに何を要求しているのか、グラは本当に見当もつかないようである。
これはあくまでもユーリの推測でしかないが、閣下は具体的に何をしろと命じているのではなく、『伯爵の息子として相応しいとグラが自分で考えて示す』行動がどういったものであるのかを、それによって息子の器を量りたいのではないだろうか。
人生、『これが正解!』という明快な選択肢など少なく、ましてや領地を預かる次期領主ともなれば、発想力や計画力に行動力、突発的なトラブルへの柔軟性をも求められる。
だからこの場合、困り果ててひたすら固まっている、というのはかなり良くない反応ではないかと思うのだが。
ユーリはやれやれと身を起こすと、フィデリアの膝の上からぴょんとジャンプして、グラの膝の上に乗っかった。
「うわっ!?」
急にネコに飛び乗られ、ギョッとした表情で彼女を見下ろしてくるグラ。
眉間の皺や無表情のせいで若々しさは皆無であった伯爵令息だが、どうも間近で見上げてみると彼女よりは年上っぽいが、驚いて目を見開いてくる表情からして、少なくともユーリの主人よりも年下のように見える。
因みにカルロスの年齢は25歳だ。
「あらあら。良かったわねえ、グラちゃん。ユーリちゃんみたいな可愛らしい女の子に懐かれて」
「そうだね、フィー。
グラはどうも無愛想なところがあるから、女の子からは遠巻きにされてしまうからね」
あははは、うふふふ、と、暢気な笑い声を上げる伯爵夫妻。
彼を見上げて「みぃみぃ」と鳴き声を上げるユーリを、無言でしばし見下ろしてきていたグラは、
「その……父上、どうぞ。どうも私は、ネコは……どうも」
もごもごと困惑気味に呟きつつ、ユーリの首根っこを持ち上げて、パヴォド伯爵の方へと差し出した。
……そうきますか、ぐらぐら様。
「ふむ……そうかい?」
やれやれと諦め気味のユーリを受け取った閣下は、彼女を膝に乗せて背中を撫でつつ息子の選択について、吟味しているようである。
たかがネコ一匹と言う無かれ。飛び込んできたモノを、あっさり父親に差し出して場を濁そうとする後継ぎ……私ならちょっと、頼りないって考えてしまいますねえ。
ぐらぐら様は閣下の息子とは思えぬほど、実直で腹芸スキルが低いようです。
そのまま馬車は進み、本日伯爵一家が泊まる休息地である別荘へと到着した。
フィドルカの居城から王都までの旅程は、馬車にゆっくり揺られて約三日ほど掛かる。
無論、休憩抜きでもっと馬車を飛ばせば時間は短縮出来るが、社交シーズン開幕まで余裕を持っての出発の為、別段急を要する訳ではない。
ここは既にパヴォド伯爵領と隣接した、別の貴族が治める土地であるが、閣下や奥方は風光明媚な土地のあちこちに、別荘をお持ちであるようだ。
そして、明日は挨拶がてらそのお貴族様のお屋敷に寄って宿泊し、また移動して次のお貴族様が治める領地を……以下省略。やはり領地がお隣同士だと、それ相応の交流があるのだろう。
貴族同士のお付き合いって、複雑そうです。
あんまり居合わせたくはないですねえ。
ようやくガタゴトと揺れ動く馬車から降りる事が出来、ユーリはホッと安堵の吐息を吐きつつそんな事を考えていた。
「疲れたでしょう、ユーリちゃん?
もうすぐご飯ですからね」
そしてまたしても、ただ今彼女は巡り巡ってエストの腕の中だ。
今夜の晩餐までひとまずそれぞれに休息を取り、日が暮れてから親子4人で揃ってご飯になるらしい。別の馬車に乗って移動してきた従僕やメイドの人々が伯爵一家に寛いで頂くべく動き回り。
エストは優雅に自分の部屋へと足を運び、居間のようなお部屋のソファに落ち着いて、彼女のレディーズメイドであるセリアにお茶を淹れさせている。
この別荘へはよく足を運ぶのか、白を基調とした内装には品があり、続きの間である寝室もまた、エストによく似合っている。
それにしても相変わらず、セリアの仕事ぶりは堂々かつテキパキとしていて、任せて安心、的な自信に満ちた勤務姿勢だ。
シャルさんって私の事、家事すら覚束ないって呆れてるし。
やっぱりこういう、いかにも『仕事の出来る女性』が、シャルさんの好みなんでしょうか……
そんな事を考えつつ、仕事に勤しむセリアの姿を、ひたすらジィーッと目で追い掛け続けるユーリを、エストは眼前に抱き上げた。
「セリアがどうかしましたの?
ああ、ユーリちゃんはセリアに抱っこして貰いたいのかしら?」
お茶のご用意を調え、続いてエストが今夜の晩餐で身に着けるドレスについて考えているセリアの仕事の邪魔をしたい訳ではなかったのだが、お嬢様は自らのレディーズメイドを側に呼びつけてしまう。
「はい、エストお嬢様。いかがなさいましたか?」
「セリア、ユーリちゃんを抱っこしてあげてちょうだい」
このドレスにこのアクセサリーを……いやいや、こちらのドレスの方が……と、真剣な顔つきでいたセリアは、お仕えしているお嬢様からの不可解なお願いに、流石にキョトンとした表情を浮かべた。
「セリア、浮き立つのも分かるけれど、今からその調子では、とても社交シーズンを乗り切れなくてよ?」
「す、すみません……」
そうか、持ってきたドレス広げてあーでもないこーでもないってぶつぶつ言ってたの、セリアさんはしゃいでたんですね、アレ。
差し出されたユーリを恐る恐る抱き取り、撫でてくるセリア。
ユーリとしては複雑な気分であるが、セリア自身はいったいシャルの事をどう思っているのか、是非とも知りたいところである。
もしもし、セリアさん。
あなた、シャルさんの事、どうお考えでいらっしゃいますの?
「ユーリちゃん、そんなにセリアに抱っこされて嬉しいんですの?
良かったわね、セリア」
「人懐っこくて大人しいネコって、可愛いですねエストお嬢様」
「みぃみぃ、みぃ~?」と、大真面目に問い掛けてみたのだが、やはりというか当然というか、エストやセリアには全くユーリの意図が通じていない。
「ついにお嬢様も、社交界にデビューなされるお年になられたのですねえ。わたしも感慨深いです」
「そうね、わたくしも緊張や期待がない交ぜになって……複雑だわ。
ねえ、セリア。あなたはわたくしにかまけてばかりで、社交界にデビューする機会を逃してしまったのではなくて?」
くっ……! と、虚しい現実に黄昏ているユーリをヨソに、お嬢様とメイドさんは真面目な話題を持ち上げていた。
「イヤですよぅ、エストお嬢様ってば! わたしが社交界デビューだなんてしたら……我が家の家計が火の車になっちゃいます。
それにわたしは、お嬢様のお側に居る方が嬉しいです」
「それでもわたくしは、セリアには素敵な旦那様を見付けて幸せになって欲しいわ」
「エストお嬢様がお幸せな結婚をなされたら、その時は考えてみます」
大多数の貴族にとって、社交界は普段は遠方に住まう知り合いと楽しくお喋りをしたり、遊びに興じる場であるが、そこに出入りする未婚の若者達にとっては、結婚相手を見つける場、という面がある。
セリアもまた、社交界デビューしていてもおかしくはなかったというエストの口振りからするに、今でこそ彼女のメイドさんをやっているけれども、セリアは実は貴族のご令嬢なのだろうか。
むむむ……セリアさんの言う『エストお嬢様の幸せな結婚』って、主との事ですよね、きっと?
それでもって、セリアさんも婚家に付いて来たがる素振りと、その後『自分の結婚について考えてみる』って事は……
……セリアさん思いっきり、シャルさんの事結婚相手に考えてるーっ!?
セリアの腕に抱かれたまま、尻尾をガビーン!? と伸ばしてわなわなと震わせているユーリに全く気が付かないまま、エストとセリアは会話を続ける。
「まあ、本当に? それでセリアは、どんな殿方が好みなのかしら」
恋バナに興味があるお年頃なのか、目を輝かせて尋ねるエスト。
それにセリアは「うーん」と考え込み、
「そうですねぇ……やっぱりわたしは、頼もしくて誠実な方が良いですね。
顔がそこそこ整っていて背が高く、いつでも笑顔を振り撒いていて誰にでも良い顔をして、冗談半分に口説き文句を口にしてからかってくるような銀髪の方は、遠慮したいです」
やがて口にしたその一言に、ユーリはんん? と、首を傾げた。
「そうなの? わたくしにも納得はいく言い分だけれど……随分具体的なのね」
「ええ、世の中にはそういう種類の殿方がいらっしゃるんですよ。エストお嬢様も、十分気を付けて下さいね」
ユーリが見上げたセリアは、真剣大真面目な顔をしてお仕えしているお嬢様に諭している。
シャルさん。もしや、セリアさんの目の前で、他の女性にも良い顔したんですか。思いっきり怒っていらっしゃるようですよ。
まさか私に、フォローなんか期待しないで下さいよ?