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閑話 ご主人様から見たわんことにゃんこ そのさん

 

あの『ライオネル君』は、うちのわんこに敵対心や反抗心でも燃やしているのだろうか?

幾度香料採取の憂き目に遭っても、断固として縄張りを移そうとしねえし、シャルの挑発に簡単に乗って水辺におびき寄せられ、取っ組み合いの喧嘩をするし。


目的のブツを無事に入手し、森から帰ってきた俺とユーリは、自宅の調香作業部屋に居た。

シャル? あのアホイヌは相変わらず「口の中が……鼻が、目が……」とか言いつつ風呂場だ。

てめぇ、まだ仕事は残ってんだぞオラ。


香嚢になすり付……採取するべく使用したヘラに付着した香料に、いつものように術を掛けて嵩増しし、溶液で希釈。

この香料はどことなくエキゾチックであり、嗅ぐとふんわりと包み込んでくるような温かみ、それでいて全てを見通せない神秘的な気持ちにさせる。香水にするならば人気の高い香料だ。

相変わらず良い匂いだな『ライオネル君』、さてはお前メスからモテモテだろう。


香水が揮発していく際、ミドルノートでこの香りは変調剤の役割を果たす筈だが……おっと、


「ユーリ、これが『ライオネル君』の香料そのままズバリ、ライオネルだ」

「……そのままズバリ過ぎではないかと思うのです、主」


調合前のそれを嗅ぎ込んだにゃんこは、どこか虚ろな眼差しを明後日の方角へと向け、


「良い香りですね。

ええ、神秘的という単語について審議して頂きたいと、小一時間」


謎の呟きをボソボソと囁く。

そしてふと、にゃんこはカルロスを振り仰いできた。


「それで主。このライオネル君のライオネルを、依頼品の香水に使うと?」

「おう」

「……夜会でその香水を身に付けるのは、ご令嬢方なんですよね、きっと?」

「おう」


カルロスのしっかりとした頷きに、にゃんこは顔を押さえ、くっ! と呻く。

そんな彼女に、基礎的な調合作業を教えてやりつつ。


「使われている原材料の中に、獅子型モンスターのブツから分泌された香料が使われた香水……イヤ、私なら絶対にイヤ……!」

「何を言う、ユーリ。

哺乳類生物の天然動物性香料、好む顧客が多いぜ?」

「それなら主は、動物とはいえオスから分泌された香料を使った香水を、エストお嬢様にプレゼントしたくなりますか!?」


むむ、と眉をしかめながらも、カルロスの指示に従い、正しい配分で香料を調合してゆくユーリ。


エストに贈りたくなるか? と尋ねられればそれは勿論……


「絶対にごめんだな」

「ですよねー」

「エストを彩る香りには、俺だけがあれば良い。他の男は要らん」

「……あ、主の口から独占欲丸出し発言が……

ヤバいです主。うっかりあなた様を崇め奉ってしまいそうです」


俺の正直なところを口にしてみたところ、にゃんこはやたらと嬉しそうに目を潤ませ、頬を染めて笑みを浮かべている。

ご主人様への忠誠心を増すのは大いに結構だが、そういう顔はシャルに向けてやれ。あいつがまた拗ねる。


どうもユーリは、分かり易く直接的な言葉を駆使したアプローチを殊の外好むようだ。

自分にたいしてだけではなく、周囲の色恋沙汰でもそんなやり取りや駆け引きの方を好ましいと感じるらしい。


まあ、マレンジスに再召喚される羽目になった原因が原因だしな。

あんな、散々後を付け回した挙げ句に見当違いに詰ってくるような、気色の悪い男から逃げ惑った後じゃあ、熱心に熱い眼差しを注いでくる寡黙な男なんざ、関わりたがらないか。バーデュロイの気風だと、そんな奴が結構多いんだが……見初めて、親御さんや主人に許しを願い出るのが普通で。

……ユーリと交際したいだとか、あまつさえ嫁に欲しい奴は、俺の許可が必要な訳だが……うちのにゃんこの愛くるしさが分からんような生半可な男や、まともに自覚もしとらんようなアホイヌに、娘は断じてやらん。


「ユーリは余所に行くより、ずっとうちに居る方が良いよな?」


黙々と、教わったベース調合の作業に集中していたにゃんこは、カルロスの唐突な問い掛けに、顔を上げて小首を傾げた。


「余所とうちですか? どちらかというと、そうですねえ」

「そうだよな」


よし、本人の言質はとった。明らかに、こちらの意図を取り違えているが、そんな些細な事実はこの際無視だ。


“お外に出て嫌な目に遭うより、おうちでお仕事している方がやっぱり安心します~。

シャルさんも主も居ますし”


『主好き好きオーラ』が出ているのは構わんが、何故俺よりもシャルの存在が真っ先に優先されて思い浮かぶのか、にゃんこよ。


嘆息しながらも、カルロスは手際良く必要な香料を混ぜ合わせていく。

香料は、調合したばかりの作りたてと、時間が経って十分に馴染んでからでは匂いが変化してしまうので、調合したばかりのベースは最低でも一日は置いておく必要がある。

香水を作るべく、書き起こした処方箋通りに調香した香料も、十日程度日にちを置いて馴染み具合を確認しなくてはならない。

が、その時点でイメージにそぐわないからと、作り直しや香りの調整をしていては、とてもではないが依頼の期日に間に合わない。


「ったく、どいつもこいつも仕事が早いからって、厄介な緊急依頼を押し付けやがって。

俺だってゆっくりじっくり経過を確認したり、時間に余裕を持って仕事を受けたいっつの」


そこでカルロスの特技である魔術が活かされる。

隣室の魔法部屋に移動して、作り上げた香料を小さな結界の中に置き、含まれている水に干渉してより短時間で香料が馴染んでゆくように調整してゆく。


カルロスがバーデュロイに住まう調香師の中でも『仕事が早い』との評判を受けているのは結構な話ではあるが、それだけを期待されて名指しというのも、あまり嬉しくはない。


「おお~、もう香水が出来てる。本当に主の結界術は、何でもありなのではないでしょうか」


ご主人様が魔法部屋に移動した後を付いて来たにゃんこは、背後から拍手と共にそんな皮肉だか賛辞だかを寄越してきた。

仕事で欲しいと思う機能が、実際に使えるように結界術を工夫したからこそ、普段便利に利用しているのだが……


だからって、魔術は万能って訳じゃねえぞ?

まあ、まさかの魔力ゼロ生物な我が家のにゃんこに、魔術理論を教えてやる気は全く起こらんが。お前の場合、『まずは自分の中の魔力を感知して、高めましょう』って、最初の段階で躓くからな。


「今日の調合作業はここまでだ」

「実際に香りを確認しなくても良いのですか?」


完成品の一時保管場所にきちんと香料を置き、クルリと振り返って告げるカルロスに、ユーリはきょとんとした表情を浮かべた。


「俺もネコも、朝から調合してばかりで鼻が麻痺してるからな。香りの判別が正確に出来ん」

「だから、鼻を休める為に多少時間を置くんですね。なるほど」


臭覚は疲労するものである。

調合作業中、ずっと同じ香りばかりを嗅いでいると、段々その香りを感じなくなってきてしまうので、そんな状態で納品するに相応しい品質かどうかを検討する事など出来ない。


「つー訳で風呂だ風呂!

ユーリは今すぐ井戸に行って、新しい水を汲んでこい。

俺は、相変わらず風呂場に居座ってるアホイヌを引きずり出してくる」


そんなカルロスの言に、にゃんこはデカい目を更に見開いた。


「シャルさん、まだお風呂場でブート・ジョロキアの威力にぐったりしてたんですか?

大丈夫でしょうか……」


シャルの名を出され、途端に落ち着きなくソワソワソワソワしだす、バカ正直すぎるユーリを井戸へと水汲みに追い立てて、カルロスは仕事部屋を後にし、ズンズンと廊下を早足で歩いて、風呂場のドアを開け放った。


夕べの残り湯で満たされた浴槽の中に、ぷかりと浮く銀色の巨大毛玉が一つ。


まさかあのアホイヌ、唐辛子で口や目をやられて、痛みで気を失ってんじゃねえだろうな。溺れるぞ?


「おーい、シャル? 風呂入るからそこ退けー。

まだ痛むなら、治癒の術を……」


呼び掛けながらシャルの鼻面を覗き込んだカルロスは、ハッと息を飲んだ。


「シャル、お前……!」

「申し訳ありません、マスター……唐辛子のせいで、兆候を見落としていたようです……」


浴槽の縁に顔を乗せ、弱々しく囁くシャル。

その銀色の毛並みは艶を失い、鼻は乾いてひび割れ……特に目の損傷が激しい。カルロスは問答無用でわんこの膜を操り、人間バージョンに変化させた。

まだしも安定性が高い筈の青年の姿でも、皮膚はかぶれたかのように赤く爛れていて。シャルは疲れたように、目を閉じた。


「あ、主……」


仕切りである塀の方から、ガッ、バシャッ! という水音と共に、ユーリの驚いた声がした。

風呂場と裏庭を繋げる、塀に取り付けられたドアを開け放ち、空っぽの両手を体の前に差し出した体勢のまま彼女は固まっている。桶を取り落としたのだろう、せっかく汲んだ井戸水が辺りに撒き散らされてしまっていた。


多少は体重が軽くなったわんこを、浴槽から引っ張り出すようにして背負ったカルロスは、


「水が零れてるぞアホネコ。汲み直して来い」

「しゃ、シャルさんは大丈夫なんですか!?」


平静を装ってにゃんこを遠ざけようとしたのだが、彼女は濡れるのも構わず駆け寄ってくる。

カルロスは素早く頭の中を回転させて、彼女に真実を告げるべきかどうかを……


“彼女には言わないで下さい”


意識が朦朧としている本人から、詳しい事情説明を拒否したがる思念が飛んできた。

全く、手の掛かるわんこである。


「見ての通り、あー、お前の世界にもあるだろう、『アレルギー』? 反応。

どーやらシャルは、ブート・ジョロキアを浴びると、ちょっぴり肌荒れを起こすらしい。治療してやらねえとな」


ユーリはその説明で、大いに得心がいったようである。

人間バージョンであるシャルの裸身を、あまりジロジロと眺めようとしない羞恥心と、更に好都合な事に、彼女の世界では似た症状を引き起こしていて誤魔化せる、有名な病名が存在していてくれて助かった。


体を拭いていないシャルからポタポタと雫が滴り落ちて床が濡れるが、後で気を利かせたユーリが綺麗にしてくれるだろう。

しかし、このわんこはおんぶして運ぶのもやたら重たい。こういう時、シャルの人間バージョンの姿を自分の身長よりも高い青年の姿に設定した事を軽く後悔してしまう。

とはいえ、本人が『使い易い』と大いに気に入っているので、変更もしにくいのだが。


先ほど出て来たばかりの仕事部屋のドアを開け、魔法部屋に直行してシャルを横たわらせた陣を、治癒の術式で発動させる。

気休めでしかないが、やらないよりはマシだ。


治癒が効いてきたのか、シャルはぼんやりと瞼を開き、何も映していない瞳を虚ろにさ迷わせた。

カサカサに乾いてひび割れ、じくじくと血が滲み出てくる唇が微かに動く。


「マスター……」

「シャル、苦しいんだろ?

あっちに戻った方が良くないか?」


“嫌”


カルロスの提案を、シャルは即座に拒絶する。

弱っているせいで、精神壁が殆どなくなったわんこ。彼の脳裏には、あちら……シャルの故郷の風景が思い浮かんでいた。


二つの巨大な太陽が浮かぶ、雲一つ浮かばないどこまでも青いだけの空。カラカラに乾ききった赤茶色の固い大地が、デコボコした地平線の彼方まで続く。

雑草の一本も生えておらず、どこまで駆けていっても動くモノも草木も何一つ見当たらない、荒涼とした熱気だけが満ちる世界……


“嫌です、あそこにはもう行きたくない”


「そうか……」


どれほど苦痛を伴おうとも、こちらに留まりたいと訴えてくるシャルの声ならぬ声に、カルロスは頷くしか出来なかった。


シャルの身を数年程度の周期で襲うこの現象は、決して『アレルギー』などではない。

どんな術でも永遠に効力が続く事など有り得ないし、結界術を維持する為には、定期的に補修したり新しくかけ直す必要がある。そして、使い魔の身を守る外殻膜もまた、結界術の一種であるからには、補修や張り直しをしなくてはならない。


『本契約』を交わしたユーリは完全にカルロスに属する存在である為、主人からの魔力の浸透性が高い。いつでも簡単に外殻膜の修正が行える上に、カルロスがただ軽く彼女の頭に触れるだけで、外殻膜は勝手に自己修復されてゆく。


しかし、『仮契約』状態であるシャルはその魂を完全にカルロスに従属させた存在ではない。対等であるという事は、馴染まず反発する要素をも内包しているという事。

シャルの外殻膜は決して自己修復などせず、一度全て剥がれ落ちた後に新しく張り直さなくてはならない。だが、時間をかけて中途半端に剥がれ落ちてゆく際に、この世界の空気が容赦なくシャルを苦しめる。

強引に剥ぎ取ってしまえば、それはそれで治りきっていない瘡蓋を無理やり剥がすようなもので、シャルに激痛を与えてしまう。


元の世界に戻れば、外殻膜が剥がれてゆく緩慢なその苦痛からは簡単に解放されるのだが、このわんこの故郷はとてもではないが、骨休めに気楽に里帰り……なんて環境ではない。本人は本気で厭っているし。


そうなると、こうして治癒の術をかけてやりながら、傍らでわんこに新しい外殻膜を張れるタイミングを待つ事しかカルロスには出来ない。

しかし何を思ったか、シャルが唐突にイヌバージョンに戻った。


「シャル、人間バージョンでいる方が治癒も効きやすいし、完全に外殻膜が剥がれ落ちた瞬間が見極めやすいぞ?」


“嫌です”


またしてもシャルから、思念による拒絶の意志が飛んできた。

最近の我が家のわんこは、もしや反抗期なのだろうか。


“あの姿だと、ぷいっだから嫌です”


意識が混濁しているのか、カルロスに話し掛けているつもりは無いのか、シャルが何を言っているのかいまいち意味が分からない。


わんこの思考を探ってみると、子ネコ姿のユーリがぷいとそっぽを向いていたり、人間の姿のユーリが後退って顔を背けたりしていた。

かと思えば、イヌバージョンのシャルの前脚を枕代わりに寝入っている子ネコ姿のユーリや、満面の笑みでイヌバージョンシャルに抱き付いてくる、人間の姿で真っ裸のユー……カルロスは慌ててシャルの回想録の追跡を終了した。


このアホイヌがっ! こんな時にいったい何を考えてるんだ!?

いや、シャル的にはにゃんこが服を着ていようがいまいが、頓着しねえんだろうがっ。


紳士として、お年頃であるにゃんこの素肌を暴き立てるような真似などせず、着替えや風呂を覗こうなどと考えた事も無かったというのに、予想外のところでにゃんこの真っ裸を目撃する羽目になってしまった。

そして以前予想した通り、彼女の裸身を見ても性的な興奮は全く覚えなかったが、見てはいけないものを見てしまったような、深い罪悪感が。


これはあれか。

あくまでも不可抗力だが、万が一本人に知られたら娘から「ぱぱ不潔!」って嫌われちまう! つう、父親の心理か?


独身であり、若い身空でありながら、年頃の娘を持つ父親の心情を味わってしまったカルロスは、遠い眼差しを向けながら頭を抱えた。


“脆弱なユーリさんにはこんな痛みなんて、到底耐えられないでしょうし。

彼女には起こらない現象なんですから、知る必要もないです”


「そうか……」


ゆっくりと、眠るように緩やかに意識を失ってゆきながら、わんこはそんな思念を飛ばしてきた。

銀色のデカいわんこの寝顔を見つめながら、カルロスは独り言ちる。


「お前ももう少し、普段から素直になれれば良いんだがな」


何よりも気になるのは、このわんこはそんな風にずっとにゃんこを気にしまくっているくせに、何故その状態から明白な事実に思い至らないのか、という事だ。

異種族という前提は、そんなに絶対的なものなのだろうか?


そんな疑問からカルロスが小さく溜め息を吐いた時、コンコンと、小さくドアがノックされて、ドアの向こうからユーリが声をかけてきた。


「あの、主。お風呂沸きました」

「ああ、今行く」


チラリとわんこの様子を確認するが、治癒の術のお陰か小康状態を保っており、彼のお腹は規則正しく上下して眠りに就いている。

シャルの目が覚めた時に、カルロスから調香後の強烈な匂いがしていては不快だろうから、どちらにせよ風呂には入っておかなくては。


カルロスが魔法部屋のドアを開けて出てくると、にゃんこはひどく心配そうに室内の様子を覗き込むような仕草をみせた。

その頭に、ポムと手を置いてやると、彼女は素直にカルロスを見上げてくる。


「お前の方は、体調不良なんかは無いか?」

「私は大丈夫です。元気モリモリです」


小声ながら、そんな溌剌とした返事が返ってくる。

にゃんこの外殻膜の表面に見えた、後一年ほどそのまま放置すれば微かなヒビにでもなりそうな、本当にほんの僅かな捩れは、カルロスの目の前であっという間に直ってゆく。


これが、仮契約と本契約の違い、か……


再びシャルの側に付き添ってやるべく、カルロスは急ぎ足で風呂場へと足を向けた。



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