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シャルの予想外な一面に拗ねて、花壇でふて寝を決め込むユーリの様子を気遣いながらも、エストと短くも暖かい逢瀬の一時を楽しんだカルロス。
ようやく寒く厳しい冬を乗り切ったというのに、春先はカルロスの仕事が忙しかったせいで、満足に2人きりになる暇も無いまま。
後数日もすれば、エストは父伯爵に連れられ王都へ出発し、社交界シーズンが幕を開けてしまう。そうなれば、またしても2人は離れ離れになり、ゆっくり会う事もままならなくなるだろう。
のそのそと花壇から顔だけ出し、ユーリは短い時間を大切に過ごす2人の姿を、ぼんやりと眺めていた。
お茶を共に楽しみ、しかしそろそろ……と、お互いにスケジュールは詰め込まれており、次の予定をこなすべく、ラブラブな雰囲気を周囲に振り撒きながら別れを惜しむ2人。
そんなお嬢様と魔法使いの恋物語の一場面を、グッと拳を握り締めながらうっとりと眺めるエストのレディーズメイド・セリア。
お似合いな男女がどこか甘い雰囲気を醸す光景を眺めるというのは、乙女の胸がきゅんきゅんとときめく、平凡な日常に潜む最高の娯楽のようなものだ。ユーリにもその感覚は非常によく分かる。
しかし本日、彼女は新たなる真理を見出した。
『ただし、男性の方に心惹かれていない場合に限る』
カルロスがいかにエストと甘い雰囲気になろうが、口説こうが髪を撫でようが、悪漢の魔の手から華麗に救出しようが、ユーリは『キャーッ! 主ってば大胆ーっ! イカスーッ!』で、興奮して拍手して讃えて終わるが、それらがシャルに置き換えられると、あら不思議。ムカつきが止まりませんよ?
再びカルロスに抱えられて城、そしてフィドルカの街を出て、イヌバージョンになったシャルに乗ってグリューユの森へと帰還した。
大空を移動中、カルロスという重たい荷物を背負いつつ、懸命に羽ばたいているシャルの背中の毛並みに、えいえいと肉球パンチを繰り出してみたものの、仕方がないとはいえ彼には全く堪えた様子が無いのも、何か気が晴れないユーリである。
おうちに帰って一息入れると、元の姿に戻ったユーリと、改めて人間バージョンになったシャルと共に、カルロスは仕事部屋へと向かった。
一階にあるカルロスの仕事部屋は、三部屋からなる。
調香や調合を行う為の作業部屋と、何らかの魔術を使う為に必要なのだと思われる魔法陣が、床一面に描かれている部屋。
そして、素材や香料が仕舞われているお部屋。
火事現場となったおもちゃ屋さんの倉庫からユーリが召喚された際、目が覚めた時にもここの魔法陣の上に寝かされていたので、恐らくは自宅の結界構築専用という訳ではなく、召喚その他諸々の魔術をサポートする汎用性を兼ね備えているのだろう。
以前、調合のお仕事のお手伝いの際、事前に注意を受けていたにも関わらず、うっかりとカルロスの大事な仕事道具を一つぶっ壊してしまった。その時のカルロスの怒り具合は、非常に恐ろしかった……いや、思い出すまい。
そのせいで、それ以来ユーリはこのお仕事部屋には出入り禁止を食らっていたのだが、主はあまりの仕事量の多さに背に腹は代えられないと、素人ユーリも使う気になったらしい。
「これぞまさに、『ネコの手も借りたい』状態ってやつですね!」
「悦に入ってねえで、とっとと動けアホネコ。お前は隣の部屋で必要な香料を揃える。
シャルはひたすらベース作り」
うむうむ、と、頷いているユーリの眼前に、必要な香料がずらりと走り書きされた紙が翳された。
素直にそれを受け取って、カルロスと共に隣室の材料棚に向かう。室内に天井まで届く棚を五つも並べ、その全てに香料の瓶がギッシリと並べられている様は、ある意味とてつもなく圧巻だ。
「俺は奥から探すから、お前は手前からな」
カルロスの指示に従い、梯子を使って一番上の棚から一つ一つ、香料のラベルを確認しつつ、棚を探す。
ひたすら探す。
とにかく探す。
「あの……主」
「なんだ」
黙々とラベルを確認するものの、中々符合する目的の香料が見付からない。オマケに、一つの段に数十種類の香料が隙間なく押し込まれている。
「この香料って、いったいこの部屋に何種類あるんですか?」
「さあ? 数えた事はねえな。
地下で冷やしてる素材を含めると、軽く二千ぐらいはいくんじゃねえか?」
に・せ・ん!?
ご主人様の軽~いお答えに、ユーリは梯子の上でぐらりとよろめきかけた。この家には地下室まで存在していたという、驚愕の新事実も発覚。
「まさか、主はその全ての香りを記憶していらっしゃる、と?」
「当然だろうが。
お前も品質の高い香りを嗅ぎこめ。そして頭に叩き込め。
なあに、嗅覚ってのは過去の情景や記憶も付随して覚えるもんで、同じ匂いを嗅げばしっかり思い出せる」
「お、鬼ですか主……」
日本での就職難なご時世から、楽々と住み込みなお勤め先に就けた的感覚でのほほんと暮らしていたユーリに、業務上の必要知識が求められる事となった。
働くというのは、中々に甘くない。
「この何百何千とある香料の中から、目的のブツを見つけ出す、ってのがまた大変でな……」
「主……」
何故だろう、棚の向こう側から聞こえてくるカルロスの力無いお言葉に、涙が禁じ得ない。
「あまりの量とゴチャゴチャっぷりにブチ切れて、丸一日中、掃除や整理に費やしたりした事も数知れず……」
「あ、あるじ……」
「オマケにほれ、頼みの綱のシャルは滅茶苦茶鼻が良いだろ? それが逆に、あいつをこの部屋へは入れられないって事に」
「作業部屋もこの部屋も、別にそんなに匂いませんけど?」
「人間のお前にはな。それに、換気用の術も徹底してあるし。
シャルが初めてここに入った途端……」
気まずいのかふと言葉を切るカルロスに、ユーリは「入った途端に?」と、続きを話して欲しいとワクワクと促す。
「あまりの強烈な匂いに、白目剥いて泡吹いてぶっ倒れた」
「あるじぃぃっ!」
嗅覚が非常に優れているというのも、善し悪しである。
ある程度必要な香料を取り出して、作業部屋へと戻ったユーリが目にしたシャルは、防毒マスクを彷彿とさせるブツを顔に被り、無心に様々な香料をスポイトのような小さな器具で少量吸い上げて混ぜ合わせ……という、非常に繊細な作業を行っていた。
香料は単品で香水となる事は殆ど無く、様々な香料を混ぜ合わせたベースを更に配合して、創り出したい香りを生み出すのだそうだ。
「それであの、シャルさんのその顔の覆面? はいったい……」
「匂いを遮断する為の物ですよ、もちろん」
ベース作りの作業はカルロスから頻繁に命じられるのだそうで、ふふふふふ……と、どこかヤケっぱちのような笑い声が、マスク越しにくぐもって漏れ出る。
「シャル、そっちのベースを作ったら、次はこっちのベースな、フローラル系は作り置きだけじゃあ在庫数少ねえんだよ」
カルロスは『そっち』『こっち』などと口にしているものの、特に何かを指し示している素振りは無い。どんなアバウト命令だ、と少し呆れてしまったが、ふと気が付いた。
恐らく、カルロスは作って欲しい香りのイメージを脳内に思い浮かべ、それをテレパスでシャルに直接伝えているのだ。嗅げば記憶と一緒に云々言っていたし、口でベースの名称を伝えるよりその方が手っ取り早いのかもしれない。
「ユーリはまた香料棚からこれを探して来い」
そしてカルロスから更に探し物の紙を渡され、ユーリは溜め息混じりにそれを受け取った。
一つのベースを作り出すのに、香料を何十種類と混ぜ合わせる必要があるのだ。
換気設備がしっかりしているにも関わらず、様々な香りが立ち上って混じり合う、物凄い強烈な匂いが充満しだした作業部屋。
ひたすらにしらみつぶしに棚を当たったユーリが、目的の香料が幾つか見当たらない事を告げると、カルロスは頭を抱えたり前庭に駆け出して花畑から必要なお花を刈り取って来て、お隣の魔法陣が描かれた魔法部屋で、魔法による蒸留作業を行ったりしていた。
ガラスの容器を置いた魔法陣の真ん中に立ち、水蒸気に包まれた花が光に包まれながら空中で舞うようにクルクルと揺れ動き、やがて花は姿を変え大量の液体となってガラスの中へと注がれていく光景には、何か魔術の美しさを益々見た気がする。
花から天然の香料である精油を取り出す為には、何十キロもの花が必要だというのがユーリの地球での知識だが、カルロスは容積を膨張させる魔術? を駆使する事で、一本のお花から大量の精油を抽出するらしい。道理で、精油抽出用に育てているにしては量より種類な訳だ。
これも、完全に天然モノとは言い難い、魔術を使った合成香料の一種になるのだろうか。
華麗なるパフォーマンスを見たとばかりに感心しているユーリをヨソに、忙しなく調合作業に戻ったカルロスがそのまま放置していった道具類を後片付けしつつ、ユーリはふと室内を見回して懐かしい気分になった。
この部屋は、ユーリがマレンジスにやって来て、初めて目にした場所だ。
無論、それ以前の記憶の彼方に飛んだ幼少期にも召喚されていたのだが、そちらは詳細を覚えていないのだから、ユーリにとってはこの部屋が始まりの場所だ。
カルロスの魔術の発動によって輝いていた魔法陣は、ふうっと光を消してゆく。その光を何気なく追い掛けていたユーリは、部屋の隅っこに小さな箱が置いてある事に気が付いた。近寄ってマジマジと眺めてみると、一抱え程の大きさで長方形の、蓋付きの物入れのように見えるが、魔法部屋に物入れ……何かそぐわない。
この家の場合、開けてはならない類の箱ならば結界によって厳重に閉じられているので、ユーリは好奇心から何気なくその蓋を開いてみる。
作業部屋の強烈な匂いで段々麻痺していた筈の鼻が、煙の匂いを嗅いだような気がした。
青いミニスカートに、襟や袖にフリルをあしらった半袖の白いブラウス、バイト先の制服である薄桃色のエプロンが仕舞われていた。それらの衣服には焼け焦げた跡が目立つが、奇跡的にエプロンのポケットは全くの無傷で、中身を探るとお財布やケータイ、ロッカーの鍵などの貴重品がそのまま入っていた。
「ああ……私、うつ伏せで倒れてたから、ポケットの中身は無傷なんですね」
ケータイを取り出して開き、バイト中はOFFにしていた電源を入れてみた。読み込みの待機状態の後に待ち受け画面が現れた。バッテリーがまだ残っていたのには驚いたが、電波マークが圏外なのはお約束か。
ふむ、と独り言を漏らしつつ、ケータイの電源を切って再びエプロンのポケットに仕舞い、こちらの世界にやって来た際に着ていた衣服と下着を、ユーリは元通り箱の中に戻した。
あの主が、異世界の物とはいえ女性用の下着を、どんな顔をしながらこの箱の中に仕舞い込んだのか、想像すると笑えてくる。まさかとは思うが、シャルにそれを任せていたとしたらどうしよう。
恐らく、火傷の治療を兼ねてユーリを子ネコ姿に変化させたカルロスは、彼女がマレンジスに持ち込んだ私物を全てここに仕舞っておいたのだろう。
後頭部をさすってみるが全く痛みは無いし、肌に火傷の跡などユーリの知る限り何処にも無い。その高い治療効果には心底感心するばかりである。
しかし、主や同僚がユーリの持ち込んだ私物について、一言も教えておいてくれなかったのは、何故なのだろうか。
そんな風に首を傾げたユーリであったが、火傷の治療を終えて子ネコ姿で目覚めた彼女が、自分の着ていた服について全く言及しないので、あの2人は服をここに仕舞い込んだという事を、ユーリに伝え忘れているのではないのだろうかという想像が過ぎる。
意外と抜けているところがある主従なだけに、可能性大だ。
「それにしても……どうしてこれがここにあるんでしょう?」
服が入っている箱の中で一際異彩を放つそれを引っ張り出し、矯めつ眇めつしつつ、ユーリは首を傾げた。
彼女がバイトしていた先の倉庫に、確かにそれは夏の在庫として大量に存在していたし、背中からぶつかった棚も多分、季節商品ラックだったと思う。
ユーリはてっきり、ネコ姿に変えられて身一つで異世界へやって来たのだとばかり思っていたので、元の世界から着てきた服があるなど思ってもいなかったし、おもちゃ屋さんの在庫を巻き添えにして召喚されていたなどと、今まで考えてもみなかった事だ。
「つまり私……バイト先から万引き状態!」
「いつまで遊んでる気だアホネコ!
お前は今すぐ、風呂と夕飯の用意!」
今まで、無遅刻無欠勤、犯罪に手を染めた事など皆無なまっさら人間だったのに! と、さめざめと嘆くユーリに、ドアの向こうからカルロスの苛立った怒声が飛んできたのであった。