表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
30/168

 

調香師と呼ばれるお仕事は、大別すると主に二通りに分かれる。食品香料 (フレーバー)を作り出す者と、香粧品香料 (フレグランス)を作る者。

ユーリの主であるカルロスは後者で、仕事部屋の棚には多種多様な香料が仕舞ってあり、植物の精油で手に入りにくいものは前庭を改装して花畑に改装し、自ら育てる程だ。


フィドルカの街に存在する装飾品を扱う店に、カルロスが世話になっているという仲介人は勤めている。

地球での調香師の仕事風景といえば、科学薬品や化粧品関係の会社で研究室に籠もり、様々な香り研究をしている人、というイメージしか持たないユーリであるが、マレンジスでは依頼主が直接調香師を訪ねたり呼びつけてあれこれと注文を付けるのは、ままある事のようだ。


しかし、毎度毎度ご機嫌伺いよろしく顧客の家にまで出向くほどカルロスは時間に余裕のある生活を送っている訳ではないので、仲介人が間に立つ。

依頼人の具体的な希望、依頼人の容姿やその人に似合う香りのイメージなどを纏めておき、調香師に託す。カルロスはそれを受けて香水を作り、仲介人に渡す。


オーダーメイドだけではなく、装飾品の店の棚にはカルロスが作った香水も並べられていて、そちらを買っていくご婦人も多いのだとか。


店の裏手の小さなお部屋で、仲介人の紳士と差し向かいで腰掛け、彼が差し出してきた依頼書をペラペラと捲って中身にザッと目を通したカルロスは、ふむ……と、小さく吐息を漏らした。


「やけに夜会向けの華やかな香りを求めてる客が多いな。

しかも、使用者の年齢層がほぼ十代半ば?」


相変わらず子ネコ姿のままのユーリは、主の背後に控えているシャルに託されそうになったのだが、ぷいとそっぽを向いてイスに座ったカルロスの膝の上に飛び乗り、ただ今丸くなっていた。

ご主人様がお仕事のお話をしている間中、シャルの腕の中や肩の上におらねばならぬなど、落ち着く事も出来ず、ユーリの心臓が持たない。


「全てシーズンに備えて、でしょう」

「シーズンって……もう殆ど時間ねえじゃねえか」

「ええ。カルロスさんは、急な緊急依頼でもきっちりと良質な品を仕上げてくると、夫人方から評判になっているようで」

「……おい、いくら俺でも、今からシーズン開始までにこの数、納得のいく香水を作るのはまず無理だぞ?」


仲介人とカルロスは依頼書の紙を捲りつつ、何やら主は無理難題を押し付けられそうになっているらしい。


シーズンって……社交界シーズンの事でしょうか?

向こうでは真夏でしたが、こちらはやけに涼しく過ごしやすいと思っていました。もうすぐ社交界シーズンって事は、え、まさか今って冬!?


“今は春だアホネコ”


この過ごしやすい気温で冬なのか!?と、驚愕と真夏への脅威に硬直していたユーリへ、ご主人様から短くテレパスツッコミが入った。

地球での社交界シーズンといえば、イギリスの春先から夏にかけての、ロンドンに貴族や上流階級が集まる連日の催しという印象が強いユーリだった。が、バーデュロイでの貴族達が王都に集まる社交界シーズンの時期とは、春の終わりから夏いっぱいまで続くものらしい。


「ええ、ですから期日はこの日までで、品も新しい香りを考案するのではなく、ある程度絞って頂きました」

「……今月末までか……」


カルロスは仲介人に話し掛けるのではなく、独り言のように小さく「デビュタントに間に合うか?」と呟いた。

誰か社交界デビューするのだろうか? と、ふとした疑問を抱いたが、そんなものは考えるまでもない。この主が気にかける相手など、愛しのエステファニア伯爵令嬢の事に決まっている。



カルロスは装飾品を扱うお店や通りで最近の流行をリサーチしつつ、そのまま領主のお城へと足を運んだ。

正面の城門ではなく、使用人が出入りする際に使用するお勝手的な裏門を潜って顔見知りらしい人々と挨拶を交わし、エストのスケジュールを確認。

元・子守であろうが、現在は外部の人間だ。


仮にも男性である主が伯爵令嬢に会いたいと申し出て、そう簡単に会えるものなのでしょうか?


「……あ、いたいた、カルロスさん!」

「よお、セリア」


ちょっぴりハラハラしているユーリの内心などお構いなしに、お城の中を堂々と歩き、勝手知ったるとばかりに全く物怖じせず廊下を突っ切っていたカルロスとそれに従うシャルは、前方から走ってきたメイド服のお姉さんから手を振りながら呼び止められた。


“彼女はエストのレディーズメイドのセリアだ”


何か見覚えのある人だな……と、まじまじと金茶色の髪に榛色の瞳を持つ彼女の顔を眺めていると、カルロスから簡単な紹介が入った。

レディーズメイドとは、レディーに専属で付けられるメイドさんで、身の回りの世話や宝飾品の管理も任される役職の人だ。いわゆる上級使用人である。

どこで見掛けたのだろうと思ったが、前回このお城に来た際に、エストの部屋に居た若い方のメイドさんだ。


「もう、急に今日の午後に来るだなんて連絡をくれるんですもん。慌てて調整しなきゃだし、びっくりしちゃいましたよ」

「はは、そりゃ悪かったなセリア」

「ちゃーんと、エストお嬢様に会えるよう、お茶の時間を空けておきましたからね? 感謝して下さいよ?」

「おう、いつもありがとさん」


カルロスの前に立ったセリアは、ぷうと頬を膨らませて「心が籠もってなーい」などと拗ねている。

と、カルロスの背後に控えていたシャルがスッと歩み出て、そんな彼女へと笑みを浮かべ、


「お久しぶりです、セリアさん。

久々にお会い出来たのですから、そんなに難しい顔をせず、あなたの可愛らしい微笑みをわたしに見せてくれませんか?」

「う、あ、しゃ、シャルさん……」


セリアはシャルの顔を見上げて頬を染め、声にならないのか唇を小さくパクパクとさせ、ぎこちなく視線を逸らした。


……ちょっと待て。

なんですかこれなんですかそれなんですかこの情景ーっ!?

シャルさんが人間に向ける興味って、主だけ別格で『ご飯として美味しそうか否か』じゃないんですかーっ!?

いや、エストお嬢様の事も好意的ぽかったけど!


“あー、落ち着けユーリ。

シャルが女性に口にするこの手の台詞は、いわば単なる社交辞令だ。

婆さんにも挨拶と『綺麗だ』云々言ってただろうが”


どっからどう見ても、口説いてるようにしか見えません!

だいたい、シャルさん私にはそんな甘~い台詞なんか、囁いてくれないじゃないですか……


「そ、その。シャルさん、少し近いので……」

「ああ、すみません。

無意識のうちに、今までセリアさんと離れていた分を取り戻したくなっていたようです」


セリアは恥ずかしげに顔に手を当ててそっと俯き、彼女の顔を覗き込むようにしていたシャルは、一歩後退って距離を取ると、カルロスとユーリの方へと微笑みかけてくる。

その勝ち誇ったような自慢げな表情に、ユーリは頭を殴られたような、深い衝撃を受けた。


……シャルさんが、女ったらしだったなんて女ったらしだったなんて女ったらしだったなんて……!

人間には興味ないくせに、いたずらに女心を弄ぶ遊び人だったなんて……!


百歩……いや、一億歩ほど譲って、シャルが種族を越えてセリアに気があるのだとしよう。

それはかなりムカッとはくるが、セリアは自分よりも先に彼に出会っていたのは事実だし、彼女がシャルの本来の姿を知っているかいないかは別として、彼の心は自由だ。それはもう仕方が無い事。

だが……だが、これっぽっちもそんな気になる可能性などありはしないくせに、甘い台詞を口にして惑わすような素振りをみせるなど、断じて許し難い。

それがシャルの種族の流儀だとか、バーデュロイでの正しいスタイルだとか言われたとしても、とうてい納得などいかない。


ああ……私って、こんなに嫉妬深かったんだなあ……


額に手を当てて小さく溜め息を吐くカルロスと、そんな主人をきょとんとした表情で見詰めるシャル。

そんな彼らの姿も、まだほんのりと頬を赤く染めたままエストの下へ案内するべく先導するセリアの姿も見たくなくて、ユーリは主の胸元に顔を擦り付け、目を伏せた。


きっと、シャルではない別の誰かが女の子に甘い態度を見せていたなら、ユーリはここまで過剰反応したりなどしなかったに違いない。

彼から一度たりとも『可愛い』とか『綺麗です』とか言われたりした事がないからこそ、そして何よりユーリにとってシャルが特別だからこそ、これほど深いショックを受けたのだ。


庭の奥まった場所にある四阿で待っていたエストと、短い逢瀬を楽しむカルロスの様子を、今のユーリには微笑ましく眺める余裕もない。

屋外でお茶の支度をするセリアの手付きはテキパキと頼もしいし、シャルはシャルでそんな彼女を手伝いつつ、カルロスとエストの仲睦まじい様子を見るのが嬉しそうだ。


四阿でエストの隣に腰を下ろしたカルロスは、そのままユーリを膝に乗せてくれようとしたのだが、流石に想い合う男女の膝の上に割り込む訳にもいかず、ユーリはヒョイと飛び降りた。


「あら、ユーリちゃんは今日はお散歩したい気分なのかしら?」

「悪いな、エスト。

あいつにもまあ色々あってな……」


今日も『子ネコのユーリちゃん』を撫でたり抱っこしたりと可愛がって下さるつもりだったのか、トコトコと歩いてゆく背中に、エストは残念そうに呟く。


「ユーリさんはいっそ贅沢なほど甘い物がお好きだとお話ししたら、セリアさんがお菓子を分けて下さると仰っていますよ。

こちらにおいでなさい」


そんなユーリを、彼女の心中など全く察していないらしきシャルは、とてもにこやかに手招きしてくる。

普通の人間が食べる為のお菓子をネコに与えようとするなど、シャルは何を考えているのだろう。いや、ユーリは本来人間なのだが、傍目にはごく普通の子ネコの筈だ。


ユーリは呼び掛けてくるシャルからぷいと顔を背けて、手近な花壇に駆け込み、うずくまった。

花に埋もれていると、何故か少し落ち着いてくる気がする。

セリアがどういう人なのか、シャルをどう思っているのか、そんな事は少し見掛けただけのユーリには分からないけれど。


女ったらしのシャルさんなんか、嫌いだもん。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ