調香師のお仕事
外回りを終えて塔へと戻ってからも、ユーリは残っていた写本作業や書類整理の仕事をこなしたり、カルロスはカルロスであちこちに引っ張り回されたり調べ物をしたりと、なんだかんだ忙しく過ごし……カルロスとユーリ、シャルの3人は、お出掛けしてからきっかり十日後、グリューユの森にある自宅へとようやく戻れたのであった。
バサバサと翼を羽ばたかせ、一直線に自宅の裏庭へと舞い降りたイヌバージョンのシャルの背中からひょいと飛び降りたカルロスは、腕に子ネコ姿のユーリを抱いたまま背中に背負った荷物を地面へと下ろし、
「俺は畑を見てくるから、シャルは荷解きな」
「はい」
ちゃっかりご主人様権限で重たい荷物をシャルに任せ、すたすたと花畑が広がっている前庭の方へと足を向けた。
シャルが玄関前に着陸しなかったのは、前庭を埋め尽くしている花を薙ぎ倒さないようにする為。
そしてユーリがただ今子ネコ姿なのは、シャルの背中は人が1人乗るのが精一杯だからだ。
ユーリの本心としては、主に抱きかかえられながらではなく、きちんと人間の姿でシャルと2人きり大空遊覧飛行というものをしてみたかったのだが、無論そんな望みは言い出せない。何故ならばシャルはまたぞろ、「マスターならばともかく。鈍臭いユーリさんを乗せたら、簡単にわたしの背中から滑り落ちそうだから嫌です」とでも言い放つに違いないからだ。
うう……主はわざわざシャルさんの背中に乗らなくても、自分で飛べるくせに……
そういえば『魔術師のフィールドワーク』中の移動は全て荷馬車だったが、こちらの世界の魔法使いは、箒に乗って……は、ともかくとして、空を飛ぶ魔法というのは一般的ではないのだろうか。
つらつらと考え事をしているユーリには構わず、カルロスは花畑の中に足を踏み入れ、花々の様子を確かめている。
瑞々しい花弁や葉、土の状態をチェック。
「よし、問題はなさそうだな。」
しばらく留守にしてましたけど、ここの畑のお花、丈夫ですねぇ。
相変わらずカルロスの腕の中にいるユーリは、尻尾をぷらぷらと揺らしつつ馨しい花の香りを吸い込んだ。前庭の花畑には様々な種類の花が咲いており、地球のラベンダーに似た香りを放つこのお花はユーリのお気に入りだ。
「アホかお前は? いくらなんでも何十種類もある畑の花全てが、頑丈で枯れにくい筈ないだろうが。
花が枯れてねえのは、俺が出掛ける前にしっかりと、畑の周囲に保護結界を張り巡らせておいたからだ」
……なんでもありですね、結界術。
「俺は本職で役立てる為に魔術を学んだんだからな。術の利便性や応用化は、日々研究してんだよ」
ふふん、と、得意げに胸を張るカルロスに、ユーリは思わず脱力する。
技術を磨くのは職人として正しい姿なのだろうが、魔術の才を見出されてパヴォド伯爵に拾われ、真面目に魔法学校で勉強をしていながら、まさか将来的には調香師になりたいと考えていたなどと、拾い主は予想だにしなかったに違いない。
鼻高々で「この術も便利でな」などと言いつつ、以前ユーリもチラリと見た水のツルを空中に舞わせ、上空から霧状に降らせて水やりをするカルロスの平和的な姿など、少なくとも戦力になるよう育てられた人間として完成された、と言うには、すこぶる何かが間違っている気がする。
いや、水のツルは相変わらず綺麗だし、花畑のあちこちで小さな虹が出来ていて、とても幻想的なのだが。
魔法使いって、良いなあ……などと、羨ましくなる瞬間だ。ユーリがこの畑に水やりをしようと思えば、ジョウロ片手に小一時間は掛かる。
花畑をチェックし、更に水やりも済ませて玄関から家の中へ入ろうとしたカルロスは、ふと足を止めた。
頭上からふわふわと、綿帽子から飛び立った白い綿毛のようなものが舞い降りてくる。
カルロスがすっと手をかざすと、風もないのに綿毛は方向を変えて、彼の指先に止まった。
彼はしばらくそれをじっと眺め、
「ふむ……」
瞬きを繰り返し、何かを思案するように呟きを漏らした。
心なしか……いや、見間違えようもなく、カルロスは表情が輝いている。本人としては、喜色を隠しているつもりなのかもしれないが。
主、何ですか、それ?
「ん? ああ、アティリオの先触れの術は見た事あるだろ?
あれは閉じられた結界の中だろうと、どこへでも不特定多数にメッセージを伝達する基本術で、これはその応用術。
決まった相手との往復書簡用で、術者でなくても使えるようにしてある。この白い綿毛はエストからな。聞くか?」
特に秘すべき内容ではなかったのか、ただ単に恋しい少女の事について語りたい惚気たいだけなのか、カルロスは使い方の説明をして、ユーリがちょこんと差し出した右前足の肉球の上に、綿毛書簡を乗せた。
曰わく、術者によって様々な形状をしている伝達用のそれを手に乗せ、書き込みは目を閉じ心の中で念じてメッセージを込める。
読み取りは数秒間じっと見つめていると頭の中へ直接メッセージが聞こえてくる、のだとか。
という訳で、ユーリもジーッと綿毛を見つめ続ける事数秒間。
“カルロス、お元気でいらっしゃいますか? わたくしは相変わらずですわ。
王都へお仕事に行かれるのなら、きっとこの書簡があなたの手元へ届くのは、森に帰ってからになりますわね。ふふ、綿毛さんがカルロスを追い掛けて、一生懸命青空を舞っていく姿を想像すると、なんだか微笑ましいわ。
また調香依頼が舞い込んだようです。お時間が空いたら、仲介人を訪ねてあげて下さいませね”
頭の中に、エストの柔らかい声が響いてくる。なんだか、カルロスから一方的に送られてくるテレパス現象と似ている。
「という訳だ。
仕事が入ったからには、フィドルカに行かねえとな」
主への調香師としてのお仕事は、エストお嬢様が後援者をして下さっていたんですか?
にこにこと、いかにも渋々といった台詞とは裏腹に笑みを浮かべ、玄関のドアを開けるカルロスは足取りが軽い。
想い人からのお手紙に、心が舞い上がって旅の疲れなどあっという間に吹っ飛んだのだろう。本当に分かり易く、可愛らしい人だ。などと考えているしもべを見下ろし、
「ああ、そうなる。俺の顧客の大半はエストの友人知人に当たる人達だしな。
エストは昔から花が好きでな……このお花の香りが欲しいって駄々をこねられたら、こう、叶えてやりたくなるだろ?
で、気が付いたらこっちが本職になってた」
エストお嬢様と子守時代の昔を懐かしんでいるのか、カルロスは目を細め。
今まで断片的に耳にした話を総合すると。
ユーリの主は幼少期に、魔術の素養を見出されてパヴォド伯爵から引き立てられ後見を受けたが、そもそも本人は魔法使いになりたいと熱望して勉強していたのではなく、後見人が付いてしまったから仕方がなく魔術の勉強をしていて、世話を焼いていたエストお嬢様の我が儘を叶えてやるのに、魔術は便利だと気が付き(こりゃあ丁度良いや)とばかりに、それからは熱心に学びだした。
……などという人生を送ってきました、という事なってしまうのだが、それが読み通りなのだとすると、いったいどれだけカルロスはエスト至上主義者なのか、という新しい疑問符が。
ユーリは慎ましいしもべとして、そこは突っ込んでやらずに済ませておく事にする。
なるほど。主とエストお嬢様は普段、どういう手法でやり取りをしているのかと思っておりましたが、まさか古式ゆかしき文通であったとは。意外です。
こうして密やかに、愛を囁き交わしていたのですね。ふふふふ……
しかし、これだけは口にせずにはいられないとばかりに、主の恋愛スタイルの意外さには、思わずにやつくユーリ。
基本的にこちらの人々は、婚姻を結ぶまではどうやらプラトニックなラブを貫くらしく、本人を目の前にすればちょっとした大胆さはあるものの、カルロスとて例外ではなく、エストとひっそりと清い交際を貫いているらしい。
その純なラブを目の当たりにして(主、可愛い)と思わずにっこりしながらカルロスを見上げてしまうのも、仕方のない事。
「……お前の世界が乱れ過ぎなんだ」
主、その言いようは地球にて奥ゆかしい風習を守っている方々に失礼です。
私の世界が乱れているのではなく、私の故郷の一部の人間の観念がこちらよりも大胆なのです。
ただそう、男女交際を行うのに一々親の許可を求めないとか、人前でも手を繋いで歩くだとか、夫婦ではなくとも2人きりで旅行に行ったりお互いの家にお泊まりしたりするぐらいだ。
「……嘆かわし過ぎて言葉も出ん」
どうやらカルロス的には十分アウトであったらしい。
日本は自由恋愛が一般的という風潮だが、ユーリのカップル認識は信じられない行状であるようだ。
シャルさんも、やっぱり主と似たり寄ったりな価値観なのでしょうか……
ユーリのぷにぷに肉球の上から綿毛を手に取ったカルロスは、彼女の何気ない一言に「ほ~」と、意味深な呟きを漏らす。
ユーリが主を振り仰ぐと、そこにはニンマリとした笑みを浮かべたカルロスが。
な、何ですか、主?
「いや? なんでもないぞ?
さあて、一息ついたらまたフィドルカに向かうぞ。お仕事お仕事」
玄関先でユーリを下ろし、何か機嫌良さそうにキッチンへと歩いて行く。
仕事でフィドルカに来たついでに、という建て前でエストの顔を見に城へ立ち寄る気満々であると見た。
……なんでしょう、あれは。
愛しのエストお嬢様に会いに行くからって事だけではなくて、からかいのネタを見つけた苛めっ子のような印象を受けたのですが。
連盟でのお仕事から帰ってきたばかりであるというのに、今度はフィドルカの街へと飛び立つ。
この忙しなさでは、仮に連盟に向かうカルロスやシャルを見送って、ユーリは1人、お家でお留守番をしていたとしたら……何か十日間を自力で生き延びていられた気がしない。主に食料的な問題で。
再びイヌバージョンになったシャルの背中にカルロスが跨がってお空の旅をする事しばし、ユーリは久々に訪れたフィドルカの街と伯爵家の城を、主の腕の中から眼下に見下ろした。
赤レンガと白い石材で作られた街並みは整然と建ち並び、規模は王都と比べるべくも無いが、その美しさには目を見張るものがある。
「早朝からわたしを酷使した挙げ句、またしてもわたしを飛ばさせるとは。
まったく、マスターは本当にイヌ使いが荒い。わたしは乗り物ではないんですよ」
こちらの世界の都市は、綺麗なところが多いなあ、などと感心していたユーリの耳に、シャルの愚痴が半分風に流されつつも届いた。
それにブブッと吹き出したユーリは、ボソボソと呟く。
彼の聴力は、風がびゅうびゅう吹き荒れる状況下の小さな独り言でも、聞き取れるのかどうかは分からないし、たとえ聞こえなくたって構わない。
どこの世界でも、恋する人間の(想い人に会いたい)という行動意欲を思い止まらせる事は出来ないんですよ、シャルさん。