5 ※後半に流血描写有り
虚しいと分かっていても、勝手にシャルに対して期待したり落胆したり。考えないようにしていても、ふと気を抜けば様々な気持ちが過ぎってしまう。
そんな独り相撲を繰り広げるユーリをヨソに、顔を見合わせた術者様方は、眼前に手を差し出して唱和する。
「杖よ、我が手に」
短いその言葉と共に、彼らの手にそれぞれ、形も色も様々なスタッフやロッドが……
って主、なんですかその『いかにも魔法でい!』って呼び掛けに応える不思議杖ーっ!?
“は? 何ってだから、術を使う時の媒体?
あるのと無いのとじゃ、術の安定性が段違いなんだよ。
お前の世界のお伽話に出て来る魔法使いも、大抵杖持ってるじゃねえか”
主がそんな杖を出されるの、私、初めて見たんですけど。
どっから呼び出したんですか!
“あー。簡単に言うと、こういう杖持った術者は、バシバシ魔術を使うぞって証拠な訳だ。
だから連盟に所属する術者で見習いを卒業した奴は全員、自分の杖を鞘に仕舞われた剣みたく封印されてる。
封印場所は連盟本部の地下、封印解除条件は『自己の利益のみが目的とならない時』呼び出しが可能”
明るい翠緑色の、肘から手首ほどの長さで先端に鮮やかな碧い宝石が填め込まれたロッドで、自らの肩を軽く叩きつつのカルロスからの解説に、
はあ……何かよく分かりませんが、非常に制限された特殊な武器だという事は理解しました。
魔法のロッドを手にされた主……実に魔法使いっぽいですね!
ユーリはじっくりと自らの主人を見上げ、うむうむと悦に入った。常々、カルロスには魔法使いらしさが何か足りないと思っていたが、それは服装云々以前に杖であったらしい。
「じゃあいくわよー」
イヌバージョンになったシャルが、着ていた服を銜えながら木陰からのっそりと歩み寄ってくるのに頷き、ベアトリスはユーリ的に『素敵なステッキ』を一度頭上でふりふりし、両手で構えた。
「舞え、統べるものよ。我が意に従い、踊れ、界に満ちし力の源。
集え、導きの光よ。我らの頭上に輝け!」
「よし、行くぜアティリオ!」
「君に言われるまでもない!」
ベアトリスが呪文を唱えつつ、眼前に構えていたステッキを頭上に振り翳すと、その先端から眩いばかりの光輝が溢れ出、幾筋もの細い帯状となって森を覆い尽くした。
『なんかすんごくしんどい』などと言っていた割には、以前カルロスがパヴォド伯爵家の城で結界修復を行っていた際よりも、ベアトリスはよほど短く雑作も無く術を完成させたようにユーリには感じられた。
魔術の扱い方は彼女には分からないので、それはあくまでも凡人の目から見れば、という話なのだが……
ベアトリスが結界を完成させたと見るやいなや、カルロス、シャル、アティリオは一気に森の中へと走り出した。
森の周囲に結界を張り巡らせる。そして森に特攻して殲滅する。
彼らの会話から察するに、今回の作戦は、決して魔物を逃さないように結界という壁で森を囲み、一匹残らず排除する、という意味なのだろう。
両手で握った赤いステッキを頭上に掲げたままゆっくりとした呼吸を繰り返し、微動だにしないベアトリスを見上げて、ユーリはあれ? と、瞬きを繰り返した。
彼女の傍らで術に集中しているらしきエルフの女性は、薄紫色のローブを身に纏っているベアトリスなのだが、先ほどまでとは何か印象が違うような気がする。
長いストレートの金髪に碧眼の、どことなく彼女の主を彷彿とさせる美貌のエルフ……
ちょっと待って。
私、昨日初めてベアトリス様を見た時、そんな事思いもしなかった筈。
そう、『薄紫色のローブを着て、ハイテンションでやけに性格的にインパクトがある、耳が長い美人な女の人』という第一印象を抱いたのだ。
……昨日の様子を思い返してみても、ベアトリスの具体的な髪の色や顔立ちが、何故かぼやけたかのように思い出せない。そしてその点について、今の今までなんら疑問にも思わなかった。
ベアトリス様が、自分の周囲に結界を張り巡らせてるって、こういう事なんでしょうか。
となると、ベアトリス様の普段のちょっとオーバーでハイな性格も、『容姿以外でベアトリス様を識別する為』に敢えて装ったもの、という可能性もありますね。
彼女の足元にお座りしていたユーリは、ベアトリスの集中を妨げないようにそろそろと歩いて、草原の上に放り出された、シャルが着ていた服の上着にポスッと倒れ込んだ。
ほんの僅かにだが、夕べ、夢うつつで吸い込んだ彼の匂いがする。暖かくて滑らかな毛皮とは比べ物にならないほど、このシャツは素っ気ないけれど。
残り香はユーリを無視したり、意地悪してきたりなどしないから。
彼らがどんな風に魔物を狩ろうが構わない。保護され養われている身でありながら、狩りに参加する事を拒否しているユーリには、彼らに物申す権利などありはしないのだから。
ただそう、怪我などせずに無事に戻ってきてくれればそれで良い。
天高く上った日が、僅かに傾いた頃。彼らは森から出て来た。
どちらがより多く仕留めたか、で諍いになる元気なカルロスとアティリオはさておき、真っ直ぐユーリの方へと歩み寄ってきたシャルは、綺麗な銀色の毛皮がべっとりと赤く染まっている。さほど良くもない、ユーリの鼻にまでつく濃い血臭。
ポタリ、と、赤い物が滴り落ち、シャルの歩いた後には赤い跡が残されていて。
シャル……さん。
ユーリが震えながらみー、と呼び掛けたら、血塗れの獣は唇の両端を持ち上げた。牙と唇が、最も赤く染め上げられている。
「そこを退いて下さい、ユーリさん。
わたしの服が取れません」
血が、いっぱいです。け、怪我したんですか!?
「そんなヘマをする筈が無いでしょう。全て返り血です」
フンッと鼻で笑い、彼の服の上でうずくまるユーリに向かって、シャルは血塗れの鼻面を近付けた。グワッと、赤い牙がズラリと並んだあぎとが目の前で開かれる。
……じゃあ、退く訳にはいきません。今私が退いちゃったら、シャルさんの服が汚れちゃいます。
血の染み抜きは、お洗濯が大変ですよ?
喰らい付き、噛み千切り、引き裂いてきた直後なシャルを見上げて、全く怪我を負っていないと保証されたユーリは、ヘナヘナと力が抜けつつそう返した。
「おやおや。あなたもようやく、洗濯の苦悩と苦労を理解したようですね、ユーリさん」
「だから何故、そこで行き着く結論が洗濯なんだクォン!?」
うむ、と満足げに頷くシャルに、その背後で固唾を飲んで成り行きを見守っていたアティリオが、納得がいかないと言わんばかりに叫ぶ。
「カルロス。いったいあいつらは常日頃から、どういう会話を交わしているんだ?」
「さあ? ユーリがどんな意味の鳴き声を発してるのかは、シャルにしか読み取れねえからな」
「あの暴虐クォンの言動から推察するに、黒ネコの鳴き声の意味も、どこまでも奇っ怪極まりないに違いない……」
こちらは全く服の汚れも見当たらない、森に入る前と変わらぬ様子のアティリオとカルロス。主人であるカルロスは、知ろうと思えばユーリの意図など簡単に知る事が出来るというのに、そらっと真顔で惚けている。
と、そんなやり取りの最中、結界術を解くなりグッタリとへたり込んでいたベアトリスが、突如「うがーっ!」という叫び声と共に立ち上がった。
「疲れた! お腹空いた! 後、シャル臭い!
あんた達、今すぐなんとかしなさ~いっ!」
ベアトリスが握っていたステッキをぶんぶか振り回すと、それはフゥッと溶け消えてしまう。
……なるほど、彼女のあの叫びは『自身の利益の為』だけに利用されかねないと判断されて、杖は再び封印されたらしい。
「……んー、婆さん本気でへばってるな。
だとすると、やっぱり関係ねえのか?」
カルロスはそんな呟きと共に、ユーリを抱き上げて見下ろしてきた。
彼女は意味が分からず小首を傾げてみたのだが、主からそれ以上の言葉が掛けられる事は無かった。
その後、シャルが川で水浴びをしたり、農村に魔物退治完了報告を行って、ご飯をかき込んだりして、再び荷馬車に乗ってその村を後にした。
ユーリはてっきり、このまま一行は王都の連盟本部に戻るのだとばかり思っていたのだが、そのまま街道を走って四日間ほど掛けて各地の村々を回り、結界の修復に勤しんだり、問題事を解決したりする小旅行となった。
因みに、村人から相談される問題事の内容は大多数が『魔物退治』で、中には『橋が壊れた』といった重要な案件から、『うちの旦那、浮気してるのかも』という、当人同士でなんとかして欲しいようなものまで、なんともバラエティーに富んでいた。
なんというハードな内容なのでしょう、魔術師のフィールドワーク……
3~6人で組んで、定期的に各地を巡るそうですが、バーデュロイ国民の皆さんの魔法使いのイメージは、まさに何でも屋さん状態じゃないですか。
魔法使い達が平穏に暮らす為には、ここまで粉骨砕身しなくてはならないというのもどうにも納得がいかないものがあるが、概ね訪れた村の人々は皆善良で、一行を歓迎している態度をとっている。
けれど、この国から一歩外へ出れば。途端に寄ってたかって追い立てられ、責められる立場に立たされるのだとすれば、連盟の人々が懸命になり、仕事を全うしようとするのも頷ける。
「ほらーアティ、また擦りむいたの? 薬塗ってあげるからこっちに見せなさい」
「……面目ありません、師匠」
そして何より、本部の塔の中でチラホラと垣間見た、連盟に所属する術者達の間に強い結束力や信頼関係が存在する事が、とても頷けるものであるような気がするのだ。
……取り敢えず。
今回のお出掛けで分かったのは、要するに『魔力=体力』で、『魔術を扱う素養=天賦の運動神経』って理解で良いんですね、主?
なるほど、それが両方私に備わっていないというのは、自明の理です!