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「ねえ、アティ?

あたし、さっきから気になってたんだけどね」


ガタゴト、と盛大に揺れる幌付きの荷馬車の荷台の上から、ベアトリスは御者を務めているアティリオの背中に問い掛けた。


「その顔の引っ掻き傷、あなたいったいどうしたのー?」

「……どこぞの、気性の荒いアホネコの仕業です」

「気性の荒いネコ……つまりは嫉妬深い女か。やるな、アティリオ」

「男としての、名誉の負傷って事ね!」


荷台を振り向かずに吐き捨てたアティリオに、カルロスはふっと小さく笑みを零しながら茶化し、ベアトリスはノッてるだけなのか真に受けたのか、笑顔で両手を叩いた。

そんな背後の低レベルなやり取りに耐えきれなくなったのか、ぐわっと振り向いたアティリオは、


「君のところの、暴虐と小賢しいペットがやらかしたんだろうが!」

「アティリオー。しっかり前見ろ、前」


ビシィッ! とカルロスへ指を突きつけるものの、彼は今、御者さんだった。即座に窘められて、とてつもなく不満げな表情を浮かべつつ、フンッ! と鼻を鳴らして前へと向き直った。


「人んちの賢くて大人しいペットにエラい言いようだな、おい」

「そーよぅ、アティ。シャルはともかく、ユーリちゃんはこんなに可愛いのにー」


アティリオから忌々しげに睨み付けられようが、自身を話題に出されようが、ツーンと澄まして彼からは顔を背けていたユーリだったが、朝から彼女を抱っこしているベアトリスに手加減抜きでギュム! と包容され、息が詰まった。

そんなしもべの危機を救うでもなく、主であるカルロスは満面の笑みを浮かべ、ユーリの頭を盛んに撫で回すのみ。こんなに毎日頭を撫でられていたら、冗談でなくそのうちハゲそうだ。


「師匠……! くっ、小賢しい黒ネコの分際で、カルロスだけでは飽きたらず僕の師匠までをも惑わすとは……! 黒い悪魔めっ!」


ユーリは地味に窒息死の危機に陥っているというのに、イヌ派ハーフエルフは恨めしいと言わんばかりである。


うう……シャルさーん、助けてー……


今この場には居ない同僚へ向けて、ユーリは力無く救いの手を求めた。

だがしかし、例えこの場にシャルが居たとしても、あの同僚は笑顔で彼女を放置するであろう、という予想が簡単についてしまうのがかなり悲しい。



連盟の本部の塔の、とある一室にてカルロスやシャルと共に一晩休んだユーリは、てっきり今日も写本作業に勤しむのだと思っていたのだが、主や同僚と共に朝食を取りに出掛けようとした、そんな矢先に現れたベアトリスによってこの荷馬車に引きずり込まれ、彼女の『フィールドワーク』に付き合う事となってしまったのである。

どうやらカルロスが連盟から与えられたお仕事の中にはこれも含まれていたらしく、彼は諦め気味にベアトリスに急かされるまま荷馬車に乗り込んだ。


その際、御者台に座っていた人物は何故かアティリオでカルロスと口喧嘩を繰り広げたり、荷台を曳く馬が人間バージョンのシャルでも大いに怯えたせいで彼だけ別行動になったりと、朝っぱらから一悶着を経て、今に至る。


“……で? 俺の知らん間に、お前はアティリオと顔を合わせてたのか?”


じたばたもがいたお陰で、なんとか苦しいという意は伝わったのか、ベアトリスの腕の力が緩み、ようやく一息ついているユーリにカルロスからテレパシーによるメッセージが飛んできた。


はあ。昨日、主がお偉方とお話をなさっていた際に、私とシャルさんが主を待っていたお部屋にアティリオさんが乗り込んで来まして。

バレて殺しに掛かってきましたので、全力で引っ掻いたり噛み付きつつ抵抗し、本部の中で生死を賭けた逃走劇を演じました。

あ、あと夕べ主が寝ている間に部屋に忍び込んできて、寝ぼけたシャルさんに喰われかけてました。


ユーリからの返答を送られたカルロスは、嘆かわしげに額に手を当てて首を左右に振り、唸る。


「……アティリオ。いかにうちのユーリが愛くるしく魅力的だとはいえ、女の子相手に強引に迫ったらそりゃあ、いくらユーリが温厚で人懐っこい娘だろうと、普通そんな男は嫌われるぞ?」

「人を変態のように言うな!」


カルロスとしては、まあ自分チの黒ネコの中身が本当は人間であると理解しているからこその忠告だったのかもしれないが、アティリオにとっては黒ネコは黒ネコでしかない。イヌ派だし。


「あらやだ、アティったらそんな事したの!?」

「そうらしいぞ、婆さん。

夕べなんざ、夜這いを仕掛けてきて、寝ぼけたシャルに餌と判断されて危うく喰われるところだったらしい」

「信じらんないっ! この、女の敵!

あれだけあたしが、女性には紳士に接しなさいって口を酸っぱくして指導したのに、その教えが無駄になっただなんてーっ!」


ユーリを腕に抱きかかえたまま、よよよ、と、大袈裟に泣き真似をするベアトリス。

そうか、アティリオが人間や後輩の女の子にはやけに紳士的だと思えば、彼女の教育の成果だったらしい。


「だよなあ、婆さん。

女の子へは紳士に。婆さんの教えは正しい」


うむうむと頷くカルロス。

もしや、ユーリの主のエストへの何かエロい紳士っぷり……もとい、色気を滲ませた明らかに口説きモードな紳士さも、やはりベアトリスの薫陶を受けたせいなのか。


ええっと。

主、ベアトリス様って、主やアティリオさんの『魔術の師』なのではなかったのですか?


“まあ、魔術の師弟関係でもあるぞ”


そ、そうですか。『でも』って言葉が気になりますが。


「僕は教えを忠実に守っています!

取り敢えず、夕べ部屋にこっそり忍び込んだのは謝罪するが、君も部屋に鍵ぐらい掛けろカルロス!」

「鍵……ああ、そういうモンもあったな。うっかりしてた」

「おい!」


真顔でひとりごちるカルロスに、ギョッとした表情で一瞬振り向いて突っ込んだアティリオ。


「いつも大事な物や自分の住んでるとこの周囲は結界で守ってるから、自分の部屋に鍵って掛ける習慣無くなるわよねえ、カルロス」

「だよな、婆さん。俺、ここ何年も鍵なんて掛けてねえわ」

「……こ、この結界術特化術者達は……!」


カルロスとベアトリスの会話に、アティリオは嘆くが、ユーリも思わず頭を抱えた。

森の中の自宅の部屋に、鍵があるかどうかなど気にした事も無かったし、夜間や早朝に玄関や勝手口の施錠や開錠を担当した事も無い。ユーリは鍵を渡されたりその在処を教わった事も無かったので、てっきり、家主であるカルロスか、先輩であるシャルの役目なのだと頭から思い込んでいたのだ。


その延長線上で、昨夜は出先であるにも関わらず、戸締まりを確認せずにそのまま就寝と相成ったようである。

どうやらカルロスのその生活習慣は、自宅の結界に付与された『住人以外の侵入拒否』に頼りきった弊害であるようだ。もしかしたら、侵入者の存在を簡単に察知出来るほどシャルの危険感知能力が優れている、というのも一役買っているのかもしれない。


主がこの調子では、シャルさんに戸締まりの重要性や必要性を説いても、理解して頂けなさそうですね。

今後は、私がしっかり気を付けておかなくては……!


そんな決意を胸に誓うユーリに、主からは愉快そうな感情が送られてくるのみ。


主、笑ってないで、家の鍵が仕舞ってある場所を教えて下さい。


“おう、忘れたぞ”


ちょっ、待って下さい主ッ!?


ベアトリスの腕に抱かれたまま、ユーリがじろりとカルロスをねめつけると、ご主人様は即座に清々しくお答えになった。

グリューユの森へと帰還した暁には、ユーリは自宅の鍵大捜索をする羽目になった模様である。



王都からガタゴトと街道をひた走った荷馬車は、主要街道を逸れて小さな農村へと辿り着いた。

村の入り口でいつもののほほんとした表情のまま佇んでいたシャルは、馬車から地面に軽快に降り立つカルロスに頭を下げ、


「マスター、お疲れ様です」

「待たせたか?」

「いえ、さほど」


ぐりっぐりとカルロスに頭を撫でられ、心なしか嬉しそうである。ユーリはベアトリスの腕に抱きかかえられたままそんなシャルの様子を眺め、複雑な気分になりつつシャルから視線を寄越される前に目を逸らした。

相変わらず、荷馬車の馬はシャルに怯えて嘶いているのだが、彼は全く気にしていないようだ。

そのまま一行は村の中へと足を踏み入れつつ、


「じゃあアティは馬車と馬をあっちの酒場に預けてきて。カルロスはこの村の結界の点検と修復、陣は村の中央に敷かれてるわ。あたしはまず村長のところに話を聞きに行くから。

何か質問は?」


ベアトリスは指示を出しながらあっち、そっち、と簡単に指で方向を示し、最後に首を傾げて弟子であるらしい2人を見やった。

カルロスとアティリオは短く了解した旨を告げ、サクサクと動き出す。シャルは当然のようにカルロスの隣をついて行くし、ユーリは相変わらずベアトリスの腕の中だ。


村長さんのお家に向かって歩き出したベアトリスの腕の中で、ユーリは首を伸ばして主や同僚の背中を見送る。


……シャルさん、主だけじゃなくて、ちょっとくらい私に何か声掛けてくれても良いのに……


期待するだけ無理な話だと分かっていても、彼から全く気にもとめられていない現実に、ユーリは憂鬱な溜め息を吐いた。



既に時刻は昼に近付いているせいか、村の人々はほぼ農作業に出払っているらしく、閑散としていた。

王都では建物には華やかな色合いの赤レンガや白い石材が使われていたが、この村の住居はそれとはまた別の、どことなく灰色っぽい石材や濃い茶色の木材、漆喰が使われている。

見上げれば大抵の家屋は二階建てで、煙突も見える。これはこの村が特別裕福なのか、バーデュロイ国内全体での生活水準がこれくらいなのか、どちらだろう。


我が家も二階建てですし、居間には暖炉もありますしねえ……


村の中をベアトリスはスタスタと迷い無く歩き、村の中でも最も大きいお家の玄関に立ち、ドアをノックした。


「ごめんくださ~い」

「はいはい、お待ち下さいね」


ノックと共に発した大声での呼び掛けに、中から応えが返ってきて、待つ事しばし。

キィと軋んだ音を立てて木製のドアが開いて、住人が顔を見せた。初老に入った女性で、簡素な白麻の小さなボンネットを被り、濃い緑色のワンピースの上にオーバースカートを着て、白いエプロンを身に着けている。


これがこの世界の一般女性の庶民的服装か、と、こちらの世界にやって来て実は初めてまともに一般人女性と対面したユーリは、むむむ……とじっくり観察した。

今までは大貴族のご令嬢だったり、メイドさんや魔術師さんといった職業的服装だったり、暗かったり人込みでごった返していたりで、見物する機会が無かったのだ。

王都ですれ違った人々は、鮮やかで様々な色合いや形だったような気がしたが、この方は年配の方だから余計に落ち着いた色合いなのだろうか。


ううん……しかし、当然のようにスカートだし、丈は靴が殆ど見えないぐらい長いですね。こちらの服装は、私には過ごしにくそうです。


女の子らしい服もいつかは欲しいな、と思っていたのだが、こういった服装が一般的となると、少年の服装の方がユーリはまだしも気楽に過ごせそうである。



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