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5 ※冒頭から残酷描写有

 

頭や腕を覆う緑色の鱗やヒレ。腰から下は魚の体を持ち、尾鰭をビチビチと跳ねさせる。

ユーリの知識に照らし合わせると、マーマンに酷似した生物が……正式名称は不明なので、以下はマーマンと呼ぶ……魔法陣の上へとハッキリとした形を露わにするなり、変化は起きた。


ボゴリ、そんな音を立てて、マーマンの口から風船のような物が飛び出て、全身を覆う鱗がシューシューと音を立てながら溶解しだしてゆく。

苦痛の呻き声さえ上げられずに、魔法陣の上でもがくマーマン。それを眺めていても、呼び出した張本人であるにも関わらず、心配そうに駆け寄る素振りも見せない少年。


「ふん、醜いな……どうだ、苦しいか、ん?」


それどころか、馬鹿にしたように、彼はスタッフの先端でマーマンをつつく。


深海から引き揚げられた魚は、気圧変化であんな風に口から肺が飛び出ます……だけど、だけど、どうして!

だってあのマーマンさんは、あの魔術師少年のクォンで、だから異世界に来た段階で外殻膜が守ってくれる筈……!


驚愕に固まっているユーリの脳裏に、昨日のカルロスとの会話が蘇ってくる。

あの時確か、主はユーリの外殻膜について、なんと言っていたか。


――俺の術だぞ? 外殻膜にも『ステルス』付きだから本人にしか感じ取れん。


それはつまり、クォンを異世界から呼び出す際、張り巡らせる外殻膜は全て同一のモノという訳ではなくて。その状態を、主人となる術者が任意に練り上げ選択出来る、多種多様なものだとすれば。


ユーリの外殻膜は、決して全ての危害から彼女の身を守ってくれる万能の防御膜などではない。

物理法則の異なる異世界で、最低限生命活動を維持出来るよう、いわば危険要素を分解して濾過してくれる、フィルターのようなもの。

だから、こちらの水を飲んだだけで胃が溶けるような事は無いが、湖にでも沈められたら溺死するし、仮に地球と重力が異なっていたとしても、元の世界と同じように動き回れるが、重たい物が体の上にのしかかってきたら潰されてしまう。


この外殻膜とはそもそも、界を跨いで異なる世界へ呼び寄せられ移動するからこそ、このマレンジスの世界が異物を覆う気泡のように被せるものの上に張り付けて、コーティングしているのだという。異世界からの異物混入によって、自らの世界の環境破壊を防ぐ為の、まるで免疫機能。

だからこそ、異世界より引き寄せられたユーリや、今目の前で苦しむマーマンが持ち込んだであろうウイルスの類は、決してバラまかれない。異世界からこの世界へと持ち込まれる異物は、全て世界の免疫である気泡によって濾過され、害を成す物質とはなり得ない……


「さあ、その苦しみから逃れたければ、おれと契約を交わせ」


ああ、と、勝手に震えてくる体を無理やり押さえつけながら、ユーリは胸の内で呻いた。

彼女が主であるカルロスのクォンとなる契約を交わした際、主に差し出すよう要求したものは、好物のチョコレートである。

だがこの世界で、自らの魂と同一のものを抱く生命体を、その魂を吸収する為に呼び出す魔法使い達は、いったい何を条件にどうやってクォンを従わせているのか。『自らのクォンは必ず魂を抜き取る』事が通例となっている彼らが、いったい何を差し出してやるというのか。

かつてふと、湧き上がっていた疑問の答えが、今、示されている。


彼らマレンジスの魔法使いは、意図的にクォンの身を防護する外殻膜を張らず、突如として物理法則の異なる異世界に引きずり込まれ、混乱して苦痛や恐怖に喘ぐ彼らを脅迫して無理やり屈伏させていたのだ。

それがどういう意味を持つ契約であるのかさえ、恐らくは正確に知らせないままに。


「は、はははは! 契約は成立だ!」


テレパスによってマーマンから『是』を聞き出したのだろう少年魔術師の哄笑が、狭い室内に響き渡る。

たとえかのマーマンにとって、この世界の大気は強酸に等しい成分で構成されていようとも。目の前で肉が溶け、激痛にのたうち回っていたとしても。少年魔術師にとって、あのマーマンは『食品』でしかないのだから。


少年はスタッフを振り上げて、打ち下ろす。幾度も、幾度も。

ユーリの目の前にまでビチャリと飛び散ってきた筈の体液は、青く輝く魔法陣の上で、不思議と溶けて消えてゆく。

まるで、最初から存在していなかったかのように。


いや……

もう止めて!


目を、逸らしてしまえたら良かった。

けれども、体は恐怖に竦み、言う事を聞かないで震え上がるだけ。見たくもないし知りたくもなかった現実から、ユーリは逃れる術を持たない。

あの少年魔術師を止める事も、マーマンを救う事も、ドアを開けてここから逃げ出す事さえも。


しかしこれを、凄惨な殺人現場であると、声高に責め立てる人は、この世界には存在しない。

何故ならばこれは、この世界の魔法使い達が、長年に渡り研究して磨いてきた『釣りの為の技術』であり、『珍味の調理方法』であるからだ。


日本にだって、活け作りという調理法がある。

生きたまま魚を捌き、活きが良い魚は皿の上で身を刺身にされながらも口をパクパクさせている。職人の技を誉める事はあれど、魚を殺す事を詰る客などいない。

魚釣りをしている人を見て、残虐だなどと言い出す人もいない。


だから、こちらの世界では呼び出したクォンを殺し、魂を抜き取る行為は、誰に咎められる事もない。何故ならばクォンは『殺す為に呼び出すだけの存在』であるから。

だから今、ユーリの目の前で起きている事も、弱肉強食の掟に則り、ただ強者が弱者を喰らっているだけ。


ここはたまたま、異世界に生きる同じ魂を呼び出す方法が存在し、上手く召喚する事に成功したから。

だから、あの少年魔術師はマーマンの魂を吸収しただけで。

もしかすれば立場が入れ替わっていて、自分が喰われる側であったかもしれないという事を、笑っている少年魔術師は理解出来ているのだろうか。


スタッフでグチャグチャになった肉塊は、魔法陣の輝きと共にふっと消え失せてゆく。

せめて体だけでも、元の世界へと戻れたのならば。


あれはあの少年魔術師が辿っていたかもしれない姿であり。

そして、ユーリの身に起こっていたかもしれない結末でもある。


「師匠、師匠ーっ!

おれ、やりましたよーっ!」


不可思議な淡い緑色の燐光を全身に身に纏った少年は、ドアをバンッ! と開け放ち、喜色満面で部屋から駆け出していく。軽やかな足取りにも、明るい声音からも、なんの翳りも陰鬱さも抱いていない事を思わせる。


今になって気が付く。殺されるという事がどういう事なのか、追い回されていてもユーリはあまり深く考えてはいなかった。

そこにはただ、漠然とした恐怖があるだけで、具体的に何がどうなるのかなど、全くビジョンは浮かんではいなかった。


既に魔法陣の光は消えており、あんな事が起きた現場であるというのに、なんの痕跡も匂いさえも残っていない。

けれど、このままこの無人の場所に留まる気にはどうしてもなれなくて、ユーリはよたよたとした足運びで少年魔術師が開きっぱなしにしていったドアをくぐる。


目の前に広がるのはカーブを描く廊下と、塔の中央の吹き抜けを浮き上がって移動してゆくローブ姿の人々。

ぺたりと床に座り込んで、ユーリはぼんやりとその光景を眺める。


……ああ、私、異世界に居るんだな。


ふと胸に去来するのはそんな思い。

本当に、今更だ。既に何日もこちらで生活してきて、ちゃんと理解していた筈なのに。

どうして今更、自分が異邦人であるという事を感じるのだろう。

自分は独りだ。この世界で、独りぼっちなのだ。


お母さん、お母さん……


床に座り込んで、口から出てくるのは「にー、にー」という鳴き声だったけれども。

こんなところで絶対に会えるはずもない母を呼び求めてしまうのは、どうしてなのだろう。


俯いていたユーリの体が、不意に何かに掴み上げられた。


おかあ……


「やっと……見つけ、たぞ、この……黒ネコ、がっ……!」


自らを捕らえた人物を見上げたユーリは、そこにアティリオの顔を認めて、頭の中が恐怖で染め上げられていくのを感じた。


怖い。

誰か助けて。

嫌だ。

死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない……!

いやーーーっ!!


「うわっ!?」


喉も裂けよとばかりに、ユーリの口から今まで出たことも無いような恐怖の大絶叫による鳴き声が上がった。

それにアティリオが怯んだ隙に、無我夢中で爪を立てて引っ掻いて噛み付き、離せ離せともがいて暴れまわる。


「ちょっ、おい、痛て、痛てて!?」


そんな抵抗を受けて、ユーリを捕まえていられなくなったアティリオの手から握力が弱まった隙に、身を捩って逃れ落ちた。

迷わず駆け出し、追っ手から少しでも距離を稼ぐ。

死にたくない、より明確になった現実の前に、ユーリはとにかく走って走って走り出す。

逃げ場所の心当たりも、作戦も何も浮かばず、ただひたすらに螺旋階段を駆け下りて駆け下りて……


気が付けば、どうやら一階にまで到着してしまったらしい。

もう下りる階段がなく、受付のロビーを通過して開け放たれている大きな玄関ドアへ向かって猛ダッシュ。

いっそ街中にまで逃げてしまえば、他のネコに紛れ込めるかもしれない。


「この、待てアホネコが!」

「あら、カルロスさんのネコちゃん……と、アティリオさん?」


人の良さそうな受付のお姉さんが、目の前を風のように駆け抜けて行くネコと魔術師の姿に、驚いたように呟きを漏らすが、当人達は決死の追いかけっこの真っ最中で説明を挟む事も無く。


捕まったら死ぬ! そんな一心で中庭の芝生の上を駆け抜け、魔術師連盟本部の敷地から脱出を図ろうとしていたユーリの頭上から、ふと影が差してきた。

まさか拘束用の罠か魔法の類かと、サッと空へと警戒の目を向けたユーリは……予想外のブツが空中から舞い降りてきているのを目撃し、思わず転んでしまった。


……某月某日、魔術師連盟本部の中庭に、天使様がご光臨なされました。

なんの告知ですか。私、いつの間にか懐胎したんですか?


どうやら人間、あまりにも混乱し過ぎたり驚き過ぎたりすると、精神がストッパーを掛けて気が遠くなっていくらしい。

変なモノが見えたのだが、気のせいだろうかと二度見、いや三度見をして確認し直したが、やはり『ソレ』は実在のものとしてユーリの頭上から地面へと舞い降りてくる。

お陰様で恐慌状態からは表面上、幾分冷静になれたようだが、なんだか別の意味で益々錯乱してきた気がする。


芝生の上へと降り立った『天使様』は、転がっているユーリを抱き上げて、再び翼をはためかせて浮き上がる。


「……邪魔立てするのか、クォン!?」

「違いますよ、アルバレス様。生憎と単なる時間切れです。

先ほどわたしはマスターから、彼女を迎えに行くよう命じられましたので」


走り回ったせいか、ぜひゅーぜひゅーと肩で息をしながら文句を口にするアティリオに、あっという間に再び空へと舞い上がった彼は、ユーリを腕に抱いたまま、そんな言葉を返し。


「では失礼」

「待て! 空を飛ぶとは卑怯だろう!」

「おかしな事を言う人ですね。

翼を持つ者が空を移動して何がおかしいと?」


そんな事を言い捨てて、さっさと高度を上げるシャル。ユーリが同僚の腕の中から見下ろしていた地上がぐんぐん遠ざかって、アティリオの姿が小さくなってゆく。


ユーリは改めて、上半身は裸で背中から翼を生やし、他は普段と変わらぬ様子の同僚を見上げた。


うん、私もちょっと……いや、かなり、ズルいと思います。

『空を飛べるのは、そういう生き物なんだから仕方が無い』の域を超して、一般的な人間としてはかなり羨ましい生態じゃないかと思います。

だってシャルさん……なんで人間バージョンでも翼が生えてるんですか! 飛べるのはイヌバージョン限定じゃないんですか!


「わたしもそう思っていたんですが、部分的に変化出来ないかと試してみたら、出来ちゃいました」


バッサバッサと純白の翼をはためかせつつ、あっけらかんと呑気な報告を告げてくるシャルに、ユーリはガックリとうなだれた。

確かに、シャルの場合はこちらの人間バージョンの方が『変身した姿』なのだから、更にどこかしらを改変させる事だって出来るのかもしれない。


塔の中に戻るでもなく、シャルはバサバサと更なる上空へと舞い上がってゆき、上はどうなってるのかなー、などと疑問に思っていた塔の最上階の屋根の上に降り立った。

見渡せば眼下に広がる城下街と、その城下街を挟んで対角線状に位置する、小高い丘の上に建てられた王城の最も高い尖塔部分が、連盟の塔の屋上と等しい高度であるように見える。


「ユーリさん、わたしはね」


はい。


「わたしが狩ってきた獲物を分け与えたり、その外諸々の世話を焼いてあなたを養っていく事に、どうしても納得がいかなかったんです」


はい……


こんなに高い場所に上って初めて、その全容が窺えるほど広大な王都。

道のど真ん中で光に照らされて輝きを放つのは、噴水だろうか?

そんな景色をぼんやりと眺めながら、ユーリはシャルの独り言のような言葉に耳を傾ける。


「マスターは、あなたは狩りに向かない生き物だから子ネコにすると言った。

そんなに頼りない生き物なら、何故養う必要があるのか、わたしにはちっとも分からない」


今まで、主の家で出されてユーリが口にした食事は全て、シャルが狩ってきたり、カルロスと共に育てた野菜だったり、仕事をこなして稼いだお金で得た糧。

新参者で未熟なユーリは、何一つ還元出来ていないというのに、家に堂々と居座っている現状に、シャルが不満を抱いていたとしても不思議はない。


「それならいっそ、放り出してみようかな、と、思ったまでは良かったんですが。

それはそれで、どうしようもなく後味が悪くなって」


ふう、と、憂鬱そうに溜め息を吐くシャル。


シャルさん、私、今日ね、本部の塔で怖い物を見たんです。

主が私の事を、狩りに向かないって考えたのは、実に有り難い話だなって。


「そうですか」


あんなの見たら、『獲物を狩る』のは、私には無理です。

逃げ隠れして、震えるしか出来ません。


「それで、あの悲鳴ですか?

ユーリさんは本当に臆病で惰弱ですねぇ」


シャルさん、自分基準過ぎです。

私に求められる能力は、間違いなく武闘系じゃないです。


「の、ようですねぇ。家事もイマイチですし」


き、きっと他の分野で私は主の役に立ってみせますもん!

ところで、主のところに戻らなくて良いんですか? こんなところに来て。


塔の屋上はとても高く、吹き付けてくる風もやや冷たい。

ブルッと震えてシャルの胸元に擦り付いて暖をとるユーリに、彼は「ああ」と頷いた。


「あれは嘘です」


はあ、どれがでしょう?


「マスターに命令された、という点がです。まだ話し合いは終わっていないようですね」


はあ……んん?


「さ、今のうちに先ほどの部屋に戻りましょうか」


結局、何故わざわざこんな高いところにまで上ってきたのか不明なまま、シャルはバサバサと翼をはためかせ、開け放たれていた塔の窓へ向けて足から飛び込み、内部へと侵入。

この窓のサイズでは、潜り抜けるには翼が大きすぎてつっかえるのでは? とユーリは懸念したのだが、予想通りシャルは腰から下は普通に入ったが翼の部分だけ窓枠に引っ掛かって止まり、「あいたた」とか漏らしながら翼を消した。

つっかえていたブツが消えて、ドサッと一気に廊下の床に滑り落ちる。その衝撃で、ユーリも同僚の腕から転げ落ちてしまった。


シャルさん……自分の車体ならぬ翼の幅、ちゃんと把握しときましょうよ。


「自分は頭さえ通り抜ける隙間さえあればどこでも潜り抜けられるからと言って、わたしにもスムーズな隠密行動を期待しないで下さい」


いや、そこまでは言ってないんですが。


シャルはパンパンとズボンを軽く払い、ドアが開きっぱなしの部屋へとスタスタと歩いて行く。

ユーリも慌ててその後を追うと、見覚えのある室内の殺風景な内装と荷物。

どうやら無事に、最初に案内された部屋へと戻ってきたらしい。


「もうすぐマスターも迎えに来て下さるでしょうから、さっさと身綺麗にしませんと」


などと言いつつ、シャルは荷物を漁ってタオルと水筒を取り出した。



連盟のお偉方との話し合いを終えて使い魔達を迎えに来たカルロスは、欠伸を漏らしつつ部屋のドアを開けた。


「よう、待たせたなシャル、ユーリ。

何か問題は起こらなかったか?」

「お疲れ様です、マスター。

いいえ、特には。暇を持て余していた程度ですよ」


開口一番にそう問うて来る主に、シャルは濡れタオルで拭ったユーリの毛並みをブラッシングしながら、間髪入れずに笑顔でそう言い切った。

そうか、と頷くカルロス。


あれ? 使い魔って、ご主人様に虚偽を申し立てたり隠し事したり出来るもの、なんですか……?



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