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頑丈そうな巨躯と見事な銀色の毛皮を纏う獣は、寝藁の上に寝そべり、その太く逞しい前脚に自らの顎を乗せた。


今のユーリにはシャルの体格や体長はデカすぎて、限界いっぱいまで首を傾けて見上げても全体を見渡せない。狼とは皆、これほどまでに大きいのだろうか? などと疑問に思うが、普段よりもかなり小さくなっているせいで、より巨大に見えているだけという事もあり得る。


そして彼は、傍らにて半分藁に溺れかけてもがいている、自らの体よりも遥かに小さな生き物を見下ろしてきた。


「さて、それではまず、何からお話しましょうかね」


今の子ネコ姿のユーリなぞ、その気になれば一飲みにしてしまえそうな大きなあぎとから、普段と全く同じシャルの声がする。音程も質も変わらず、喋る事を苦にした様子も無い。


シャルに質問してみたい、意見を尋ねてみたいと思っていた事は数多いが、「何から話す?」と言われてユーリが真っ先に浮かんだ疑問は、


シャルさん……何故、その天狼さんのお姿でも、普通に喋れるんですかーっ!? 不公平です!


という、ある意味切実なような、今の生活を送る上では全く困らないような、そんな不満だった。

同僚からそんな叫びを聞いたシャルは、フンと鼻を鳴らす。


「不公平? どこがです?

この姿で人間の言葉が喋る事が出来るのは、発声が可能な種に生まれただけではなく、練習を積み重ねたからです。

あなただって、もしも不自由があると言うのならばネコの言葉を学べば宜しい」


シャルの冷静な言葉に、ユーリはうぐっと詰まった。

シャルの言葉通り、そもそも彼が目の前の銀の毛並みを持つ獣として生まれ育ったならば、異世界でありながら偶然、主であるカルロスと声帯がほぼ変わらないであろう種族に生まれたユーリの方が、よほど意志疎通や会話に関して苦労はしていない、という可能性が高い。


「わたしはね、ユーリさん。

それぞれ向き不向きがあって、出来る事と出来ない事があると思うんですよ」


は、はあ……


シャルの唐突な語り口に、ユーリは生返事を返しつつもぞもぞと藁の上に丸くなった。柔らかくて滑らかな肌触りの、主のベットで眠る事に慣れた身には寝心地は微妙だ。藁が毛並みに絡まってくるし。


「つまり、あなたはマスターのお洋服をお洗濯出来ないのですから、今後は服が汚れるような遊びを唆さないで下さい」


すみません……以後、気をつけます。


洗濯は洗濯機が自動的にやってくれるのが当たり前、という生活を送ってきたユーリには、全てのお洗濯は洗濯板でゴシゴシ手揉み洗いをするこちらの生活はかなりキツい。物によっては熱湯で洗わなくてはいけないし、真冬になれば水は刺すように痛いだろうと簡単に予想がつく。

仕事を覚えるべくシャルから教わってみたは良いが、ユーリの手際では生地が痛むからと洗濯途中の主のお洋服を取り上げられた経緯がある。家事を一通りこなすには、まだまだ修行が必要なようだ。


それにしても、今のシャルは見た目は確かに恐ろしいという感覚を呼び覚ます狼だが、発言内容が普段の家政夫然とした内容なだけに、妙に笑えてくる。

ユーリが目を閉じてしまえば、彼が牙や爪をふるう意志を見せなければ、いつもの同僚と全く変わらないようにしか感じられなくて。それは、被捕食者となりかねない身の上では、危機感が無さ過ぎる感覚なのかもしれないが。

けれども、今のシャルを目の前にして無闇やたらと怯えるのも、昼間散々お世話になっている彼を否定するような気がするのだ。


ユーリは閉じていた目を開いて、鋭い牙がズラリと並んだあぎとを持つ、巨大な狼を見上げた。

外と廊下からの僅かな光は、変わらず彼の銀の毛並みと白い翼を照らし出している。光と影、その細かい濃淡は彼を彩る特別な装飾か、模様のようにも見えて、彼女の目にはとても美しく見えた。


ねえ、シャルさん。私、昔から空を飛んでみたいと思ってたんです。

それで今日、主にお願いしてみたんですが……シャルさんのその翼は、飛べるんですか?


「飛べなかったなら、こんなに大きな翼はただ邪魔なだけですね」


走る分には、きっちり畳んでないと空気抵抗大きそうですもんね……

因みにその、私を乗せて飛んで下さったりなどは……


ユーリのダメもとでのお伺いに、シャルは(何を言い出すんだろうな、この子)と言いたげに首をちょっぴり傾げてみせた。


「面倒だから嫌です」


そ、そうですか……


にべもないお返事にがっくりとうなだれると、


「今のユーリさんが、どうやってわたしに掴まると?

背中の上に寝そべる程度ならばともかく。飛ぶとなればせいぜい、助走や羽ばたきの揺れで転げ落ちるのがオチでしょう。

それとも、わたしの口に銜えられて飛びますか?」


という、シャルなりの実に真っ当な理由が付け加えられた。確かにそういった事に気をつけながらでは、面倒臭いと却下されるのも頷ける。

シャルの口に銜えられながら……というのも一応想像してみたが、どう考えても捕獲された餌状態だ。


シャルさんの口って……


みー、と鳴きながらそう呟いたユーリに答えるように、シャルがぐわっと口を開いてみせた。ズラッと並んだ鋭い牙が、刃物よろしくギランと光る。


……牙が体を貫通しませんか?


「あなたの脆い体では、貫通するんじゃないですか?」


恐る恐る尋ねてみたユーリに、シャルは実に平然と肯定して返してくる。

そして、


「ユーリさんは小さ過ぎて食いでが薄い上に、小骨が刺さりそうで、あまり食べる気にはならないんですがねえ……」


などという、衝撃の発言をかましてきた。

ユーリは思わず後退ろうとして、藁に足を取られて体勢を崩してしまう。


え、私、シャルさん的に食べ物カテゴリーだったんですか!?

おおおお美味しくないですよ!?


「ユーリさんはいざという時の為の非常食ですから、味にまで贅沢はいいませんよ」


ひぃぃぃぃ!?


藁に埋もれてもがきつつ悲鳴を上げるユーリに、シャルがクックックッと笑い声を漏らす。


「別に、今すぐ噛みつきやしませんよ。

今あなたを殺しては、マスターの力が増大してしまいますからねぇ」


主の能力が増すのは、良いことなんじゃないですか? その為だけに死ぬのは、ちょっと勘弁ですけど!


なんとか藁の隙間から這い出て横になるユーリの腹の上に、のっそりと身を起こしたシャルがおもむろに……片方の前脚を乗せてきた。

ヒヤリとした恐怖感が、ユーリの背筋を襲う。体重は全くかけられてはいないが、彼のその大きな脚の爪が喉元へ僅かに刺さるだけで、もしくは少し体重を乗せてくるだけで、彼女は簡単に命を落としてしまうだろう。


「ユーリさんは、本当におめでたい人ですね。

あなたとわたしの元となった根源が同一のものであるなど、未だに信じがたい。

わたしはね、ユーリさん。あなたとは違うんですよ」


独り言のようにそう呟くシャルに、ユーリは段々息苦しくなっていくのを感じながら、ゆっくりと言葉を紡ぐ。彼女を見下ろしてくる琥珀色の双眸から、目をそらしたら一巻の終わりのような、そんな緊張感を覚えつつ。


それはどういう意味、ですか……?


「そのままの意味ですよ?

あなたはあっさりとマスターに屈伏しましたが、わたしはまだ、仮契約の身です」


え……? だって、シャルさんは、何年も前から主に仕えてた、って……


そう呟いてから、ユーリはふと考え直した。

彼女自身とて、カルロスと仮初めの契約を結んでから軽く10年以上、本契約には移行しなかったのだ。

カルロスとシャルがいったいいつ、いかなる内容の契約を結んだのかはユーリの知るところではないが、彼女の主がそれで良いと考えているのだから、シャルとは仮契約のままなのだろう。


「本契約を交わしたあなたは、自らマスターの下位に位置づける存在に下りましたが、わたしは違います。仮契約中のクォンは、主人が先に死ねばその魂を吸収する権利がある。故に、わたしとマスターは魂の格付けでは対等なのですよ」


狂気にうかれる光も、血に酔った凶暴性もその眼差しからは全く感じ取れない、その上でシャルは淡々と語る。


「しかし、あなたにうっかり死なれでもすれば、マスターの力はどれだけ増大するか。それでは生涯を終えるのはいつになることやら……」


シャルさんは、主が死ぬのを待ってるんです、か……?


それとも、下剋上よろしく殺そうとしているとでもいうのか。

ユーリの脳裏に、地球でのある種の蜂の逸話が過ぎった。

その種の女王蜂は、巣に対して一匹のみ。

しかし、女王蜂となれる候補の繭は複数存在し、一番最初に孵化した女王蜂の最初の仕事は、まだ繭の中で眠っている他の女王蜂を殺すこと。


「わたしも、それなりに今の生活やマスターの事を気に入ってますからね。

マスターが大往生なされるまで、のんびりお付き合いしますよ」


そ、壮大な計画ですね……


いったい、シャルの寿命はどれだけあるというのだろう。

それにしても、ユーリの腹の上にずっと乗ったままである脚に、先ほどからほんの僅かづつ、重さが加えられてきているのだが。もがいて暴れて逃れ出ようにも、身動きが取れない。


シャルさ……苦し……


「ああ、ちょっと撫でてみようとしただけなんですが。

たったこの程度の事であなたには苦しいんですね。

その小さい体は本当に不便ですねぇ」


……狼の体で撫でるとか、無茶ではないかと思うのです。


前脚がスッと退かされて、ユーリはゲホゲホと咳き込みつつ訴える。

危うく、本気でリバースまでカウントダウンは残り三秒を切るところだった。その後、同僚の前脚に押し潰されて圧迫死とか、ちっとも笑えない。


「先ほどから、あなたが人の寝床の中で暴れ回るせいで、落ち着かないんです」


などと、誰のせいだ!? と、怒鳴り返したくなるような言い分を口にしたシャルは、一瞬光に包まれ……いつもの、見慣れた青年の姿が現れた。

翼が生えた狼の姿でいられるよりは、恐怖感そのものは薄れるのだが、


しゃ、しゃ、シャルさん……ふ、服着て下さいーっ!?


動物さんからの変化直後なので、当然ながら全裸であった。


「何を今更……ほら、これで気にならないでしょう」


ユーリの大絶叫に、うるさそうに実にわざとらしく両耳を塞いでみせたシャルは、彼女を抱き上げて顔の前に持ち上げた。

これで、ユーリの目に映るのは、確かにシャルの顔と、肩ぐらいだが……

気になる。非常に気になる。気にしてはいけない事は理解していても、めちゃくちゃ気まずい。


シャルさん結構イイ身体してますねー。

こちらが主から頂いた姿だと言うのなら、これが主の男の趣味なんですね!


女性は美しく儚げで芯は強い少女、男性は脱いだらそこそこ逞しい爽やか系青年、動物系に関してはストライクゾーンは幅広く……ユーリの主の趣味はとても奥が深いようである。

とはいえ、今現在のカルロスは熟睡中な為本人の是は頂けてはいないが、微妙に現実逃避に走ったユーリの中では、そんなイメージが固まった瞬間であった。



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