ケッコンきょーそー曲
出来たて熱々カップルというものは、見ている外野の方が当てられてしまうものである。
見事に正式な婚約者として認められた上に、半ばパヴォド伯爵家へと婿入りする形となったカルロスは、今後も閣下と次期伯爵たるグラに仕え、パヴォド伯爵家お抱え魔法使いとして暮らしていくらしい。
そういった基本的な点において、これまでとそう変わりはしないのだ。
「ふーむ。中庭で寄り添いながら花を愛でる、マスターとエステファニアお嬢様……これまでとそう変わった点は見受けられませんね。まあ、接近距離は以前よりは狭まったようですが、昔と同じ距離に戻っただけ、とも言えますし」
お茶の支度を調えたワゴンを運ぶ回廊から中庭の様子を散見し、ユーリの傍らを歩くシャルはそう言って首を傾げた。
「何を言ってるんですか、シャルさん。周囲のパヴォド伯爵家にお仕えしている面々からは、あの2人を見つめる眼差しが変わったでしょう?」
「いえ、昔から皆さん、大概あんな目でお二方を見守っていらっしゃいましたよ?
何でしたっけ。『仲良しカップル微笑ましい』の目つきと感情?」
「シャルさん……それは多分、早急に主へとお伝えしておくべき事柄だったと思われますが、結果的にはむしろオーライだったので、一生その話は誰にも言わず黙っていて下さい」
「はあ、ユーリさんの仰る事は矛盾していて、つまりどちらの選択肢が正しいのか、わたしの理解の範疇を超えます」
「タイミングの問題なんです!」
しれっと言い放つ同僚に重ねて言い含めたユーリは、今日も今日とて一対のピアスを耳に飾り、寄り添い2人だけの世界を形成しているご主人様カップルに向かって、背後から咳払いをした。
「ん? どうしたユーリ」
「おはようございます、主、エストお嬢様。
午前中のお茶をご用意させて頂きましたので、よろしければお召し上がり下さい」
慌てて身体を離すカルロスへ、努めて平静な声音でしもべとしてのお役目を告げると、ご主人様は鷹揚に頷かれ、再びエストと見つめ合い、ほわ~んとした空気を放ち始める。
シャルはそんな彼らの様子を全く気にした様子も無く、中庭の一角に置かれたティーテーブルに、ワゴンに乗せて運んできたポットやカップを置き、ティータイムの準備を調えていく。
「今日のお茶は、シャルが淹れてくれたのかしら?」
「いえ、残念ながらわたしではなく、ユーリさんが用意したお茶です。ですので、エステファニアお嬢様のお口に合わないようでしたら、遠慮なく仰って下さいね」
「あら、今日はユーリちゃんが淹れてくれたお茶が飲めるのね。楽しみだわ」
「ユーリの茶、ねえ?
家では一番安上がりの茶葉しか、普段使いで飲んでねえからな……大丈夫なのか?」
カルロスが引いた椅子に、柔らかい笑みを浮かべて腰掛けたエストは興味深げにそう言い、彼女の正面に座ったカルロスは、しもべへと微妙に不安げな眼差しを向けてくる。
ことお茶の淹れ方に関して、基本的な指導をユーリへ施してくれたのはカルロス本人であるというのに、なんという言い草であろうかと不満を抱きつつ。ユーリはカップにお茶を注ぎ、エストとカルロスへと供する。
「ユーリちゃんのお茶は、少し濃いめなのね。これはこれで、風味が後味を引いて美味しいわ」
「……いや、シア。多分これは、単なる蒸らし過ぎだ。
渋みとエグみがそれほど出てねえから飲めるが、もっと精進しろよ、ユーリ」
「はい主。申し訳ございません、お嬢様。もっと腕を磨きます」
「キールはスッキリしたお茶が好みですものね。でもね、ユーリちゃん。わたくしは本当に、この濃いめのお茶は甘いケーキに合って良いと思うわ」
「ありがとうございます」
まず水色を確かめ、それから口に含んだエストが微笑めば、カルロスは難しい表情で厳しく評価を下す。
どうやら、ポットにお湯を注ぎ蒸らす時間の配分を間違えてしまったらしい。腕時計は持っていないし、丁度良いタイミングを計れる砂時計辺りが欲しいところだ。お茶葉のブレンドはエストの口に合うようなので、更に練習を重ねていきたいものである。
「やあ、おはよう。エスト、カルロス」
「カルロスちゃんエストちゃん、おはよう。2人とも早いのね」
午前中の庭園のお散歩デートにでも繰り出したのか、本館の方からパヴォド伯爵夫妻が腕を組み歩いてくる。
サッと立ち上がるカルロスとエストに、閣下は片手を上げて「そのままで良いよ」と示し、空いていた椅子を引いて奥方を座らせ、パヴォド伯爵もまたレディ・フィデリアの向かい側に腰掛けた。円形のティーテーブルを囲み、パヴォド伯爵夫妻に挟まれる形となったカルロスは、昨日の今日でやや緊張しているようである。
「ふむ。グラは今日は朝から仕事だったか。では改めて。
皆、おはよう」
「おはようございます、お父様、お母様」
「おはようございます、閣下、レディ・フィデリア」
「まあ、いけないわカルロスちゃん!」
伯爵夫妻にお出しするお茶をカップに注ぐユーリの傍ら、席に着いたパヴォド伯爵がテーブルの面々を見回し、改めて朝の挨拶によって場を取り仕切り、エストとカルロスがすかさず答えたのだが、レディ・フィデリアは何故か目を見開いて咎め立てる。
「わたくしの事は『お義母様』もしくは『義母上様』と呼ばなくてはね!」
「……はっ?」
「その通りだね、フィー」
嬉々として言い放ったレディ・フィデリアはユーリが差し出すカップを手に取り、ゆったりと一口茶を含む。
妻の意見に同調し、パヴォド伯爵もまた深く首肯する。
「カルロスは当然、この流れで即ち次に自らが取るべき正しい行動が分かるね?」
「……はっ」
何だか、非常に既視感を覚えるやり取りである。パヴォド伯爵に行動で示せと迫られている青年の方は、困惑している辺りなんか全く同じだ。
“ゆっ、ユーリ! 閣下がまた無理難題を仰り出しやがり始められたぞ!?
お、お前、んな余裕ぶっこいてるが、俺がどうすべきか分かるのか!?”
ただ、若君様と根本的に異なる点は、かのご主人様には周囲に内緒で助言を仰げるアドバイザーを、二名ほどお持ちな点である。
混乱の余り、敬語の体を成していない謎の口調でヘルプコールを発してくる主人へ、ユーリは素知らぬ顔をしてエストのカップにお代わりのお茶を注ぎつつ内心にて答えた。
パパ、ママ、おはよう。今日も清々しい天気だね。
昨日はボクの為に素敵な舞台を彩ってくれて、本当にありがとう。一生の宝物だよ。
“……は!?”
愕然とした顔を向けてくる主人の目線を華麗に無視しつつ、ユーリからシャルにポットを渡して代わりに軽食とカットフルーツを盛った皿を受け取り、ティーテーブルに運ぶ。
要するに、閣下は……というかレディ・フィデリアは、主をご自分の息子として遇したいご様子ですから、他人行儀は止めてくれって事ではないでしょうか。
さあ主、照れずにLet's『パパ』『ママ』!
「お義父様、お義母様、おはようございます。今日も清々しい良き天気ですね……?」
カルロスは、いざという時のアドバイザーたるしもべにゃんこの助言に半ば魂が抜け出そうになりつつ、恐る恐る左右を見、朝の挨拶をやり直した。流石に『パパ』『ママ』を口にするのは、まだ心理的障害が高かった模様である。
どうやら合格点だったようで、パヴォド伯爵はうんうんと頷いているし、レディ・フィデリアもまた嬉しげにパッと表情を輝かせた。
「それでね、カルロスちゃんエストちゃん。
今日は早速、あなた達の大切な方々への招待状を渡してきて欲しいの」
「それはどういった集まりの招待状ですか、お母様?」
カップをソーサに乗せ、レディ・フィデリアは両手を顎の辺りで重ねて娘と娘婿を順に見やり、笑顔で切り出した。
エストも事前に知らされてはいなかったのか、ケーキを食べる手を止め、不思議そうに確認を取る。
「おや、フィー。ひょっとして話していなかったのかい?」
「あらいやだわ。
わたくし、てっきりディオンの方からカルロスちゃんに話して、エストちゃんにも伝わると思い込んでいたようですの」
「いったい何のお話でしょう、かっ……お義父様?」
何だろう、もしかして主とエストお嬢様の婚約祝いの集まりとかかなー? などと、エストお嬢様の席の後ろに佇み控えつつ、大きな難関を無事に潜り抜けた反動からか、主人達の会話を呑気に耳に入れていたユーリは、次の瞬間パヴォド伯爵が発した宣言によって、危うくその場でひっくり返りかけていた。
「何って、決まっているだろう、カルロス?
君とエストが三日後に挙げる結婚式の招待状だよ」
危うく真後ろに倒れ込み掛けたユーリを、シャルが彼女の背中に腕を回して支えた。恐らくエストやカルロスもまた、椅子に座っていなければやはり倒れていたような、そんな衝撃を受けた表情を浮かべている。
「きっと素敵なお式になるわ。楽しみね、エストちゃん」
「お、お母様? その、結婚式までの準備期間が、今日を含めて三日しか無いのですか……?」
にこにこと、幼い少女めいた無邪気な笑みを浮かべて娘に同意を求めてくる貴婦人に、エストは喘ぐように確認を取る。
「あら、それは違うわよエストちゃん」
「何しろ我々は、三年も前から三日後の結婚式の為に、コツコツと準備を重ねてきたのだからね」
おっとりと否定するレディの言を引き継ぎ、下顎を撫でつつ自慢げに言い添える伯爵閣下。どうやらかの方の企画本領は、結婚式の方であったらしい。
「エストちゃんとカルロスちゃんのウェディング用の礼服は、もう出来上がっていますし」
「当日の会場の確保は済んでいる」
「見届け役の陛下のご予定も押さえてありますし」
「警備体制も手を回してあるから問題無いし、社交シーズンが終われば領地へ帰還しなくてはならない招待客達も、今は王都に集っているしね」
「フィドルカのお城でお留守番している下の子達も、エストちゃんの結婚式に間に合うように今朝早くに王都へ発ったそうよ」
「主だった社交界の人々は、既に君達が結婚を控えている事は昨夜周知した。陛下のお召しあれば、例え死の床にあろうが馳せ参じるのが我々臣下の勤め。式が三日後だろうが、招待客は喜んで出席するだろう。
……さて、他に何か問題でもあるのかね?」
「……」
「……」
伯爵夫妻の良すぎる手回しに、カルロスとエストはとっさに言葉が出ないのか黙り込む。
うーむ。
以前、私が半ば冗談で考えた台詞に近い言葉を、主は現実のものとして実際にベアトリス様に告げねばならないらしいです。
『婆さん、俺、三日後に結婚するから』
……うん、うちの主は結婚式当日に結婚する旨を言い出しても驚かないと思っていましたが。この世の中、何が起こるか本当に分かりませんね。
背中を支えていたシャルが、そのまま考え込むユーリの両脇に手を差し入れて持ち上げ、景観を損なわないようにティーテーブルからやや離れた場所にとめておいたワゴンの後ろに運んだ。
「シャルさんどうかしたんですか?」
「ユーリさん、一つお尋ねしたい事があります」
ユーリを地面に下ろし向き合ったシャルは、テーブルを囲む主人達の会話の邪魔にならぬよう声を潜め。眉根を寄せて、人間の習慣はわたしにはよく分からないんです、と前置きした。
「マスターとエステファニアお嬢様は、昨夜のみにゃーにゃを経て、つがいとして認められたのではなかったのですか?」
「うーん、シャルさんの中では、『群れの仲間』『つがいの相手』しか無いんでしょうか……」
恐らく、シャルが認識している『つがい』は、人間で言うところの『夫婦』だろう。けれど、その前の『恋人・婚約者』に該当する関係を、どうやらシャルはわんこ理論の中で理解しきれていないようなのである。
「えーとですね、人間は『つがい』……結婚する為には、色んな条件を満たす必要があるんです。その条件は、時代や国や土地、民族や身分や年齢、各人の身内の認識によって千変万化。本当に様々に異なります」
「ややこしい上に面倒なのですねえ」
「それで、『群れの仲間』同士で『つがい』になる意志確認や約束を交わし合いつつも、その為にこなさなくてはならない条件をまだ満たしていない関係を、人間は『恋人』や『婚約者』と言います。
因みに『婚約者』の方は、両親の許可を得ているなど、『つがい』に至る条件を大方クリア済みの関係を指します」
ユーリによる、かなりアバウトな『人間が伴侶を得るまでの流れ』の解説に、シャルはようやく得心がいったように「なるほど……」と、深く頷いた。
「つがいでありながら、どうもわたしには理解しがたい言動を取るなとは、前々から疑問に思っていたのです。
つまり、つがいだと捉えていたのはわたしの認識不足による早合点で、人間としての常識や習慣に当て填めれば、その前段階の『恋人』という関係だったのですね?」
「分かって下さいましたか、シャルさん」
どうやらシャルの頭の中では、カルロスとエストは疾うに『つがい』としてインプットされており、彼らの様子は不可解極まりない態度だったが、人間には細やかな習慣や慣習が存在しているのだと理解してくれたらしい。
「しかし、マスターやエステファニアお嬢様は三日後には晴れて『つがい』になれるのでしょう? どうして嬉しそうじゃないんでしょう?」
「いや、急すぎる話には驚くのが人間ですから」
むしろユーリとしては、パヴォド伯爵が何故そうもカルロスとエストの結婚を急がせるのか、が引っ掛かる。
カルロスの身の安全を考えるなら、無事に結婚してしまえば保険としての効力が無くなるであろう『王太后陛下公認婚約者』の認識を、一年ほど結婚式準備と大義名分を設け、しばらく保持し続けていたところで誰も疑問には思わないはずだ。
それが三日後だなんて、昨夜中に根回しを完了させておいたのならば、いくらなんでも急過ぎると驚かれただろうし、後ろめたい事でもあるのかと勘ぐられるだろうに。
何か、あるのだろうか。
カルロスやエストに、結婚を急がせなくてはならない理由が。
「グラちゃんの年頃なら、もうお嫁さんを迎えていてもおかしくないのに、ちっとも結婚相手を見つけ出してくれないんですもの。ああっ、エストちゃんが産んでくれる初孫が楽しみだわ」
「そうだね、フィー」
……まさか、ね。




