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眩い光が解き放たれたのは、ほんの一瞬の出来事だったらしい。未だ目がチカチカするが、咄嗟に閉じた瞼越しに透過してくる光が終息し、ユーリは恐る恐る目を開いた。

居合わせた面々は、眩しそうに目を瞬いていたりするぐらいで、室内の様子にはこれといった変化が見受けられない。

いったい、パヴォド伯爵の言う『マル秘プロジェクト』とは、何を指しているのだろうかと首を捻るユーリ。


「パヴォド伯爵、今の激しい光はいったい?」


いち早く我に返ったブラウが自らの仕事を思い出してしまったようなので、ユーリはゲシゲシと奇行子サマの頬を肉球で全力連打し、注意を逸らす。あっと言う間に意識がこちらに振り向けられ、再び奇声を発しつつ人のお腹に顔面を押し付けてくるので、後ろ足で顎を蹴り飛ばしてやった。


「今の光はまさか……光速通信の術では」

「何かご存知ですの、ミレイ?」

「遠距離にある者同士が意志疎通を交わす場合、使用頻度が高いのは風に乗せて移動させる通信術なのだけれど、予め決められた合図をタイムラグ無しに相手へ伝える、緊急連絡用の術なんだ。

今のはそうで間違い無いか、カルロス?」

「あ、ああ。……何だってまた、グラシアノ様がそんな術道具を……?」


アティリオの疑問を肯定しつつ、意表を突かれてポカンとした表情を浮かべ、床で明滅を繰り返す金属片を見下ろすカルロス。

と、状況が掴めず困惑を隠せないレディ・コンスタンサやアティリオ、エストを後目に、おもむろにイリスとラウラが自らの服の袖に手を差し入れ、中からグラが床に叩き付けたのと、全く同じ金属片を取り出した。


「……あなた方、まさか?」


恐る恐る呟くレディ・コンスタンサに、イリスはにっこりと微笑み、ラウラは無表情のまま。手にした金属片を振り上げ、彼女達は同時に床に叩き付けた。

パッ! と、先ほどよりも苛烈さを持たない輝きが広がり、すぐさま収まる。そしてユーリが再び目を開くと。


イリスの手には輝けるヴァイオリンが、そしてラウラの傍らには、ピカピカと全身が光り輝くゴンサレス氏が現れていた!


……は?


ますます口をポカーンと開いて、状況が掴めず呆然と眺めるしか出来ない一部の面々の理解が追い付くのを待たず、イリスがサッとヴァイオリンを構え、よくよく観察してみると半透明でピカピカと神々しいゴンサレス氏が、ラウラとダンスのホールド体勢を取る。

グラは両腕を軽く広げ、すうっと深く息を吸った。


《いっそこの想い、世界中に届けと叫びだしたい。ああ、時折そんな衝動が込み上げてくるんだ》


イリスの奏でるヴァイオリンの音色に乗せ、グラは突如として朗々と歌い始めた。ラウラとゴンサレス氏は曲に合わせて踊り始めるし、グラは歌いながら休憩室のドアをバーン! と勢い良く開け放ち、ターンを決めつつ廊下に躍り出る。


「お、お兄様?」

「ぐ、グラシアノ様?」

「さあさあエストちゃん、こっちよ」

「我々も行こうか、カルロス」

「え?」


戸惑っているエストの手を取り、レディ・フィデリアが。カルロスの背中をグイグイと押しつつパヴォド伯爵が。何が起こっているのか理解出来ない様子の2人を促し、休憩室を後にする。

主人夫妻の後を、イリスは演奏しながら、ラウラ&ゴンサレスペアは踊りながらついて行く。


い、いったい何が……ええい、いい加減離しなさいこのネコマニアめが!


カルロスの後を追いたいのに、ネコなユーリを愛でる方が優先順位が高いらしきブラウによってガッチリと捕獲され、スリスリともふる手を止めない事に苛立ち、離せ離せと暴れて全力で爪を立てる。しかし、ネコマニアは顔面を血だらけにしながらもユーリを手放そうとせず、なおかつ笑みを崩さない。キモい。


「ミギャーッ! (離せーっ!)」

「ふ、ふふ……ユーリちゃん、そんな君もプリティーだよ」


嫌がるユーリを見かねたのか、背後から伸ばされた腕がブラウのユーリの胴を掴む手を無理やり剥がして、ヒョイと変態の魔の手から救い出してくれた。


「大丈夫ですか、ユーリさん?」

「みーっ! (シャルさんーっ!)」

「ああっ、にゃんこが……! くっ、なんてズルい!」

「……地団駄を踏む前に、傷の手当てをしたらどうだ?」


愛しの子ネコを奪われたブラウは悔しそうにシャルを睨み、彼の従兄弟は呆れた眼差しを向けてからレディ・コンスタンサを促し、休憩室を後にする。

翼をしまった照る照るスタイルのシャルは、ひっしとしがみついてくるユーリの頭を撫で、


「そんな事より、何だか面白そうな事が起こっている予感がします! 後を追いかけてみましょう」


シャルはユーリを両腕に抱きかかえたまま、スキップを踏みそうな足取りで休憩室のドアを潜る。

そして扉の向こうは、


「おお、これは綺麗ですねえ、ユーリさん」


キラキラと光り輝くダンサー達があちらこちらに浮かぶ、ダンスホールでした。


……は?

私がこんなに混乱しているというのに、いつも通りのアルカイックスマイルなシャルさんは、どうしてこんなに動じていないんでしょう。

ええと、と、とにかく気を取り直して。


休憩室へ向かう前に通った、祝典が執り行われる会場へと続く、王城の廊下である事に間違いは無い。装飾や調度品に敷かれた絨毯、使われている灯火などに何も変化は起こっていないのだ。

ただ廊下のあちらこちら、もしくは空中にふよふよと浮かんだどこぞのお屋敷のお仕着せを纏った人々が、半透明かつ謎の神々しい輝きを放ちつつ、弦楽器やら吹奏楽器で何とも明るくアップテンポな曲を奏でていたり、クルクルと軽快なダンスを踊っているだけである。その人数、ざっと数えただけでも20人以上。あ、また1人、空中からふわっとピアニストが現れた!


「……な、何だかパヴォド伯爵家のメイドや使用人があちこちに見えるんだけど。これは夢かしら?」

「しっかりなさって、セリア。この光景は夢でも幻でもなくてよ」

「……あちらで踊っているのは、見間違えようもなく、我が家の従僕頭です……なんていう悪夢だ……」

「あの巨体が飛び跳ねる姿なんて、滅多に見られるものじゃないよ、兄さん」

「まあ、ミレイ」


背後からフラフラとした足取りで現れたセリアが呆然とした口調で呟けば、アティリオもまた、許容量を大幅に越える事態だったのか顔面を片手で覆う。そして同時に目眩を覚えたらしくクラッと体勢を崩しかけ、レディ・コンスタンサに支えられている。

そして廊下のあちこちでは、やはりこの騒動に驚いて休憩室から出て来たらしき紳士淑女の皆様方が、目を見開いて廊下を見渡している。


《そう、あの日。きっと何かが変わる予感が僕の胸を掠めていったんだ》


そして、相変わらず低く伸びやかな声で歌って踊りながら会場へと向かうグラと、母に腕を引かれて早足で連れて行かれるエスト、そしてパヴォド伯爵に威圧されつつ、母娘の傍らに付き従うカルロスの姿が。

あの若君様は、実は意外と歌がお上手だったらしい。


「やあ、隊長殿! あなたがこんなに素晴らしい男気と遊び心、そして歌声とダンスの身のこなしを身につけていただなんて、このガスパール・アルトラム・ギュゼル! 寡聞にも存じ上げませんでした、という心境だよ!」


《優しく降り注ぐ夕陽と、茜色に染め上げられてゆく花畑で、何よりも馨しい君と》


誰も呼んでいないのに、更なる面倒な男が現れた!

廊下の向こうからイイ笑顔でダーッ! と駆けてきたクルクルカールは、驚愕が重なり過ぎて先ほどから口を閉じられなくなったカルロスや、軽く頭を下げるしか出来ないエストに、キランと歯を輝かせて笑い掛け。そして同僚の存在を丸っと無視して歌い続けるグラの傍らで、自己流のダンスを披露しながら歌って踊って奏で、ホールを目指し移動する集団の先頭に加わる。


《ダンスなんて好きじゃなかったのに、ああ、どうしてだろう。君と一緒に踏むステップはこんなにも軽くて、2人でとるリズムは何よりも心地良いんだ》


今現在、若君様の傍らで一緒に踊っているのは、ガ……省略ギュゼル氏である。こう何度も自らのフルネームを連呼されると、ユーリは何だか意地でも覚えたくなくなる。


ホールに入って行く集団を追い掛けて、唖然としながら彼らを眺めていた人々がぞろぞろとそちらの様子を覗き込む。

祝典に参加する貴人方は、既にかなりの人数が会場入りしていたようで、着飾った人々がホールの壁際に寄り、突如として現れた賑やかな集団を眺めやっていた。


廊下を移動していた時点でも大人数であったにも関わらず、ホールを見渡す限り軽く100人近く、かなりの人数が動員されている様子である。

銘々、演奏を奏でる人々、ホールを舞いながらグラに合わせて歌う人々。ただし、過半数以上がピカピカと光っていて半透明。さながら無駄に輝かしいホーンテッド・ホールといったところだろうか。


《君の笑顔をもっと見ていたい。ああ、ずっと目を逸らして知らないふりをしていたこの気持ちを、君は僕に幾度も突き付けてくる》


空中で奏でる演奏隊、約一名を除いて一糸乱れぬ見事なダンスを繰り広げるダンスチームの中心部で、歌って踊るグラと、パヴォド伯爵夫妻。そして、呆然と佇むカルロスとエスト。


こっ、これはもしや……!


「何か心当たりがあるんですか、ユーリさん?」

「ユーリちゃん、何か知っているの?」


ここまでくれば、ユーリにもおおよその見当がついた。彼らがいったい、何をやっているのか。

大分持ち直してきたらしきセリアが息せききって尋ねてきて、ユーリを眼前に持ち上げてくるシャルと彼女に、こっくりと頷く。唯我独尊な先代サマのドヤ顔がユーリの脳裏に過ぎったので、遠慮なく蹴り飛ばしつつ。


ええ。これは恐らく。

フ ラ ッ シ ュ モ ブ

です……!


カッ! と、目を見開いて語るユーリに、シャルは「なるほど……」と、深く頷いて納得の意を表す。


「『みにゃーにゃ』ですか。興味深い現象ですね」


大陸共通語に存在しない単語だったようで、同僚へは見事にネコの鳴き声では通じなかった。


「待て、暴虐偽イヌ。『みにゃあにゃ』とはいったい何だ!?」

「『みにゃあにゃ』ではありません。『みにゃーにゃ』です」


すぐ側でやり取りを聞いていたアティリオが、たまりかねたようにシャルに詰め寄るが、同僚は真顔のまま発音の細かい差異を訂正するのみ。

ユーリは間近にあるシャルの顎に黄金の右前足を叩き込み、「発音はどうでもいい!」と、ツッコミを入れた。


良いですか、シャルさん。

『フラッシュモブ』とは……


「はい、『みにゃーにゃ』とは?」


複数の人間が通りすがりを装って公共の場に集まり、前触れなく突如としてパフォーマンスを行い、周囲の関心を引きその目的を達成するとすぐに解散する行為を指します。


「なるほど。いきなりたくさんの人間が公の場に前触れなく現れて、歌って踊って人目を集め、注目を集めたら去る、人騒がせ行為の事なんですね?」


どうしよう。同僚が他者の発言を意訳すると、真意がねじ曲げられてしまうのは最早確定事項なのだろうか。


と、とにかくですね。

こんなに大規模で大掛かりな演出なのですから、予め参加者を募って、事前準備も念入りに行われていたはずなんですよ。

どなたか、何かご存知でいらっしゃったのでは?


ユーリの説明と質問をシャルが通訳すると、セリアはぶんぶんと首を左右に振った。


「わ、わたし何も聞いていませんよ?」


あー、ターゲットっぽいエストお嬢様も、何も知らされていなかったようですしね。お嬢様に近い立場だったセリアさんへも、情報は全て遮断されていたのでは?


「……心当たり。あるにはあるけれど」

「何か知っているのか、ブラウ?」

「んー、簡単に言うと、ボクが何か見聞きしたんじゃないかって、グラシアノ殿からやけに警戒された事があるね。

もしかしてあれは、歌やダンスの練習現場が近かったのかも?」


おお。言われてみれば。

きっと、主とシャルさんが伯爵邸へ滞在許可が下りなかったのも、シャルさんが音楽を聞きつけてしまうのを警戒されたからなのでは……


「……これは、いったい何事だ?」


と、その時。

廊下の反対側からズンズンと歩いてきた、煌びやかな礼服を身に着けた少年が、表情に困惑を浮かべながら出入り口の人垣を割って現れた。彼の後ろには、お付きの人物らしき人々が数人付いている。

年齢は……だいたい8歳ほどだろうか。まだ10歳にも満たないだろうと思われる、利発そうな少年である。


「ブラウリオ・ルティト。アティリオ・ミュゼラ。

お前達には、レディ・エステファニアを迎えに行くよう命じたはずだが。

いつまでも私のところへ来ないと思えば、こんな所で油を売っていたのか?」


少年は眉を吊り上げて苛立ちを見せ、周囲を睥睨した。彼の姿を認めた人々は、黙ってお辞儀をしている。

名指しされたブラウはにっこりと人の悪い笑みを浮かべ、アティリオは努めて表情を消し、頭を下げた。


「申し訳ありません、殿下。我々にも、果たし得ぬ命というものが存在しますゆえ」

「たかだか、レディをお迎えに上がるだけの簡単な役目だろう!」


ブラウが慇懃に謝罪を入れると、殿下はおちょくられたのが分かったのか、語気を強めた。


「お言葉ですが、殿下。

王太后陛下のお誕生日祝典ともなれば、『ただのお迎え』では済まされませぬ」

「コンスタンサ嬢、生憎だがこの話は軽率に女性が口を挟んで良い話題ではない」

「あら、それは失礼致しました」


宥めるように、レディ・コンスタンサが殿下に柔らかく穏やかな口調で語りかけつつ肩に軽く手を置くと、殿下は鬱陶しいと言いたげに彼女の手を払い、ピシャリと拒絶した。

いつもの事なのか、レディ・コンスタンサはそんな態度にさして気にしていない様子で扇を広げると、口元でそよがせる。コンス嬢本人は気にしていないようなのだが、彼女の婚約者の方はそんな殿下の態度に目を眇めていらっしゃる。


……て言うか、主。

『レオカディオ王太子殿下』って、この少年ですか?

あれ? 何か、私が想像していたよりも、若々しく……って言うか、むしろ幼いですよ?


「殿下、それよりも今、面白い見せ物が披露されておりますから、ささ、こちら特等席でご覧下さい。

何でしたら、ワタクシめが空気椅子体勢になって座席を提供して差し上げましょう」

「ブラウリオ・ルティト。いったい何を企んでいる?

……それから、お前の膝は要らん」

「おや、酷い。何か企んでいるのはワタクシめではなく、パヴォド伯爵閣下ですとも」


ブラウはにこにこと、ホールの出入り口ど真ん中へとレオカディオ王太子殿下を誘導し、彼の背後に立って両肩に手を置いた。


《抑えられないこの気持ち。

受け止めて欲しいんだ、ほかの誰でもない君に。

ああ、君と過ごした何気ない日々が、僕の紛れもない宝物。

だからどうか、これからも僕と》


フラッシュモブも終盤に入っているのか、グラは力強く歌い、周囲のダンスチーム達からも「だからどうか、これからも僕と」と、すかさずコーラスが入った。何気にダンスチームの一員と化している、パヴォド伯爵夫妻も当然一緒に。


「な、な、何だ何事だ、これは?」

「今、割って入ってはダメですよー? 殿下」


フラッシュモブに予想外なタイミングで出くわした人間の標準的な反応に違わず、しばし呆然とホールの様子を眺めていた殿下が特攻しかけたのか、ブラウが宥めている。


《君と過ごす未来というかけがえのない幸せを、僕に与えてくれないか。

結婚したいんだ、君と。僕の永遠の伴侶になっておくれ》


グラがビシッと片腕を差し出し、クルクルカールも空気を読んだのか、グラと同じ体勢を取っている。ダンスチームもまた「結婚したいんだ、君と」とコーラスしてから一斉に中心部のカルロスとエストに向かって片腕を差し出してポーズを決めたと同時に、演奏も絶好調に盛り上がったところで一斉に止み、イリスのソロ演奏による静かなバックミュージックに切り替わる。

彼らはカルロスやエストに、何らかのリアクションを求めているのは明らかである。


“ちょっ、まっ、たすっ、ユーリ! シャル!

俺、何をどうしたら良いんだこれはーっ!?”


どうやら、ずっとフラッシュモブの中心部に居たカルロスは、平静さを取り戻すタイミングが掴めず、現在の心境は未だ混乱の渦真っ只中にあるらしい。

ユーリはビシッと黄金の右前足でホールの中心部を指し示し、主人へのテレパシーに明朗な回答を突き付けた。


主、主が今、やるべき事はただ一つです!


“な、何だ?”


もう一回周囲から歌って促される前に、エストお嬢様の前に跪いて、プロポーズです!


ユーリが告げた解決策に、カルロスは緊張に支配されているのか、箒を小脇に抱えたままよろよろとエストの前に跪き、片手で彼女の手を取った。


「パヴォド伯爵令嬢、エステファニア・ファルマシア。

私、ベルベティーのカルロスはあなたへ求婚を申し入れます。

どうかこの願いをお受け頂き、あなたへ唯一の名を捧げる許しを頂きたい。優美なるシア」


混乱と緊張の極みにあっても、求婚の言葉はスラスラと途切れずどもる事もなく、カルロスはエストをじっと見上げたまま万感の思いを込めてプロポーズし、返答を待つ。

カルロスに差し出していない方の手を口元に当て、エストは息を呑み……ポロポロと涙を零しながら「はい」と頷いた。


「はい、はい……お受け致します。わたくしがあなたへ捧げる名はキール。永久の誓いを立てましょう」

「やっと呼べる……!

ずっと、ずっとこうしたかった、シア!」


涙ながらに応えるエストをガバッと抱き締めるカルロス。

そんな彼らの傍らで、パヴォド伯爵は懐から小瓶を取り出し、蓋を開けた。そしてレディ・フィデリアが手にした扇子でその瓶の口を扇ぐ。


《君と共にある幸せ、きっとずっと、僕は生まれ落ちたその瞬間から、それを求めて彷徨い歩いていたんだ。

もう離さない、離せないよ愛しい僕だけの花嫁》


再び、一斉に音楽隊による見事なハーモニーが演奏され、グラもまたダンスチームと共に得意のバリトンを響かせ歌い舞う。

そして、ふわんとホールの方から薫ってくる馨しい甘やかな香り。バラの香りのようだが、誰かの香水だろうかと辺りを見回してみる。


「この鼻の曲がり方は……」


香りの元を探すユーリに、別段鼻は真っ直ぐなままのシャルが重々しく呟く。


シャルさん、それ多分言葉の誤用です。


「この、鼻が曲がりそうになる感覚には覚えが……間違いありません。マスター作の香水です」


一々、同僚のツッコミに応えて律儀に訂正を入れつつ、シャルは重々しく断言する。

そうなると恐らく、パヴォド伯爵が手にしている瓶の中身が、カルロスが作った香水であるのだろう。


「これはめでたい、わたくしの誕生日をこのようなサプライズで彩ってくれるとは!」


ホールの奥の緞帳がスルリと巻き上げられ、出入り口から現れた王太后陛下と国王陛下が、壁際に寄っていた人々やダンスチームの波を空けさせ、ホールの中心部までやってきた。

扇で口元を覆ったまま、王太后陛下はいかにも口調では面白そうにパヴォド伯爵を見やる。

目線を受けた伯爵閣下は、優雅に一礼してみせた。


「毎年『フレイセ』をお楽しみであらせられる王太后陛下に、かようにしてお喜び頂けましたならば幸いにございます」

「パヴォド、そなたは相も変わらず遊び心に溢れた男ですこと。

婚約おめでとう、エステファニア。幸せにおなり」

「何と温かきお言葉。王太后陛下へ、心より感謝申し上げます」


パチパチとした拍手、祝いの言葉が次々と誕生したばかりのカップルへと投げかけられ、フラッシュモブを彩っていた人々はお辞儀をしたまま、音もなく姿を消してゆく。そんなホール内からは少し離れた出入り口にて。

気が付けば出入り口付近にて見物していた貴人方もホール内に移動して、王太后陛下に同調して伯爵令嬢婚約のお祝いムードに参加しており。

セリアは役目を終えたイリスやラウラと共に休憩室へと辞し、アティリオやレディ・コンスタンサ、ユーリを抱きかかえたシャル、そして殿下とそのお付きとブラウだけが出入り口付近に取り残されていた。成り行きを見守っていた王太子殿下は、押さえつけてきているブラウをキッ! と睨み据え。


「ブラウリオ・ルティト!

これはいったいどういう事だ、答えよ!」

「おや、分かりませんか、殿下? レディ・エステファニアがめでたく婚約を成立なされたのですよ」

「だから、どうして……」

「女のわたくしでも分かる事が、どうして殿下にはお分かりになりませんの?」


唇を噛み締める殿下へ、レディ・コンスタンサがスッと眼前へと広げたままの扇を突き付け、視界を奪った。


「本日は、我が国だけでなく諸外国より招かれたお客人も数多く祝典に参加されます。

よりにもよって彼らの目の前で、祝典直前に行われたこの演出……ミニャーニャですか? これが『関知出来ず、防ぐ事の叶わなかった想定外のトラブルであった』などと、バーデュロイは決して認める訳には参りません」

「誕生日祝典は盛大に催される公式行事。そこへ、『あってはならない問題が噴出した』となれば、我が国の威信に関わります。殿下」


レディ・コンスタンサは、あくまでも柔らかい口調で扇の内側へと囁くのだが、アティリオの口調は斬りつけるように鋭く冷ややかだ。


「分かりませんか? つまり、これは『大変喜ばしくめでたい出来事である』と、王族の方々は笑顔で認める事しか、この場では許されていないのですよ」

「だが……! だが、それでは祝典に混乱をもたらしたパヴォド伯爵へは、どう処分を下すのだ!?」

「『めでたい話』があった、だから伯爵に処分を? 意味が分かりませんね、殿下」

「……!」


愉しげに語るブラウの言葉に、扇の向こうで表情が窺えない殿下はショックを受けたのか、言葉に詰まった。

表向きはそうでも、裏ではパヴォド伯爵家へと何かしらの取引や圧力が加えられるに違いないのだが、その点はわざわざ教えて差し上げたりはしないらしい。


「我々は未来の国王となられるあなたの配下ではありますが、決して何の感情も持たない木偶ではございません、殿下。パヴォド伯爵のように、どのような命であろうと唯々諾々と従う事を善しとはせず、抗う者も多うございます。たとえ、多少の不利益を被ろうとも。

そのような家臣を御して一国を纏め上げてこその王。どうぞお心を強くお持ちになり、お励み下さいますよう」


アティリオはその言葉と共に、ブラウとレディ・コンスタンサもまた、深々とレオカディオ殿下へとお辞儀をする。

扇が取り払われた向こうの王子様は、静かに凪いだ眼差しで3人を順繰りに見やり、そしてホールの向こうに視線を向けた。涙を零しながら、幸福そうに微笑むエストを視界に収めた時だけ、その眼差しは揺れた。


「そのほうらの忠義、しかと受け止めた。私は今宵はこれで部屋に戻る。

……ああ、コンスタンサ嬢」


ふいっと踵を返し廊下を戻りかけていた殿下は、ふと思い出したように足を止め、振り返らぬまま言葉を紡いだ。


「……やはりあなたは、お祖母様の姪だな。私に言い聞かせてくる言動がそっくりだ。

口うるさいアティリオ・ミュゼラと実に似合いだよ。お幸せに」

「殿下……」


お付きの人々を引き連れ、スタスタと去り行く殿下の背中に、レディ・コンスタンサは深々と頭を下げた。



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