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展覧会へ出品する作品を閣下へと提出したカルロスは、やはり今回も伯爵邸への滞在許可が下りなかったらしい。

ユーリは延々と預けられている現状、パヴォド伯爵にとって、カルロスとシャルに屋敷の中をある程度自由に動き回られると、彼らには隠しておきにくくなる不都合な何かでもあるのだろうかと勘ぐってしまう。

早々に伯爵邸から出されて魔術師連盟へ向かったカルロスは、部屋を借りる代わりにお仕事を割り振られ不機嫌そうである。常に人員が不足している連盟では、例えキーラであろうとも仕事量が減らされたりはしない。


今日も今日とて、『ウィリー先生と学ぶ! バーデュロイの普遍的常識講座』の為、魔術師連盟の図書室を訪れたユーリは、ブスッとした無表情で古書の写本に明け暮れているカルロスに、ウィリーとお買い物に出掛ける旨を告げた。

そして、王都の街中に出て来た現在。


「ほら、ユーリさん見て下さい。あの屋台の蒲焼きがなかなか美味しそうに……おや、あちらの葉物野菜は初めて見る品種ですね」

「ちょっ、お願いですから1人ではぐれて勝手にフラフラと歩いて行かないで下さい、シャルさん!」

「……」


初めて訪れた訳でも無いだろうに、王都の市場であちらこちらに目移りしているシャルの背中を、ユーリはウィリーと2人で懸命に追い掛けていた。

カルロスから、『ここしばらく、ずっとシャルをこき使っていたから、息抜きに連れ出してやってくれ』と、頼まれてしまったのである。


「何ですか。今日はユーリさんのお買い物練習の日なのでしょう?」

「ですから、まずはティーが欲しい物を見て回りましょう。ね?」

「仕方がありませんね」


ウィリーはすっかり、引率の先生状態である。このメンバーの中で、彼が一番小柄で最年少であるはずなのに。


「さあユーリさん、どこを見て回りますか?」

「えーと、まずは食べ物の屋台を見て、買い食いがしてみたいです」

「よし、カルロス先輩から預かった軍資金以内でお買い物を楽しむんだぞ、ティー」

「了解了解」


渋々、といった面持ちでシャルはユーリの隣を歩き、ユーリは食べ物を売る屋台を覗いて回り、コレは! と思う料理を売るお店に突撃した。


「こんにちはおじさん。これは何を売ってるんですか?」

「トリササミのスパラッチョ和えを、クラッジで包んだクレープだよ」


薄い生地で食品をくるんで提供している、多分、クレープのような食べ物かなあ? という疑問を抱いて屋台の店主に質問してみたところ、半分くらいしか理解出来ない説明を受けた。

スパラッチョとクラッジって何だ。


「へー、スパラッチョ和えなんて珍しいな」

「ウィリー、知ってるの?」

「一回、先輩にご馳走してもらった事があるんだけど、美味いぜ?」

「南国の酸っぱい果肉を塩に漬け込んだ、しょっぱくて風味が爽やかな食べ物ですね。わたしには少し、味が濃かったですが」


ウィリーとシャルの解説を聞くに、バーデュロイで頻繁に出回りやすい料理ではないらしい。


「おいくらですか?」

「何と、このクレープ一つで3ラッソだ!」


ユーリの現在の所持金は、カルロスから手渡されたラッソとレッソがそれぞれ五枚ずつである。


「下さい!」

「えっ」

「おや」


ユーリが即答すると、ウィリーとシャルはこの買い物の展開が予想外だったのか驚きに目を見張る。


「毎度あり……って、嬢ちゃん。これレッソ銅貨の方じゃねえか」


ユーリが大きく平べったい銅貨を三枚差し出したら、屋台の店主のおじさんから突き返されてしまった。

あれ? と、疑問に思いながらお財布から小さい銅貨の方を三枚指先で挟んで掴みだしてみると、店主はおろか同行者も、『それがラッソだ』と言いたげにうんうんと頷いている。


何とか無事にクレープは買えたが、疑問は残る。


「ウィリー、通貨は小銅貨と、大銅貨、だよね?」

「……もしかしてティー、硬貨のサイズでお金の価値を判断してないか?」

「え、小さい方が小銅貨って考えて納得してたんだけど」


少なくとも、日本ではそんな傾向にあった。五百円硬貨は一番サイズが大きく、厚い。

クレープをかじるユーリを、市場の人混み喧騒から外れた片隅に誘導し、ウィリーは大小の銅貨を左右の手に挟んで示した。


「良いか、ティー?

こっちの、小さいサイズで細かい模様が刻まれてる銅貨が『ラッソ大銅貨』で、大きくて図案が簡単な方が『レッソ小銅貨』だ。レッソ十枚で、ラッソ一枚の扱いな」

「……紛らわしい!」


銅貨の名前さえ似ていて、非常に聞き間違えやすく面倒臭いのに、大きいサイズの銅貨の方が貨幣価値が低くて呼び名は小銅貨。

唯一の救いは、慣れ親しんだ十進法である事のみ。


「……ユーリさん、この調子で本当に、1人でお買い物に行ける日が来るんですかねえ……?」


シャルはいったいいつ購入したのやら、堅焼きパンに野菜などの具材を挟んだ物をモグモグと咀嚼しつつ、懐疑的な呟きを漏らしていた。

それは幾らですかと同僚に確認を取ったところ、一つ8レッソとの事。


……取り敢えず、クレープはシソ梅干しに似た味付けでそこそこ美味しかったです。

買い食い一発目がお高い買い物で、殆ど見て回るだけでまともにお土産が選べませんでしたけども。



お買い物研修を無事に終え、パヴォド伯爵邸へと送り届けてもらったユーリは、レディ・フィデリアから呼び出しを受け、レディの私室を訪れていた。

レディ・フィデリアとパヴォド伯爵閣下の私室は、夫婦共有の寝室を挟んでそれぞれ反対側に存在する。

ユーリには伯爵夫人から直々に呼び出しを受ける理由が思い当たらず、内心首を捻りながら足を運んだ。


ソファーに腰掛けたままユーリを出迎えたレディ。レディ・フィデリア付きのメイドさん方に、お茶の用意だけお願いして人払いした貴婦人は、実に真剣な面持ちでユーリに対面に座るよう促してくる。


「ユーリちゃん。あなたに重大な決断を問わねばならない案件があるの」

「な、何かありましたでしょうか?」

「じきに、グラちゃんが御前試合に出場する事になるのは、あなたも知っているでしょう?」

「はい」


レディ・フィデリアは昼間の寛ぎ用ドレスに包まれた胸を大きく上下させ、深く呼吸する。


「その日は是非わたくしが選んだドレスを身に着けて、ユーリちゃんにはグラちゃんの試合応援に臨んで欲しいの!」

「……はい?」


レディ・フィデリアの要望の主旨が今一つ分からず、ユーリはキョトンと瞬きをしていた。確かにこちらのレディは、かねてよりユーリを相手に着せ替え人形のように楽しみたい、といった意味合いの発言を幾度か口にしていた。

だが、それとグラの試合応援と、どういう関連があるのだろうか。


「グラちゃんも男の子ですもの。やっぱり、大切な女の子が自分の為にお洒落をして、懸命に応援してくれていれば、きっと力強く励まされてトーナメントでも優勝すると、わたくしは思うの」


両手で頬を覆い、夢見るようなうっとりとした眼差しで語るレディ・フィデリア。

その時、完璧に人払いがされているハズの伯爵夫人の私室で、ドアが開く音が響いた。見れば、寝室に続くドアが開いて、パヴォド伯爵がスタスタとソファーの傍らにやって来るではないか。


「おやおや。素敵な提案だけれどね、フィー」


いったいいつから、また何を目的として寝室でレディ・フィデリアとユーリの会話を聞いており、そして敢えて姿を現したのかは知らないが、パヴォド伯爵は妻の肩に腕を回して軽く口付けし、笑みを浮かべた。


「流石に御前試合ともなれば、知り合いも多い。見知らぬ令嬢が我々と同席して観戦しているとなれば、社交界で噂が独り歩きするのは目に見えているよ」

「まあ……それはいけませんわ。

せっかくグラちゃんが喜んでくれる、素晴らしい案だと思いましたのに」


レディ・フィデリアの残念がる様子からは、彼女は本心から息子を喜ばせたい一心であるという気持ちしか伝わってこない。

だがそもそも、ユーリが着飾って応援したところで、グラにとってはその他大勢の声援と大差ないという厳然たる事実を、レディは飲み込めていないようである。


「ユーリにそのつもりがあるのなら、手ずから刺繍したハンカチをグラの為に用意して欲しいと、私からも頼むところだがね」

「ハンカチ、ですか?」

「そう。レディが思いを込めて一針一針縫い付けた刺繍を施したハンカチを、観客席の最前列から出場者の腕に巻いてやり、勝利と出場者の無事を願うの」

「す、素敵な習慣ですね?」

「そう。ハンカチを授けてくれた愛するレディへ、騎士は勝利を捧げるものですわ」


レディ・フィデリアは、再び空中へと目線を向け、彼女の思い描く理想の騎士と乙女の絵図に浸っているらしい。

そう言えば、昨日は私室でエストが刺繍をしていたが、もしかするとあれは試合に出るグラの為に刺していたのかもしれない。


「……フィデリアのおねだりに応えて着飾ってグラの試合を応援に行けば、気が付けば観客席の最前列に押しやられて、いつの間にか握らされたハンカチをグラに差し出すしか無い状況にユーリが陥っていても、私はちっとも驚かないね」

「まあ、ディオン! 酷いわ、わたくしの秘密の計画を話してしまうだなんて」

「……ご助言、深く感謝致します、閣下」


恐らくそんな計画はあくまでも冗談だろうとは思うのだが、レディ・フィデリアが社交界における噂の伝播力と、さほど重要視されない真偽について把握していないとも思えない。


「私としては、ユーリには是非とも愛くるしい黒ネコの姿でグラを応援してあげて欲しいと思うね」

「まあ……」


本気なのか冗談なのか、これまた判断に困る提案がパヴォド伯爵の口から漏れた。


「普通のネコなら試合観戦や展覧会にだなんて、とてもではないが連れてはいけれないが、ユーリは賢い子だからはぐれて迷子になどならないだろう?」

「ええ、ええ、とても素敵だわ、ディオン!」


ユーリにとっては非常識かつ突飛な提案だとしか思えないのだが、パヴォド伯爵の案に奥方様は瞳をキラキラと輝かせて乗り気になり、身を乗り出す。


「……閣下。その、御前試合や展覧会が開催される会場とは、ペットを連れ込んでも良いような場所柄なのでしょうか?」


ユーリが恐る恐る確認を取ると、パヴォド伯爵は『これは心外な』と言いたげに片方の眉を上げた。


「忘れてしまったのかい、ユーリ? 私はパヴォド伯爵だよ。

しっかりと言い聞かせておけば、無闇に脱走したり騒ぎ立てない素直な君を連れているだけで、いったい誰が咎められると言うのかね?」


……あ。何だか久々に、パヴォド伯爵閣下のお貴族様らしい『ほら、私は何も間違っていないだろう』的ご意見を賜りました。

きっと、会場運営関係の方々は、こういった貴族の無意識な特権意識から出る要求に、日々翻弄されているんだと思います。


という訳でカルロスはその日、シャルを伴い再び伯爵邸にわざわざ呼び出されて、ユーリの外殻膜の設定を焦げ茶色の髪の娘から、黒ネコへと組み替えさせられたのである。

こういった不測の事態や二度手間が発生しても、やはりカルロスへは滞在許可が下りない。


……もしかして主、単純にパヴォド伯爵閣下から実は嫌われていて、重用されてる風を装ってチマチマと嫌がらせされてます?


人間の姿が黒髪の娘では、相変わらずこの国では悪い意味で目立ってしまうのではと訴えたところ、パヴォド伯爵閣下からイリスに相談するように言われた。

イリスの実家は化粧品関係も扱っている大きな商家だそうで、ファッションとして髪色を変える染め粉やら顔に塗る白粉やら紅やら、行儀見習いの身には不必要ではと思えるほど、様々な化粧用品が出てきた。


焦げ茶色だったユーリの髪が急に黒くなった事に対しても、イリスはさして頓着せず、


「ああ、バーデュロイではその髪、目立ちそうだものね。

ティカさん、染め粉が落ちちゃったの?」


と、深く追及もしないまま軽く髪を染めて、濃い茶色に仕上げてくれた。

ユーリの方が、むしろ自分の髪色がトラブルを呼び込むのではと、深く考え過ぎなのだろうか?


レディ・フィデリアは、ネコちゃんのお出掛け用バスケットを用意するよういそいそと家人に指示を出し、お母様から話を聞いたエストお嬢様も久々のネコ姿との触れ合いが楽しみなのか、いつにも増してニコニコ顔である。


唯一、忙しい最中にようやく帰宅が叶った若君様ことグラ本人だけが、ユーリがネコ姿で御前試合の応援に向かうらしいという話に、無表情からやや眉根を寄せて渋い表情を浮かべただけであった。

だが、無言のまま話を聞いているだけでは、当然ながらお父様伯爵とお母様伯爵夫人の決定は覆らない。



御前試合本戦トーナメント当日、晴れ渡ったその良き日。

ユーリは大人しくネコちゃん用バスケットに入って運ばれ、観戦用の応援席にて閣下やレディ方の腕の中でバトンとなる定めを甘んじて受け止めていた。


高位の貴族階級ほど、試合が間近で観戦出来る階下の席に座り、一般の観戦者は上段の遠方から臨むらしい。パヴォド伯爵家の面々が着席している席の周辺は、着飾った紳士淑女でいっぱいだ。

特別席こと王族の方々が観戦する場所は迫り出した屋根付きの高台で、見上げても遠目からでは様子がよく窺えない。


馬に乗って会場をぐるりと回ったグラが、パヴォド伯爵家の人々の座る観客席の側で止まり、エストからハンカチを手渡されて巻き付けている。丁度会場の向かい側でも対戦相手が同じように塀の前で馬を止めており、貴婦人からハンカチを渡されているのだろう。

ユーリを腕に抱えたまま、パヴォド伯爵は立ち上がった。


「グラシアノ」


低く、威厳のある声音で閣下は息子を呼びやる。

興味津々でグラと伯爵家の面々を観察していた人々……もしかしたら謎のヴェールに包まれたレディの姿を探していたのかもしれない。若君のみならず、そんな観客の目線をも集めた閣下。

この無駄に人々の関心を引く演出。もしやとは思うが、美ネコらしいと噂のユーリを人々に見せ付け自慢したいという意図もあって、閣下はわざわざユーリをネコ姿で連れ出してきたのだろうか。


「はい、父上」

「東方の要たる、我がパヴォド伯爵家の名に恥じぬ善戦を期待している」

「はっ」


グラは父に力強い眼差しで答えると、籠手に包まれた手を妹の頬へ軽く当て、視線を絡めた。


「行ってくるよ、エスト」

「ええ。ご武運を」


グラは馬上にて長いマントをバサリと捌きながら、馬首を会場の中央へと巡らせつつ、小脇に抱えていた兜を被る。

従者に預けていた、いかにも重たそうな長いランスを受け取ると軽々と片手に持ち、対戦相手が待つ定位置へと向かう。

試合開始を告げる審判の笛の音と共に、対峙する両者は馬を駆り、高速で真正面からすれ違った。



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