閑話 ご主人様から見たわんことにゃんこ そのじゅうに
「ユーリッ!」
野々村の宣言の後、くたりと身体から力が抜けたように隣席のウィリーに倒れかかるユーリ。
野々村がテーブルを回り込んでいる間、まるで縫い付けられたかのように誰も動けずにいた面々は、一部、ガタガタと慌てて席を立った。
カルロスもまた、しもべの名を呼びながら席を立ったが、傍らのわんこが勢い良く飛び出し、ウィリーの腕からにゃんこを奪い取った。
「……呼吸は規則正しいですし、熱もありません。眠っているのでしょうか?」
シャルはユーリの顔を覗き込み、思案げにそう推察しながら、彼女の乱れた髪の毛を整えてやった。
「ですがミチェル……あなた、本当にそのキーラとやらをユーリさんに渡したのですか?
こうして触っても、ユーリさんの身の内には魔力が満ちている感覚が全くしませんよ?」
シャルは怪訝そうに、意識の無いユーリの頬をペタペタと撫で回す。少しは遠慮しろ。
「そりゃ、ここが魔力遮断結界の中だからね。
オレの中から森崎さんの中に、穴空けて封印の鍵を埋め込む事は出来るけど、鍵に付随して潤滑剤的に流れ込む筈の魔力は、結界に遮られて入っていかなかったんでしょ」
「……待て、ミチェル。うちのユーリは、それだとキーラとしての秘術はどうなるんだ?」
カルロスが気絶してる間にベアトリスから譲られたキーラは、まるで最初から持っていたかのように身に馴染み、ベルベティー氏族に伝わる一子相伝の『狭霧鏡面秘術』に関しても、簡単に使えそうな手応えがある。
だが、ユーリには元々魔力などなく、ジェッセニアのキーラが持つ秘術は……
「そりゃ、魔力ゼロの森崎さんが秘術使える訳ないじゃん。
言っとくけど、マレンジスの魔術師の魂を吸収していない地球人に、魔力を感知するようになれって、これから一生ご飯食べずに何百年と生活していけって要求するのと同じくらい、無茶ぶりだから。
霞食って生きていける仙人クラスまでは遠いなー、森崎さん」
付随されるはずの身を守る術さえ無く、深く重い責任がのし掛かるその地位を押し付けられてしまった事をまだ知らぬしもべの寝顔は、平穏そうに見える。
「ミチェル、貴様、何を考えている!?」
ユーリの傍らに佇んだまま、うっすらと笑みを浮かべるミチェルにつかつかと詰め寄ったアティリオが、ミチェルの胸倉を掴み上げた。
「アティリオ君、主旨を明確に言ってくれないと、オレにはそれだけじゃ意味が分かんないよ?」
「ティカに強引にキーラを継承させるとはどういう了見だ、と聞いているんだ!」
カッ! と激昂して怒鳴るアティリオに、ミチェルは鼻で笑って胸倉を掴む手を振り払った。
「どういう了見? そっちこそ何言ってんだか。
オレから次世代にキーラを譲るよう要請してきたのはそっちだし、後継者の資格を持っていたのは森崎さんだけだ。その事を隠し通さず口に出したのはカルロスさんだし、オレはアンタらの望み通りにした。
まだ足りないのか? 責任や問題があるのは全てオレだけで、まだオレを責め立て疑惑を向けなきゃ安心出来ないのか?」
「なっ……!?」
嘲笑を浮かべて室内の面々を見やるミチェルに、アティリオは怒りのあまり言葉さえ出てこなくなったらしい。
カルロスはアティリオの肩を押してミチェルから遠ざけ、悪意を撒き散らす男を見据えた。
「……誰かから要請されなければ、そもそもミチェルはキーラを譲らなかったと?」
「最初っからそう言ってるじゃん?」
「俺がユーリの名を出さなければ、強引に押し付けたりもしなかった?」
「うん。だってここの連盟の人達、皆知らなかったみたいだしね。オレと森崎さんが血縁者だって」
軽薄な笑みを浮かべて言い切るミチェルに、カルロスは目眩がしてきた。
「ミチェル、それは詭弁だ」
「詭弁、ね。
まあ全部オレのせいにすれば気持ちの上では簡単だろうけど、自分達の発言の責任はしっかり果たしてもらいたいね」
クリストバル代表が苦々しく吐き捨てると、ミチェルはふと真顔になってシャルに抱えられた、意識の無いユーリを見やる。
「森崎さんは自分でも言ってた通り、弱いよ。
風呂場で石鹸踏んづけて転んで死ぬかもしれないし、頭上から不意に降ってきたゴミで鼻と口塞がれて呼吸困難引き起こして死ぬかもしれない。
中途半端に小賢しいくせに馬鹿だから、面倒事の中心に自分から突っ込んで立ち往生なんかもしょっちゅうだ」
「……まるで、見てきたように言うのね」
席に着いたまま、冷ややかな眼差しでミチェルを見据えるルティに、ミチェルは「当たり前でしょ?」と呟いた。
「あれだけ脅しておけば、いくら森崎さんが考え無しでも、多少は身を慎むでしょ。
オレなら問題なく、自分の身を守れる。立ち回り方も、対処方法も全部心得てる。だけど森崎さんはそうじゃない。
オレはみすみす死ぬようなヘマはしないけど、森崎さんは簡単に死ぬ。
盤石に封印の鍵を任せておける人材から、自分達の勝手な都合で封印の鍵を移せと強請った。そのツケはお前ら自身が贖え」
「……もとより、わしらは封印の鍵の担い手を身命に賭して守護するつもりよ」
ダミアン長老はゆったりと頷き、余裕の表情を浮かべている。彼にとっては、ミチェル以外であれば誰がジェッセニアのキーラであろうと構わないのだろう。平和の為ならば、むしろ『キーラ』という封印の担い手に、人格や意志など不要だと考えていそうだ。
「さて、飯も食い終わったし、それじゃあオレはそろそろ次の氏族長を探しに行くとするわ。
料理人さんに、『すげー美味かった。有り難う』って伝えといて」
やりたいようにやる、そんな性分のミチェルはどこまでもマイペースに、ひらひらと片手を振って魔術遮断結界が張られた室内のドアに手を伸ばす。一同の身に緊張が走るが、ミチェルはごく普通の足取りですたすたと部屋を出ただけだ。
カルロスは、ユーリの身がシャルの手でしっかりと守られているのを確認してから、ミチェルの後を追って部屋を出た。
「来たね、カルロスさん」
すぐに立ち去る事も出来たミチェルは、しかし中央部が吹き抜けとなっている円形の手すりに背中を預け、腕を組んでこちらを見つめてきた。
「ミチェル、お前は何故そうもユーリを苦しめようとするんだ」
「わざわざ追ってきたと思えば、またそれ?
オレは森崎さんが嫌いだからだよ」
「地球でユーリをつけ回していたのは、俺からの召喚を待っていたというのは分かる。
だが、こちらに来たのなら、お前にとって嫌いなユーリに、もういちいち関わる必要は無いだろう」
カルロスが詰め寄ると、ミチェルは手すりに背を預けたまま「んー」と、上半身を逸らして吹き抜けの天井へと視線を向けた。
「森崎さんってさ、スィーツじゃん」
「うちのネコのどこが菓子だ」
「ここにきて言葉の壁!?
えー、テイクツー。森崎さんって、危機意識薄いじゃん」
「……まあ、それは否定しない」
「オレが最初っからフツーの態度で、向こうが理解出来るまで礼儀と言葉尽くしたら、あのスィーツはこっちに感謝して、懐いてくるのが目に見えてるワケ」
カルロスとしては、態度やイメージの悪さと言葉の取捨から彼らの関係が拗れたと思っており、ミチェルのこの発言には全面的には同意をしかねたが、可能性としては有り得るな、と納得もいった。
「冗談じゃねえ。
ただでさえ面倒臭い森崎さんに懐かれるとか、ごめん被るね。
守られて当然の顔したあいつの顔見てると、こっちは苛々するっつーのによ」
「だから、わざと嫌われるように振る舞っているのか?」
「好かれたくないんだから、当然じゃん。
ジェッセニアのキーラにしてもそうだ。庇われる事に胡座かいてる森崎さんが、守られる生き様に罪悪感覚えるようになるなら万々歳」
「……おい、まさかユーリがジェッセニアのキーラとしての魔力を得ないよう、敢えて魔術遮断結界の中で継承したのか?」
責任を押し付けておきながら特権は与えなかったのかと、流石に怒りをぶつけずにいられなくなったカルロスに、ミチェルは不思議そうな眼差しを湛えて顎を引く。
「弱っちい森崎さんは、過ぎた力なんか与えられても、怯えて自滅するだけだよ?
それに、森崎さんはカルロスさんのクォンなんだから、いざとなったらカルロスさんがジェッセニアのキーラとしての力を行使すれば良い。森崎さんの持つもの全ては、カルロスさんが自由にする権利がある」
「……よく分かった。一見してユーリに全て押し付けたように見せ掛けて、実際のところは俺に責任おっ被せやがったんだな」
「ご名答~」
ひょい、と姿勢を戻して、ミチェルは晴れ晴れとした笑みを浮かべた。
「森崎さんは史上最弱のキーラになった。よってたかって周囲から庇われ守られ、一挙手一投足に細心の注意が払われるようになる。もしかしたら、安全性を最優先されて幽閉されるかもしれない。
……ここまでくればもう、オレがあの馬鹿の安全を気に掛けなきゃならない義務は無い。周囲が率先してその役目を果たすから。
やっとオレは解放されたんだ」
「それなら、もうユーリに会う必要も突っかかる必要も無いな」
「そうだね。
……あ、でももう一つだけ用件があったなあ。カルロスさんの生活が落ち着いた頃に、お願いに行くよ」
「おい、勝手な……」
ミチェルの一方的な宣言に、カルロスが反論を終えるよりも早く。ミチェルは音もなく瞬間転移で姿を消した。
身勝手だし、文句も言い足りないというのに、こちらの都合など端から無視だ。
ああいった手合いと対決するには、向こうのペースに巻き込まれないよう、話の主導権をこちらが握っておく必要があるのだが、カルロスはその手の機微に疎い。
「……ルティを連れて来てれば、上手くやり込められたかもしれん」
殴り損ねた拳を握り締め、カルロスは静けさに満ちた廊下で憮然と呟いた。
その後、気持ちを落ち着けて部屋に戻ってきたベアトリスとセラフィナは、ユーリがミチェルからジェッセニアのキーラを引き継いだと耳にし、危うく気絶しかけた。
彼女らは男性陣とはまた異なる見解を持っており、ユーリのような素人の小娘が封印の鍵を預かっているよりも、ミチェルに守らせておいた方がまだしも危険が少ないと考えたらしい。後の祭りだが。
意識が戻らないユーリを、魔術師連盟の面々は森の家に連れて帰る事を、一様に『危険だ』と難色を示し、キーラとしての面倒臭いしがらみに満ちた立場を突きつけられたカルロス。
今まで安穏と暮らしてこれた、何の責任も持たない一構成員としての暮らしが、早くも恋しくなるが、これから先、キーラの立場は長らく付き合っていかねばならぬ義務である。
改めて、師匠にして祖母であったベアトリスの苦労と鬱憤に思いを馳せつつ、ユーリの身はこれまで通りパヴォド伯爵邸に預ける事で合意に至った。
ユーリがうっかりジェッセニアのキーラの地位を押し付けられてしまった事を知る者は、情報に規制を敷きつつ厳選しなくてはならない。
彼女の身を守る為、事情を把握している護衛は多く必要となる。だが、よからぬ輩に利用されないよう、キーラとは何であるのか、そしてまたユーリがそれに該当する事は、そういった筋には知られてない方が安全だ。
最も厳重に警戒しなくてはならないのは、無論、世界浄化派であろう。とはいえ彼らは、未だミチェルの行方を追っているのだろうけれど。
パヴォド伯爵邸、その執務室にて。
伯爵閣下へこれまでの出来事の報告を終えたカルロスに、執務机の向こうに腰掛けている閣下は、「ふむ」と一つ呟き吟味するような素振りを見せた。
しばしの沈黙の後に、カルロスへと視線を合わせてくる。
「これまで以上に、身辺には気を配りたまえ、カルロス。ユーリの身の安全は、私の方でも十分注意を払っておこう。
頼まれずとも、この屋敷の周囲をうろつく少年エルフも居る事だしね」
伯爵閣下の目線の先、窓の向こうの伯爵邸敷地の塀の向こう側。さっきから同じルートをぐるぐると回り、本人としては周辺をパトロールしているつもりらしきウィリーの、薄い色合いの金髪がひょこひょこと見え隠れ。
「さて。今、私が最も気にかかっている事項について、一つ確認をしておきたいのだが、良いかね?」
「はい」
執務机に組んだ手を置き、穏やかに尋ねてくるパヴォド伯爵。
カルロスは視線を窓から引き戻し、神妙な表情で上司を見返した。パヴォド伯爵は目は冷徹な光を放ちつつ、口元には笑みの形を浮かべ、問うてきた。
「王太后陛下の誕生日祝典、それに伴う展覧会への作品出品期日が迫ってきているが、製作過程は順調かね?」
「あ……」
正直に言おう。
色々有りすぎて、展覧会出品までの締め切りが近付いてきている事を、カルロスはすっかりと忘れ去ってしまっていた。
いや待て今日は何日だ? これからああしてあれやってこれ済ませて……と、手順と工程に沿って必要な時間を頭の中で試算してみると、かなりギリギリである。
「これから作業場に籠もって、最終段階に入ります」
「そうか、完成品を楽しみにしているよ」
「はっ」
恭しくパヴォド伯爵閣下の執務室を退室し、カルロスはシャルの襟首を引っ付かんでズンズンと足早に廊下を進みつつ、矢継ぎ早に今後の計画を述べた。
「シャル! 時間がねえ! 今から大急ぎで森の家に俺を運んで戻って、お前はその後、全速力でハイネベルダに飛んで、マルトリリーを取って来い!」
「やれやれ。マスターは本当にイヌ使いが荒いですねえ」
「やかましい! 時間がねぇんだボケ!」
果たして間に合うか?
カルロスの心配は目下のところ、それに尽きた。