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「何よ。何か言いたい事でもあんの」
怯えるウィリーを庇うように、ユーリがギッ! と強い眼差しで睨み付けると、野々村は『やれやれ』と言いたげに肩を竦めた。
「森崎さんって、本当にキィキィうるさいよね。どーしてそう、無駄に喧嘩腰なんだか」
「アンタがそうやって、いちいち突っかかってくるからでしょうが」
「ティー、おれは良いから!」
ふん、と鼻で笑って小馬鹿にしてくる野々村に、眉をしかめて文句を返すユーリの身を案じてか、ウィリーがユーリの腕を引いて落ち着くよう諫めてくる。
「どうも、ミチェル殿とティカは妙に険悪なようじゃの」
「……私の目には、単なる子供同士の口喧嘩にしか見えませんが……」
老人口調の長老様の呟きに、同意しかねる様子でクリストバル代表は口を挟む。
「ミチェル、君はカルロスに危害を加えるつもりがなかったと言うが、魔王を自称し本人の意志を無視して連れ去るというのは、立派に危害を加えているのではないか?」
「あー」
代表からやや厳しい態度で(あくまでも『やや』な辺りに、氏族長の特権を感じる)咎められ、野々村は言葉を探すように視線をさ迷わせた。
「カルロスさんをエサにすれば、森崎さんがちゃんとやる気出すかと思ったんで、演出として連れて行きました!
ご心配とご迷惑をお掛けした皆さん、カルロスさん、ごめんなさい」
そして野々村はあろうことか、ぺこりと頭を下げて謝意を示す。
「……カルロス、攫われている間、君はいったいどうしていたんだ?」
「いや、それが。あの赤いデカブツを片付けた後、魔力が空っぽになったせいかぐっすり眠ってて、一度目が覚めた時にベッドサイドの水飲んで、そのまままた爆睡。
迎えに来たこいつらが枕元で騒ぎ出すまで、ひたっすらフカフカベッドで気持ち良~く寝てただけだ」
事の真相を探るべく、アティリオから半眼で問われ、カルロスは頬をポリポリとかきながら正直に答えた。
因みにかのご主人様は腹ごなしを優先した為、未だにお高そうなお寝間着姿のままだ。その格好でも、連盟の人々から特に何も言われないのは……やけに似合っているからだろうか?
「……それって危害、か?」
「むしろやってる事そのものは、危険地区からの戦闘不能者退避行動、とも言えますね」
やる気ナッシング長老が笑い含みで誰にともなく問い、ルティことブラウはテーブルの上に置いた片手、その人差し指でテーブルに音を立てずにとんとんと叩きつつ、皮肉げに返した。
「つまりミチェルの行動に何か問題があるとすれば、はた迷惑な虚言行為だ。
その、モリサキさん? に、何をさせたかったのかは理解しがたいが、無関係な人間に不信感や不安感を与えるような言動は慎んでもらいたい」
「はい、しっかと承りました」
クリストバル代表は悩んだ末、ミチェルに厳重注意を与えたのみで、この問題を片付けてしまうつもりらしい。
多くの人間に心配や迷惑を掛けた愉快犯であるが、野々村の取り扱いや対応には慎重に当たらないと、もっと過激な報復行為を受けてしまうと危惧しているようだ。これが四面楚歌な魔術師連盟の生き延びる為の術であり、権力こそ握っていないが、実力社会の頂点に限りなく近く、自身の生命そのものが全世界に対する人質のような存在である野々村に与えられた、理不尽で不条理な特権なのだ。
「だいたい、俺を攫って挑発して、ユーリを奮起させて何したかったんだお前」
「そりゃ決まってるよカルロスさん。因縁の決着」
「……因縁つけてきてるのは、どー考えてもそっちじゃないですか」
「実力で白黒付けようとしても、すぐ泣き真似して男の影に隠れるような女は始末に負えないね」
「実力ってアンタ、自分が何言ってるか分かってます?
私と真っ向勝負したいとかってつまり早い話、白黒も何も弱いもの苛めして私を痛めつけて、『どうだオレは強いんだー』とか、私を踏みつけて悦りたいとか下種発言してんのと同じですけど」
睨み合うユーリと野々村に、カルロスは疲労感を滲ませ問い掛けた。
「……念の為確認しておくが、お前らお互いの事をどういう認識で見てるんだ?」
「スィーツで被害妄想激しい、何でもかんでもこっちを悪者に仕立て上げようと躍起になる、『違うの、あなたなら分かってくれるでしょう?』『私って本当に可哀想なの』ぶってる悲劇のヒロイン気取り」
「力の意味と覚悟を理解していない、嫉妬して八つ当たりするしか脳のない、与えちゃいけない巨大過ぎる力を与えられて、好き嫌いで力を振り撒いて回ってる、理不尽で不条理ではた迷惑な局地的災害スイッチ握ったガキ」
ユーリは自分を悲劇のヒロインだなんて思ってもいないと言うのに、失礼過ぎる認識に腹は立つが、野々村もまた、ユーリの認識に非常に不愉快そうな眼差しで睨み付けてくる。
「……仲が悪い、お互いに歩み寄る意志は無いというのは、よく分かった。
何も無理に仲良しこよしに関係修復に当たる必要は無いんだ。周囲に迷惑を掛けない分には、存分にいがみ合っていれば良い」
クリストバル代表は非常に疲れた様子で匙を投げた。
相手が自分を理解しよう、汲み取ろうとしてくれる態度を見せず、ひたすら傷付け貶めようとしてくる限り、自分が相手を理解し、自身の考えや思いを分かって貰おうと腐心するのは、ただ単に自分の神経が擦り切れ徒労に終わるだけだ。
全ての問題は真摯な言葉と正義の心とで解決する、などというのは単なる理想であり、現実的ではない。噛み合わず食い違い対立する思考は、ぶつかり合う事を避ける事でしか紛争への発展を防げない。
「さてさて。わしにはそんな訓戒のみで今後何の問題も無く、つつがなき平穏が訪れるとは、到底思えんの」
老人口調の長老様は、セラフィナ長老が皮を剥いて下さっていた果物を美味しそうに一切れ咀嚼し、お茶を飲んでから懐疑的な見解を述べた。
「ウィルフレドの懸念も最もなものとわしの耳には聞こえたし、これまでのやり取りから察するに、ミチェルはどうにも過分に不遜な性分であるようじゃ。
周囲からはそう見えるようわざと振る舞っておるのではなく、実力に裏打ちされた自信故に、自由気ままな生き様でありながら、自身を偽る必要性も覚えず、当然のように自己保身に走りもせん」
「……えーと。オレ、褒められてる? これ」
「分からないんですか、ミチェル? あなた、ダミアン長老様から呆れられてるんですよ。
分かり易く要約すると、『ミチェルって自信家で、その上態度デカいよね!』だそうです」
「えー」
老人口調の長老様の名は、ダミアンというらしい。
野々村は首を傾げて呟き、シャルが笑顔で補完した。果たしてその要約は、正確なのだろうか。わんこ通訳が飛び出すたびに、発言者の真意が歪められていく気がしてならない。
ダミアン長老はシャルの発言に、「これ」と軽く叱りつけてから、言葉を続けた。
「なるほど、ミチェルは確かに我らを警戒する必要など無かろう。例え軽んじられても、我らには不平不満を述べられる実力も権限もありはせん。
しかしの、敢えて苦言を呈すれば、そなたが最も警戒すべき存在はそなた自身ではないかの?」
「……どゆ事?」
「ああ、なるほど……」
キョトンと瞬きをする野々村だったが、ブラウが得心がいったように首肯する。
「ミチェルは主人の魂を吸収したクォンであり、通常の魔術師よりも高い潜在能力と魔力を持っている。その上、最も危険性の高いジェッセニアのキーラである。
それは裏を返せば、万が一ミチェルが暴走を始めた時、止められる者がこのマレンジスには存在しないと言うこと」
「勝手に人を危険物扱いするのは止めて欲しいんだけど?」
不満げに零す野々村だが、奴は今現在こそ『自称・魔王』だが、精神的な限界が訪れたその時には、間違いなく破壊と無慈悲を振り撒く本物の魔王に変化する男だ。迷惑だ。非常に迷惑だ。
「ティカちゃんに意地悪したい、なんて理由だけでカル先輩を攫っていったあなたが、いつ平常心や良識をどっかにポロッと落っことしてくるやら、あたしは全く信用も安心も出来ないわ」
「ひでー言いようだな、おい」
キッパリと断言したブラウに不満げな顔をする野々村だったが、テーブルを囲む面々は一様に険しい表情を見せている。それは、大なり小なり、ブラウの発言に共感を覚えたという事に他ならない。
「だからつまり、何?
いつかオレが危険物に化けるかもしれないのが不安だから、どっかに閉じ込めておこうって事?」
「そんな事はしない。いいや、出来ない」
挑発するように鼻で笑いながら言い放つ野々村に、クリストバル代表は首を左右に振って即座に否定した。
「いつかの危機に、現状対抗策が存在しないと言うのならば、対抗出来るよう切り札を作り出せば良い。そうでしょう、ダミアン?」
「左様。下手に閉じ込めては激しい反発を受けるというのは、わしらは嫌というほど学んでおるしの?」
ダミアン長老からのわざとらしい言い種と目線に、シャルはにっこりと笑って返した。
「ミチェルよ、守ろうと志すマレンジスへ、そなた自身がいずれ危難と化す未来の懸念を無くす為にも、ジェッセニアのキーラを次の担い手に譲り渡す意志は無いかの?」
「……そうか、キーラではないミチェルなら、例え正常な思考力を失って暴走し始めたとしても、防ぎ抑える事も容易くなる」
ダミアン長老の話に、アティリオが納得したように呟く。
「……あのさあ、それって、いかにもオレの為~みたいな言い方してっけど、要はオレの存在そのものが怖いってだけだろ?
オレがアンタらの為に譲歩して、ロベルティナからの大事な預かりもんを手放すのって、オレに何かメリットでもあんの?」
「でも、ミチェルだっていつかはその鍵を次の人に渡すのでしょう?」
「ん?」
不満を目一杯訴える眼差しで一同を見やり、野々村がバカバカしいと話を切り上げようとしたところ、シャルがむしろ不思議そうに尋ね、野々村は予想外の事を問われたようにシャルを見返した。
「それが今になったとして、何か重大な問題でもあるんですか?」
「……んん?」
「キーラ? とかいう存在じゃないと、残りの氏族長を探せられないとか?」
「んな事はねえけど……」
「じゃあ、何で鍵を渡したくないんですか? 独り占めしていたいから?」
「昔、キーラに固執し過ぎて譲り渡さず死んで、封印解錠したアホも居たなあ。オレはああはなりたくねえ」
「じゃあ、次に渡したって良いじゃないですか。『いつか』が『今』になっただけですよ」
「それもそうか」
ザ・イヌ理論な話術を展開する同僚に素直に言いくるめられている辺り、野々村の精神年齢は相当低そうだ。何というかシャルと野々村は、ユーリには今一つ理解しがたい何がしかの観点で、妙にウマでも合うのだろうか。
「……あの銀髪の人、やっぱりすげぇなあ。流石はカルロス先輩のクォンだ」
そしてウィリーは、絶対にシャルの事を買い被り過ぎている。
「では、ミチェルも同意してくれた事だし、早速キーラ継承を……」
「つーかよ、代表は誰に渡して貰う気なんだ?」
「それはやはり、ベアトリスだろう。彼女はロベルティナ陛下とはそれなりに近い血縁だったはず」
パッと表情を輝かせ、いそいそとベアトリスの様子を見に行こうとするクリストバル代表に、やる気ナッシング長老が気怠げに口を挟み、代表はどうしてそんな事を問われるのか分からない、と言いたげに戸惑いがちに答えた。
野々村はニヤッと嫌な笑みを浮かべ、黙って成り行きを見守っている。
「……ねえ、もしかしてだけど」
「ああ、僕も恐らく同じ懸念が浮かんだ」
ブラウが低く呟き、アティリオも力無く頷く。
「……キーラの継承条件は、保持者から見て、近親血縁者……」
「そうだよ?」
クリストバル代表の呟きに、野々村は悪びれもせずに頷く。さあ、自分のキーラを譲ってやるからさっさと後継者を連れて来い、と言わんばかりの態度。
「つまり、面倒臭い事に、ミチェル自身の血縁者でないと、ジェッセニアのキーラを継承出来ない訳ね。
あなた、子供とか兄弟姉妹とか、血縁者は居るの?」
「独身で子供も無しの一人っ子。両親は死別で父方の親類は知らね。母さんの姉は地球在住」
ブラウがテキパキと、簡潔に要点を答えるよう求め、応えてテーブルに頬杖をついてニヤニヤと語る野々村。
「それじゃあどうしようも無いじゃないか」
「それならつまり、ユーリが引き継げば良いと言いたいのか?」
諦念を露わにするアティリオと、カルロスの嫌々発せられた台詞が見事に重なった。
「ま、オレはマレンジスの人の血は一滴も引いてねえから、キーラを渡せるのは森崎さんしか居ねえなあ」
「……」
ニヤニヤと、嫌な気分にしかならない笑みを消さない野々村に、ユーリの警戒心は高まる。
「連盟の人達がどうしてもって言うんだから、こりゃもう仕方がないよね、森崎さん?
キーラの地位を譲り受けるのは、決して喜びや祝福なんかじゃない。
無事に次世代に譲り渡すまで、何があろうと決して死んではならない責任と、キーラの身を守る為に周囲の人全てが擲つ命の怨嗟、重圧を背負う。
世界を支える人柱でありながら恨み辛みを一身に受け、折れる事は絶対に許されず、歩いた道筋に屍と骸を振り捨てながら、毅然と立ち向かわなくてはならない」
奴は席を立ち、ゆっくりとした足取りでテーブルを回り込み、台詞の端々に嘲笑を含みながら独り言のように喋りつつ、ユーリが腰掛ける椅子の傍らに立った。
椅子に腰掛けたまま、唇を噛み締め野々村を見上げて睨むユーリに、笑いながら人差し指を額に突き付けてきた。
「我がジェッセニアのキーラをそなたに譲る。
呪われろ、森崎悠里」
最高の嫌がらせだ。
野々村のその言葉を最後に、頭の中へと強引かつ勝手に書き込まれていく何かに呑まれ、ユーリの意識は暗転した。