光鎖の呪縛
魔術師連盟本部の塔へと帰還を果たしたのは、既に昼をとうに回った時間帯の事であった。
危険人物野々村を、無事捕獲したアティリオとベアトリスであるが、カルロスを始めユーリやシャル、野々村から空腹を訴えられて、長老達はユーリにとって予想外の結論を下した。
連盟の一室にて一堂に会し、遅い昼食会談と相成ったのである。
恐らく、野々村はジェッセニア氏族長である、という事実が長老達に対応を迷わせる原因となっているのでは、と思われた。
魔術遮断結界が張られた、小会議室のような一室にて。
テーブルに着いているのは、長老格の五名と、カルロス、ユーリ、人間の姿に変化して布地を巻き付けたシャル。それからカルロスやユーリの身を案じてくれたのか、話の展開に興味があるのかアティリオとルティ姿のブラウに、ウィリー。
そして、椅子に捕縛すらされておらず、嬉々として料理をパクつく野々村である。
「これだけの面々に囲まれて、魔術遮断結界の中で、よく呑気に食事がとれますねえ、ミチェル」
「あ? 何で?
毒とか入っててうっかりオレを殺したら、むしろここの連盟の方が大問題抱えて自滅する羽目になるだけだし、人を拘束してきたらそれ相応に対処すれば良い話だし。出してくれた飯を有り難く頂くのに、何の不都合もねーじゃん」
思うに、奴はジェッセニアのキーラという立場を笠に着ている気がする。
「この人数に見張られながらは、拘束には値しないと?」
「しねーな。殺気に満ち溢れた武装集団に、魔術遮断結界の中で取り囲まれてるならともかく。
オレにとっての拘束ってのは、薬で強引に意識を失わされて良いようにされるとか、身内の喉元に包丁突き付けた奴に意に染まない行為を強制されるとか、そういう感じ?」
「ああ、なるほど分かります。
わたしにとっても、今この状況下から脱出するのはさして難しい事ではありませんから、閉塞感や束縛感は覚えません」
「だよな」
……あの同僚は何故、ああも呑気に野々村と理解しあっているのだろうか。
ああ、魔術遮断結界が張られた待機室のドアに、外から鍵が掛けられるかどうかで感じる不快感の有無だとか、そういう点か。
因みに、腹減りを訴えた面々の前にはボリュームのある食事、席に着いている他の人々の前には軽食やフルーツなどである。……別段、空腹だと言っていなかったアティリオの前にも、何故かボリュームたっぷりの食事が並べられているが、お昼を食いっぱぐれたのだろうか。
「へー、川魚なんて臭みがあると思ってたけど、けっこう美味いなー。料理人の腕が良いのか?」
「魚を美味しく調理するのは難しいですよねぇ」
「海の魚は新鮮なら生でも美味いぜ?」
「……生魚……?」
「うげ……」
もっぱら、食事を取りながら取り留めのないお喋りを交わすのは野々村とシャルである。生の魚を食す、という概念や習慣の無い食文化で育ったブラウや面倒臭がり長老は、野々村の発言に眉をしかめた。
長老達は、暴れるでも脅迫してくるでも攻撃してくるでもない、ひたすら料理に舌鼓を打つ自称・魔王に、どう対処して良いものか、思い悩んでいる様子だった。
ジェッセニアのキーラを、本人の意志を無視して無理やりに連盟に連れてくるのは賛成しかねる、とベアトリスは以前言っていたが、長老達にとってもそれは共通の考えであるらしい。
下手に攻撃的な態度は取れない。かといって気を許せるほど、信用などおけやしない。非常に困惑しているようだ。
ユーリとしては、野々村との親交を深めたりする気は全く無いが、その対応を自分以外の誰かに押し付けるつもりは毛頭無い。有益だと判断するなら、勝手に自己判断と自己責任で親しくなれば良い。
ユーリに対しては最悪の態度を取る相手だが、野々村はカルロスやシャル個人に対しては妙に馴れ馴れしい。
「……聞いても良いかしら、ミチェル?」
「何? フレイセ」
考えを纏めたのか、思い切って口火を切ったベアトリスに、野々村は先ほど潰されかけたというのに、それには全く頓着せずに、口の中のものを飲み込んでから軽い返事を返した。
「……あたしをその呼び名で呼ぶのは止めてくれるかしら?
あなたが真実ロービィだというのならばともかく、ミチェルはロービィではないのでしょう?」
「そ? オレはフレイセって響きが気に入ってるんだけど、ベアトリスがオレには呼ばれたくないなら仕方がないか」
「……あなたはいったい、誰なの?」
彼らのやり取りに、固唾を飲んで見守る一堂。一部、興味薄そうに食事に専念しているが。
「オレは地球人の野々村路琉、デュアレックスの女王、ロベルティナのクォンだ」
「陛下のクォン……陛下がマイスターだというのは知られた話だが、クォンは召喚された場で吸収されたのではなかったかの?」
野々村の宣言に、老人口調の長老が懐疑的に顎を撫でた。その隣席では、もう1人の女性長老様、セラフィナが果物の皮を剥きつつ頷いている。
「ロベルティナは吸収したふりしただけで、そのまま地球に送還されたんだよ、オレ。
ロベルティナは最初からオレの魂が欲しかったんじゃなくて、封印の鍵を渡す次代の相手、そのストックとしてオレを確保しときたかっただけだから」
「……馬鹿な、キーラの地位をクォンに渡すなど前代未聞だ!?」
よほど予想外の話だったのか、クリストバルは野々村へ、偽りを口にしているに違いないと非難の眼差しを向ける。
「これは誓って本当の話なんだけど。
封印の鍵を譲れる相手は近しい血縁者で、封印の鍵を預かる氏族長を、みすみすそのまま死なせる訳にはいかないって認識は知ってる?」
疑われようが気にした様子もなく、野々村は淡々と語る。どうも奴は、ユーリとその他の相手に対する態度に天と地ほど対応の差がある。
「ロベルティナは最後のジェッセニア氏族だった。
両親は既に亡く、子を望めない体質であると知った彼女が、考えに考え抜き、辿り着いた最後の選択肢。仮契約のクォンに、自分の魂ごと封印の鍵を託す事」
「……確かに、ロベルティナはずっと子に恵まれなかったけど。だけど!」
「ロベルティナは、ベアトリスを大事に思ってたよ。
もう会うことが出来なくなっても、幸せにやってくれていれば良いって、遠くから願ってた。
ベアトリスはハイネベルダに帰れなかった事、もしかして気にしてる? だとしたら全然問題無いよ。異界の門の異変にベアトリスは巻き込まれずに済んだって、ロベルティナはすごく安心してたから」
「……ごめん、あたし、ちょっと……」
「ベアトリス……」
労りさえ感じられる野々村、というのは不思議なものだが、あれは野々村ではなく亡き女王ロベルティナとしての感情だ。
ベアトリスは耐えきれなくなったのか、俯きがちに席を立ち、部屋を駆け出していった。心配になったのか、皮を剥き終えた果物の皿を隣のお年寄り口調の長老様へと押しやり、セラフィナも席を立ち追い掛ける。
「フレイセは無事に生きてて良かったなあ……ちゃんと伝えられたよ、ローベル」
ベアトリスが飛び出していったドアをぼんやりと眺め、野々村はぽつりと独り言ちる。
ユーリが思うに、彼は死者の遺志に深く殉してばかりいるのではないだろうか。野々村自身の中から湧き上がってくる感情は、ユーリにぶつける妬心ばかりだ。
だが、母・千佳が既に亡い今、ユーリと野々村の関係は歪なままだろう。何といってもあの男が心底から望み欲し、ユーリを嫉むのは、彼の発言から推察するに、ユーリの地球で過ごした人生……千佳の息子としての暮らしそのものなのだから。
「一旦は攫ったカルロスをわざわざこうして返しに来たり、師匠の知人に関する件で気を巡らせてみたり、君はいったい何がしたいんだ、ミチェル? 君の行動は僕から見ると、支離滅裂だ」
心配そうに、ベアトリスの消えたドアを見守っていたアティリオが、表情を引き締め尋問に移った。ご飯を食べながら、というのがどうにも場の緊迫感を削ぐが、無闇に野生動物の反発を買うのは賢明ではない、という理念と同じだろう。
「オレの中では統合性が取れてるよ?
そもそも、カルロスさんに危害を加えたり何かを無理強いするつもりはなかったし、ベアトリスの事はずっと気に掛かってた。
まさか、城に幽閉されてるんじゃなくて、連盟で自由気ままに振る舞ってるとはこっちは思いもしてなかったから、会いに来るのが遅くなっただけで」
「……ミチェルのバーデュロイでの要件というのは、師匠……ベアトリス様を探していたの?」
「そう。正確には、氏族長達の行方をね。
ロベルティナが気に病んでいたのは、ハイネベルダ宮殿地下に封印された異界の門が解放されないか、これから先、マレンジスが危険に曝されないか……だからオレは、このマレンジスっていう世界そのものを守る為にずっと頑張ってる。それだけ。
氏族長達に協力してもらって、異界の門を再封印したいから、今の氏族長達の行方を追ってるんだけど、誰か知らない?」
「生憎、我々の方でも何の情報も得られていない」
「そっかー。ま、バーデュロイにはベアトリス……今はカルロスさんだけど。ベルベティーしか居ないっぽかったから、しょうがないね」
同席している人々は、野々村の語る事情に戸惑っている様子だ。
あれは一応、キチガイじみた言動を繰り広げない限り、ごくマトモな人間であるかのように振る舞う事が出来る。だからこそ、先日の気持ちが悪い言動を披露した際のイメージと、現在の態度から受ける印象が上手く馴染まず、混乱するのだろう。
ユーリは最早、『そういう奴』という分類に区別しているけれど。
「ね、ティー」
と、ユーリの隣席でお茶とサンドイッチを頂いていたウィリーが、小声で呼びかけながら彼女の服の袖を軽く引いた。
「……あの人、本当にハイエルフである主人の魂を吸収したクォンなの?」
「本当らしいよ。長老方が反論しなかった辺り、クォンでなきゃ、色々説明がつかないんじゃない? 野々村がジェッセニアのキーラである事は」
「だとしたら、何であの人、あんなに健康そうなんだろう……」
友人が戦慄に揺れる眼差しで野々村をそっと見やるので、ユーリは「どういう事?」と、小声で質問してみた。
「……おれが、クォンの記憶を殆ど全部忘れたのは、ティーに話しただろ?」
「うん」
「クリストバル長老にお願いして、おれ自身の思い出も一緒くたに封じ込めて貰った。
その直後、意識がはっきりしたおれが、昔の事を殆ど思い出せない事を知覚して、最初に感じた感情は……深い深い、安堵感だったんだ」
「……ウィリー自身の昔の思い出も、忘れちゃったのに?」
「うん。つまり、無意識下で解放感や幸福感を得ちゃうぐらい、クォンの記憶を抱え込んで生きる、っていうのは、辛くて苦しくて、逃げ出したい体験なんじゃないかと思う。
記憶を封じて気が付いたら、なんかおれ、すんげーガリガリに痩せ細ってたし、顔色は悪いし目の下には濃い隈が浮かんでたし……酷い状態だった」
ウィリーの告白に、ユーリは身につまされた。
そもそも、彼のクォン召喚現場に居合わせた後から、ウィリーは吸収したクォンの記憶で苦しめられるのではないか、という危惧が過ぎってはいた。
しかし、ウィリーとはまだ知り合う以前の関係であったし、彼が悩んでいた事をカルロス経由で知った後も、むしろ進んで自分と同じ魂を食らう魔術師にはいい気味だ、という認識すらかすかに抱いていた。
そこまで追い詰められる前に、危機感を抱いていたユーリがもっと早く警鐘を鳴らしてやる事だって、出来たはずなのだ。
「……ごめん、ウィリー」
「どうしてティーが謝るのさ?
機や功を焦って、クォン召喚で手を抜いたのはおれ自身だし、召喚について学んだ時に、クォンとは何なのかを考える機会は、いくらだってあったんだぜ?」
ぽむ、と、ウィリーがユーリの手の甲を軽く叩いて『気にするな』と態度で示し、改めて野々村に視線をやった。
「だからあの人の存在が、おれには物凄く……なんて言うか、危うく感じる。
ロベルティナ女王としての熱意と、ミチェルとしての意識が、今は問題なく収まってるように見えるけど、本当にそうなのかな。
ただ話しただけ、外から眺めただけだと分からないだけで、本当は、どんどん冷静に狂っていってるんだとしたら……」
「なーんか面白そうな話、してるね?」
あくまでも小声でのやり取りであったと言うのに、対角線に位置する席に腰掛けていた野々村はどんな地獄耳なのか。恐怖の象徴のような存在から真っ直ぐに見据えられ、ウィリーはビクリと肩を大きく震わせた。