8
カツン、カツン、と、静かに足音を立てて石造りの螺旋階段を降りていきながら、ユーリはぼんやりと考えていた。衝撃が強過ぎて、主人に連れられて歩きながらも、なかなか気持ちが切り替えられない。
野々村の訴えはあんまり現実味が湧かないというか、(事実なのだろうか?)という疑いがまず浮かんでくる。
そして、それが本当の事なのだとすれば。
「私の血を分けたお父さんとお母さんは、地球で生きてるのかな」
「さっきの話で察しろよ、バーカ。時代錯誤の暴君から息子の嫁と認められてない女がロクな扱い受けてる訳ねえし、身内を人質に取られた男は心底から暴君に服従するほどおめでたくもない。
クソジジイにすり潰された」
無意識のうちに呟いていた独り言に、先導していた仏頂面の男から、すかさず否定された。
「あと少し、だったんだけどな……ま、オレへの枷も全部無くなったから、遠慮なく飛び出してやったけど」
カルロスとシャルからよってたかって謝罪を要求されて、これ以後ユーリに乱暴しないと誓わされた野々村は、ムスーッと不機嫌さを隠しもせずに呟く。
謝罪に対して「許しません」と答えたユーリに気色ばむ野々村に、
「お前はユーリの謝罪の言葉で納得したから受け入れた。
ユーリはミチェルの『ゴメンナサイ』の言葉だけじゃ納得がいかないから退けた。簡単な話だろうが。
これからお前がどう誠意を見せてくれるつもりなのか、楽しみだなあ。ん?」
と、笑顔で詰め寄った寝癖頭のご主人様は、神々しいほどに輝いていた。ユーリの中で、カルロスへの忠誠心が更に高まった瞬間である。
別にユーリは、野々村と今後仲良くしたいとも思わないし、向こうとてそれは同様だろう。
用が済めば、お互いに関わらなければそれで良いはずだ。
ユーリと野々村の間では、謝罪は和解の切欠ではなく、攻撃の手を緩める手段に過ぎない。
「それにしてもこの階段、どこまで続くんですか? いっそ、転移とやらで移動させてくれれば良いものを」
石造りの階段に一段下りるたびに、爪が当たりチャッチャッと音を立てているシャルが、ウンザリしたように不満を口にし始めた。
「魔術遮断結界が張られてんだ、仕方ねえじゃん。
つーか、最初っから下りてきてもらうのはカルロスさんだけで良い、つったのに付いて来る言い張ったのはシャルだろうに」
「あなたとマスターを、2人きりにする訳にはいきません。マスターの貞操が……」
「もうそのネタ引っ張るの止めれ」
野々村がカルロスを魔王よろしく誘拐したのは、ユーリへの嫌がらせが目的だと断言した。ダメ男だと堂々と宣言する野々村であるが、カルロスにしか対応出来ない要件があるのは事実であるらしい。
この頭がイカレた男の頼みを聞いてやる義理はユーリにはないのだが、『デュアレックス王国の封印に関する、氏族長にしか解決出来ない要件』がある、と聞いたカルロスは、真偽だけでも確かめると決断を下した。
「デュアレックス王国が開闢するより遥か昔。
この峻険な地に異世界との接触点が生まれた。それは、マレンジスと地球の『夢』を繋ぐ門だった」
「……え、地球への? というか、『夢』?」
魔術遮断結界の影響下である為か、わざわざランタンを翳して螺旋階段を降りていく野々村の昔語りに、ユーリは首を捻る。
「空想上の世界、と言い換えても良いかもしれない。
ハイネベルダ地下門を潜り抜けられるのは、『地球の人類が想像した生き物』。
そして地球へ向かえるのは『マレンジスの人類が想像した生き物』だった」
……言われてみれば、ユーリはマレンジスに生息する魔物の姿を見て、一目で『あれは○○だ』という確信や当てはめをしていた。ユーリの生まれ育った地球とは全く異なる異世界で、判別不可能なほど異様な姿をしていないのは、よく考えるとおかしい。
「それは、もしかしたら『人間』にも当てはまるかもしれない。
地球の人々が、異なる世界に生きる『人間』を想像したからマレンジスが誕生したのか、マレンジスの人々が異なる世界があると想像したから地球に『人』が誕生したのか……マレンジスと地球の『人間』は似すぎている」
「……流石にそれは、突飛すぎやしねえか?」
何だかどんどん怪しい方向に向かう野々村の語りを、カルロスが遮った。
「人間は偶然、初めから似たような姿の世界固有生命体だったのかもしれない。
だけど、エルフ族は一万年以上の昔、確実に『異世界の門』の向こう側からやってきた。
地球でのエルフ族のイメージが、今の『高貴で優雅で美しく、森を愛する優美で長命な一族』と、ファンタジー好きの人々の間で爆発的に広まったから、彼らはあの姿で固定された」
「おや、とんでも新説が飛び出しましたね」
「この、ハイネベルダ地下門からやってきた生命体は、知っての通りこのマレンジスで生きる為に『瘴気』を必要不可欠とする。
故に、ハイエルフ族はこの地を王国王城と定めた。生きる為に必要な、『瘴気』を吸入する為に」
「……だけど、エルフ族の方だって、瘴気吸ったら体調崩すんですよね?」
「このハイネベルダ地下門を潜った生命体は、異世界召喚時と同じように、気泡に包まれる。それも、マレンジスの空気に適応出来るように加護されたものだ。
そして世代を経る毎に抗体が出来ていき、気泡は徐々に薄まる。異世界の生命体である事を示す気泡が消滅し、完全にこのマレンジスに住まう生命体となったら……その頃には瘴気は異世界の空気だ。害毒にしかならない」
それは、このマレンジスという世界において、エルフ族は異世界からの外来種による侵略ではないのだろうか。いや、より正確に言うと移入種だろうか?
初代エルフ族の人々が、望んでこのマレンジスの地にやってきたかどうかは分からないけれども。
「世代を経る毎にマレンジスに適応するという事は、ハイエルフ族はより力を失ったエルフ族になるという事。
近しい血筋ばかりと縁付いたせいか、マレンジスという世界そのものがハイエルフの存在を許さなかったのか……彼らは次第に数を減らしていった」
長い、長い螺旋階段を下りた先に、大きな大きな両開き扉があった。黒々とした漆黒の扉は、ユーリが縦横それぞれに3人並んでも足りないぐらい大きい。
野々村は片方の扉に体重を預けるようにして押し開き、重たそうな扉はずずず……とズレて室内の様子を浮かび上がらせた。
石造りのだだっ広い室内には、巨大な魔法陣が宙に浮かんでいた。
その魔法陣の周辺には、まるで小さな蛍でも浮かんでいるかのように、仄かに青と緑と白の燐光を放ちフワフワと揺れ、漂う。
「これがハイネベルダ宮殿地下に封印されし、異世界への門だよ」
異世界と繋ぐ、瘴気を吐き出し魔物が溢れ出てくる門だ、という割には、瘴気の臭いが全くしないし、魔物がそこを守っているでもない。
門としての体裁はここにあっても、魔物や瘴気が出てくる出口そのものは、この場所ではない、のだろうか。
この出入り口が一つしか存在しない地下室で毒が充満したとて、ただ扉をきっちり閉じておけば良いだけ、という気もする。この門から噴出するのではなく、瘴気とは霊峰全土から湧き出ていくものかもしれない。
「この広い室内に安置された三十の宝珠が、異世界への門をこれ以上広げないよう押し留めているんだ」
「……宝珠とやら、三十個も無いようですけど?」
テケテケと、全く臆する事なく室内に飛び込み中を探検したシャルが、室内に等間隔で配置された台座を覗き込み、魔法陣の向こう側でクルリと振り向くと不思議そうに首を傾げた。
因みに、野々村は扉を開いて魔法陣の前に立ち、カルロスは室内に入ってもの珍しげに魔法陣を眺め、ユーリは漆黒の扉から室内に入れないでいた。魔法陣から妙に威圧感を感じて、室内に足を踏み入れるのが恐ろしいのだ。
「昔はちゃんと三十個あって、万全の封じを敷いてたんだよ。
今はご覧の通り、残りの宝珠は十五個、生存してる氏族長の人数を現してる。オレとカルロスさんを含めて十五人だ」
「十五人……意外と多いな」
「半分しか、と考えるか、半分も、と考えるかの違いだね。
カルロスさんには、その水色の宝珠に触れて封印強化をして貰いたい。ちょっと魔力吸われるけど、別に痛くはないから」
「……こうか?」
カルロスはしばし思案し、出入り口付近に安置されていた水色の宝珠に近寄り、ちょん、と利き手の人差し指で触れた。途端にカルロスの唇から「うぉっ!?」という驚きの声が漏れ、彼は宝珠から指先を離した。
「有り難う、カルロスさん。
ひとまず、封印強化はこれでお終い。これでだいぶ、今後漏れ出る瘴気が薄まったはず」
「おや、門そのものは閉じないのですか?」
「改めて門の封印を計るのに最適な星の巡りは、まだきてねーんだ、これが。
次の予定は、だいたい五十年後ぐらいだったかな?」
「そりゃまたずいぶん長ぇな、おい」
「全然長くないよ。それまでにマレンジス全土に散らばった残りの氏族長十三人を全員見つけ出して、最適な星の巡りの日に封印の儀式をしなきゃなんねえんだから」
ハーッと、野々村は一仕事終えて疲労感たっぷりに溜め息を吐く。
「って訳だから、カルロスさんは少なくとも五十年ぐらいうっかり事故死しないで、頑張って生き延びてね。
ああ、門を閉じても未来に備えて、封印の鍵を受け継ぐ魔法使いの子供もがっつり山ほど作っておいてね。氏族長の義務だから」
後継者をせっつかれ、目を白黒させているカルロスの後について、地上へ向けて今度は螺旋階段を上っていきながら、ユーリはふと疑問を呟く。
「そもそも、百年ほど前にはこの城に暮らしていた、氏族長を始めとしたエルフさん達はいったいどこに消えてしまったんでしょう?」
「何、森崎さん。エルフ族集団行方不明の謎が知りたいの?」
「……はあ、まあ」
何となく呟いただけだというのに、ランタン片手に先導する野々村から相槌が返ってきて、ユーリは曖昧に口ごもった。
「この城に暮らしていたエルフ達は、氏族長を除いて皆、封印が弛んだ異界の門の向こう側に突然吸い込まれたのさ」
「……それは」
「女王ロベルティナは、マレンジス大陸が異界の門に呑み込まれるのを防ぐ為、氏族長達を瞬間転移でハイネベルダ宮殿から下界に移動させた。
ロベルティナの記憶はそこまでで途切れてるから、彼らが今どこでどうしてるのかは、オレにも分からない」
「異界の門は、どうしてそんな結果を引き起こしたんだ?」
「吐き出す前に、息吸い込むのが必要なのと一緒じゃない?
門の封印が弛んだのは多分、その夜、氏族長の1人が後継者の無いまま亡くなったから、ギリギリのラインを保ってた封印が開錠されちまったんだと思う」
それきり、会話は途切れ。
重苦しい空気のまま、螺旋階段を上っていった。
地下に通じる螺旋階段の出入り口の、ハイネベルダ宮殿一階廊下に辿り着くと、野々村が「じゃあ、バーデュロイの王都まで送って行くよ」などと言い出した。
「……あんたの転移は、どーも信用出来ないんだけど」
「別に、嫌なら森崎さん1人で下山すれば? 所詮、瘴気の正体は地球の排気ガスまみれの空気だし、多少吸ったところでさして害にはならないんだし?」
「主を預けるに値しない、って言ってんの!」
睨み合う野々村とユーリの間に、カルロスが「まあまあ」と割って入った。
「シャル、俺とユーリを乗せて、これからバーデュロイまでひとっ飛び出来るか?」
「正直なところ、今日はもうくたびれました。昨日からずっと働き詰めですし」
「だよな。俺も怪我そのものは治癒されてるが、失血まではあんま補われた訳じゃねえし」
カルロスとシャルの言い分は、確かに説得力があるものだった。ユーリとて、これから再び長距離飛行に移るのは勘弁して頂きたいほど疲れきっている。
「シャルの背中に、ずっと乗っていられる自信はねえなあ」
「わたしとて、途中で墜落しない自信はありませんねえ」
そう口にしながらも、チラリ、チラリ、と、ユーリを見やるカルロスとシャル。
ユーリは額に手を当てた。
「主、シャルさん。
早い話、テレポートを体感してみたいんですね?」
「いやいや、あくまでも、王都で待ってる連中には心配を掛けてるだろうから、早く帰らねえと、と思ってだな」
「そうです。単に、重たい荷物を背負って飛ぶのが非常に面倒臭いだなんて本心を隠している訳ではなくてですね」
眠ってる間に誘拐されていた主人はともかく、同僚は本音と建て前がごっちゃになっている。シャルの方は、ロングギャラリーから謁見の間まで野々村の瞬間転移によって既に一度移動させられたので、本当にこれから乗り物になるのがイヤなのだろう。
「安心してよカルロスさん!
勝手に連れてきたお詫びに、一瞬で連盟に連れ帰ってあげるから!」
野々村は鼻高々だ。
優越感に満ちた眼差しが非常にムカつくが、ユーリにはカルロスやシャルを安全かつ迅速に連れて帰る実力も計画も無く、むしろ彼女の方こそ、この山頂から誰かに連れ出して貰わなくては脱出は不可能なのである。
ぶすーっと、頬を膨らませて不満を飲み込み、シャルの背中に抱き付いている間に、野々村の瞬間転移によって瞬きしている間にテレポートしていた。
何の感慨も無く、体調に異変も無く、一瞬にしてそこはハイネベルダ宮殿の廊下から、バーデュロイの王都、魔術師連盟本部の塔、その敷地中庭ど真ん中だ。
「とーちゃ~く」
「おお……すげー!」
「移動が楽で羨ましいですねえ」
驚きに目を見開くカルロスと、自分も習得してみたいと言い出しかねないシャル。瞬間転移は、予期せぬ岩の中に吹っ飛ばされる事故が有り得るらしいというのに、呑気なものである。
額に手のひらを当てて、おどけてビシッと敬礼をする野々村の背後で、本部の塔の大扉がバーン! と開けられた。
「カルロス!」
「カル先輩!」
「急にカルロスの気配が現れたとは、どういう事ですか師匠!?」
ドヤドヤと、扉から飛び出してくる連盟の人々。
「じゃ、無事に送り届けたし、オレはこれで……」
「ああっ!? カル先輩誘拐犯ミチェル!」
「何!?」
「逃がすか!?」
扉から飛び出してきたルティ姿のブラウが、野々村の姿を目にするなり、指を突き付けて大声で叫んだ。
何故ブラウからそんな態度を取られるのか分からない、とばかりに「おりょ?」と戸惑う野々村に、弟子の叫びを受け目の色を変えて、飛びかかるベアトリス。体当たりでのし掛かる師匠に続き、更に飛びかかって踏みつけに移るアティリオ。
「ちょっ……重っ!?」
「連盟構成員誘拐実行犯、無事確保!」
……まあなあ。仲間を攫ってった誘拐犯が目の前にボサッと突っ立ってたら、普通捕らえるよなあ……
やっぱりアイツ、バカだ。