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えー、魔法使いミチェルこと、野々村を結果的にむやみやたらと挑発しまくり、謁見の間にて開始された戦闘ですが。
現在、戦いは膠着状態に陥っております。
「光よ、貫け。ライティングレーザー!」
「そんな射出して放つ魔術など、わたしには通用しませんね」
「だあああ! 退けシャル! オレが叩きのめしてやるべきなのはお前じゃなくて、あっちだ」
「無茶を言わないで下さい。わたしがあなたとユーリさんの対峙を許したら、ユーリさんがあっさりコロッと死ぬじゃないですか」
シャルが猛スピードで野々村に接近し、野々村がシャルを振り払うべく、詠唱が短く威力の弱い攻撃魔術を連続で放って距離を取ろうとし、シャルは軽々としたフットワークで魔術を回避し続け、最接近を試みる。
ユーリは、と言えば。ひたすら両者の戦いの隙を窺い、距離を測りながら様子を見ているだけだ。油断して近寄ったらあっさり魔術で狙い撃たれ、それで終わりになってしまう。
「風よ、切り裂け。ウインドカッター!」
「なんの、わたしに風魔術など、百年早いです」
「だからお前、妨害すんな!」
「無理なものは無理です。諦めなさい」
ヒュンヒュンと、風切り音を立てて不可視の刃が空間を舞ったようだが、室内に被害を及ぼす前にシャルが風魔力を操って妨害したようだった。ユーリにはサッパリついていけれない攻防だった。
シャルがその気になれば、野々村に一撃を与えてやる事も、難しくはないのかもしれない。
だがシャルにしても、野々村がカルロスを連れ去り、どこに隠しているかが定かではない以上、逃げられる訳にも、殺す訳にもいかず、攻めあぐねているのが現状だ。
……殺す?
自分で自分の考えに、ユーリは言いようの無い違和感を覚えた。
好きか嫌いかで尋ねられれば、即答出来る。野々村など大嫌いだ、と。
だが、殺してやりたい、などと物騒な殺意を抱いてそれをぶつけるのか、と問われれば……言葉に窮するしか無い。
ブラウから不意に投げかけられた質問が、脳裏に蘇ってくる。
――ミチェルからあなたへ、明確な殺意は感じ取れましたか?
……あの変態女装野郎は、いつもいつも、人の都合の悪いところや答えに困る点ばかり、鋭く突いてくる。
「さっきからゴチャゴチャと、独り言がうるさいよ、森崎さん!」
「ユーリさん!」
ハッと、ユーリが我に返った時には。美しい絨毯にところどころ穴を開けつつ、攻防を繰り広げていたシャルと野々村、彼らとの距離が非常に近付いていた。目を離さず後退しなくてはならないところを、事もあろうに考え事に気を取られ過ぎてしまっていたのだ。
「光よ貫け。ライティングレーザー!」
突き放そうと、シャルを狙ったものではない。真っ直ぐに、ユーリに向かって向けられた手の平から放たれた眩い閃光に、ユーリは殆ど反射的に反復横飛びを敢行して、着地が上手くいかずに転び、その勢いのままゴロゴロと絨毯の上を転がっていった。
距離を取って立ち上がり、素早く自分の姿を見下ろして確認すると、被害らしい被害はユーリの服の裾がちょっぴり焦げているだけのようだ。詠唱中に手の平で光を溜め込む準備動作が無かったら、恐らく回避が間に合わずに直撃していたはずだ。
「無事ですか、ユーリさん」
「なんとか」
スタッと、華麗な後方宙返りを披露してユーリの傍らに下り立ったシャルに、頷きを返す。
野々村の方は、苛立たしげに頭をかき、こちらを睨み付けてきた。
「お前らな、もっと本気でやれよ! 特に、さっきからボーっと見てるだけの森崎さん!」
「そもそも戦えないユーリさんに、それは随分と無茶な話ですよ、ミチェル」
野々村の要求には、酷く違和感を覚える。
ユーリはただ、カルロスを取り返せればそれで良く、ついでにムカつく野々村の事も、ギャフンと言わせられればそれで良いのだ。
それを踏まえて。
……『本気』って、いったいどういう行動を指すんだ?
少なくともユーリは、誰かを殺したいと考えた事などなく、従ってこの戦いも突き詰めて考えれば『殺し合い』ではなく『喧嘩』である。
向こうに殺意があるのならば、こんな手ぬるい諍いなどではなく、もっと……殺伐とした様相を呈しているのではないだろうか。先ほどの魔術とて、直撃していれば大ケガを負ったに違いないが、命を狙うならばもっと……違う戦法があるのではないのか。
「要するにコイツ、駄々っ子なだけか」
相変わらず、勝手に心の声はスルッと空中に湧き出てくる。
魔王を自称するのは勝手だが、こちらは別に熱い戦いとやらを求めるバトルジャンキーでもないのに、付き合わされるのは真っ平ごめんだ。バトル開始時点では、野々村への反発心から『やってやるぜ!』という戦意を欠片程度には抱いていたが、今のユーリにはそれが難しい。
魔術が当たったら痛い。だから嫌だ。実にシンプルな本音が占めている。
どう言い繕おうが、ユーリとしてはそれが本音である。戦いたい男の子同士でじゃれ合う分には生暖かく見守るが、インドア派のユーリにとって、テンションや高揚した士気を維持し続ける事は非常に難しい。
何故ならユーリにとって、『戦い』とはそれから全力で逃走を図るものであり、嬉々として飛び込むものではない。
臆病で何が悪い。
闘争を避け、のんびりした生き方を望んで何が悪い。
「あんたらがそのつもりなら、それはつまり彼はどうなっても良い、という事だな?」
野々村は絨毯を蹴って飛び上がり、タンッと玉座の前に着地すると、バサッと手品師のようにマントを翻した。
玉座を一瞬遮った布地が取り払われ、再びその姿を見られるようになったその時には。先ほどまで確かに誰も居ない、空白の玉座であったそこに、腰掛ける人影があった。
金の髪と秀麗な美貌を誇り、魔術師のローブではなく、シャツやズボン、ブーツといった青年らしい服装を好むユーリとシャルの主。
「主!」
「……マスター?」
茫洋とした様子で、しもべがすぐ真下で騒いでいるというのにこれといった表情も浮かべず、ただ壇上から無言のまま謁見の間を見下ろすカルロスの姿からは、普段の生気溢れる雰囲気が欠片も見当たらない。
野々村がポンとカルロスの肩を叩くと、まるで人形のように意志や感情の窺えないガラス玉のような眼差しのまま、カルロスはゆっくりと玉座から立ち上がった。そのまま玉座を取り巻く階段状の段差に片足を下ろし、両手をこちらに差し出してくる。
「主っ……!」
「ユーリさん、待って下さい」
様子がおかしいカルロスの姿を目にし、思わず駆け出そうとしたユーリの前に回り込み、シャルは険しい表情を浮かべて低く唸った。
「光よ、我が下へ集え。輝ける迸りは、我が敵を討つ。光の霰」
カルロスは壇上から淡々とした声音で詠唱を紡ぎ、彼の両手の間には煌々と輝く光が集まり……あ、あれ。何でか主がこっちに攻撃魔術向けてる? などと考えている間に、シャルによって服の襟首を噛まれて、ユーリの身体はバッとその場から飛び上がっていた。
間一髪、カルロスの両手の間から解き放たれた光のシャワーが、先ほどまで立っていた場所を通過していく。
「さあて、どうする森崎さん。このままシャル共々、助けにきた筈のカルロスさんに殺されちゃうのかな?」
玉座の傍らで哄笑する野々村。カルロスは壇上から下りきり、頭上へ向けて片手を上げた。
「吹き渡る風よ、全てを切り裂く刃と成せ。不可視の鎌鼬」
ヒュン! と、鋭い風切り音がユーリの耳にも届いたが、今度はそれだけだ。今も、彼女をくわえたまま必死で飛んでいる同僚が、風系の攻撃魔術をかき消すか無効化するか、どうにかしたらしい。
「こらあ、野々村! てめぇ、うちの主に何やりやがった!」
あの、動物大好き主が。途方もない親バカの気がある主が。
ユーリやシャルに攻撃魔術を放つなど、有り得るハズがないのだ。いや、一度錯乱したカルロスの手によって、同僚は逆さ吊りで洗濯機の刑を受けた事があるが、それは稀な例外として。
好き好んで攻撃魔術を放ってくるなど、カルロスが正気であれば決してそんな事はしないし、やろうとも思わない。
「主! 主! 私です、正気に戻って下さい、主!」
どんなに呼び掛けても、カルロスは無表情のまま淡々と攻撃魔術を撃ってくるのみ。
テレパシーを返してもこないし、薬だか魔術だかで、野々村がカルロスを操っている、と見るべきだろう。
風系の魔術はシャルが妨害しているようだが、光系魔術はとにかく避けるしか方法が無いようで、空中に持ち上げられたままの回避運動により、ユーリは前後左右にブンブンと激しく振り回された。そのうち、ユーリの襟首辺りで『ビリッ』という不穏な音がして、ガクンと身体が床に近付いたところ、シャルに慌ててぶうんぶうんと強く前後に振られ、ポイッと背中へ向けて放り投げられた。
ユーリは無我夢中で同僚の背中にへばり付き、しがみつく。謁見の間の天井の高さでシャルは十分な高度を取れており、うっかり滑って転げ落ちたら、二階から落下したぐらいのダメージを受けそうだ。
「主が、シャルさん主が!」
「ユーリさん。あれは本当にマスターなのですか?」
半泣きで訴えるユーリに、今まで口を塞いでいたせいで黙々と回避に努めていたシャルは不思議そうな声音で尋ねてきた。
「どっからどー見ても、野々村に洗脳された主じゃないですか!」
「それにしては、マスターお得意の水の蔓が一度も出てきませんし、何よりあのマスターからは、マスターの匂いが全くしませんよ?」
「じゃあ、何の匂いがするって言うんですか!」
「何も。不思議な事に、生物らしき匂いが何もしません」
「は!?」
シャルは広い室内を飛び回り、散発的に放たれるカルロスの魔術を華麗に回避してみせる。
ユーリの方は、先ほどの揺さぶり振り回しシェイクの影響が色濃く、乗り物酔いを発症していた。今なら乙女のモラルを、あってはならない形で吐き出せてしまえる気がする。命あっての物種とは言え、あの首だけ支えにブン回しはかなり効いた。野々村からの攻撃や口撃よりも、同僚からの回避運動補助が一番ダメージを食らうとはこれ如何に。
「無反応でまるで人形のようだ、とは思っていましたが、生き物の気配がしないとなると……つまり偽物、主の幻!」
ユーリとシャルが求めているのは、カルロスの身柄である。
カルロスの幻影を目の前に差し出して、なおかつそれで攻撃してみせれば混乱するだろう、と踏んだのならば、野々村の狙いは的確と言わざるを得ない。
ユーリの目には本物のカルロスにしか見えないし、同僚のような鋭敏な鼻など持たないのだから、近寄ってじっくり検分でもしなくては見分けようも無い。
ユーリは吐き気を堪えながらも、シャルの背に伏せたまま、肩から下げていた水鉄砲をずりずりと手元に持ち上げ、同僚の首の辺りから先端部分を突き出し、玉座の方へと狙いを定めてみた。シャルが絶えず羽ばたいて移動し続けているので、じっくりと狙いを付けようがどうしようが、ブレる。
これが、シャルの背に乗っているのがユーリではなくカルロスならば、しっかりと身を起こして跨がり、両足の力だけでバランスを取って両手で水鉄砲を格好良く構えられた(水鉄砲を構える姿が果たして格好良いかは別問題)のだろうが……現実問題として、シャルの身体に両腕をしっかりと回していない今のこの状態で急旋回すれば、落下する自信がある。
「馬鹿だね、森崎さん。そんなオモチャでオレに戦いを挑むつもり?
例えその中に瘴気が詰まっていようが、オレに効く訳がないだろうに」
「うるさいうるさい! インドア派平凡な女子大生の私が、ファンタジーな武器なんか持ったところで扱える訳ないだろうが、バーカ!」
水鉄砲の先端で狙われている事に気が付いた野々村が、小馬鹿にしたように両腕を広げて肩を竦めてみせる。加圧しまくってはいるが、水鉄砲の飛距離があっても正面からバカ正直に接近すれば、簡単に避けられてしまう。攻撃効果範囲は広いが、直撃した方が効果的であるし、一発放てば二度目以降は警戒されてしまう。
偽物カルロスの魔術による光系シャワーの雨を避けつつ、シャルはバサバサと翼をはためかせ、グングンと野々村との距離を詰め、野々村からの攻撃魔術炎の槍を、あまり背中に乗っけたユーリを揺れ動かさない最小限の回避行動だけでパッと避けてみせる。
流石の野々村も、ユーリの事は戦力外と見做していようとも、シャルの事は侮れないと痛感しているらしい。偽物カルロスの頭上を飛び越え、眼前まで迫った野々村の背後に光り輝く魔法陣が浮かび上がったと同時に、
「迸れ、ライトニング!」
シャルはそれまでの接近から一転、今度は天井へと舞い上がるようにして急上昇。
「何っ!?」
十分に近付け引き付けた所で殆ど詠唱を必要としない攻撃魔術を放った野々村は、標的が目の前から居なくなったせいで、放った攻撃魔術は前方に佇んでいた偽物カルロスに命中。一瞬にして、幻影はかき消されてしまった。
そして、シャルの背中から何とか転がり落ちずに済んだユーリは、水鉄砲の引き金に指をかけた。
狙いは真下。
今もって上昇しつつあるが近距離で、相手は魔術を放った直後で対応しきれない。
「良いからとっとと主を返せ、このストーカー!」
「うわっ!?」
唇を噤んでいるのに内心の罵りが湧き出てくる。
思いっきり力を込めて水鉄砲の引き金を引いたら、噴出した毒水は見慣れた赤ではなく、黒っぽい色合いが混じったどぎつい色だった。
レデュハベス山脈のどこかで捨ててこよう、と考えていたのだが、魔物に追い回され逃走に次ぐ逃走で、中身を入れ替え忘れていた、という事を、ユーリは撃ってから思い出していた。