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ハイネベルダ宮殿からこんにちは、なユーリです。
私は現在……広大なお城の中で、絶賛迷子中です。
一口に『城』と言っても、そこで働き暮らす人々は様々な勤めを果たしている。故に、居住区域というものは仕事や身分によって、厳格に住み分けがなされているものだ。
どうやら、シャルとユーリが入り込んだ出入り口はいわゆる、この宮殿内でもお城がお城として機能する為に必要な、細々とした仕事を請け負う……掃除とか洗濯とか……側に属する人々が居住する区画のようで、行けども行けども他人様の住み込み用とおぼしきお部屋が、ズラッと並んでいるばかりだ。何でそう判断したかと言うと、無作為に選んで室内捜索を行ってみた結果、どこの部屋も似たような造りをしており、身分の高い方々が行き交うような『表向きの区画』へ気軽に移動出来る通路やドアが、中々発見出来ないからだ。
言ってみれば、裏方というか楽屋裏というか、使用人以外はまず足を踏み入れない区域。
そんな場所の廊下でさえ、高そうな絨毯が敷かれているのだから、かつてのデュアレックス王国の財政事情には呆れるしかない。
「どこかに、棟を繋ぐ回廊や、表と繋ぐ出入り口があるはずなんですけど……」
「その前に、ユーリさん。少し休憩しましょう。先ほどからフラフラしていますよ」
いざという時の為に体力回復に努めるべきです、とシャルから諫められ、それは敵地で危険ではないのかとしばし論議した結果、結局休憩を取る事が決定した。
あなたはただでさえ脆弱なのに、足を引っ張りたいと主張する訳ですね? などとシャルに言われては、ユーリの方が折れざるを得ない。
「それで、ユーリさん。
この城の住人はどこに消えたんでしょうねえ。自給自足さえ出来れば、百年ぐらい住み続けていけそうな雰囲気ですけど」
ひとまず適当な一室に入り、念入りに室内を捜索して危険はなさそうだと判断した部屋。
床にはカーペットが敷かれ、小物入れとチェストとクローゼットと机と椅子、ベッドがあるだけの簡素な室内で。床に寝そべったシャルに問われ、ユーリは椅子に腰掛けて「うーん」と唸って首を捻りつつ、両腕を組んだ。
「まず、不測の天災が起こって城の人々がパニックになったなら、城の中が荒れていないとおかしいんですよね」
予想外の難事に遭遇して避難するなら、つい魔が差してついでに高価な物を盗みだそうとする性根の悪い人物というものは、どんな集団にだって存在するものだ。そういった人物を完全に排除する事は難しいし、どんな人格者だって極限状態で人格が豹変しない保証は無い。
これまで歩いてきた範囲では、どの部屋にも火事場泥棒が押し入った様子は見えなかったし、廊下や室内に亡くなった方の遺体さえ見当たらなかった。
「じゃあ、どんな状況ならば、このように住人達だけが姿を消す、なんて現象が起きるんです?」
「私の故郷の歴史に、江戸無血開城というものがありまして」
出て行く事を断固として拒否した大奥の人々を説得するのに、『数日間城を空けてくれるだけで良いから』と騙し、殆ど着の身着のままで女性達は渋々大奥から出て行った。そうして江戸城は新政府に開城されて、彼女達は二度と大奥に足を踏み入れる事が叶わなくなった、と。
それが事実か嘘か誇張か創作か、そこまではユーリも知らない。
「ほう……流石、ユーリさんの故郷ですね」
「……それは、私の故郷が辿った歴史のどこら辺に感心してるんでしょう、シャルさん」
何となく、シャルの中で悪い方向に地球のイメージが固められつつあるようで、ユーリは溜め息を吐いた。
「それにしても、ある日突然、住人達だけが忽然と姿を消して城は美しさを保ったまま、だなんて……まるでホラーやオカルト話みたいです。『神隠し』というか」
「『エルフ隠し』って、ユーリさんの故郷にそんな話が伝わっているんですか」
「エルフじゃなくて『神』……ん?」
殆ど、無意識のまま日本語で『神隠し』と、口にしていたユーリは、シャルの問いに訂正を入れて、ややあって首を捻った。
基本的に、シャルとユーリの間での会話は大陸共通語で行われている。人語としてシャルが習得しているのは大陸共通語とバーデュロイの国語であり、適当な語彙が咄嗟に浮かばずユーリが時折日本語の単語を口にしても、シャルはおおよその大意を意訳して会話を続行する為、これまで特に支障が出た事は無い。
落ち着いて、ユーリの脳裏に焼き付けられたカルロスから与えられた言語の知識をじっくりと思い返してみる。『神』なんて単語は簡単に翻訳されるかと思いきや、該当する単語が全く思い当たらない。
「えーと、『神』とは……人智を超えた存在であり、尊敬や崇拝や畏敬や恐怖される存在、または概念?」
「ほら、やっぱりエルフの事じゃないですか。正確にはハイエルフ族でしょうか」
「んんー? 命を生み出し世界を創造する高次にあるとされる存在、って見方もあるのですが」
「それは……クォンの魂を全て吸収し、より高次元に至ったマイスターの事ですか?」
『神様って何ですか?』との疑問に、なるべく客観的に説明してみたところ、シャルから我が意を得たりとばかりにはしゃいだ声を上げられ、ユーリはますます首を傾げて補足を加えてみた。すると、同僚は更にユーリが意図しているのとは違う方向性の答えを返してくる。
「匠な魔術師?」
「そも、我々は一つの魂を分割して個々に生きています」
「はい」
「自分と同じ魂を持つ生き物を召喚、契約を結び魂を吸収した魔術師へはマイスターの称号が与えられ、全ての魂を吸収し全き魂を得る事で、生物として新たな階梯を昇る事になる……らしいです。わたしに魂を捧げろと詰め寄ってきた、アルバレス様のご高説より」
……この同僚がやけに詳しい知識を有していると思えば、お節介ハーフエルフがかつて『説得』を行った際にふるわれた弁であったらしい。本当に、あの方はご自分が正しいと信じた道に一本気である。
「……クォン召喚って、一種の宗教儀式みたいなものだったんですね……」
「ユーリさん。しゅーきょーって何ですか?」
「……え゛。それもですか、シャルさん」
こちらの世界に召喚されて以来、神を崇める人や、神殿や聖堂といった宗教関係の建造物というのは……見た覚えが無い。
だが、地球の歴史を紐解いても分かるように、宗教が全く存在しない文明など有り得ない。
このバーデュロイのどこかで『神』やら『神話』がどうの、という話や一文を聞いたり読んだりしたような。
……あ、思い出した。
ハイエルフを讃える『デュアレックス王国外遊録』の、一文だ。マジ凄いぜハイエルフ! という意味の褒め言葉があって、無意識のうちに脳内変換した気がする。
「……なるほど。絶対的な能力と寿命を持つハイエルフ族が、一万年も前から人間を支配する存在として君臨していたら、下手な宗教は踏み潰されそうですね」
人間に味方し庇護する神を崇める宗教とか訴え広めようとしたとしても、あくまでも空想上の存在なのだから具体的には何の加護も無い訳で。対してハイエルフ族は雲の上の存在だろうが現実として人間の頭上に君臨しており、架空の宗教では民衆の支持を得るのは難しく、その挙げ句に反乱分子としてデュアレックス王国から『プチッ』とかされて、概念そのものが人々の心に浸透しにくかったのではないか、という予想が立てられる。
かつての日本だって、天皇を生き神様として崇めていたのだ。恐らく、人間の心理としては似たようなものだろう。
「……となると、世界浄化派は実質的なマレンジス大陸初の宗教組織という事に!」
「ご納得されたところでユーリさん。この城の謎は解けましたか?」
「いえ、まったく」
マレンジス大陸における、エルフ族と人類の関係のようなものは何となく見えたが、かといってこの空虚で幽遠な城の解明には到底至らない。
休憩を終え、幾度も曲がり角を経ると方向感覚が狂うユーリであったが、鋭敏な感覚を持つシャルに先導して貰い何とか厨房経由で居館に相当する区画へと到達した。長い事さ迷っていた気もするが、腹時計によるとまだお昼前のようだ。腕時計を持っていないユーリにとって、この腹時計がこちらの暮らしにおける、最も頼りになる時間把握の指針だったりする。
さて、どうやら客人やら身分の高い方々が通る区画であるらしく、廊下の床に敷かれた絨毯は更にゴージャスになり、細かい意匠が施されている。壁にすらレリーフや絵画で飾られ、柱さえ素っ気ない四角い石組みではなく、美しいアーチを描いて飾り立てられている。
「おお、奢侈度合いが増しましたね」
ユーリには美しい場所だ、という感嘆が湧き上がる内装であるが、シャルにとっては無駄にゴテゴテと装飾が盛られて落ち着いた上品さを損ねた空間であるようだ。
どうやら、構造的にも宮殿内の格としても中心部に近付いてきているようなのだが、そのせいで更なる問題が生じた。
見掛けるどのドアもご立派で、覗き込む室内も華美な内装に彩られ、最早どこに向かって進めばいいのか全く分からないという事だ。
腹立たしい野々村の性格上、王の私室で悠然と寛いでいたり、城の最上階に陣取っていそうな気もするし、一階の大広間に待ち受けているのも大いに有りそうだし、本命の謁見の間が何階にあるものなのかもサッパリだ。
「……シャルさん。ここはシャルさんに任せます。頑張って、主の匂いを探り当てて下さい」
「おや、わたしに丸投げですか、ユーリさん。やれやれ、まったく仕方のない人ですねえ」
最早、脳内マッピングはトレースエラーを起こしているユーリは、同僚の勘と鼻に賭ける事にした。頼られたシャルは、ふふんと得意気に鼻を鳴らして、くんかくんかと匂いを嗅ぎ回りながら進み出した。
シャルの後に続いて廊下を横切り階段を下り、歩き続けて幾ばくか。
気が遠くなりそうなほど長い長い廊下に、肖像画がずらりと掛けられている通路に出くわした。いわゆる、ロングギャラリーというやつだろう。様々な色の、それ一つとっても立派な美術品になりそうな美しい額縁に収められた肖像画群は写実的に描かれ、陰影と対比された光の優雅さを表す表現力もあり、どの絵画もとても美しい。
端から何とはなしに眺めつつ歩いていくと、王の一族と思しきハイエルフ達が描かれているのだが、彼らは全員金髪碧眼であり、ハイエルフ同士だけで代々婚姻を結んでいたので、それ以外の色彩遺伝子情報を持っていないんだろうなー、という感想を抱いた。
ユーリは左右に肖像画にうっかり気を取られてばかりだが、先を歩くシャルの方は絵画には全く興味をそそられないようで、歩みの遅いユーリを、呆れたように何度も振り返っては急かしてくる。
そして、ユーリはふと気が付いた。歩いていく毎に徐々に額縁に使われる色が減っていき、肖像画に描かれる人数も、入り口に飾られた物と比較すると、真ん中あたりの肖像画では平均して半分程度に減っている。
「これは……氏族とハイエルフ族が、時の流れを経て徐々に数を減らしていったという、事……?」
そうだ。確か、前に鑑賞した演劇でも、ハイエルフ族はどんどん数が少なくなっていっているのだと、そんな台詞があった。
長いロングギャラリーの出口付近の、水色の額縁に収められた肖像画に描かれているのは、壮年の男性エルフと、彼の前に置かれた椅子に腰掛け微笑む幼い……恐らくはベアトリスらしき少女。その反対側の壁には、一際輝く金の額縁に収められた肖像画で、そこに描かれているのは妖艶な雰囲気を漂わせる美女ただ1人。
真紅のドレスを纏い、光を弾いて輝く金髪を豪奢に結い上げ、蠱惑的な唇を笑みの形に持ち上げているのに、こちらを見据える碧の瞳だけは、痛いほどに力強い。
この肖像画の彼女こそ、きっと。
「デュアレックス最後の女王、ロベルティナ……」
無意識のうちに、ユーリは肖像画の彼女へと、手を伸ばしていた。
「触らないで」
ユーリの手がロベルティナの肖像画に触れる寸前、まさにその時、低く鋭い声音で制止が掛かった。シャルではない、他の男の声。
ハッと、声がした方へと反射的にユーリが振り向くと、ロングギャラリーの出口、そこに黒一色に統一されたローブ姿の野々村が尊大に佇んでいた。
「野々村……!」
「いったいいつの間に……!?」
ユーリだけではなく、周囲の様子を常に警戒して探っていたシャルでさえ、驚きを露わにしている。
これほど近距離に近付かれるまで、気配察知や鼻が利くシャルに探知されないなど、普通の生物として有り得ない。
考えられるのは、ユーリとシャルの様子をどこからか監視していた野々村が、瞬間転移してロングギャラリーに姿を現した、という可能性だ。
美術品に迂闊に手を触れるのも良くないだろうと、手を引っ込めて身構えたユーリは、昂然と野々村に向かい合う。
「さあ、要求通り来てやったわよ。私達の主をサッサと返しなさい!」
「……相変わらず、本当に無駄に偉そうだよね、森崎さんて。
だけどお生憎様。ハイネベルダに来れたら返してあげる、だなんてオレは一言だって言ってないから」
野々村はコスプレちっくな黒いマント……裏地まで、表地とはまた艶が異なる黒色だった……をバサリと翻し、吐き捨てる。
「さあ、決着をつけようか……と、言いたいところだけど、ここは場所が悪い。
特別サービスで、最終決戦に相応しい場所へ送ってあげよう」
野々村の戯言に、シャルが先手必勝とばかりにダッと飛びかかり、ユーリは「いらんわ」と反論しようとしたのだが。それがなされるよりも素早く、視界は歪み、ボヤける。
再びクリアな視界を取り戻したその時には。
天井には煌々と輝くシャンデリアが幾つも煌めき、床には鮮やかなグリーンの絨毯が敷かれた広大な部屋……
いや、何段か高い段差の上に立つ野々村の背後に、ご立派な玉座が鎮座ましている点から察するに、ユーリとシャルは、問答無用で謁見の間にテレポートさせられたらしい。ざっと周辺へ素早く視線を走らせただけでも、膨大な人数を収容出来そうな広大さで、天井画が描かれたそこも遥かな高所にある。
祭典や儀礼、多くの招待客を招く公式の謁見で使用されるような大広間だ。
「さあ、戦いを始めようか!」
「……舞台を謁見の間にしたがる辺り、やっぱコイツ中二病臭い」
格好付けて、高らかに戦闘開始を謳い上げる野々村を睨み付けながら、勝手に内心駄々漏れ状態のユーリの感想に、敵は思いっきり顔を歪めた。挑発としては大成功を収めたらしいが、彼我の戦力差を考慮すると、序盤からこれはヤバい。
「流石、ユーリさんは人の神経を逆撫でに一家言お持ちなだけはありますね。とても効いているようですよ」
「何気に更に煽らないで下さい、シャルさん……」
自称・魔王との決戦の火蓋が今にも切られようとしているというのに、緊迫感が生まれるどころか、場の空気がどうにも締まらない。
……あ、所詮ヤツは自称だからか。