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ユーリが先ほど目覚めたあの病室は、本当に体調の悪い者や怪我人が寝泊まりする為の部屋である。

以前、カルロスやシャルと共に泊まった、外部に本拠地を持つ術者の為の宿泊用のお部屋、その一室をアティリオは用意しておいてくれたらしい。いったいいつの間に。


「パヴォド伯爵家へは先触れの術で連絡を入れておいたから、安心してくれて良いよ」


ひとまず議会室を辞し、一晩休ませて頂くお部屋へと先導するアティリオは、振り向かぬままユーリが口に出さずにいた懸念の一つを片付けていた事を告げた。

チラッと、傍らを歩く同僚の表情を窺ってみると、いつもの何を考えているのだか不明な微笑を浮かべているのみで、口を挟みたがる様子が無い。


「気を回して下さって有り難うございます。閣下は……なんと?」

「返事を吹き込んできたのは、パヴォド伯爵ではなくゴンサレス氏だった」

「うぇ……」


お忙しい上司様の、不機嫌そーに唇を引き結んだ厳しい表情が即座に思い浮かび、ユーリは思わず呻き声を上げていた。


「『上からの命を待たず独断専行で突き進む点は、主人によく似ているようだな。せいぜい、帰宅後の説教を楽しみにしているがいい』……だそうだ」


……ご主人様をお助けした後は、森の家に引き籠もってはいけないだろうか。駄目だろうな。


「流石はユーリさんですね。ゴンサレスさんの雷は、誰しも避けたがる脅威だというのに、自ら雷に突き進むとは」

「非常事態であった事を、考慮して欲しいです……」


にこやかに嫌味を呈するシャルに、がっくりと肩を落とすユーリ。そんな背後のやり取りに構わず、アティリオは辿り着いた宿泊用の一室のドアをカチャリと開き、「ここだ」と促した。


「上の階にある大浴場の使い方は知ってるよね。一応寝間着と、明日用に動きやすい着替えも用意しておいたから」


うん、あなた様の従兄弟君がご用意下さった嫌がらせ目的と思しきドレスは大変動きにくいので、非常に助かります。


「重ね重ね、有り難うございます」


ぺこりと頭を下げるユーリに、アティリオは「いや」と短く呟いて……頭を上げたユーリと、視線がぶつかった。お互いに何を話せば良いのか迷い、辺りには不意に沈黙が漂う。


「その」

「あー……」


何か言わなくては、と口を開いたら、そのタイミングさえも同時で、気まずさに拍車が掛かり、またしても両者の間に沈黙が舞い降りてくる。


「僕に何か聞きたい事や言いたい事があるなら、ティカから、どうぞ」

「いえ、アティリオさんこそ、ご遠慮なさらず」


譲り合い……というかなすりつけ合い、結果的にアティリオが咳払いを一つ。


「君は、クォンとして命を狙われてしまうと警戒しているかもしれないが、今の僕にはそうするつもりは毛頭無い」

「それは……どうして」

「ウィルフレドの例から言っても、カルロスへ掛かる負担が大きすぎる。

君が命を捧げるべきクォンでなくなれば、僕にとっての君は単なる幼子だ。気にかける事はあれど、命を狙う理由も嫌悪する理由も無い。

もっとも、あの偽イヌが不快だという気持ちは全く拭われる気がしないが」


顎をしゃくって、室内にサッサと引っ込んだシャルを示すアティリオ。問題の同僚は、寝台に乗り上げて、フカフカする敷き布団の跳ね具合を確認して遊んでいた。……何と言えば良いのやら。


「まあそういう訳だから、僕が近寄るだけでそう固くならなくても良いよ、ティカ」

「はあ」


苦笑気味に言われても、ユーリの全身に走る警戒心や恐怖心は最早条件反射のようで、アティリオの前でリラックスなど出来そうにない。

アティリオはそれ以上強要したりする事もなく、「お休み」と一声掛けてから踵を返し、フワフワ浮き上がりエレベーターへと足を向けたのだった。



ひとまず、気分を落ち着けようとひとしきり同僚と共に寝台に乗ってピョンピョンと跳ねて遊んでから眠り、翌日早朝。


アティリオが用意してくれた動きやすいズボンとブーツにシャツ、保温用の上着を身に着けたユーリは、水鉄砲を武器代わりに背負い、役に立つかは不明であるが念の為に一つ術を掛けてもらってから、イヌバージョンのシャルの背中にしがみついて王都を飛び立った。

かなりスピードを出して飛ばしているらしく、風が轟々と唸りを上げて吹き荒れる。

同僚の身体に、いっそ括り付けてもらった方が良いのでは、との提案には、否との返答が返ってきた。

曰く、高速飛行中に綱がユーリやシャルの身体を締め付けて命に関わる危険性もあるので、シャルの風魔力による補助を受け、振り落とされにくい状態でしがみついていた方が逆に安全、なのだそうだ。本当だろうか。


カルロスならば優雅に腰掛けて両腕を自由にしたまま乗りこなしてみせていた天狼さんへの騎乗であるが、ユーリも同じような体勢で鞍や鐙や手綱無しで跨がろうとすると、あっという間に転げ落ちる。身体全体をぴったりとシャルの背中に引っ付けて、両腕両足を回してしがみつくような体勢を取って、辛うじて乗っかっているような状態だった。あの動物大好きご主人様は、その気になればきっと、裸馬だって乗りこなせてしまうに違いない。まあ、その前にシャルの気配に怯えた馬に逃げ出されるのだろうけれど。


見る見るうちに近付いてくる霊峰の偉容に、ユーリは声も無く感嘆した。やはりこの同僚飛行技術は凄まじい。

それにしても昨夜から今朝にかけて、心の中で断続的にカルロスへと呼び掛けているのだが、全く返答が返ってこないのはいったいどういう事であろうか。

いくら何でも、カルロスが昨日の昼間から今朝に至るまで延々眠り続けているとは考えづらく、そうなると必然的に魔術遮断結界の中に閉じ込められている、という事になる。

ミチェルはいったい、カルロスを攫って何をしようとしているのだろう。

吹き曝しの中に放り込まれても問題が無いよう、引っ詰めてある髪の毛の後れ毛が視界をチラつき、ユーリは瞬きを繰り返しながら舌を噛まぬようしっかりと唇を閉ざす。


「魔王がお姫様を攫う目的は古来から、一、生贄。二、求婚。三、人質。

だけど、三番ならバーデュロイや連盟に何か要求があるはずだし……」


ミチェルは攫う際もその後も、何ら宣言を突き付けてきていない。むしろ、彼は確かこう言っていた。


――オレにはカルロスさんが必要なんで、このままハイネベルダ宮殿に貰っていくから。


「主が『必要』だから連れ去る……あのクソ野郎は何を企んでるんだ」

「なるほど。つまりミチェルは、二番の求婚の為にマスターを連れて行ったという事ですね」


強風の中でも、ユーリの胸中にて呟かれた独り言を聞きつけたらしき同僚は、無駄に明るい声音で得心がいったと相槌を打ってきた。


「シャルさん、本気でそう思ってます?」

「ユーリさんこそ、何を言っているのですか。状況的に他に考えられないではないですか!」


ぐんぐん近付いてくる霊峰レデュハベス、国境砦の上空を通過した辺りから、黒っぽい靄のようなモノが周囲を漂っているような気がしてくる。

同僚は風に負けぬように、強い声音で言葉を紡ぐ。


「まず、マスターを攫ったところで人質としての価値は薄いです」

「うちの主は、単なる平民で要職にも就いていませんしね」

「更に、生贄などという役割を割り振るならば、一晩明けても未だ殺されていないのはおかしいです」

「はあ、そうかもしれませんね」


生贄の儀式に、時期が重要視されているのだとすれば、それこそ待っている間に生贄を取り返される危険があるのだから、儀式の直前に攫う気がする。転移の術を扱える野々村にとっては、距離による移動時間を考慮に入れる必要が無いのだし。


「つまり、残る可能性は求婚の為、という予測しか存在しないではないですか」


ユーリのつらつらとした思考を受け、シャルは自信満々に言い切る。

……この同僚のイヌ理論による展開を拝聴していると、一見してどこにも破綻が見当たらないにも関わらず、何故こうも納得しがたい心持ちがするのだろうか。本当に何故なのだろう。


「野々村……ミチェルが主を、伴侶に必要だから連れ去った、と?」

「ええ、そう考えれば辻褄が合います。

ベルベティー氏族長云々と言っていた点から鑑みるに、恐らく彼は、本来はベアトリス様を誘拐するつもりだったのでしょう。しかし、ベルベティーのキーラをマスターが継承してしまった事により、マスターを攫う必要が出てきてしまった……

実際、ベアトリス様は現在国境砦でご静養中で、ミチェルが攫いに現れた様子もありませんしね」

「つまりあのクソ野郎は、ベルベティー氏族長という存在が必要なのであって、主の人格や人柄に惚れた訳じゃない、と」

「そうなります」

「……許せん」


腹の底から、怒りがフツフツと湧き上がってくる。

ユーリにとって、カルロスは大切な主人である。それを、偶然受け継いでしまったキーラとかいう立場のせいで、彼の意に添わぬ婚姻を強要するとは……それも、あの最低野郎個人の理由で必要だから、という一方的な事情でだ。

断じて、決して、絶対に、許容しがたい事態である。


ガベラの森上空を横断するとなると、そこを縄張りとしている魔物達が侵入者たるシャルとユーリを追い落とさんと、どんどん飛び立ってくる。


「いちいち相手をしていてはキリがありません。ユーリさん、振り切りますからしっかりしがみついていて下さい」

「はい!」


カルロスを魔王の手で穢される訳にはいかない。絶対に。

固い決意を胸に宿し、ユーリはシャルの胴にしっかりと両足両腕を回して、同僚のアクロバティックな飛行に備えた。背中の荷物ことユーリに気を取られて、魔物の攻撃を受けては事だ。ユーリの使命は、ハイネベルダ宮殿に辿り着くまで、ひたすらこの同僚の背中にしがみつき続ける事なのだから。


ガベラの森からバサバサと舞い上がってきたのは、以前見掛けた例の恐竜っぽい外見の魔物だ。地を駆け木々を渡るタイプの魔物にとっては、森上空を通過するだけのユーリやシャルの事など、さして意に介していないのだろう。

威嚇の叫びを上げ、行く手を阻む飛行系の魔物の群に、シャルは猛スピードで突進していく。

ガベラの森は広大で、この場を迂回したところでその地を縄張りとする魔物が攻撃してくると判断したのだろう。それならば、以前一戦交えた経験のあるプテラノドン(仮)の群を突っ切る方が未知なる敵との遭遇を警戒するよりやりやすい、と。


「シャギャーッ!」

「ギャース!」

「ひえええええ!」

「本当にユーリさんはあまり口には出さないくせに、頭の中ではゴチャゴチャと考えていてやかましいぐらいですねぇ」

「やかましいからこの状況に悲鳴上げないようにとか、無茶言わんで下さい!」


右へ左へ、プテラノドン(仮)の襲撃をひらりひらりと躱し、合間を潜り抜けてひたすらガベラの森を突っ切るシャル。その背中にしがみついているユーリとしては、怖いし振り落とされたら一巻の終わりであるしで、ひたすら手足に力を込めて、固く目を瞑って同僚の背中に顔を伏せたままやり過ごす。

舌を噛まないよう、口はずっと閉じているが内心の悲鳴が延々漏れ出るのは最早仕方がない。


「おお、森を通過しましたが、早速次が来ましたよユーリさん」

「いやぁぁぁぁ!?」


猛スピードで恐竜っぽい魔物の群を突っ切り、シャルがレデュハベスへと肉薄する頃、今度は霊峰の麓を縄張りとする魔物の来襲を受けたらしい。

プテラノドン(仮)とはまた異なる魔物の威嚇の叫び、予告なく揺さぶられる身体、風圧、浮き上がりそうになったと思えば、今度は押さえつけられる身体。

猛スピードで展開される命綱無しのジェットコースター状態に、ユーリは目も開けていられない。ただひたすらに、心の中でギャーギャーと悲鳴を上げ続けるのみだ。

幾度目かも分からぬ、グンッと重力が掛かる方向転換と軌道修正。ひたすら上空を目指し、駆け上がっていくシャル。


ユーリが懸命に目を開いてみると、翼を持つ魔物の傍らをシャルが丁度蹴りつけながら飛び上がるところであった。白い霧のようなものが辺りを漂っていて、魔物を避けながら突き進むシャルは、早くも雲が漂う高度にまで到達していたらしい。急激な高低差を行き来しても、高山病などは外殻膜が気圧変化によるダメージを防いでくれるので、空気が薄くて呼吸がしにくいだとか、耳の奥がキーンとして頭痛がしてくるといった変調は全く訪れる気配がない。そしてやはり、瘴気による苦痛も何も感じない。外殻膜万歳。


雲より高き、天を貫くレデュハベスの山肌を昇っていく同僚。

今更ながら、霊峰の山肌に沿うように駆け上がり舞い上がっていくのではなく、王都上空へどんどん高く舞い上がって雲を突き抜け、空飛ぶ魔物の縄張り圏内どころか、同じ高度にはハイネベルダ宮殿しか存在しないぐらいの超上空から、一直線に飛行していってはいけなかったのだろうか? という疑問が過ぎる。

いやいや、きっと、多くの魔物達が縄張りとしているこの山脈沿い上空飛行による経路の方が、超上空を横断するよりも安全なのだろう。お空の事情など、翼を持たぬユーリには知る由も無いのだから。


「……なるほど、そちらから突っ切るという作戦は思い付きもしませんでしたねえ」


シャルが感心したようにボソッと呟いたのを、幸か不幸か風の悪戯か、ユーリの耳は拾い上げてしまっていた。

霊峰の奥地を住処とする巨大な魔物の炎を、シャルが見事なアクロバティックで避ける。同僚の背から振り落とされないよう、しがみつくユーリの両足両腕は既に痺れて感覚が無い。


「ふ、ふざけるなあああああっ!?」

「ほらほらユーリさん、ちゃんとしがみついていないと危ないですよ」


流石に堪えきれず、この魔王城攻略飛行に挑んでから初めて口を開いたユーリに、シャルは極めて真面目な口調で注意を促すのであった。



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