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「あれは敵です」
「ティー、発言はもっと具体的に」
女性長老様ことセラフィナへ間髪入れずに断言したユーリに、傍らのウィリーが小声でアドバイスを挟んできた。
この友人はなかなか細かい。だが、確かにこれだけではセラフィナが求める情報からはほど遠いだろうと、ユーリはしばし頭の中で考えを纏めた。
「私が知るアイツの名は野々村。私が術者カルロスによってこのマレンジスへと召喚される以前より暮らしていた世界であり、生まれ育った故郷である此処とは界を異なる世界『地球』の住人です」
「……ほらやっぱり。兄さん半分信じてたでしょ」
「審議中だぞ、ルティ。私語は慎め」
暗がりで合流したらしき従兄弟コンビが何やら囁き合っているが、アティリオが何をどう信じていたというのか。
「野々村……こちらではミチェルと呼ばれるあの男もまた、少なくとも『地球』でしばらく暮らしていた事は間違いありません」
ユーリは日本での野々村との因縁を、思い出せる限り簡潔に時系列に沿って伝えた。
偶然出会い、野々村からの申し出を断れば付きまとわれた事。危うく火事の建物の中に取り残されて殺されかけた事。それによって幼少期以来仮契約状態であったカルロスに召喚され、難を逃れた事。
バーデュロイで過ごす内に、ミチェルと呼ばれる彼を幾度か見掛けていたが、ユーリ自身『そんな事があるはずがない』との思い込みもあり、同一人物だと全く気が付かなかった事。
「なるほど……大体の構図は予想がついたよ」
「ええ」
クリストバル代表とセラフィナ長老は、頭が痛いと言いたげに揃って額を押さえている。
「ティカ、君は自身がクォンである事実を秘匿していた理由は何だい?」
「殺されたくないからです」
クリストバル代表から確認するように問われて、ユーリはその一念を胸を張って主張する。
シンプル過ぎる発言に、ブラウが声に出さぬまま唇を動かし『わぁお』と感嘆符を発するのが見え、何か文句でもあるのかとユーリは睨み返した。
セラフィナ長老が不思議そうに尋ねてくる。
「あなたが友人だと口にするウィリーもまた、クォンを吸収した術者である事実は知っていますか?」
ビクッと、ウィリーの手が震えた。
「知っています。この目でしかと見ましたから」
「え、見たって何を!?」
ユーリの発言は思いがけないものだったのか、ウィリーはギョッとした表情で後退る。繋いでいた手が解け、ぶら下がる。
「クォン召喚と、吸収現場」
「……ティー……」
「知ってた。ウィリーが自分のクォンを召喚して、殴り殺した事」
まるで自分が今からそうされてしまうと怯えているかのように、泣き出しそうな表情を浮かべて後退るウィリーに、ユーリは大きく一歩、二歩と足を踏み込み、先ほどまで繋いでいたその手を伸ばす。
「カルロス様に魂を捧げろ、ってアティリオさんに追い回されて逃げ回ってた時で、ああ、私も捕まったらああやって殺されるんだ、って」
「……ちょ、子供追い回すとか、アティ兄さん何やってんの?」
「うるさい。そうするのが正しいと信じて疑っていなかったんだ」
「嫌だ、あたしこれから兄さんとの付き合い方考え直さなきゃ」
傍聴人の従兄弟コンビのコントが、どうにも空気に水を差す。
「ティー、おれ……ティーにだけは、知られたくなかった……」
「友達だって、思っててくれてたから?」
ユーリの問いに、ウィリーはこくんと頷く。
ユーリは更に一歩踏み出し、ウィリーの薄い色合いの金髪に手のひらを乗せた。
「知ってたよ。自我の強いクォンを吸収して、ウィリーが苦しんでた事。
ウィリーの心が壊れないようにするには、クォンさんの記憶を忘れちゃうぐらいしかないんじゃないかと思ってたのに、頑張って耐えてるんだね」
「違うんだ。おれ、おれ耐えきれなくて……そうしたらカルロス先輩が、『記憶を消す覚悟はあるか』って。
あれも、ティーが解決策を練ってくれたんだね」
「記憶を……消す?」
「クォンの夢は、今は全然見ない。吸収したクォンのも、おれ自身の過去も思い出せない」
「ウィリー……」
抱き寄せたら素直に引き寄せられてきて、ウィリーはユーリの肩に顔を伏せた。
「クォンさんを吸収した魔術師でも、私を友達だって言ってくれたウィリーは私の友達だよ」
「カルロス先輩のクォンでも、ティーが何者でも、ティーはおれの、友達だ」
人権や意志など、魔法使いの使い魔という立場からでは主人以外の魔術師からは一切合切認められるはずが無い、と諦めていた。ユーリの人格など、全て無視されるに違いないと。
たとえたった1人だけでも、『そんな事は関係が無い』と、受け入れてくれた魔術師の友達。
「……アティ兄さん、後輩に良いところ全部持っていかれてるみたいだけど。良いの?」
「何の話だ。友情が深まったようで何よりじゃないか」
そこへ、チンチンと軽くグラスを弾く軽やかな音が響いた。
注目を集めたセラフィナ長老がグラスをテーブルの上にコトリと置き、咳払いを一つ。
「脱線させてしまって申し訳ないわね。そろそろ本題へと入らせてもらって良いかしら?」
セラフィナの確認に、ユーリは慌ててウィリーから半円形のテーブルへと向き直った。
「はい」
「あのミチェルという男は、何故ジェッセニアのキーラとしての力を持っているのですか?」
「存じません」
確か、ハイエルフ族の王室が代々受け継いでいく秘術? らしいから、マレンジスでの約百年前の異変を逃れて異世界に避難していたジェッセニア氏族の子孫か何かなのだろうか?
「あなたは何故、ミチェルから憎まれているのですか?」
「分かりません。理由も分からず攻撃されたのはこちらの方です」
「ミチェルは何の為にカルロスを攫ったか、知っていますか?」
「存じません」
決して、空惚けている訳ではないのだ。知らない事を知らしめる、という確認作業のようなやり取りに、ユーリは段々苛立ちが募ってくる。カルロス救出に向けて、具体的な作戦が立案されていないとなれば、こうしている間にも、主人が苦しめられているかもしれないというのに。
次に相応しい質疑が思い当たらなかったのか、セラフィナ長老から繰り出される設問に空白が空いた。すかさずブラウが手を上げて、発言の許可を求めた。クリストバル代表の頷きを受けて、口を開く。
「ミチェルからあなたへ、明確な殺意は感じ取れましたか?」
是、と答えようとして、ユーリは言葉に詰まった。ブラウは表情から悟ったのか、ユーリの返答を待たず、次なる質問をぶつけてくる。
「術者ウィルフレドからの報告に、あなたは本日の午後、王都内で発生した瘴気を止めるべくパヴォド伯爵邸を出た、とありました。
実際、あなたがミチェルの手により城壁へと運ばれてきたのは瘴気発生が止んだ後でした。術者ウィルフレドと別れた後、あなたの身に何が起きたのか、証言をお願いします」
そう言えば、子爵邸の地下からモクモクと立ち上っていた瘴気を、ユーリがどう対処したのか。それについてまだ誰にも何も話していないのだ。瘴気対策について、何か進展があると期待されているのかもしれない。
瘴気を取り除くべく子爵邸へと向かい、ミチェルに運ばれ城壁に投げ捨てられた。そのあらましを語ったところ、クリストバル代表は難しい顔をしてユーリの顔を見詰めてきた。
「つまり、君は何らかの技術や魔術を用いて瘴気を取り除いたのではなく、君の故郷から持ち込んだ道具の中に封印しただけ、という事か」
「はい」
「君自身が瘴気を防ぐ手立てを持っているのではなく、クォンの基礎的な能力として君がカルロスから授かった防御結界が、たまたま瘴気を無効化する、と」
「は、はい」
クリストバル代表からクドいほどに確かめられてユーリは不安に駆られながらも、その点について偽る必要性を覚えず正直に答える。
「それでは、結局我々ではどうする事も出来ない、という事ですか……?」
「そういう事になる」
アティリオが焦ったように身を乗り出し、クリストバル代表は椅子に背を預け重々しく頷いて肯定した。
「唯一、可能性があるのはベアトリスですが……」
「彼女は未だ、国境城塞で治療に当たっている。彼女自身も負傷しているし、本調子ではない」
「……はぇ?」
「そんな……ティカ、君が本当にたった1人で行かなければならないだなんて……!」
暗がりを回り込んできたアティリオに詰め寄られ、話の展開について行けなかったユーリは無意識のうちに後退りアティリオから距離を取りつつ、両手を翳してガード体勢に構えながら仰け反った。
と、その時。天井からのみ光源が差し込み室内の大半は闇に沈んでいた議会室の両開きのドアが、外側から大きくバーン! と開け放たれた。出入り口から眩しい光が差し込んでくる。
「ええい、今は審議中だと言うに!」
「全く。いちいち煩い人ですね。わたしが用があるのは長老方ではないと言っているでしょうが」
どうやら出入り口の前で押し問答をしていたらしく、押し止めようと抑えつけるローブ姿の魔術師をずりずりと引きずりつつ、彼は逆光の中から歩を進めて姿を現した。ボロボロの大きな布地を全身に巻き付けた、人影。
「さあ、うちのユーリさんの吊し上げ現場はここですか?
忙しいので返してもらいに来ましたよ」
「シャルさん!」
闖入してきた飄々とした同僚の姿に、ユーリは制限のせいでのたのたとしながらも歩み寄って人間バージョンのシャルに抱き付いた。いかに力持ちな天狼さんと言えど、結界の制限下では魔術師を2人も引きずって、同僚に抱き付かれれば、それ以上は身動きが取れなくなったらしい。ピタリと歩みが止まった。
「シャルさん、砦で泡吹いて気絶したって聞いてましたけど。もう大丈夫なんですか?」
「泡? いったい何の話です?
わたしはただ、翼が折れてしまったせいで、治して頂くまでこちらに駆け付けるのが遅れただけですよ」
あれ、おかしいな。確かに主はシャルさんがドラゴンの咆哮直撃で、泡吹いて気絶したって言ってたのに。何か、私の方がスッゴい不可解~な表情で見られてる。
シャルは腰に纏わりついていた魔術師をペイペイと引き剥がし、クリストバル代表に向き直った。
「クリストバル代表、わたしはこれからユーリさんと一緒に、マスターをお迎えに上がりますので。我々はこれで失礼します」
「待ちたまえ、シャル。
カルロスがどこに居るのか、どんな状況に置かれているのか、きちんと把握しているのか?」
カタン、と席から立ち上がり、両手をテーブルについたクリストバルから制止されて、踵を返したシャルは顔だけ振り向かせて答える。
「さあ?
マスターがどこに居ようが、ご帰宅が困難な状況下にあるならば、わたしはただ迎えに行くだけです」
「いやあ、従者の鑑だね、シャル」
「小難しい理屈やら手段を考えるのは、わたしの仕事ではありません。ユーリさんの仕事です」
しれっと答えるシャルに、ブラウが両手を叩いてはしゃいだ声音で茶々を入れると、シャルは更に平然と答えた。ユーリはいつの間にか、同僚から頭脳労働の責任を押し付けられていた。
「それでユーリさん。マスターはどこで居眠りをされているんですか?」
「……霊峰レデュハベスの魔王城へ、愉快犯な魔王ミチェルに誘拐されていきました」
「ほらやっぱり、ユーリさんはちゃんとマスターの動向を把握してるじゃないですか。
お分かりですかクリストバル代表。ユーリさんが面倒臭い事は諸々心得ているのだから、わたしは最低限の調査やら聴取だけで十分なんですよ」
「……そのようだ」
「え、それつまり、ティーに全部丸投げ……?」
何故か胸を張って自慢げにうそぶくシャル。そんな同僚の開き直りに、ウィリーが呆れた声を上げるが、シャルは全く気にも留めていない。
「さあユーリさん、レデュハベスに向かって早速飛びますよ」
それどころか、気の早い同僚にずりずりと引き摺られて、ユーリは慌てて床に踏ん張って引き止めた。
「シャルさん、今は夜ですよ。まずは準備を整えてから出発しませんと」
「やれやれ。ユーリさんは本当に軟弱な上に貧弱で困りますね。拙速は巧遅に勝る、という言葉を知らないのですか?」
「備えあれば憂い無し、です」
霊峰レデュハベス、ハイネベルダ宮殿。いったい何が待ち受けているのか分からないというのに、着の身着のままで向かえるはずが無い。この同僚の『ちょっと近所の公園まで散歩に』程度のノリの方が、ユーリには危うく見える。
「ティカ、一休みするなら部屋を用意してあるから。早朝出発するといい」
「有り難うございます」
ズイッと割り込んできたアティリオに半ば怯みつつ、ユーリがカクカクと頷いてお礼を言っている傍らで、シャルは何かを思い出したかのように「あ」と呟き、広げた手のひらの上にもう片方の手で作った握り拳をポムと当てた。
「そうだ、すっかり忘れていました」
「はあ」
「マスターはうっかりドジを踏んで誘拐されたそうですが、わたしはちゃんと約束を果たして帰ってきましたよ」
伸びてきた両腕が背に回され、ユーリはシャルに抱き寄せられていた。
「ただいま、ユーリさん」
耳元に囁かれた何気ない帰宅の挨拶に、ユーリは思わず涙ぐんでしまった。本当に、何でもない言葉だというのに。
ユーリは自らの両腕もシャルの背に回し、同僚の胸元に頬を埋める。
「お帰りなさい、シャルさん」
涙のせいか、声が掠れてしまっていた。
背後のテーブルの方で、女性長老様が困惑気味に呟く。
「……それで結局、彼女の本当の名前はいったいどれが正しいのかしら?
皆、思い思いに呼んでいるのだけれど。
ティカ、ティー、ユーリさん、それからミチェルはモー……なんとかさん、と呼んでいたわね」
「あたしもティカちゃんの本名、気になります。
特に『ユーリさん』の詳細について! 偶然? 同名なだけ? それとも……」
「ルティ先輩、顔が怖いです」
「何の事かしら、ウィリー。あら、兄さんはどうして顔を背けるのかしらぁ~?
そうそう、そう言えば、いくら何でもアティ兄さんが春先にまだ出会ってもいない『ティカちゃん』を追い掛け回すなんて、事実上不可能よねえ?
いったい兄さんはどんな姿の『ユーリさん』を追い回してたのかしらぁ?」
……主を救出した後は、素知らぬ顔をしてしばらく子ネコ姿を封印しておいた方が良さそうです。身の危険を感じます。