番外日常編 ある日のシャルさんⅡ
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わたしのマスターは、大型の動物よりも小型の動物の方を、より好むと思う。
「ユーリは本当に可愛いなあ」
今日も今日とて、どろどろに蕩けきった何とも締まらない顔のマスターが、子ネコ姿のユーリさんを抱っこしている。
持ち上げられているユーリさんは、相も変わらず仏頂面である。
わたしは取り込んだお洗濯物を畳みつつ、ふと抱いた疑問を投げた。
「ねえマスター、ユーリさん」
「み~(何でしょう……)」
心なしか、ユーリさんはマスターの腕の中でぐったりしている。わたしが庭に出て洗濯物を取り込んでいる間に、ユーリさんが疲れるような何があったのだろう。
「どうしたシャル?」
「ユーリさんはいつもマスターから抱き上げられていますが、マスターご自身は肩が凝ったりはなさらないのでしょうか?」
そこはかとなく、キリッとした表情をわたしに向け、今更主人としての威厳を取り繕うと無駄な努力をなさるマスター。そんなマスターは、ユーリさんをいつも抱っこしているので、肩を酷使しているようにも見受けられる。
「みみっ! (それはいけません。主のご負担になるような真似は致しかねます!)」
わたしの疑問を耳にしたユーリさんは、表情を輝かせて盛んに鳴き、マスターの腕の中でもがいた。たしたしとマスターの腕を叩いている。うん、これ幸いと脱出したいのですね。
「ユーリ……」
マスターはしばし黒ネコを見下ろし、やおらギューッとより強い力で抱き締めた。
「安心しろユーリ! お前を抱っこする程度の体勢ぐらいで、俺の肩が痛む訳ないだろう!?
お前は何も気にせず、甘えてきて良いんだからな!」
「み゛ぃ……(ぐぇ……)」
感極まるマスターの腕の中で、ユーリさんが断末魔の声っぽい鳴き声を上げ、自身を拘束しているマスターの腕を叩いていた前足が、ふるふると震えて天に向けて伸ばされ……パタリと力を失った。
「ん? ユーリ? どうしたユーリ!?」
マスターが慌ててユーリさんを揺さぶっているのを尻目に、わたしはひとまず、畳み終わった洗濯物を仕舞いに向かった。
◆
わたしが本来の姿で寛いでいたある日、子ネコ姿のユーリさんがトコトコと近寄ってきて、言い出した。
「み~、みぃみぃ(シャルさん、一つ思い出した事があるのですが)」
「はい、何ですか?」
わたしは眠気にウトウトと誘われながら、話半分に聞き流しつつ相槌を打った。
「みぃみぃみぃ(犬科と猫科には、首根っこを掴むという技がありまして)」
「はあ……」
それはともかく眠たい。
「み! (聞いてますか!)」
「わたしは眠いのです、ユーリさん」
「にゃう~(とにかく、そちらの姿のシャルさんが私を口にくわえて運ぶ事だって、生物の構造上可能な筈なのです)」
ペシペシと、しつこくわたしの前脚を叩いて訴えてくるユーリさん。仕方がなく、わたしはのっそりと立ち上がった。
「はいはい。その首根っことやらはどこですか?」
「みぃ(首の後ろ側の皮です)」
わたしに背を向けてお座りしているユーリさん。……わたしにくわえられたとして、何か楽しい事でもあるのだろうか?
ユーリさんの首根っことやらの大体の位置に辺りを付け、あーむと口を閉じようとしたまさにその時。
「シャルッ! 何をしとるか貴様ーッ!?」
乱暴にドアを蹴破り突如部屋に飛び込んできたマスターが、わたしの眼前からユーリさんをかっ攫った。
はっしと抱き締め……いや、抱き潰しているせいで、同僚は主人の腕の中で呻き声を上げている。
「こんなに可愛いユーリを食おうとするとは……気でも違ったか!?」
「はあ、ユーリさんから頼まれましたもので」
「自分から食われたがるアホがいるか!」
マスターならばユーリさんの胸の内を読むなど容易いだろうに、よほど部屋に飛び込んできた時のわたしとユーリさんの体勢に驚愕したらしい。まあ、今のユーリさんの頭は『苦しい』でいっぱいなのでしょうけど。
◆
「ふははは、遂に完成したぞ、ユーリ!」
子ネコ姿のユーリさんの前に、ネコじゃらしをフリフリしてやっていたわたしの背後で何やら工作に励んでいたマスターが、歓喜の叫びと共にこちらに割り込んできた。
おざなりにテシテシと、わたしが翳すネコじゃらしを振り払っていたユーリさんは、気のせいかげんなりとした眼差しでマスターを見上げ、ふいっと視線を逸らす。
「何を作っていらしたのですか、マスター?」
マスターがご機嫌ナナメ~になられては、必然的にわたしへ八つ当たりが飛んでくる。仕方がなく相槌を打つと、マスターはそっぽを向いているユーリさんを抱き上げて、満面の笑みで答えた。
「ユーリの為のキャットタワーが、遂に完成したぞ」
ウキウキと表情を輝かせ、マスターは応接間の片隅に設置したとおぼしき謎の工作品の前に、ユーリさんを抱いたまま近寄った。
高さはマスターの身長より拳二つ分ぐらい大きい程度。ぴょんぴょんと飛び跳ねて登れる段差が多数、板はユーリさんがぶつかっても怪我をしないようにだろう、全面に柔らかい布地で覆われており、穴が空いていたり丸いフワフワ毛玉がぶら下がっていたりする。キャットタワー周辺にはクッションがいっぱい。
マスターは今日まで、地味に材料を用意したり自作したりしていたが、遂に今日組み立てて完成させたらしい。
わたしは昼寝したりユーリさんにネコじゃらしを振ったりと、マスターの様子からは背中を向けていたので知らないが、応接間のキャットタワーが設置された一角を真正面に見据える角度でわたしと遊んでいたユーリさんには、マスターの奮闘は丸見えであっただろうに。全く興味がなさそうである。
「さあユーリ、好きなだけ遊んで良いからな!」
マスターはユーリさんをタワーの中ほどに下ろし、ワクワクとした眼差しで見守る。
ユーリさんは板の上でお座りしたままマスターを見上げ、無言のままジーッと見つめ返し……やがて諦めたのか、のっそりと立ち上がった。
「おおっ! ……お?」
ぴょんぴょんと飛び跳ねてタワーを軽快に駆け上がったユーリさんは、一番上の段に到達するなり壁側に引っ込み、こちらからは見えなくなった。
「ゆ、ユーリ?」
マスターの呼び掛けにも応えず、無言のまま。顔も覗かせない。
「多分ユーリさん、一番上の段で昼寝にでも突入したんじゃないですか?」
「お、おーいユーリ?」
これもきっと、キャットタワーの活用法であろう。
あ、マスター。そこから強引に下ろそうとして、ユーリさんを人間の姿に戻すのはお勧めしませんよ。タワーから転落します。
◆
「シャルさん、いざ、尋常に勝負です!」
「全く。ユーリさんは何度私に負けても、懲りる事を知りませんね。仕方がありません、受けて立ちましょう」
わたし達の共同部屋にて。両足を肩幅分開いて片手を腰に当て、もう片方の手でビシッとわたしを指し示し、高らかに宣言してくるユーリさん。わたしは右腕を胸の前で水平に押し当て、その手の甲の上に左腕の肘を突く。そして顔の辺りにくるこちらに向けている左手の指を揃え、そこにおもむろに顎を乗せるというポーズでユーリさんと向かい合っていた。相変わらず、威厳が出る態度をわたしは模索している真っ最中である。
「む!? 前回は主の乱入によって、勝負はお流れ、引き分けになったハズです!」
「やれやれ。良い勝負を演じたゲームの事、だけ、を声高に主張されてもね」
「むぎーっ!」
聞き捨てならない、と抗議してきたユーリさんに、わたしはふふんと鼻で笑いつつ普段の生活における勝敗模様を匂わす。地団駄を踏むユーリさんはさておいて、今宵もわたしとユーリさんの威信を賭けた勝負は幕を上げた。
「……で、お前ら今日も今日とて何やってんだ?」
「我々は真剣勝負中です、主」
わたしとユーリさん共同部屋のドアに背を預け、床に向かい合っている我々を見下ろしてくるマスターに、ユーリさんがボードから目を離さずに答えた。わたしは懸命に得点を計算中である。数学はあまり好きじゃない。
マスターは興味を抱かれたらしく、わたしのボードを覗き込んでくる。
今我々が遊んでいるゲームは、ユーリさんの故郷で遊ばれていたボードゲームである。
六角形が十九個集まったボードに、一から九まで三つの数字が書かれたパーツを乗せていき、ボードの上の端から端まで、縦横斜めに同じ数字が一直線に並んでいれば得点が加算される。分かり易いよう、数字固有の色別の直線が引かれているので、一目瞭然だ。
ランダムに数字が記入されたパーツは裏返されたまま山になっていて、ユーリさんと交互に引いていき、ボードの上を全てパーツで埋めたらゲーム終了。獲得した得点を競うのだ。
ルールを説明されたマスターは、わたしとユーリさんのボードを見比べて「ほー」と呟き顎を撫でた。
「どう見ても、ユーリの方が綺麗な線が出来てるようだな?」
「わたしはまだ初挑戦なのですから、勝手が分からないのは当然でしょう、マスター」
どの数字のパーツが出るかは運だし、一度乗せたパーツは後から移動出来ないルールなので、思い切って小さい数字は初めから捨てておくのも戦術か……なんて気が付いたのは半分以上パーツを乗せた後だ。ただでさえ数学なんて好きではないというのに。わたしが好む白を、数字の一に割り振るとは……この同僚の策略に、今宵もまんまと引っ掛かってしまったらしい。
「ユーリ、今度は俺も混ざっても良いか?」
「はい、是非! お時間のある時に誘おうと思って、主のボードも準備してたんですよ~」
マスターの見ている前で惨敗を喫したわたしの悔しさを汲み取ったのか、マスターがどっかりと床に腰を下ろし、ユーリさんにそう尋ねた。いそいそとボードを背後から取り出したユーリさんは、目が輝いている。
1人で使うパーツは十九枚なのに、妙に大量に作られて山になっていると思えば、多人数に対応出来るように、予め用意していたらしい。
和気あいあいとパーツの山から一枚引くマスターとユーリさんを眺め、わたしはこっそり溜め息を吐いた。
……数学は、あまり好きではない。
◆
「にー(眠い)……」
「さあユーリ、最初からおさらいだ!」
「にー(眠い)……」
今日も今日とて、マスターが子ネコ姿のユーリさんを相手に芸を仕込んでいる。
ユーリさん専用クッション筒の中に潜り込んでいるユーリさんは、顔と両前足を筒の出口から覗かせてだらんと伸ばした状態のまま、先ほどからウンザリとした心境を隠しもしない。しかしマスターは、そんなしもべのやる気の薄さに頓着などせず、嬉々としてユーリさんを愛でている。
「さあ、トンネルに突撃して出口から顔を出し、見上げてにっこり、だ」
「にー(眠い)……」
ユーリさんはヨタヨタと筒から這い出て、再びノロノロと筒に回り込み、モゾモゾと潜り込む。
その動きは、とてもではないが楽しく遊んでいるようには見えない。どう見ても、厳しいノルマを課された囚人の苦行風景である。
「に……(眠……)」
「ユーリー?」
筒の中で、ユーリさんは顔も出さずに動かなくなった。
不審に思ったマスターが、筒を持ち上げて中を覗き込み……しばらくプルプルと震えていたが、やおらグワッ! と、勢い良く振り返ってわたしを見据えた。
「しゃ、シャル……これをっ、これを見てみろ!」
マスターは目をかっ開き、わなわなと震える手でユーリさんが潜り込んだままの筒を差し出してくる。
こういう場合のマスターには下手に逆らったり、口答えをしない方が良いと学んでいるわたしは、大人しく中を覗き込む。そこには大方の予想通り、ユーリさんが眠気に抗えずにスヤスヤと寝入っている姿があるだけだ。
「見たか、シャル?」
「はあ、見ましたが。これがどうかなさったのですか?」
真っ昼間から、眠気に従い昼寝を敢行するユーリさんの姿など、いつもの事ではないか。
「お前には分からんのか!?
このっ、このトンネルの中で安心しきって無防備な愛くるしい寝姿の良さがっ!
全身が見えそうで見えない、歯痒いチラリズムが煽られる寝顔の可愛さが……!?」
「さっぱり分かりません」
マスターから暑苦しく力説されるが、ユーリさんの寝顔など見慣れて見飽きた光景であるし、筒の中で寝ぼけようがどうしようが、わたしには関係の無い話である。
「俺が教えずとも、新たな技を会得するとは……流石だユーリ!」
マスターは、ユーリさんの子ネコ姿に惑わされ過ぎであると思う。
◆
「ユーリ、今日も新しい技を体得しようじゃないか」
「みぃっ!(よろしくお願い致します、主!)」
とある夜。夕食を済ませたマスターと、子ネコ姿のユーリさんは、向き合っておもむろに修行開始を告げた。
珍しくもやる気に満ち溢れたその姿は、貴重な技術や知識の伝授に臨む師弟の姿に見えなくもない。
わたしは風呂上がりで濡れた髪をタオルで拭いつつ、何とはなしにマスターとユーリさんの姿を眺めていた。
「良いか、ユーリ。やり方はこうだ。
狙う相手の目の前で寝っ転がってお腹を上に向け、両手両足で遊び相手をせがみつつ、こうぐねぐねと!」
「み、みぃ……(お、おお……)」
技のなんたるかを叩き込むにあたり、マスターは自らフローリングの床に横たわり、実演してみせる。何でも良いが、そこそこ体格も良く上背もあるいい年こいた成人男性が行うその光景、冷静な眼差しで眺めていると……変だ。
技を身につけるべきユーリさん本人も、若干引き気味だ。
そんな我々しもべの生ぬるい眼差しなど、偉大なるマスター本人は全く意に介した様子も無く、むくりと起き上がって、ユーリさんを見下ろした。
「よし、早速やってみろユーリ」
「み~?(こうですか?)」
ユーリさんは素直にお腹を見せつつコロンと床に寝そべり、腰の辺りをぐにぐにと動かす。そして前足や後ろ足で、てちてちと空中に殴りつけるような動きを見せた。
「……良いぞ、ユーリ!
もう一押し、もう一捻り加えてみろ!」
マスターはユーリさんを見下ろして悶えながら、何ともアバウトな指令を下す。
ユーリさんはしばし考え、そして両前足で手招きするように動かし、
「み、にゃ~?(主、あ~そび~ましょ~?)」
呼び掛けてみる、という行動に出た。
マスターは歓声を上げてユーリさんを床から抱き上げる。
「よし、遊ぼうユーリ!」
嬉々として頬擦りしながら、マスターはスキップしながらリビングを出て行く。
技の伝授は、結局どうなったのだろう? これで終わりなのだろうか。
だいたい乾いたので、頭からタオルをぱさりと取り去ったわたしの耳は、その時廊下を歩くマスターの独り言を拾い上げていた。
「……そろそろ、シャルも子ネコ姿に変えてユーリとのコラボ技を指導しても良いかもしれんな……」
……勘弁して下さい、マスター。
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とある朝、わたしが寝床から起き出して朝の支度を整えていると、非常に大変な事態が起こった事が判明した。
マスターが風邪をひいて、熱を出している。
寝るときは大抵子ネコ姿にされているユーリさんは、マスターから膜を反転してもらわなくては、姿を変える事が出来ない。
「みぃ~……(すみません、シャルさん……)」
マスターの看病か家事を分担しようにも何も出来ず、情けなさそうにがっくりとうなだれるユーリさん。
……この日、マスターの看病とユーリさんのお世話、そして家事全般を、わたしが一手に引き受ける事が決定した瞬間だった。
家事の傍ら、合間を見てマスターが寝ている寝台を覗き込む。幸い、丈夫が取り柄のマスターなので、寝ていれば治るだろう。
マスターの枕元に丸まって大人しくしているユーリさんは、マスターの額に乗せた、水に浸して絞った布の温度を肉球で計り、どうやら温かったらしい。
改めて洗面器の水に布を浸して、今度は絞ろうと、布地を洗面器の端に引っ張り上げて、両前足でぱむぱむと叩くという無駄な努力をしている。
「残念ですねえ、マスター。ユーリさんのネコ姿での珍しい動きを見られなくて」
「みぃみぃ(私の必死の看病は見せ物じゃありませんよ、シャルさん)」
早くよくなって下さい、マスター。
取り敢えず、わたしは本人の意欲を尊重して、布を絞るのはユーリさんに任せておく事にした。その代わりにマスターの首に、風邪に効くとユーリさんから教わったネギを巻いて、そっと寝室から退室した。
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マスターがお元気になられた。
大変喜ばしい出来事なのだが、何故かマスターはわたしにたいして、ひどくおかんむりである。
ようやく本来の姿で寛げるだけの余裕が出来たわたしは、釈然としない気持ちを抱えて首を傾げる。
「何をお怒りなのですか、マスター? 病床の床でユーリさんの言動を逐一眺められなかった事が、そんなにご不満なのでしょうか?」
「違う」
わたしの率直な問いに、マスターは苦虫を噛み潰したようなお顔で低く否定なされる。
はて、一体全体、何がマスターの勘気を買ったのか。心当たりがありすぎて、逆に特定しきれない。
「人が抵抗出来ないのを良いことに、首にネギって何だ、ネギって!」
マスターはテーブルをばんばんと叩き、お怒りを示す。
何だ、それだったのか。
「あれはユーリさんから教わった、風邪撃退法だそうです」
「何?」
案の定、マスターがえこひいきしているユーリさんからの入れ知恵だと白状すれば、マスターの表情がやや和らいだ。理不尽である。
「詳しい理由は説明されてもよく分かりませんでしたが、ネギの栄養だか匂いだかが、風邪を治すのだそうで。詳しくはユーリさんに聞いて下さい」
「むむ……そういう事なら、お前を叱るのは見当違いだな。
とにかく、次からはネギは止めてくれ」
「承知致しました」
ネギはマスターのお気に召さなかったようだ。
次の機会があったなら、今度はユーリさんが口走っていたけれどまだ試していない、『焼いた塩を首に』と、『タマネギを鼻に』を試してみる事にしよう。
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マスターとユーリさんが真正面から睨み合っている。
わたしは寝室にて、のんびりと本来の姿で寝藁の上に寛いでいるのだが、部屋の出入り口を陣取る両者は互いに一歩も引かない。
「私だってたまには、本来の姿で眠りたいです、主!」
「いーや、駄目だ。定期的に子ネコ姿に変えておかないと、変身時の身体変化に慣れにくいだろう」
「ずっと人間の姿のままでいれば何も問題ありません!」
「お前は俺のネコだ!」
わたしはいい加減眠りたいのだが、まだ決着はつかないのだろうか?
「良いか、ユーリ。お前が人間の姿で休むとしよう。
具体的にはどこで眠る気だ?」
「……この寝藁に」
「ただでさえ狭いのに、眠っているわたしの爪に切り裂かれますよ?」
わたしが懸念を伝えると、ユーリさんはしばし考えて代替案を出した。
「主のベッド……」
「嫁入り前の娘が、男の寝台に上がり込む気か?」
すかさずマスターが険悪な声で制止を掛ける。
同一人物であるというのに、ネコ姿では嫁入り前の娘扱いをしていない、マスターの中での認識の食い違いは深い謎である。
「じゃあ、一階のソファー!」
「寝相が悪いユーリさんでは、あの小さいソファーから転がり落ちるのがオチです」
わたしの忠告に、ユーリさんはしょげ返って大人しく子ネコ姿となり、寝藁の上に丸まった。
……もしかしてユーリさん、一緒に寝ているわたしの身体がデカすぎて鬱陶しいのだろうか?
◆
わたしはつらつらと考えてみた。
一応、この部屋の名目上はわたしとユーリさんの同室である。お互いに半分ずつ対等に、限りある室内面積を占有する権利がある。
しかし悲しいかな、体格の違いから明らかに毎晩わたしの方が寝藁を悠々と使って寝そべっているのが現実である。
ふ~む。
ユーリさんが、わたしよりもマスターからえこひいきされるのは今に始まった事ではないが、わたし自身の行状によってユーリさんに寛恕される立場にあるのは我慢ならない。
わたしはユーリさんよりもマスターに仕えてきた年数も長く、先達である。よりマスターのお役に立っているのはわたしの方だとの自負もある。
わたしが、ユーリさんに対して広い心で譲歩してやるならばともかく。ユーリさんが、というのは大変気に入らない。
わたしは眠っているユーリさんを起こさぬよう、静かに寝藁の上に身を起こすと、音を立てぬようそろそろとマスターの寝室に向かった。
ベッドの中で安眠しているマスターの腹の上に、両前脚を乗せる。
「ゲホッ!?
……な、何事だシャル?」
「マスター、今夜はわたし、こちらで休みます。
それから、折り入ってお願いが」
「……いや、別にこっちで寝ようがどうしようが構わんが。
何だ、頼みって?」
「わたしを、小動物に変身可能にして下さい」
わたしの願い事に、ベッドの上で仰向けから寝返りを打ってこちらを向いたマスターはグッと拳を握り締めた。
「おおシャル、遂にお前にもネコの良さが……!」
「ネコ以外でお願いします」
わたしが遠慮なく感動に水を差してやると、マスターは目に見えてガックリと肩を落とした。
「ふん。そんな可愛げのない事を言い出すシャルは、取って置きの姿にしてやるからな!
……あと、家事が出来なくなると俺が困るから小動物は却下だ」
マスターは拗ねたように唇を尖らせて、再び寝返りを打つと壁の方を向いて寝入り体勢に入った。
……取って置きの姿とは、何であろうか。何故か嫌な予感しかしないのだが。