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立て続けに、ミチェルは次なる呪を放つ。


「覆い尽くす闇よ、光を全て吸い取れ!」


ミチェルが唱えた魔法が、どんな効果をもたらしたのか。

一瞬にして真っ黒い靄のようなものに包まれたレッドドラゴン。そしてあっという間に靄はかき消え、炎を防ぐべくウィリーが川の水を引っ張り上げたお陰で濃く立ち込めていた水蒸気は、レッドドラゴンの周辺から一瞬にして大量の水と化して地面へとバシャンと落ち、同時にレッドドラゴンの巨体が、左右から見えない大きな壁にでも強く挟まれたかのように、潰れてひしゃげた。どうっと、泥水を跳ね上げながら地に倒れ伏すレッドドラゴン。


「……は!?」


予想外の光景に呆気にとられたのはユーリだけではないようで、彼女を助け起こして膝立ちになっていたウィリーが、素っ頓狂な声を上げた。

ウィリーだけではなく、城壁の上で防衛にあたっていた兵士さんやら魔術師さん達は、どうやら我が目を疑っているのか。しきりに瞬きを繰り返したり、目を擦ったり、マジマジとレッドドラゴン(潰)を凝視したりと、ざわついている。強敵を打ち倒した喜びの雄叫びが、どこからも上がらない。


「イェ~イ、だ~い、せ~い、こ~っ」


いや、1人だけ居た。

城壁の通路ではなく、足場とするには不安定なデコボコした壁面のてっぺんで小躍りしている、背中に光る魔法陣を背負ってる非常識な赤い髪の男である。


「何が起こったのよ、あれ……」


呆然とレッドドラゴンの亡骸を眺めていたユーリは、今の現象の原理を必死で想像してみた。

そして記憶の彼方から引っ張り出して思い出したのが、中身空っぽの空き缶と空気圧実験の思い出である。


大気というものは、圧力を持っている。普段生活している分には、同じ圧力を身体の内側から圧し返し釣り合っているから空気の重さなど何も感じないだけなのだ。

水が入った容器を温めると中身の水が水蒸気になって空気を追い出し、次に急速に冷やす事で水蒸気は水に変化し、容器の中身が何も無い状態となるので外側から大気の圧力に耐えきれず潰れる、と。

しかし問題は、レッドドラゴンの周囲は当然ながら容器なんかじゃなかった事だ。


「ティーは物知りだなあ。

それなら最初の光魔法、あれが多分遮断結界だと思う。それでレッドドラゴンの周辺を覆って温度差? とかいうのを作り出したんじゃないかな」

「本当に、底が知れない……」


知らない間にブツブツと独り言を漏らしていたらしく、ウィリーが補足を加えてきた。

女装姿のブラウはクロスボウを壁の隙間から下げて、小躍りしているミチェルを鋭い眼差しで見据えている。


レッドドラゴンが最早動かない事を知り、周囲の人々のざわめきが強くなってくる中、遠目に確認していた空飛ぶ箒と絨毯が王都の城壁目指して滑空してくる。

主人の見事な箒の乗りこなしっぷりは見慣れた光景だが、アラビアンナイトな空気を醸し出す空飛ぶ絨毯に、ユーリは思わず目線が釘付けだ。

空飛ぶ飛行物体の片方こと絨毯が、箒を置き去りにして猛然とスピードを上げてこちらへと近付いてくるにつれ、空飛ぶ絨毯の上に悠然と腰を下ろしている人物が、某フード大好きハーフエルフである事に気が付いて、顎を落としそうになった。


……空飛ぶ絨毯……うっ、羨ましいです!


「ティカ!? どうして君がこんなところに?」


通路の上空に到達したアティリオは絨毯から身を乗り出して下を覗き込み、目を見開いてひらりと身軽に絨毯からユーリの傍らへと飛び降りた。乗り手を失った絨毯は、勝手にクルクルと丸まって、アティリオの手元に下りてくる。


「いや、私もどうしてここに居るのやら?」

「ティカちゃんは、ミチェルに運ばれてきたのよ」

「どういう事だ?」


困惑しながら、成り行きでここに連れてこられただけである、という現状を上手く弁明出来ずに口ごもるユーリに、アティリオの妹分ルティことブラウが従兄弟の手から絨毯を受け取りつつ、口を挟んだ。その手にはまだクロスボウまで持っているが、重くはないのだろうか。


「アティリオ、ご苦労様でした。

あなたは国境線の方に向かった筈でしたが、どうして今、こちらにいるのかしら?」


アティリオの訝しげな眼差しに居竦んでいたユーリの背後から、通路の石床を靴のヒールがカツカツと叩く音を立てながら、女性長老様が歩いてこられる。

アティリオやブラウにウィリー、彼らだけではなくその場に居合わせた魔術師連盟の術者達は彼女に向かって軽く頭を下げる。

ユーリも慌てて飛び退き、ウィリーの背後に半ば隠れた。一般人、あくまでも一般人であるユーリ……女性長老様の認識では黒髪の娘ティカ……が、つい先ほどまで戦場であったこの場に居るのは、明らかに不釣り合いである。こちらに注意が向かないと良いなあ、という無意識の行動であった。

そんなユーリの動きには特に何も口にせず、アティリオは上司に報告を始めた。


「殲滅しきれず、国境線を越えた魔物を討伐すべく追跡し、僕とカルロスは結果的に王都にまで舞い戻ってきてしまいました。

我々先発陣の力不足により国内への混乱を招き、被害が拡大した事、慚愧の念に堪えません。申し訳ありません」

「……尽力した上で戦力差により仕方のなかった事だと、上が判断して下されば良いけれど」


アティリオの報告に、女性長老様は溜め息を吐いて呟いた。


「昨夜から今まで、本当にご苦労様でしたアティリオ。

それで、ベアトリスとマルシアル、ダミアンを始め連盟のメンバーは皆、国境線の砦に留まっているのね?」

「はい。城塞そのものや、守備隊への被害も大きく、連戦続きで疲労困憊しております。

比較的余力のあった、僕とカルロスが追跡に出るのが精一杯で……」

「そう。それで、問題のカルロスはどこかしら?」


アティリオの報告を一旦中断させ、女性長老様は長いプラチナブロンドの髪をなびかせて辺りを見回した。城壁の上、防衛戦や歩哨巡回に利用される通路には、カルロスの目立つキンキラキンな金髪頭は見当たらず、自然とレッドドラゴンの亡骸の方向へと視線が流れる。

そちらには、こちらに向かってのろのろとした速度で飛んでくる箒が一本。風に流され左右に危なっかしくフラフラと揺れ動き、乗り手の姿勢がグラリと崩れた。


「危ない!」

「主!」


通路から悲鳴が上がる中、空中飛行中にバランスを失ったカルロスは地上に向けて真っ逆さま……に、墜落しかけたところで、城壁から飛び上がった赤い髪の男に抱き留められた。最悪の事態を免れた事で、恐らくは無意識の内にだろう、周囲から安堵の溜め息が次々と漏れる。

重力に従って箒が落ちていく傍ら、ミチェルの両腕にお姫様抱っこで抱えられているカルロスは、ピクリとも動かない。


「主、主が!」

「まあ、少しは落ち着きなよ森崎さん。

カルロスさんは、こりゃ魔力使い過ぎで睡眠に突入しただけみたいだからさ」


あわや、カルロス墜落か!? と衝撃の光景に、思わず城壁の壁に駆け寄ったユーリが、ミチェルに支えられ宙に浮く主人へと焦って腕を伸ばす姿に、ミチェルは呆れたように肩を竦めた。

そしてミチェルは光輝く魔法陣を一際明るく煌めかせ、ぐるりと通路の上を見渡して女性長老様を上空から見下ろした。


「さて、どうやらこの場ではあんたが一番上の人みたいだから、あんたに言っておくわ。

オレにはカルロスさんが必要なんで、このままハイネベルダ宮殿に貰っていくから」

「な、あなたは何を言って……!?」

「ちょっとミチェル! あたしのカル先輩をどうするつもり!?」

「いやルティ、そんな事より!

ハイネベルダ宮殿だと!? あんな瘴気のまっただ中にカルロスを連れて行って、無事で済む訳がないだろう!?」

「ミチェルあんた、私の主をどうする気!?」


ミチェルの『カルロスをこのまま誘拐していきます』宣言に、通路に居合わせた人々は口々に騒ぎ立てる。ミチェルはうるさげに眉をしかめた。


「そもそもミチェル、あんたはいったい何者よ!」

「はーーーっ」


届かぬと理解しつつ、ユーリがその場でピョンピョンと飛び跳ねて、ミチェルの腕の中でぐったりと脱力しているカルロスを取り返そうと、懸命に腕を伸ばすその姿を見下ろして、ミチェルは深い溜め息を吐いた。


「ねえ、森崎さん。まだ気が付かない訳?」


そう言って、ミチェルは軽く両目を閉じた。背負っている魔法陣とは異なる鋭い光が、ミチェルの全身を一瞬包み込み……ザァっと、風に吹かれて流れるその髪が真っ直ぐになり。開いた瞼の下からは、鮮やかな緑色の輝きが消え失せて。

ユーリを見下ろすように、城壁の上に輝く魔法陣を背に浮かんでいるその姿は、鴉の濡れ羽色をした艶やかな黒髪と黒い瞳をした、青年だった。


「ほーら、これでも分からない?」


彼は決して、この場所に居るはずのない人。

このマレンジスには永遠に追い掛けてなど来られない、二度と顔を合わせる事など無いと、そう思っていたその人。


「野々村……」

「ご名~答」


そんな訳がない。

こんな事があるはずがない。

野々村はユーリの故郷である地球の、魔法など使えない日本人であるはずだ。

絶対に有り得ないと、盲目的に思い込んでいたから。

顔を見ても、話し声を聞いても。ユーリには、ミチェルを野々村と結び付ける事が出来なかった。無意識のうちに、その可能性を検討する事さえ放棄して。


「顔はそのまんま、ただ髪と目の色変えてただけだっつーに、森崎さんてばちーっとも気が付かないんだもんなー。アンタ、視力検査必要なんじゃね?

あ、違うか。単にバカなだけだっけ」


ケタケタと癇に障る笑い声を立て、ミチェル改め野々村は、カルロスの身体をフワッと両腕から浮き上がらせた。芝居がかった仕草で漆黒のマントをバサリ! と翻し、斜に構えた姿勢から地上を睥睨する。


「それではベルベティー氏族長カルロスは、ジェッセニアのキーラたるこの私、ミチルがお預かりする」

「ふざけんな! 主を返せ変態ストーカー!」

「罵倒に語彙の乏しさ、品性の卑しさが知れるねぇ……」


ユーリが城壁に足をかけ、よじ登りながら野々村を非難しようが、敵は呆れ返ったように首を左右に振ったのみで、ちっとも堪えた様子が無い。


「ねぇ、森崎さん。森崎さんって、西洋中世風ファンタジー系のRPG、好きだったよね?」

「それがどうした!」


怒りを推進力に変えて、手の痛みや露わになる足になど構っていられず城壁の高い石組みの上に足を持ち上げ、登るユーリに、野々村は足下にも魔法陣を浮かび上がらせつつ愉しげに提案を口にする。


「そんな森崎さんに、嬉しいお知らせです。

もしかしたら勇者予備軍かもしれないボケナスよ、立ちはだかる魔物を蹴散らして魔王城に辿り着き、魔王に攫われたお姫様を見事救ってみせたまえ。

リアルRPGだよ、やったね!」

「寝言は寝て言えカス!」


何とか城壁のデコボコした石組みの高い場所へ、よじ登る事に成功したユーリは、挑発のつもりなのか、ジャンプしたら届きそうな位置に滞空している野々村に向かって、その場で跳躍を……


「わーっ!?いくらなんでも無理だティカ!」


野々村がどうやってか浮かせている主に飛び付こうと、足場にした城壁の石を踏みつけて靴が離れた瞬間、背後から何者かによって腰にがっちりと腕を回されて押し止められ、ユーリはバランスを崩した。誰が邪魔したのかと鋭く背後に一瞥をくれると、どうやら過保護な心配性ハーフエルフ、アティリオが咄嗟に飛び付いてきていたようだ。

視線を戻したその時には既に、野々村共々カルロスは瞬間転移で連れ去られ、先ほどまで彼らが確かに浮かんでいたはずの場所には、影も形も見えなくなっていた。


「……取り返しに来てみなよ、臆病者の森崎さん。来れるもんなら、ね……」


後にはただ、風に乗って野々村の捨て台詞だけが虚しく響いていくだけ。


「あ、あの野郎……!

離して下さいアティリオさん!

私、レデュハベスを登らなきゃ!」


ギリッと歯軋りをして悔しさを押し殺し、ユーリは未だに自身の身を押さえつけて行動を制限しているアティリオに、腕を離してくれるよう訴えた。


「落ち着くんだ、ティカ。いくら君がカルロスのクォンであっても、霊峰レデュハベスをそう簡単に踏破出来る訳が無いだろう!?」


アティリオが眉を吊り上げて叱り飛ばしてくる。久々に聞いた怒鳴り声に、ユーリは反射的に畏縮してしまい、全身の筋肉が強張り硬直した。

彼はユーリの腰を抱き上げるようにして抱え上げ、再び通路へと下ろす。

それから、一拍置いてアティリオの言葉の意味が脳内に染み込んできて、ユーリは愕然と彼の顔を見返した。アティリオは何の迷いも無い真っ直ぐな眼差しで、真正面からユーリの目を見つめ返してくる。


「ちょ、ちょっと待ったアティ兄さん! ティカちゃんがカル先輩のクォンって、いったいどういう事!? だってカル先輩のクォンって言ったら、シャルじゃない!?」

「る、ルティ先輩落ち着いて下さい。

アティリオ先輩、いったいいつから……!?」


ルティ姿のブラウが、珍しくやや興奮して取り乱した様子で従兄弟へと矢継ぎ早に疑問をぶつけ、詰め寄りそうになっているところを、後輩のウィリーに押し止められている。


「……一難去ってまた一難。

どうやら我々は、一度仕切り直して、情報を整理する必要があるようですね?」


この場に唯一居合わせた魔術師連盟の長老様は、そう言って部下に次々と指示を出し、ユーリの傍らへと足音高く歩み寄ると、逃がさないと言わんばかりにユーリの腕をそっと掴んだのだった。



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