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それの存在を察知したのは、恐らくわたしが最も早かったのだと思う。山脈の岩肌、急峻な峰のその向こう。

個々の意志にて、てんでバラバラな動きをするのではなく。指揮する者がいるのかは分からないが、数え切れないほどの魔物達が一つの目的のもとに集団としての動きをもって攻めてきている以上、この魔物達の群れは魔物の軍勢、と称する他無い。

そんな魔物の軍勢の後方から、強い威圧を感じるのだ。あまりの強さに思わず後ずさって、距離を取りたくなるような。本能的に反発心を抱いてしまう、敵対的な意志を持つ生き物の気配。


魔力を操る生き物ならば、大抵が意識せずに自らの攻撃可能範囲に魔力を纏わせて、テリトリーを主張しているものだ。そしてその魔力から、個々の強さは推測可能だ。

無駄に他の生き物と争いたくなければそれらの範囲は避ければ良いし、わたし自身、食べる為の狩り以外の闘争はしない……違った。滅多にしない、だ。

戦場で場違いにも思わず、グリューユの森を思い出していた。どちらが強くあれるか、日々競っていたあの友人は、今日も元気でやっているだろうか?


そんな無関係な事をチラホラと考えている間にも、魔物達の飛行部隊はこちらへ向けて容赦なく突撃をかましてくる。打ち払っても叩き落としても、数の違いはいかんともしがたい。結界に取り付く魔物がどんどん増え続ける。

まずい。

遥か後方に位置していたはずの強大な魔力の持ち主は、徐々に前進し始めた。前線を突破出来ない先鋒魔物達の不甲斐なさに、苛立ち始めたのだろうか。

今はまだ後方を移動中である巨大な生き物の威圧感に、流石にわたし足下で戦っていた魔術師達も気が付き始めたようだ。


“シャル! あのデカい魔力の塊は何だか分かるか!?”


砦の屋上、魔法陣の上にいるはずのマスターから心話が飛んできた。相当距離が開いているはずなのに、遠方まで威圧させる。それだけでも本体は、今まで遭遇した事も無いような、桁外れの魔力密度だと思わせるには十分過ぎる。


恐らく、山頂付近に巣くっていた魔物じゃないですか?

それもデカい魔力を持った集団ではなく、一匹のようですねえ。


“あ、あれが、一匹が放つ魔力なのか……!?”


まだ距離があるので、意識的に抑えている可能性と、我々を畏縮させる為に敢えて強烈に強めて魔力を放ってきている可能性の、両方の可能性が考えられる。特にどちらでもなく自然体なままの移動しているとすると、奴の強さは……自然災害に例えると、竜巻と山火事と地震と雷、それを同時に被災しそうな規模である。

……わたしもグリューユの森では、動物達から『来るなバケモノー!』といった意味合いの非難をよく浴びますが、今初めて彼らの気持ちが分かるような気がしますねえ。確かに、これほど戦闘力という分野において優劣に差があると感じる生き物、化け物呼ばわりをしたくもなります。


“呑気に感心している場合か!”


わたしの述懐にマスターが非難を浴びせてきますが……騒いだところで、我々に出来る事は初めから決まっているのです。

あそこまで強い魔力密度を纏う大物ならば、必要とする瘴気の濃さも相当濃密なはず。

そう、我々が水中で長く呼吸を止めていられない地上の生き物であるならば、瘴気を吸い込む事で生き長らえられる彼らは海の魚。あの、今まさに前進を続けている魔物は深海魚。陸へ打ち上げられれば悲しい姿を曝すしかない、本来ならば我々とは完全に棲み分けがなされているはずのモノ。


“シャル、すまん、もう少しだけ持ちこたえてくれ!

クソッ、せめてユーリが居てくれれば……!”


ユーリさんなんて居なくても、わたし1人で十分ですよ、マスター。


ただひたすらに、風を操る事に専念しながら、わたしは冷ややかにマスターに言い返した。

地上を見下ろせば、結界の壁を綺麗に境にして、国境線の向こう側は魔物達のミンチ肉やら赤黒い池、矢が幾つも突き立てられた彫像が無造作に転がっている。あの、ぬるま湯で微睡む赤子のような気性の同僚が、この戦場の惨状を目の当たりにして正気を保っていられるとはとても思えない。

例えマスターの懐にユーリさんが収まっていれば、わたしは未だマスターを背に乗せ、援護を受けていたとしても、だ。


わたしが砦上空に滞空し続け、敵を叩き落としている間にジワジワと日は天頂へと差し掛かり、こちらへ向けて進軍していた待ち望んでいた援軍が要塞の中へと迎え入れられたらしい。足下が大騒ぎし始めた。何しろ、元々先陣を切っていた兵力の、軽く二倍ぐらいはいそうな数なのだから、砦内部でも情報交換やら配列で騒々しくなるのも当然か。


国境線の要塞防衛軍としての戦力が低く人数も少ない我々が勝つには、彼ら魔物の軍勢が瘴気不足に陥って、霊峰に逃げ帰るまで粘り続ける事。援軍と救援物資の到着で、砦に籠もっていた終わりの見えない防衛戦を強いられていた人々は、否が応でも士気が上がったようだ。

だが、何故だ。

雑魚ならば、長時間瘴気の薄い下界を動き回れる事も想定の範囲内。何故、あれほど魔力密度が濃い……相対的に必要とする瘴気量も半端無く濃いはずの生き物が、下界どころかバーデュロイの領土である平地を真っ直ぐに目指して、突き進んでくるのだ?


その生き物に迷いは感じられなかった。ただ一直線に下山してきたその巨大な生き物が視認出来た時、わたしはその姿に息を飲んだ。

その姿は例えると、爬虫類に似ていた。頑丈そうな緋色の鱗に覆われた姿と、巨大な角、やはり爬虫類の一種であるトカゲを思わせる尻尾。背中からは被膜に覆われた翼が生えており、それが力強くバッサバッサと羽ばたいている。

初めは、森の家よりも多少大きい程度かと思われたそれは、視認した時点で相当距離があったのと、比較対象が無い為に大きさが計れなかっただけだと、すぐに気が付かされた。

猛スピードでこちらへ向かってぐんぐんと迫り来るその姿は、見る見るうちに巨大化していくような錯覚をもたらす。


「……相当、まずいですねあれは」


今では二階建ての我が家どころか王都の王城を凌ぎそうな、あのバカでかい空飛ぶ爬虫類は、なんとも驚いた事に背中から生えた翼の羽ばたきだけで空を飛んでいる。つまり、わたしが敵対している大多数の空飛ぶ魔物達相手に連発している……浮遊の為に練った風魔力を強引にこちらが奪い取って飛行術を邪魔して、墜落させてやるという、互いの戦闘力という地力を競わなくても下せる一撃必殺技がハナから通用しないのだ。

何せ、相手は自力移動だ。ゴールまでのスピードを競う駆けっこの勝負相手に、『乗る馬の蹄鉄に釘を打ち込んでやる。ケッケッケ』などと意気込んだところで、勝負相手がそもそも自分の足で走るつもりでいて、馬を駆るわたしよりも実際に速くゴールされていては世話がない。というか、勝負相手への対処法がそも間違っている。

だが、わたしは『馬の蹄鉄に釘を打つ』方法は知っていても、勝負相手の食事へ下剤を混ぜ込む方法なんか知らない。


“……うん、分かってる。例えがアレな事も含めて、俺はよく分かってるからな、シャル”


マスターから諦めにも似た心話が飛んでくるが、わたしは構わず空飛ぶ爬虫類を睨み付けていた。

そいつが結界の手前で、足下の魔物の軍勢に全く配慮も遠慮も無く地上へと降り立つと、その衝撃でズシンと地響きが鳴った。もしかしたら、軽い地震も引き起こしたかもしれない。やはり、空飛ぶ王城規模な緋色のデブ爬虫類なだけの事はある。

何というか、わたしの目から見ても地上の魔物の軍勢は、空から突然降って湧いたデカブツに慌てふためいているように見える。


結界の向こう側に鎮座した奴は、予想に反して鋭い鉤爪を光の壁に喰らわせてやるのではなく、牙がズラッと並んだ大口をパカッと開き、すぅぅぅぅ……と、深く息を吸い込み始める。何だ?

……空を飛ぶ際には見受けられなかった魔力の流れが、激しく流れ始めた。間違い無い、何かが来る!


「総員、衝撃に備えろ!」


複数の部署へと人を介して通達される伝達魔術では、到底間に合わないと咄嗟に判断したらしきダミアン長老の風系魔術による警告が、周囲へ大きく響き渡った。

次の瞬間、結界の向こう側のデカブツが、耳をつんざくような威嚇の叫びを上げた。ギャーだかグァーだか、とにかくそれ系のとんでもない咆哮を。


なまじ、わたしは耳が良いものだから、多分一番被害を受けたんじゃないかと思う。

爬虫類の叫びは防御結界でも全て防ぎきれなかったようだ。内側にまでその衝撃を透過させ、砦の上空を滞空していたわたしは横殴りの一撃をモロに食らった形で、そのまま地面へ向けて投げ出されていた。多分、咆哮を耳にした瞬間、衝撃の強さに一瞬意識が飛んでいたのだろう。


意識を遠のかせて、空から墜落したのなら、わたしはわたしが自分で多くの空飛ぶ魔物達相手にやったのと同じように、転げ落ち地面に叩きつけられたダメージで、息を引き取っていたはずだ。だが、朦朧とした意識が回復したわたしは、先ほどよりも高度はかなり下がっていたが、相変わらず空を飛んでいる。気絶した瞬間に、風魔力のコントロールを失っていたはずなのに、何故だろう?


「ひゅー、間一髪! マジもんのドラゴン・ロアはハンパねえな。無事かい、狼さんよ」


後方から覚えのある友人の匂いと、やけに聞き覚えのある声で軽薄な口調が聞こえてきた。何故ここに居るのだろうと、わたしは思わず状況も忘れてキョトンと振り返っていた。

ライオネルの香水、その愛用者の1人であるらしき場にそぐわない扮装を好む男、名前は……あれ、何でしたっけ? じいやさんのお知り合いだったはずですけど。


「あなたは?」


わたしの問い掛けに、波打つ紅い髪と緑色の目をした男は、驚いたように目を見開いた。

因みにこの男、何やら背中に光る魔法陣を背負って空を飛び、今日の服装は前回の使用人服ではなく……魔術師連盟で魔術師達が普段着用している、ズルズルと裾を引きずりそうな真っ黒なローブ姿だ。裾がハタハタと風に翻っているその様は、場違い感を覚える。


「あっれー? 何か、聞き覚えがある声な気がするね狼さん。

ってか、そもそもこっちの狼って空飛んで喋れたっけ?」

「……その、現在の状況も無関係にバカバカしい話題を繰り出すマイペースっぷり……思い出しましたよ、あなたはミチェルでしたね」


わたしが記憶を掘り起こして、ようやく名前を思い出すと、目の前のミチェルは益々目を見開き、ポカーンと口を開けた。前回の遭遇でも思ったが、間違いない。コイツ、地はアホだな。

ミチェルはふるふると震える指先を、わたしに突き付けてくる。


「お、おま……まさかシャルかっ!?」

「そうですけれど? 何に驚愕しているのだかは知りませんが、それよりも先ほどの叫びで結界にヒビが入りました」


わたしが戦線を離脱していたのは、ほんの僅かの間だったはずだ。デカブツの咆哮は他の魔物達の方に致命的なダメージを与えたらしく、結界の境からやや距離を空けて地面にデンッとそびえ立つ、非常識にも空を飛べる巨体の爬虫類以外に動く魔物達は見当たらない。だが、そう間を置かずに後続が突撃してくるだろう。遠目に姿だけは見受けられる。


“……シャル、無事か……?”


と、普段のマスターらしくない、どこか茫然とした声で心話が届いた。屋上の魔術師達も、あの叫び声にかなり強い衝撃を受けたらしい。


ええ、何とか。不本意ですが、どうやらアルバレス家のミチェル氏に救助されたようです。


“アイツも来たのか!?”


瞬間移動が出来る術者のくせに、到着が遅い太い輩です。


足下の砦の様子を見下ろせば……屋根が邪魔で屋上の様子さえ分からないが、取り敢えず、周辺をザッと見渡しても砦から転げ落ちた魔術師らしき遺体は、見当たらない。

そうこうしているうちに態勢を立て直したのか、誰かが爬虫類へ向けて大魔法に集中しだしたようだ。魔力が大きく動いている。


「ああ、こいつはかなりまずいな。

オレだけじゃ、エルダー級のレッドドラゴンとタイマンは張れねえし……」

「意外ですね。あなた、強い魔法使いだと聞いていましたけど」


どうやらこの男、単なる高みの見物をしに来た訳では無いらしい。わたしの傍らへ、すぅっと滑るように移動してきたミチェルへチラリと目線を送ると、彼は苦々しい表情で、える……何とか級の、れっどらん? とかいうデカブツ爬虫類を見つめていた。


「そりゃあ、一撃で潰そうと思えば魔法一発で倒せるぜ?

その代わりここら一帯は丸ごとクレーターになる上に、霊峰も折れて噴火して周辺国家……勿論バーデュロイも壊滅、あのレッドドラゴンよりも何倍も凶悪な霊峰に巣くう魔物どもがわんさか溢れ出るけどな?」


いったいどんな魔法なんだ、それは。ミチェルは『強い魔法使い』だと言う割には、全身に纏う魔力密度自体はマスターよりも薄い。それは、ベアトリス様と同じように、外部へ溢れ出ないようにしているに過ぎないのだとしても。


「あの爬虫類だけを、上手く仕留められる魔法は無いんですか」

「無いっ。いや、実際には存在自体はするのかもしれねぇけど、オレは知らないし、扱えない」


ミチェルの返答に、思わず舌打ちしたくなる。

だが、ミチェルは目を細めると何事かをブツブツと呟き始めた。多分、魔法の詠唱だろう。

わたしも結界の向こう側へと視線を定め、風魔力に集中する。飛行してくる魔物達は、相変わらず地上を駆ける魔物達よりも移動速度が速い。爬虫類の咆哮で一掃されていた結界の境に、再び軍勢が雪崩れ込んでくるのも時間の問題だ。

遠慮なく、魔物達の操る風をねじ伏せて地上へと叩き落とす。先ほど自分でも同じ目に遭いかけましたが、遠距離攻撃手段がわたしにはこれしか存在しませんので致し方ありません。


「光よ、舞い踊りて我が敵を切り裂く十字架となれ! グランドクロス!」


傍らのミチェルは、マスターとはまた方向性の違うタイプの魔法使いなのでしょう、きっと。

唱える魔法はわたしが初めて見るものばかりですし、一発一発がとても強力なものに見えます。現に、砦から放たれた巨大な炎の塊は爬虫類の鱗の表面を焦がしただけに見えますが、ミチェルの魔法は爬虫類の身体を横と縦に光が走ったと思えば、ザクザクと切り裂いています。難点を言えば、多少、詠唱が遅い事でしょうか?

屋上に陣取る魔術師達の中で、最も高い威力を誇る攻撃魔術の術者は、火炎術特化術士のマルシアル長老だ。


「……あー、レッドドラゴンに火属性は効かねって、こっちじゃ常識じゃねえのか!?」


ミチェルが苦々しげに吐き捨てるが、屋上の魔術師達もプロだ。彼の術がさして効かないと見るや、今度は全力で防御結界への補修と強化に魔力を注ぎ始めた。切り替えが早い。

砦の騎士達や、ミチェルに攻撃は任せて守護に専念する方針らしい。

砦の防衛側も、生半な矢では突き刺さらないと見るや、ミチェルが裂いた爬虫類の胸辺りへ向けて、砦に設置されている巻き上げ式のバカでかい槍発射装置を使用しだした。わたしも、空を飛ぶ魔物さえ居なければ、人間バージョンで背中から翼を生やして戦場の上空を飛び回り、槍の雨を降らせてやったのですが。


さて、そんな爬虫類も黙って攻撃を受け続けている訳ではなく、顔面を上空に向けておもむろに一歩、何故か後方に後退り……?


「マジか……!? オレは水使えねえっつうに!

シャル、お前の風魔力を結界の前に全部集めろ! 真空の壁を作れ!」


しんくう? 意味がよく分からずポカーンと呆気に取られているわたしを置いて、早口で告げたミチェルは呪文詠唱に入り……


「吹き渡る風よ、止みて立ち去れ! ウィンド・ウォール・バキューム!」


どうもよく分からなかったので、ひとまずミチェルに向けてわたしが操れるありったけの風魔力を這わせて、援護してみた次第である。

ミチェルは結界へと人差し指を突き付け、叫んだ。そういえば、彼の詠唱にはところどころ意味がよく分からない単語が混じる。


縦にも横にもデブい爬虫類は、顔面を振り下ろし、次の瞬間、真夏の気温の急上昇と共に、わたし視界は真っ赤に染まった。



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