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まずは砦敷地内の間取りと、設備を確認しようと思ってたのに! とは、マスターの言だが、そんな文句をわたしに言われても困るというものだ。
魔力切れでダウンしたマスターだけでなく、砦へ到達した頃には大半の魔術師達が魂が口から抜け出そうな程疲れ果てて休んでいたのだから、事前の入念な戦場把握が出来ないのはまあ、仕方が無いものと諦めてもらう他無い。
「杖よ、我が手に」
屋上に集合した二十名程の魔術師達は、魔法陣の上で円を組んで立ち、一斉にワードを唱和して杖を呼び寄せた。
ベアトリス様とマスター、アルバレス様とマルシアル長老とダミアン長老は中心部にて円陣を組み、残りのメンバーが外側をぐるりと囲んでいる。
わたしは魔法陣中央に立つマスターの背後で獣形のまま四つ脚で立っていた。魔物の群れが押し寄せてくるまで、わたしはする事が無いからヒマなものだ。
「我、ここに集いの儀を執り行う」
ベアトリス様がご自身の魔力媒体杖を掲げ、朗々と呪文を唱え始める。独特の旋律に乗せ紡がれるその文言は、歌のようにも聞こえる。
「大気に満ちる大いなる源よ、大地に染み渡る偉大なるうねりよ、我らの下へ集いて我らの望みし力となれ」
「力となれ」
ベアトリス様の唄う言葉に続いて、残りの魔術師達も最後のフレーズを繰り返し、銘々自らの手した杖を揃ってザッと頭上へと掲げた。
それに呼応するかのように、彼らの手にした杖の先端に小さな色とりどりの光が灯る。恐らく、各人の生まれ持った魔術適性によって色が異なるのだと思う。今は朝なのでそう目立たないが、暗い夜であったなら、なかなか綺麗な眺めだったかもしれない。ユーリさんが好きそうだ。
まずはベアトリス様とマスターが「集え、光を表すもの」と唱和し、そのフレーズが終わらぬ内にアルバレス様が「集え、水の流れ」と唱え、アルバレス様の呪文の半ばでマルシアル長老が「集え、燃え盛りし炎」と唄い、やはりダミアン長老も一拍置いて「集え、吹き荒ぶ風」と唱える。
そしてまた、ダミアン長老がフレーズを口にし終える前に、外周の魔術師達が山びこのように呪文を唱えてゆく。
「大地に偉大なる威容あり」
「大いなる天駆ける光の迸り」
「星々よ」
「太陽よ」
「光あれ」
「闇来たれ」
「導きの星よ」
「真昼の天輪よ」
「月を映す」
「心の内に潜める」
「照らせ照らせ」
「沈め深く」
各々が担当する呪文を、それぞれ輪唱していくのだが、誰が何を言っているのだかよく分からなくなってきたので、わたしは早々に聞き分ける努力を放棄した。
無理にそれぞれの詠唱を理解しようとせず、耳を通り過ぎてゆくに任せておくと、四方八方からのデタラメな不協和音ではなく、大きな一紡ぎの旋律となってゆったりと流れてゆく。何とも不可思議だ。
足下の魔法陣は徐々に発光していき、外周は白い光、中心部は赤、その中間辺りは水色と緑色の光をそれぞれ放ち始めた。
と、ベアトリス様が高らかに歌い始める。
「舞い踊れ、統べるものよ。
界に満ちし光の源よ、我らに大いなる福音を授け賜え」
外周部の白い光の輪っかが、ベアトリス様の呪文に合わせて強い輝きを放ち、魔法陣に記されていた模様やら文字やらの形にそって光を浮かばせ、それがひとりでに円を描いてゆっくりと立ち上りながら周囲を回り始める。そしてそれは、徐々に加速していった。
「導きの星よ、光よ、我らの頭上へ輝け!」
今や物凄いスピードで魔法陣の外周部を巡っていた光の模様達が、ベアトリス様が唱え終えた呪文を合図に、パンッ! と何かを弾くような乾いた音と共に天井を突き抜けて頭上へと駆け上り、大きく円を広げて空高く滞空した。近付いてみない事には何とも言えないが、少なくとも元の魔法陣の大きさの三倍ぐらいにはなっていると思う。
あの、空飛んで光ってる円環っぽい魔法陣は何なのだろうなあ? と、小首を傾げるわたしの事はまあ当然放っておかれ、次いでマルシアル長老が呪文を唱え始めた。
「我が怨敵を滅せよ、燃え盛れ灼熱の炎よ」
魔術師達の集中さえ途切れさせなければ邪魔にはなるまいと、わたしは慎重に円陣をすり抜けて屋上の端に歩み寄り、霊峰レデュハベスの方角を眺めやった。
ゴツゴツした岩肌の向こう、やや遠くにこんもりとした緑の塊はガベラの森。それを侵食していくように、徐々に滲み出てくる黒い靄のようなモノこそが魔物達の先陣だろう。
空を舞うモノ、地を駆けるモノ。それぞれ移動速度や方法など異なるというのに、足並みを合わせて押し寄せてくる様は、確かに統率者の存在を匂わせる。
わたしは鼻を高く持ち上げ、空気を嗅いだ。
視認出来るほど近付いてきているというのに、奴らの臭いが嗅ぎ取れない。だが、レデュハベスの方角のは風下だというのに、わたしの辺りに漂う瘴気は何だろう。国境付近は、これほど臭気が濃かっただろうか?
「降り注ぐ業火となりて殲滅せよ!」
マルシアル長老の裂帛の呪文と共に、後方から想定していた以上に強い魔力が波紋のように広がっていって、わたしは思わずバランスを崩しかけた。
後ろを振り返ると、マルシアル長老の杖から解き放たれた魔力の塊は、力を存分に溜め込んだバネ仕掛けのように勢い良く頭上に射出され、またしても天井を突き抜けて上空へと打ち上げられて火の玉へと姿を変えた。どうでも良いが、威力の炸裂地点ではないとはいえ、ここまで強い魔力をぶつけられまくる天井、大丈夫なのだろうか?
最後にアルバレス様が連絡用の白い棒を作る術を唱えて同時に二十個ほど用意し、一つをマルシアル長老へと託して残りを各所へと散らせた後は、アルバレス様は下階の司令部へと駆けて行った。魔術師達の指揮はマルシアル長老が執るが、防衛戦の主要な戦力はどうしても元々この砦に配置されていた国境警備隊になる。そうすると、命令系統の統一に当たって軍人ではない連盟の長老が作戦司令室でふんぞり返って一々指図をしては、一致団結して迎え撃つのに感情面から差し支えが出る。なので、警備隊隊員にも実に分かり易い『高位の身分』を持つアルバレス様が、間に立って作戦をスムーズに進めよう、という事である。
魔術師連盟は、使えるモノはとにかく何でも使う主義らしい。
さて、此処までで事前準備は整った。
警備隊隊員は約千人。グラシアノ様率いる騎馬隊が百人、そして一人で百人分の兵士並に働くと言われてはいるが、万全の体調とは言い難い連盟の魔術師が二十名余り。
対して、空と大地とを黒く染め上げる程に夥しい数の群れで押し寄せてくる魔物達は……千や二千ではきかない数だろう、多分。もしかしたら万単位ぐらい居るかもしれない。最早数える気にもならない数だ。わたしは今から既に、戦闘の後の死体処理に嫌気が差している。
いかにこちら側が砦に籠もっての戦いとはいえ、集団戦となると彼我の戦力差は明らかであり、多勢である向こうの方が有利である事に変わりは無い。
アルバレス城や近隣領地、王都からもおっつけ援軍が駆け付けてくる筈だが、何といっても軍勢を動かすにはそれなりに時間が掛かる。このガーベス砦の最も近くで駐屯する軍隊と言えば、お隣りのパヴォド伯爵領東部国境砦、バッソルに詰めている警備隊である。距離だけで考えれば最も素早く援軍に来られる軍隊の筆頭だが、あれはザナダシアへ常に睨みを利かせていなくてはならない存在だ。決して動かせられない。
勘の良い魔物であれば、この砦の上空に現在漂っている火の玉が、平凡な見た目に反して強い魔力を凝縮させた炎の塊である事はすぐに見抜く。今現在、このガーベス砦周辺の国境付近を結界が取り巻いている事も。
これは、こちらの言語を解するか否か不明な群れに対する、言葉では行わない警告だ。
ここより先、我らの縄張りである。侵入するモノへは容赦なく攻撃を行う。
こちらの防衛態勢を見て取り、怯んでそのままガベラの森に引っ込めば良し。せめて士気が低下して進軍の歩みが鈍れば幸い。
息を飲む短い沈黙、わたしの後ろで誰かがゴクリと喉を動かし。
果たして、結果はと言うと……迫り来る魔物の群れは変わらぬ速度で駆けて来て、先陣の地を走る猿のような魔物が国境線を越えて射程圏に入った。
マルシアル長老が、ザッと杖を群れへと向けた。
「放てーーー!!」
怒号と共に頭上の火の玉は輝きを増し、次々と無数に分裂し魔物目掛けて殺到した。火の玉本体は無限に分身を生み出し続け、ドガンドガンと激しい爆音と共に分裂した火の玉があちこちで炸裂する。
砦からは幾百もの矢が雨霰と魔物目掛けて降り注ぎ、阿鼻叫喚の戦場を死で埋め尽くす。
屋上の魔法陣の上に立つ魔術師達も、様々な属性の遠距離攻撃魔術を次々と解き放ち、様々な色や効果を発揮するそれは魔物達を一定以上に近付くのを許さない。
「シャル、行くぞ!」
杖を手にしたマスターが中央の円陣から抜け出して、わたしの背中に跨がった。わたしは魔術師達の詠唱タイミングを見計らい、屋根を避けて頭上へと飛び立つ。
前方には、地上を攻めてくる魔物達よりも数は少ないが、空中を滑るように滑空し、こちらを急襲せんと襲い来る空飛ぶ魔物達。
「光よ、我らに福音を!」
マスターの叫びと共に、空に浮かぶ光の魔法陣が回転しながら更に大きく広がり、頭上から細かな光の粒が、キラキラと金色の輝きをを放ちながら舞い降りてくる。その粒が身体に当たると、スゥッと溶けるようにして消え、不思議と疲れが癒え魔力が満ち溢れてゆく。
わたしはマルシアル長老から命じられた役割を果たすべく、風の魔力に集中した。どちらの方が風を従えられるか、魔力を操る魔物の群れとわたしの根比べになるが、敵の数の方が圧倒的に大いのは途轍もなくズルいと思う。
「大気を駆ける大いなる源よ、我が元へ具現せよ!」
マスターの支援を受けてこの砦上空を渦巻く風を全力で操り、空を進行してくる魔物の群れを地上に叩き落としてゆく。わたしの役割はとにかくこれに尽きる。
ある魔物をはたき落として、あちらは叩き落として、そちらを墜落させ、向こうを煽り倒しても、次から次へと湧き出てくる魔物達は一向に数が減る様子が無い。
「光よ、我らに福音を!」
マスターが再びそう叫ぶと、いつの間にか途切れていた頭上からの光の粒が、再び降り注ぎ始めた。多分、あれは支援系結界の一種で、マスターが維持しているのだと思う。
砦からは絶えず攻撃の手が緩む事は無いが、何しろこちらは人数的に不利だ。一定以上の距離を詰めさせず、進軍してくる魔物達を遠距離から撃破していたが、上空から見渡せる戦況は魔物達が仲間の死骸を全く頓着せずに踏み分けて進み、徐々に防衛ラインが狭まってきている。
そしてそれは地上の戦局だけではなく、わたしが主に対応している空中戦にしても同じ事。同時に撃墜出来る数には限りがあるし、敵が余りに高所から移動してきては弓矢も届かない。魔術師達の援護も、地上の苦境からしてそう期待出来ない。
戦端が開かれてから、どれほど時間が経過したか、最早わたしには分からなくなってきていた。
押し返しては迫り、再び跳ね返す攻防を続けて、撃って出る事も無くひたすら守りに徹した防衛戦の状況は遂に、ガギーン! と、空気に硬質な魔力の振動が迸り、マスターが恐れていた防衛ラインにまで到達した事をわたしに知らせる。砦からの攻撃を潜り抜けた敵の一団が、魔物の侵入を防ぐ防御結界に突撃を敢行したのだ。
地形的に国境山岳地帯は軍勢での進軍において、ガーベス砦を通過するのが最も確実な侵入経路であるが、相手は峻険な霊峰で生きる魔物達の群れ。砦周辺の急峻な崖やら滝やら深い急流の川など、進もうと思えば通り抜けてしまえるに違いない。そして当然だが、空を飛ぶ魔物にとっては地上の難所になど何の束縛も受けない。
よって、魔物達の群れを食い止める為、結界は上空から地上まで、かつ国境線沿いの広範囲に渡って張り巡らされている。
国境防衛は侵入不可能の防御結界にだけ任せておける事が出来れば良いのだが、結界は万能ではない。いつかは効果が途切れるし、魔物達の多くは独自の手法で魔力を操る。向こう側からの攻撃を目的とした魔力をも弾く防御結界は、そうして攻撃に晒されていけばいくほど磨り減っていく。
こうなってしまうと、砦の生命線たる防御結界、その維持が第一の使命であるマスターは、わたしの援護に回る事が出来なくなってしまう。
恐らく今頃、魔法陣の上のベアトリス様も、懸命に結界の維持に努めている事だろう。
目に見えて劣勢である現在の戦況が覆るとすれば、方々からの援軍の到着を待つしか無い。とにかく多すぎる敵の数を減らして、魔物達が結界を打ち破るのを阻止するしか手は無い。
はてさて。マスターがひたすら防御結界の維持にかかりきりになった以上、風魔力の援護も期待出来ない。
このままわたしが滞空している砦上空にて、術に集中しているマスターを背負っていても何の意味も無いので、わたしは滑るように砦屋上に戻った。マスターがわたしの背中から魔法陣の上に下り立つ。
「カルロス。空から見た限り、援軍の姿は見えたか?」
「西方遠くにアルバレス城が見通せましたが、そっから伸びる街道途中で一個連隊ぐらいの軍隊がこっちに向かってました。距離と移動速度を目算して、到着するのに昼近くまで掛かるかと。
他の南北の街道は、丘陵やら森に阻まれて遠くまで見えませんでした」
戦況から目を離さず、マルシアル長老が問い掛けてくるのに、マスターは大まかな状況を答える。普段、ベアトリス様に対してはぞんざいな口調で甘えているマスターだが、彼女以外の長老方には一応敬語を用いるようである。
マルシアル長老はマスターの報告を聞き、例の白光するアルバレス様の棒にメッセージを込めて飛ばした。下の階に居て姿が見えないアルバレス様も、今頃はあちこちから流れてきて錯綜する伝達に、きりきり舞いさせられているに違いない。
マスターが所定の位置に立ったのを見届けて、わたしは再び敵を撃ち落とす……というと語弊があるか。敵の飛行を邪魔して地上に墜落させるべく、空へと舞い上がった。