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バーデュロイ暦1144年夏、アルバレス侯爵領東部国境防衛戦~シャルさん従軍中~

 

東へ向けて飛行中のわたしの眼下を、騎乗した騎士の一軍が駆け抜けて行く。


「戦えるだけの余力を残しつつ、最大限の速さで目的地まで辿り着け……命令する方も結構無茶苦茶よね」

「だが、早いうちに駆けつけとかねえとマズいのも確かだ。

アティリオ、国境線付近の住民の避難状況は?」

「真っ先に僕が先触れを飛ばして、国境砦の警備隊に最優先で行うよう急がせている」

「今回の戦い、物量差が大き過ぎるわ。基本的に砦に立て籠もっての防御戦になるわね」

「はい」

「あくまでも時間稼ぎ、か。婆さん?」


これ、わたしの左右で箒に乗って大空を驀進中のマスターと、僻み男……失敬。何やら空飛ぶ敷物に座っているアルバレス侯爵家の若君様と、獣形のわたしに悠々と跨がっているベアトリス様の会話である。高速で移動中であるのに声が散らされずに互いの耳にきちんと届くのは、発した言葉が向かい風に邪魔されぬよう、ベアトリス様が何か術を使われたらしい。


空中飛行系の魔法は、お決まりの術として特にコレといった代表的なものが広まってはいないらしく、他の連盟の術者達は地上を駆ける騎士達と二人乗りだ。アルバレス様が飛行系の術を開発、会得したのは、例の本部の塔追いかけっこの最後の最後で、わたしにユーリさんをかっさらわれたのがよほど腹に据えかねたから、のようだ。同じ師に師事しただけあって、飛行を安定させる為の簡易媒体として乗れる物を用意する点に両者揃って辿り着く辺り、流石は兄弟弟子である。


因みに、わたしはひたすら背中のお荷物を落とさないよう、必死で向かい風に逆らい安定姿勢を保ちつつ、普段マスターを乗せて移動する時以上の速度で飛行している。そちらへ大いに神経を遣うので、会話に混ざろうにも難しい。


「ええ。まさか、王太后陛下の懐刀と呼ばれた、近衛第一連隊の隊長が騎馬部隊を率いて出陣されるとは思いもよりませんでしたが」

「その、王太后陛下のご命令なのよ。パヴォド隊長の騎馬隊は、最も巧みに馬を操るとかどーとかで」


……王族の、それも戦場には出なさそうな王太后陛下の守護を司る近衛騎士が、騎馬戦が得意だというのは単に御前試合での評価なのでは?

まあ確かに、元々演習に出る予定で戦支度を整えていたとかで、出陣命令が出てから準備を整えて実際に出撃するまで、どこの部隊よりも早かったのは事実ではありますが。

しかし普通、近衛兵の第一の使命は王族の側で警護している事であって、最前線に出てくる事じゃないと思うのですが。


“一番身動きが取りやすい……有り体に言えば昨日今日の緊急時に真っ先に出撃可能だった部隊が、グラシアノ様率いる近衛第一連隊騎馬隊だったって事だよな。ん、何だユーリ?”


どうやらマスターはわたしに語り掛けてきた傍ら、王都に残してきたユーリさんと軽い情報交換をしたようです。

マスターはいつも、考え事やら思索に耽る際に意見を求めるのはユーリさんばかりで、非常に不公平であるといつもやんわりと抗議しているのですが、マスターは『お前とネコは使い道がまるで違う』の一言で済ませてしまいます。酷い。


“演習の時期なんてそう近々に決定するものじゃないだろうし、ホセが情報収集に努めていた事実も加味すると、砂漠の国による作為的な意図を感じる、だそうだ。

……元より演習予定だったんだし、王太后陛下の周辺を多少手薄にしたところで、王族警備の厚みはそう変わらないよなあ、シャル?”


そうですね。


“ん? 何だユーリ。そっちじゃない?

……一番与し易い部隊が出撃する時期に調節した可能性がある? 確かに、王族警護の第一よりも、近衛第三や第四辺りが大部隊で真っ先に出張った方が余程魔物討伐には対処しやすいか”


……わたしとしては、マスターの独り言のような心話に、そうかもしれませんね、と呟くしかない。それは、わたしよりもユーリさんの方が一事が万事で様々な可能性を検討している事は否定しませんが、こうもたびたび相槌を打ちにくい心話を飛ばされても、こちらとしても困りますよマスター。


「俺はむしろ、後継ぎ様達が直々に前線に出てる事が不思議だが」

「僕の実家の領民の危機だぞ。僕が出ないでどうする」

「そういう問題で戦場に向かうのは、次男坊とかじゃねえのか……?」


因みにパヴォド家の次男は戦いには向かない人で、将来的には文官になるべく領地で勉強中らしいです。そもそもエステファニアお嬢様よりもお年がお若いのですが。


「僕の弟は……前線では戦わないが、直接戦闘に参戦するだけが戦いではないだろう」


はて。アルバレス家の若君様に弟君が居たとは……まあ、わたしには興味の無い事項ですし、仮に先日の夜会で見掛けていたとしても、覚える気はさらさらありませんが。


「そういや俺、昔からルティと一緒に居るお前ばっかり見てて、弟とは会ったことねえな。

どんな奴かもさっぱり知らんのに、急に悪かったな」

「カルロス。君が自分の非を素直に認めて、率先して謝罪するとは……もしや、出立前に何か悪いものでも食べたのか?」

「……てめぇ、良い度胸だな。

つーか、俺が出立前に腹に入れたのはお前んチの夜会の料理だ!」


マスターとアルバレス様は、高い高度を保った空中で、かつ高速飛行中にわたしを挟んでぎゃあぎゃあと口喧嘩を始めた。


「あーもう、2人とも場を弁えなさい!」


同じく、間に挟まれる形となっていたベアトリス様が、たまりかねたように叱りつけた。途端に、ピタッと口を閉ざす両者。

そうだ、こんな空の上でケンカなんかして、うっかり転げ落ちたら目も当てられない。


「全く、砦到着前に軽く打ち合わせを……と思ってたのに、あなた達、気軽なお出掛けと勘違いしてない?」

「申し訳ありません」

「悪かったよ」


師の呆れた声に、弟子2人は口答えもせず謝り、マスターが「けどよ」と呟いた。


「……そういや婆さんは、今回出て来て良かったのか?」

「何でよ? 結界術特化術士のあたしが迎撃部隊に配置されるのは、別におかしな成り行きでもないでしょうが」


特化、と呼ばれるほど一つの術系統に練達した術者は、広く浅く様々な系統の術を学んだ術者よりも、その術系統において強力な地力を持つのだそうです。いわゆる尊称というか、称号ですね。

結界術だと、特化術士とまで呼ばれない術者が魔法陣の補助無しに結界を張るのは至難の業らしいです。補助無しだと満足に張れないアルバレス様が、良い例です。

ベアトリス様とマスターは結界術特化術士で、アルバレス様は……何でしたっけ? 水芸術士? 連絡術士? 医療術士?


「や、確か婆さん、他の長老達から謹慎……じゃねえな。外回り禁じられてただろ?

なあ、アティリオ」

「そうですね。大切なお身体なのですから、前線に赴くよりは医療班として後方にいらしていた方が……」


マスターとアルバレス様が、自分達が知っているという事実を悟らせないようにか、極めて回りくどい言い方をしている。

……そう言えばベアトリス様は、妊娠中なのでしたか? それらしき匂いが全くしないので、すっかり忘れていましたよ。


「ルティは王都でしょ?

治癒術士が戦場に出向くなら、他の子達よりあたしかあの子が一番向いてるんだし、あんた達は攻撃と守備と伝達で治癒に専念出来ないんだから諦めなさい」


ああそうだ、名乗る時は治癒術士だ。

どちらにせよ、どこに配置されても今回の防衛戦で連盟所属の魔術師は多忙さを極め、恐らく誰しもが過酷な環境での奮闘を余儀無くされる事になる。

ベアトリス様だけを特別扱いするには、彼女の能力はとてもではないが遊ばせておけない、と判断されたのだろうか。


「まあ、そう言ってもクリストバルは納得しなかったから、勝手に抜け出してきちゃったんだけどね」

「……」

「……」


あっけらかんと言い放たれたベアトリス様のお言葉に、一瞬弟子2人は放心状態になったらしい。風を切る音だけが辺りに満ちる。


「ちょっ、待て婆さん! だから他の連中みたいに騎士の後ろに乗っけてもわらないで、シャルに乗せろとか言い出したのか!?」

「指揮はマルシアル長老がとられるのですよね? マルシアル長老は当然、師匠が参戦している事を……」

「知る訳無いじゃない」


ベアトリスのまさかの告白に、アルバレス様は大慌てで術を唱えて、見覚えがあるよーな気もする、一方が尖ってる白い変な物体を手の上に二本作り出した。それらは風に飛ばされるよりも速く、物凄い勢いですっ飛んでいく。


「さ、過ぎた事よりもこれからの事よ」


しれっと言い切るベアトリス様に、マスターはぶつぶつと文句を吐き捨ててから、先ほどのユーリさんの推測を語った。もちろん、ユーリさんが考えた事ではなくマスターの想像として、だが。


「ん? 待ってカルロス。つまりあなたは、今回の魔物襲撃事件は人為的かつ意図的に引き起こされた、隣国からの侵略行為だと思っているの?」


途中、ベアトリス様から問われて、マスターは口ごもった。さてはまた、ユーリさんと慌てて心話を交わしているな。

確かに、わたしも魔物の大群を使っての隣国の介入だという話は、どこか荒唐無稽ではないかと感じる。隣国……ザナダシアが、魔物を意のままに操れる術を見出したのだとすれば、大問題だ。


マスターは、これまでパヴォド伯爵家のゴンサレス様の手の者が調査した情報や、ホセさんについてを掻い摘んで語り、


「なんつーか、時期が一致するのが気持ち悪ぃんだ。

ザナダシアが霊峰へ魔物討伐に出掛けて、すぐのこの騒ぎ。これまで山から百年近く、一歩も尾根や頂から下りて来なかった類いの魔物達が一丸となって軍勢よろしく、よりにもよってバーデュロイに向けて下りてくる……何か、これまでとは違う要素が働いたとすれば、ヤツらが何かしたんじゃねーかって疑うのが自然だろ?」

「なるほど……退治じゃなくて、どうにかして住処を追い払って、これまたどうにかしてその進路を軒並みバーデュロイに向けさせたんじゃないか、って事ね?」

「巣から獣を追い出すには、大まかに二つの手段が考えられる。

その獣が嫌いなモノを巣にたっぷり運び込む。もしくは、巣の外にその獣の大好物を用意しておく。

今回の動きから見て、後者か?」


ベアトリス様は感心したように頷くが、それはマスターのお考えではなくユーリさんの浅知恵です。


「仮にその推測が正しいとすれば、これは大変な事だわ。ザナダシアは……いえ、世界浄化派は、というべきかしら。

魔物を操り敵対国家にぶつける事が可能となれば、実情はどうあれそれが容易く出来るのだと思わせれば。外交のテーブルにおいて、脅威を覚えない訳にはいかない。

領域侵犯相手は魔物の群れであって、ザナダシアは知らぬ存ぜぬを貫き通してしまえば事は済む」


……ベアトリス様のお話を聞いていると、ザナダシアという国と、世界浄化派の指導者は、同一の存在なのか違うのか、どちらなのだろう? よく分からない。


「……待て、カルロス。つまりあの日、君の家まで馬車を操っていた御者の青年が、大大叔父上の屋敷で暗躍していた黒砂の片割れだと?

そして彼は、そこの偽イヌからクォンについて粗方の事を知った……」

「まあ、魔術師以外にはあんまり人聞きが良いとは言えない術だが、かと言ってひた隠しにしてる訳じゃねえしな。

お前が人目も憚らずに変な事叫んだから、シャルも知人に珍しく気ぃ遣う羽目になったんだろうが」


全くだ。

マスターの皮肉に普段ならば痛烈な嫌味を返すアルバレス様は、何やら考え事でもしているのか、即座に反論しようとしない。


「となると、あの誘拐騒動はついでの目論見か本命かはともかく、恐らく……そうか、そういう事か!」

「はあ?」

「アティ、どうかしたの?」


アルバレス様は何かに納得がいったようなのだが、自分の頭の中だけで完結されても聞いてるこちらにはさっぱり分からない。


「いえ、先日のゲッテャトール子爵邸へ誘拐された件についてなのですが」

「うんうん」

「ああ、あれか」


……げった? 何の話だろう。うちのそそっかしいユーリさんばかりだけじゃなく、アルバレス様も誘拐されたりしているだなんて、金持ちも大変なんだな。


「結論から言うと恐らくあれは、上手く事が運べばカルロス。君を連盟から排除する為の企み、も狙いの一部だったんじゃないかと思う」

「は?」


排除どころか、マスターは今もこうして連盟の魔術師達から頼みにされる期待の若手ですけど。


「最もあの場合、策が上手く働けばもっけの幸い、失敗上等の作戦だったようだけど……

あくまでも殺害する訳にはいかないという事情や、大大叔父上様の疑惑の言葉に救出者の登場待ち、何より逃亡ルートといった舞台装置を狙っていたから地下では仕掛けなかったとすると、納得がいく」

「……アティ、あなた……」

「は? さっぱり分からねえぞ?

何でお前らを地下室に誘拐してゲッテャトール子爵の逮捕に向かわせる事が、魔術師連盟から俺が排除される事に繋がるんだ?」


“シャル、お前アティリオが何言い出したのか、分かるか?”


マスターが、珍しくもわたしに意見を求めてきた。だからわたしは、満面の笑みを浮かべて穏やかな心を精一杯込めて即答する。


わたしにそんな事が分かる訳がないじゃないですか。


“……だよな”


訊いた俺が馬鹿だった、と、実に失礼なお返事と共に、短い心話は途切れた。毎度の事ながら、酷い主人だ。


「君は、僕には言いたくないような情報の一つや二つや百ぐらい、あのパヴォド伯爵に仕えていればあるだろう?

僕とてそれはあるし、今回それに抵触するから詳しく解説は出来ない」

「……そう言われちまうとな。

で、つまりアティリオが言いたいのはどういう事なんだ?」


ある意味アルバレス様らしい、きっぱりとした物言いだった。マスターは納得がいかないながらも、アルバレス様の言い分に理があると思われたらしい。続きを促された。


「つまり、自分から開示した情報は弱味にはならないが、敵方から暴かれた隠し事は疑惑を呼ぶ。上手に機を読んだ早い者勝ちって事でしょ?」

「……師匠、やはり。

とにかく、肝要なのは彼らが魔術師連盟の力を削ぐ事に躍起になっているらしい、という事だ」

「そんなん、一々言われるまでもなく敵対してたら当然じゃねえ?」

「そうだ。だが何故、陥れるべく策略を巡らせるその対象が本部に所属する上級魔術師でもなく、長老格でもなく、一介の平術者でしかないカルロスなのか、となると……この部分が分からない」


アルバレス様は今更何を言っているのだろう。

マスターはザナダシアのお隣の領地である、パヴォド伯爵家に仕える結界魔法に特化した有能な魔法使いなのだから、浄化派にとっては目の上のたんこぶに決まっているではないか。


「婆さん、今シャルが良いこと言ったんで、褒美に撫でてやってくれ」

「任せて!」


マスターが余計な一言をベアトリス様の耳に入れて下さりやがったせいで、わしゃわしゃと背中の毛並みがかき乱されて実に鬱陶しい。


「……見えてきたわね、アルバレス侯爵領国境砦、ガーベス」


峻険な霊峰の山裾に寄り添うようにして、かの砦が明け方の薄い暗がりにそびえ立っている。灰色の建材を使用した地味な配色と、あくまでも戦場となる事を前提に設計された無骨な佇まいが、あの砦の性質を物語っていた。


未だ、魔物の群れとやらの軍勢は影も形も見えない。

間に合った。飛ばしに飛ばしたお陰で、あの砦が陥落する前に我々は間に合ったのだ。

砦の中には結界魔法を補佐する為の魔法陣が敷かれていて、コッソリ従軍してきたベアトリス様やマスターが2人掛かりで取り掛かれば、堅牢な防御壁でありながら味方の攻撃はそのまま通す、そんな姑息な結界だろうが自由自在だろう。

ガーベスとか呼ばれている砦に駆けつける事さえ出来れば、こちらは十分態勢が立て直せる。


「急ぐわよ!」

「おう!」

「はい!」


乗せてるベアトリス様の手によって危うく背中の毛皮の一部分がハゲそうになる危機に見舞われつつも、わたしは一気に速度を上げて国境へ向けて飛翔した。



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