11
魔法陣により上下階に運ぶエレベーターが設置された塔の中央部、ユーリが振り仰げばそこには、二階の手すりに身を乗り出して、一階を見下ろしているフードを目深に被った魔術師。
「……アティリオさん」
「あれ、アティリオ先輩?
先輩こそ、今日は午後にはご実家に戻られると仰っていましたよね?」
思わず漏れ出た、ユーリの小声での囁きは耳に届かなかったのだろう。傍らのウィルフレドは、先輩を見上げて声を張り上げている。
「ああ、ちょっと仕事が長引いて……って、ティカ!?」
後輩と会話を交わしながらも魔法陣に移動して、ふんわりと下降してきたアティリオは、何気なくウィルフレドの隣に立つ人物へと目をやって、ここで会うのは予想外だったのか、素っ頓狂な声を上げた。
エレベーターが止まるなり、足早にやって来る。
「奇遇だね、ティカ。
パヴォド伯爵家での仕事はどう? 屋敷の人は、皆優しくしてくれてる? 辛くはないかい? 何か困った事があったら、遠慮なく相談するんだよ? ああ、ご飯はちゃんと食べてる? 無いとは思うけど、無理やり長時間働かされたりはしてないだろうね?」
畳み掛けるように矢継ぎ早に問われて、ユーリは思わずガードするように両手を軽く翳して、目を白黒させた。オマケにアティリオは悪気なく距離を詰めてくるので、うっかり触れないように、思わず一歩後退る。
「アティリオ先輩、そんなに長々と1人で喋り倒してるから、ティカが返事出来なくて困ってますよ」
「え? ああ、すまない。偶然会えて嬉しかったものだから、つい」
ウィルフレドから肩を背中を軽く叩かれて、ようやくアティリオのマシンガントークが止んだ。ハーフエルフは気恥ずかしげに頬をかく。
「ご無沙汰しております。あ……アティ、さん」
またしても、うっかり『アティリオさん』と呼び掛けそうになったユーリは、なんとか途中で略称に区切る事が出来た。人間の姿のユーリの前で、カルロスが散々『アティリオ』と呼んでいたのだからそこまで気を遣う必要は無いかもしれないのだが、ユーリはもう、呼び名関係で失敗したくない。
アティリオについて、人間の姿のユーリへは『彼はアティね』と、ブラウから大ざっぱに紹介されただけなのだから、それに準じておく方が無難そうだ。恐らく。
「そう言えばティカ、髪の色を変えたんだね。その色もとても似合ってるよ」
「有り難うございます……」
にこっと笑みを浮かべてくるアティリオに、ユーリは引きつった笑みを返すのが精一杯だ。ユーリの地毛である黒髪は目立つので、髪の毛を染めたか脱色して、悪い意味で注目を浴びないようにしたんだなと、軽い意味で考えているらしい。きっと、その手段に関してはさして深く考えていないに違いない。何故ならばあまりにもサラリと流されたからだ。
「それで、パヴォド伯爵家では良くしてもらっている?」
「はい、大変良くして頂けて、毎日充実しております」
「何か困った事があったら、遠慮なく僕にも相談するんだよ?
カルロスは今一つ気が利かない上に、相当鈍いから」
「アティさんにご心配頂かずとも、皆さん本当にご親切な方々ばかりですから」
『アティ』と呼び掛けてもさして気にした様子も無く、しきりに心配げにユーリを気遣うアティリオ。
重い。善意の親切心の押し売りがとても重たい。そして何気に、ユーリの主人が貶されるのには仄かに苛つく。
「それで、ウィルフレド。どうして君がティカと一緒に居るんだい? 知り合いだったの?」
ようやくアティリオの集中攻撃から矛先が逸らされて、ユーリは思わずホッと息を吐いた。
先輩から身体ごと振り向かれて問われたウィルフレドは、軽く肩を竦めた。
「ティカはおれの友達ですよ」
いつの間にやら、ユーリはウィルフレドから友人認定されていたらしい。確かに、一緒に事件現場調査に乗り出したり、わざわざ城壁から王都を横断させて道案内して貰ったり(それも往復予定)、単なる顔見知り……というには、少し世話になりすぎているきらいもある。
「そうだったのか。うん、同年代の友人が増えるのは良いことだ。
ティカ、ウィルフレドはちょっとぶっきらぼうなところもあるけれど、とても良い子なんだ。これからも仲良くしてあげてね」
「は、はい」
ツッコミ所が多すぎるアティリオの台詞に、ユーリは全てを飲み込んで頷いた。
そして、ユーリの首肯に微笑ましげに表情を和らげたアティリオは、「あ、そうそう」と呟いて自らの纏うローブの隠しに片手を差し込んだ。
「君に会えたら、渡そうと思っていた物があるんだ。受け取ってくれないか」
そう言ってアティリオが取り出したのは、絹のようないかにもお高そうな生地中央に何かを置き、四方を上部に纏めて茶巾包みの要領でリボンを結んで留めてある、ちょっと洒落た包み。ユーリの手のひらに余る大きさ的にも、一見すると、お菓子か何かを包んでくれたっぽいプレゼント、なのだが。
「あのう、これは?」
「開けてみて」
贈り主の様子を窺ってみると、にこやかに促されるのみ。美味しそうな匂いもしないし、嫌な予感がひしひしする。
嫌々包みのリボンをしゅるりと解くと、パラリと布地が開いて落ち、中に鎮座していた贈り物の正体をさらけ出した。
それは、例えるならば一枚の葉っぱであった。ただし、材質が明らかにおかしい。
なんだかユーリも幾度か見た事がある、光を発する蛍光ペンで一筆書きをしたかのようなそれ。しかし葉の筋まで美しく再現され、うっすらと緑の輝きを放つ葉っぱ。殆ど重さも無く、茎を模した上部付近に、実か何かを再現したのか赤い宝石のような丸い粒が三つ、三角形を描いて綺麗に並び、ワンポイントとしてくっ付いていた。
「アティリオさん、これはいったい……?」
「ティカにあげる。髪飾りにでも、ブローチやマントの留め具代わりにでも、好きに使って」
「い、いいい頂けませんよ、こんなめちゃくちゃ高そうな品!」
ユーリは慌てて、包みごとアティリオに捧げ持って返そうとすると、アティリオは朗らかに笑った。
「そんなの気にしないで。
それは僕の術で作った魔法具だから、お金を払って買った物じゃなくて、タダだし」
「いやいやいやいや。頂く理由もありません」
頑なに拒否するユーリの手元から、アティリオはその魔法具だという葉っぱ飾りを手に取った。思わずホッと息を吐くユーリの髪に、アティリオは飾りをあてがう。するとなんとも不思議な事に、ピンで留めた訳でもないのにユーリの頭にピッタリと張り付いたではないか。
「うん。とてもよく似合うよ、ティカ。
ねえ、君もそう思うだろ? ウィルフレド」
勝手にユーリの頭に葉っぱ飾りを乗っけた犯人は、仕上がりにご満悦な様子で傍らを振り向き、後輩に水を向けた。
帰り道もユーリを案内すると約束した手前、どんなに暇でも場所を離れる訳にもいかず、退屈そうに先輩と友人の会話を見守っていたウィルフレドは、キョトンと目を開いた。
「さあ? おれにはそういうのは、よく分かりませんけど……」
「こら、そんな答えじゃ駄目だろう。女の子がお洒落をした時は、『とても似合うよ。綺麗だね』か、『可愛いね』か、『それも素敵だけど、こっちを着たらもっと可愛くなると思う』の、どれかが必須だ。
まったく。ウィルフレドの師匠は、そういう機微は教えていないのか?」
「少なくとも、おれの師匠は魔術の師匠です。アティリオ先輩のところの、弟子の情操教育や生活指導にまで張り切る、変わり者な師匠ではない事は確かです」
わあ、ウィルフレドさんがちょっとウザがってる。なんか分かるなあ、その気持ち。アティリオさんって、『何かにつけて過干渉なオフクロ』っぽい……
「気が利かない後輩でごめんね、ティカ。
その魔法具の使い方だけど、こうして手に持って目を閉じて……心に念じた声を、封じ込めておけるんだ」
ユーリの髪から再び取り上げたそれを持ち、実演してみせたアティリオが手を開くと、葉っぱ飾りはフワリと浮き上がり、風に吹かれて舞う木の葉のような動きで滑らかに移動し、自然にユーリの頭に収まった。
「封じ込めた声を聞くときは、じっと見つめてると頭の中に聞こえてくる。
これは僕とティカの間で何度でも往復出来るようになってるから、何か困った事があったら、いつでも使ってね」
アティリオの言からするに、要するにこの葉っぱ飾りは彼が得意だという、先触れの術の特定個人間限定往復書簡用アイテムなのだろう。ちょうど、カルロスとエストが、人知れず綿毛書簡でやり取りをしているように。
「アティさん、私はこれを受け取る訳には参りません」
「どうして? デザインが気に入らなかった?」
「違います」
全く理解していない様子のアティリオに、ユーリは苛々してきた。
ユーリが生まれ育った日本で例えるならばこれはきっと、親を亡くしたせいで頼りない保護者の下で生活している知り合いの子供に、オモチャのアクセサリーとプライベート携帯の番号とメルアドが書かれた名刺を渡して、「困った事があればいつでも頼って良いんだからね」と、言い含めているようなものだろうか。きっとアティリオ本人にとっては、それぐらいの意識だろう。ユーリなら……いや、『ティカ』ならば悪用しないと信用されている、その根拠も見えなくて恐怖感が煽られるが。
ユーリにとって、特定個人間限定であり秘密の会話の為のアクセサリーだなんて、いかにも身内や恋人同士で使うものにしか思えない。むしろ希少性という意味では、ユーリの感覚でいうと自宅の合い鍵に近そうだ。アティリオにとっては簡単に作製可能な品なのかもしれないが、やはり一般庶民と技術者たる魔術師本人とでは、価値観が異なるのだろう。
「アティさんにとっては、本当に特別な意味など無い品かもしれません。
ですが、私からしてみれば、そういった類いの物は恋仲の女性に贈るべき品にしか思えません!」
髪から飾りを外して布地の上に置きつつ、無駄に息巻いたせいで、静寂に満ちた一階ホールの隅々にまで、ユーリの苛立ちに彩られた叫び声は響き渡っていった。
呆気にとられた表情を浮かべるアティリオの隣で、ウィルフレドがぶぶっと吹き出した。慌てて口元を押さえるが、その背は笑いの発作で苦しげに折り曲げられている。
「こ、恋仲……あー、うん。なるほど。
まだ子供でも、ティカも女の子なんだなあ……そういう発想がぽんっと出てくる辺り」
いったい今まで人の事を何だと思っていたのか、アティリオが決まり悪げに呟く。そして、大人しく包みを受け取って元通りローブの隠しへとしまい込んだ。
「そこまで言うのなら仕方がないね。
ごめんね、ティカ。僕は情報伝達術が一番得意だから、魔法具を作ろうと思ったら真っ先にこれが思い浮かんでしまっただけで、不愉快な気分にさせたい訳じゃなかったんだ」
わざわざ床に膝をついてユーリの顔を下から覗き込み、「許してくれる?」と首を傾げてくるハーフエルフの卑怯な手口に、ユーリは全力で幾度も頷いた。こんな場面を他人様に見られ妙な噂でも立てられたら、もう図書室に通えなくなってしまう。そして、ブラウのわざとらしい当て擦りを食らうのも嫌だ。
「良かった。それじゃあ僕はそろそろ行かなきゃならないから……また今度、ゆっくりお茶でもご馳走するよ。
またね、ティカ」
立ち上がりざま、ふわりとした一見では人畜無害そーな穏やかな笑みを零し、アティリオはマントの裾を翻し片手をヒラヒラと振りつつ、正面玄関から立ち去って行った。
「あー、なんか、久しぶりにたくさん笑ったなあ」
「さっきの対決の、いったいどこに笑い要素があったんですか」
先輩が出掛けて行った後ろ姿を見送り、ウィルフレドは目尻を指先で拭いつつそんな言葉を掛けてきた。
自称友人のクセに、取り立てて救いの手も差し伸べてくれなかった彼に対し、ユーリは不満いっぱいだ。
「だってさ、アティリオ先輩のあんなにポカンと面食らった顔もさることながら、よりにもよって女の子から自分の厚意を窘められてる姿なんて……ぷくく」
「ふーん。つまり、アティさんって、女の子は自分の厚意を喜んで受け取って当たり前、とか思ってるんですね」
「多分ね。昔っからそうだったし、皆が皆、アティリオ先輩から何かしら貰いたがって自分の周りに集まってくる、って思い込むよりは良いんじゃない」
改めて、ウィルフレドに教わりながら図書室でのお約束事を聞き、受け付けにて図書室利用申請書類に記入したユーリ。
どうやら図書室の書物の管理にも魔法が使われているらしく、本部の塔から本を借りて持ち出す場合、手続きの際に本に挟む薄い栞が魔法具らしい。
一定期間返却が遅れると所在探知に使われ、書物が故意に乱暴に扱われると色が変わり、補償を迫られるので気をつけて大切に扱って下さいね。と、受け付けのお姉さんから笑顔で言い放たれ、ユーリは戦慄した。そんな危険ブツをぶら下げたまま、呑気に調査していたとは。
「それにしても。ティカとアティリオ先輩って、結局どういう関係なんだ?」
答えたくないなら無理に言わなくても良いけどさ、と付け足しながらのウィルフレドの疑問に、ユーリは腕を組んで首を捻った。『過去が不明な娘ティカ』と、連盟魔術師アティリオの関係……改めて考えると、いったい何であろうか。
一応、出会い頭に事件に巻き込まれた者同士、まだ子供で頼りなくて危なっかしいという印象を抱かれていて、アティリオとしては何かと気にかかる存在ではあるらしい。
「何でしょう……私としては、単なる知人よりはお世話になった方、なんですが。
だからといって、毎回会うたびに最近の暮らしぶりや健康面を心配され気にかけられるほど、親しくはないはずなんですが」
何故、ああも親身にあれこれと心配されるのか、その理由が全く分からずかえって不気味だ。
もしかするとユーリが気が付いていないだけで、アティリオは親切面して近付き『黒髪の娘のグレーゾーン』をはっきりさせたいと考えているのかもしれない。彼は師匠を敬愛しているし、ベアトリスに仇なす輩であれば排除しようと企んでいるのかもしれない。
なんにせよ、アティリオさんが私にあんな贈り物を用意してまで、必要以上好意的に接する背景には、何かがありそうですね。
「へえ。まあ、アティリオ先輩って、相当お節介というか心配性で世話焼きというか……女の子や子供相手は特に顕著なんだけど、単にそういう性分みたいだから。
ちょっと重たくて驚くかもだけど、アティリオ先輩良い人だよ」
ウィルフレドの明るいフォローに、ユーリは思わずカクッと体勢を崩した。
あのいかにも意味ありげな言動が、全て単なる世話焼きハーフエルフの性格的なものからくる、深い意味も裏の意図も無い言動……だと……!?
「おれが作動させるけど?」と申し出てくれたウィルフレドからの、フワフワ浮き上がりエレベーター利用を辞退し、ユーリは一般人が主に使う階段を上って二階の図書室に足を踏み入れた。
魔術師連盟の塔は、二階の図書室と三階の医務室が一般にも開放されており、四階は病室。五階以降が基本的に立ち入り禁止らしい。
古書の写本作業の際に見掛けた司書さんが待機しているカウンターで、エストから預かった本を返却し、ユーリは広い回廊のドーナツ状のフロアへぐるりと視線を送った。見渡す限り、大量の本棚と書物で埋め尽くされていて、お嬢様から頼まれた続きの本はいったいどこにあるのやら。
「それで、何を借りてくの?」
流石に声量を下げて話し掛けてくるウィルフレドに、ユーリも小声で応じた。
「『プリンセス・ヒルデの恋と罪、幻想に涙し夢に臥す』二巻」
「……恋愛小説?」
「多分。うちのお嬢様もこういうの読むんだ、って、私もちょっとびっくりしているところです」
魔術師連盟の図書室の突き抜けたところは、大衆向けの娯楽小説も多く取り揃えられているところである。お堅い学術書だけでは、一般人が足繁く通うには敷居が高くもなろう。
多分この棚の辺、とウィルフレドに案内された区画には、見るからに凄そうなタイトルの背表紙の本が集中しており、異世界ならではの突飛な内容を期待してユーリは思わず唸った。
「……わ、私も何か借りて行ってもいいのでしょうか」
「あいにくだけど、ここの図書室での本の貸し借りは一人一冊まで。いくら一冊目の借り手はお仕えしてるお嬢様だ、って言っても無理だから」
この世界は何故、印刷技術や書物複製魔法が発達していないのかと、ユーリは内心の嘆きを飲み込み、プリンセス・ヒルデを手に取った。