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古人は、かくも世の真理を余さず、至言、名言として数々残したものである。

証拠というものは、どんなに隠そうとしてもかすかな痕跡が残ってしまうのだから、隠すのならば偽の手掛かりの中に紛れ込ませてしまえば良い。もしくは、まったくそっくりな物の中に、何気なく忍び込ませておけ。などという意図の言葉がある。

そう、いわゆる『木の葉を隠すなら森の中』何が何でも葉っぱを隠したい者は、枯れ葉が積もる森だって作り上げるだろう。という事。


ユーリは堂々とした足取りで部屋を出て、厨房を覗き込むでもなく階段を上がった。三階に向かい、ひとまず、ホセが過ごしていた部屋の様子見だ。

木製の階段を軋ませながら、目的の部屋に足を向けて……何やら既視感を覚えた。


……ゴンサレス様のお部屋の真上って事は、ホセさんって……


あの日、ルティ姿のブラウとゴンサレスの会話に聞き耳を立てるべく、上階から強行軍で窓から窓へと降り立ったというよりも墜落した、と形容する方が正しい例の体験は、ユーリの記憶にも新しい。


「……今日も鍵開いてるし」


ホセの部屋、とおぼしき独身男性使用人住み込み部屋のドアノブは簡単に開き、住民の居ない室内は月光に照らし出され静けさを保っている。

暗闇に慣れてきた目で見回せばそこは、淡い光が差し込む締め切られた窓。寝台、チェストに机。私物らしき物はゴンサレスやパヴォド伯爵に接収されたのか、特にこれといって見当たらない。

かつてカルロスとシャルが住まい、今現在ユーリが借り受けている一階の部屋よりも、明らかに部屋面積が広い。とてつもなく、納得がいかない。

憮然としながらドアを閉め、ユーリは部屋の中央に佇み、記憶を辿った。

この部屋に住人が居た時間、その時の様子を。あの時ユーリは、この部屋の住人はずぼらな性格なのだろうか、とチラリと思っただけだったが。


鍵の掛かっていないドア。

踏みつけた紙切れ。

飛び乗った寝台。

鍵の掛かっていない窓。

飾り気のない柵と出窓。


「……駄目ですね、他に何も思い出せません」


首を振って、溜め息を吐く。

何しろユーリは、調査などせず、ただ、この部屋をそそくさと通過していっただけなのだ。誰の部屋なのかなど全く興味が湧かなかったし、そもそも何故鍵を掛けずにいたのか、その目的も分からない。

まさか、ホセはユーリの主人と同じ結界術特化術士で、自分の部屋に鍵を掛ける習慣が無い、などという訳でもあるまいし。

ワザと、鍵を掛けずに誰かが入って来やすいようにしていたのだとすれば。


「……そう言えば、部屋に誰かが入ったかどうか、紙切れで確認するトリックがありましたね」


ドアの下に紙切れを挟んでおき、誰かがドアを開けばその風圧で紙切れは室内に滑っていく。留守中の侵入者があったかどうか、開ける前にドアの下の紙切れの有無を確認すれば判別が付く。

ユーリの故郷では簡単に実行出来た簡単な仕掛け。ここのフローリングの床ならばさぞかし滑りが良い事だろう。

羊皮紙とは違い、薄く滑らかな紙が日本よりも高価なこの国で、小さな紙片とはいえ何も書き付けられていないまっさらな紙を、床に意味もなく放置しているだろうか? やはり、あの紙はドアを開ける人物の有無を調べるべく挟んでおいたと、考えられる。だが。


「ドア開けてすぐに紙を踏んずけた、って事は……

私がホセさんの部屋に入る前に、既に誰かが侵入していた?」


子ネコ姿のユーリが通り抜けられる程度の隙間を小さく押し開けただけであるならば、ドアに挟んでおいた紙片が大きく移動するだろうか。むしろ、ユーリが侵入する以前に誰かが入室したが為に、あの紙はユーリの足下に移動していたのではないのか。

あの紙に、寝台のシーツに、ユーリの肉球足跡でも付いていれば、ネコが部屋に入ったのはもろバレだ。足裏はいつでも完璧に綺麗だった! などと、自信を持って胸は張れないユーリである。

だが、ユーリが偶然通過した以外で、いったい誰がホセの部屋に入ったというのだろう。階段を上がっても不審がられない人物……ゴンサレスだろうか?


仮に、不在時に自室を探られたか否かのチェックを、ホセがドアに挟んだ紙片で行っていたとする。つまり彼は、自分の周囲を探られるだけの危機感を抱き、自らの置かれた立ち位置を理解していたという事に他ならない。

もし、ユーリが同じ立場に陥ったら、どうするだろうか。無論、主人たるカルロスに危急を伝えるだろう。だがホセは流石に、テレパシーなんて便利な特技を有してはいないと思われる。


さて、見回した限りでは住み込み棟の備品ぐらいしか残されていないように見える、この部屋。

もしも、ユーリが何らかの危機感から誰かに向けて手掛かりを残しておくとしたら、どこに隠すだろうか。伝えたい相手によるだろうが、他の人物には思いもよらないような、思い出の場所に隠しそうだ。

ユーリなら、森の家の自分とシャルの部屋の寝藁の下辺りか。


「ホセさんが何か伝えるとしたら、黒ずくめの仲間か……イリスさん?」


自分亡き後にまで、ホセが恋しい相手を巻き込もうとしていたかは分からないが、少なくとも生前は厭っていたように思う。

だが万が一、パヴォド伯爵への不信感を煽るような嘘を真実に混ぜ込んだ遺書でも見つかったりしたら、イリスはどうなってしまうだろう。

彼女は何やらグラやゴンサレスの計画? に荷担しているようだし、他のメイドよりもパヴォド伯爵家の中心に近い場所に居る。そんな彼女が隣国に寝返ったりしたら……


「うーん、寝台の下に秘密を隠すのは、生物の本能だと思うのですが」


這いつくばって寝台の下を覗き込み、腕を伸ばしてみるが何も掴めない。寝台の上の畳まれたお布団の下にも何も無い。

やはり、既に捜索済みの部屋になど、何もないのだろうか。

続いて、チェストの引き出しを開けてみる。中は空っぽだ。だがこういった場所を探す時、見るべきは目に付く位置ではない。


「一段目はハズレ、二段目も……何も無いですね」


ユーリはチェストの引き出し棚を引っ張り出すと、手をワサワサと当ててその天板に当たる部分をまさぐった。この位置ならば死角になって見えないので、ヘソクリを隠す人も居るのだ。因みにユーリの母がまさにそれだった。

そして三段目に腕を突っ込むと、何かが指先に当たった。慎重に引っ張り出したそれは、細い紙に見える。


「何ですかね、これ?」


細かい字で何かが書かれているのだが、いかんせんこの部屋は薄暗くて文字を読むには向かない。

ユーリはホセの部屋を後にして、自分にあてがわれている部屋に戻った。


早速、紙切れの文字を読むべく灯りを付けたいが、イヌバージョンの同僚が床を占領して独特の寝息を立てているせいで、灯りをつけるのも躊躇われる。厨房に行けば火が灯っているが、そこまで持ち出して、不特定の人間の前で気にせず読んで良いブツかどうかも分からない。

朝日が登ってからにしようと諦め、ユーリは床の上の同僚を跨ぎ越して寝台の上に行こうとしたのだが、同僚のイヌバージョンは巨体だった。どんなに大股を繰り出しても、シャルの背中に当たってしまいそうになる。


「さっきからいったい何をしているんですか、ユーリさん」


寝台に辿り着けずにユーリが四苦八苦している間に、いつの間にか同僚の寝息が止んでいた。蹴りつけないよう気遣って、腹の前でゴソゴソしていたら結果的に気配で起こしてしまったらしい。


「シャルさんが大きすぎて、私が寝れないんですよ」


部屋が狭いのだから、これはもう仕方がない文句を言ってみる。シャルはユーリの不平不満顔を寝ぼけ眼で見上げ、おもむろに目を閉じて、一瞬だけ身体が光った。

……そして次の瞬間には、乙女の寝室に居てはならない、全裸の青年が床に横たわっていた。

確かにこの姿ならば、跨ぎ越していけるけれども。何故そのまま身を起こすのか。そしてのそのそと寝台に這い上がるのか。


「シャルさん、そこは私の寝台です」

「あちらの姿だと大きいと言ったのは、ユーリさんではないですか。

わたしは眠いんです。早くお仕着せを脱いで下さい」


そして同僚は我が物顔で枕を独占し、寝息を立て始める。人間の姿で眠るシャルの寝顔は、初めて見たユーリ。


……そ、そんな馬鹿な。寝入ってるシャルさんは可愛い……だと……!?


イヌバージョンならば添い寝には慣れてきたものだが、人間の姿ではいただけない。これは無理だ。絶対に眠れない。無駄に心臓が飛び跳ねていく。なんだこれ。まさか、この姿のシャルと添い寝しろと。

眠る時はイヌバージョン、という拘りでもあるのかと思っていたにも関わらず、眠気には逆らえないのかあっさりと人間バージョンを取ったシャル。人間の姿での眠たげな表情や寝顔は予想外の威力で胸に直撃した。


「良いからそこを退いて下さいっ」


ユーリは気恥ずかしさを誤魔化すべく、全力でシャルを寝台から引きずり落とした。



翌朝、早めに起き出したユーリは、レデュハベス山脈の端っこから朝日が昇っていく中、寝台の上で昨夜の紙片を確かめていた。

因みに昨夜泊まった同僚は、イヌバージョンで床に横たわり、寝息を立てている。


「えーと、

『黒。小。第一の封。精製可能品、出所、唯一、最重要捜索。

都。埋。結、破。誘、魔。

……何でしょうこれ。暗号?」


何らかの意図があって、ホセが誰かしらに残したい情報なのかもしれないが、ユーリには今ひとつ分からない。

ひとまず、イリスへの遺言書ではなさそうだ。それは予想がつくのだが、要点のみを書き出したか、暗号として解読すべきかさえも不明な短い文章のみが記されたこの紙切れでは、ユーリにはホセが何を報せようとしていたのか、全く分からない。


ユーリはひとまず、寝台下の同僚を揺り起こした。

まだ眠たげで不満そうなシャルに紙切れを突き付け、意見を求めつつ早々にお仕着せに着替える。


「……何ですか、これ?」


シャルも照る照るルックに着替えて朝の支度を手早く終えると、怪訝そうに紙切れを見下ろした。


「ホセさんの部屋から見つかったんですけど、どんな意味があると思います?」

「わたしに分かる訳が無いではありませんか」


ユーリの質問に、シャルはいっそ誇らしげに胸を張って言い切る。そして照る照るマントのカンガルーポケットから、すちゃっと満を持してブラシを取り出した。

本当に、いつでもブラシを持ち歩く同僚に有り難く髪の毛を任せ、短い文章を横から見たり斜めから見たりしてみるが、やっぱり分からない物は分からない。

幸い、ユーリの本日の出勤予定時間は昨日よりも若干遅い。身支度を整えたら、ひとまずゴンサレスにこの紙を見せてみる事にした。


「はい、出来ましたよユーリさん」

「シャルさん、いつも有り難うございます」


きっちりと引っ詰め髪に整えてくれた同僚が、ぽむ、と肩を叩いて終了を告げるので、寝台の上に並んで隣に座っていたシャルを見上げてにっこり笑顔でお礼を言った。

これまで、文句一つ言わずにサッサとユーリの髪を結ってくれるシャルに、何だかんだと素直にたくさんの感謝の念を抱いていなかった訳だが、昨日は身支度の時点で大変難儀した。やはり、自分は大いに世話を焼かれ、庇われ守られて異世界で生活してきたのだと、改めて実感したのだ。今朝も、特にお願いしなくてもテキパキと髪結いをこなしてくれるシャルに、素直にもなろうというものだ。


今回のメイド生活が終わったら、シャルさんにみっちりリボンでの髪の毛の結い方を教えてもらえると良いなあ。


「……ユーリさん、何か悪い物でも食べましたか?」

「何でですか?」

「マスターやエステファニアお嬢様方が特に何かした訳でもないのに、始終ご機嫌なあなたは珍しいです」


しかし、素直なユーリにシャルは非常に胡乱気な眼差しを向けてくる。実に失礼な話である。

シャルはふと、何か合点がいったように大きく頷いた。


「ああ、もしや。これから甘い物でも分けて頂く算段でも?」

「シャルさんの中で私、どんだけ甘い物に血道を上げてる、って思われてるんですか」

「そうですね、甘い物の為ならば魂を捧げるほど、ですか」


失礼な、と、文句を口にしかけて慌てて飲み込んだ。言われてみれば客観的に見て反論のしようもなく事実だからだ。


「シャルさんは、いつも一言多いんですよ」

「あなたに言われたくはありませんね」


頬を膨らませて不満をぶつけると、シャルは『そうそう、こんな態度でこそユーリさんだ』と言わんばかりに口角を上げ、ユーリの肩を引き寄せた。ぎゅっと抱き締めて頬を擦り寄せられると、何だか毒気が抜けてきてしまう。

たっぷり存分にハグを堪能したのか、身体を離すとユーリの顔を覗き込み、にこりと笑みを浮かべた。


「それでは、わたしはそろそろ行って来ます」

「行ってらっしゃい。お気をつけて」


朝日が昇りきって人目が多くなる前に、再び窓から飛び立って行ったシャルの姿を見送って、ユーリもまた寝台から立ち上がる。

いつの間にか、シャルにとっての自分は『そばに帰るべき家族』になっている事を実感して、小さな幸福感に頬を緩ませながら。

鍵に巻き付かれたままの糸を、さり気なく外に垂らしたまま、ユーリはパタンと窓を閉めた。



朝っぱらからアポも取らずにパヴォド伯爵閣下の執務室に突撃すると、今朝も非・歓迎の意を周囲に滲ませながら、ゴンサレスが迎えてくれた。先に彼の自室に足を運ぶと、既に部屋の主は不在だったのだ。この人は何時から働いているのだろう。


「おはようございます、ゴンサレス様」

「おはよう。何かあったか?」

「早い時分に失礼致します。本日はこれについて、ご意見をお尋ねしたく参上致しました」


ユーリは持参してきた紙切れをゴンサレスに手渡し、ホセの部屋を捜索し、引き出しに隠すように貼り付けてあった旨を説明した。


「ふむ。仮に、君が自分の身に何かがあった場合の危険に備え、隠しておくならば何を残す?」

「身内や友人なら、累が及ばぬよう安全策を。明確な敵対者には……」


ゴンサレスの問いに、ユーリは瞼を伏せて考えてみるが、やはりこれしか思い浮かばない。


「私1人だけでなく、相手も道連れに引きずり込めるよう、計略を」

「飼い慣らされた暢気なネコそのものの顔をして、君も存外俗臭いな、ティカ」


ゴンサレスから掛けられる言葉は、大抵いつも貶されているようにしか聞こえないが、この人は曲がりなりにもユーリの上司のようなものである。面と向かって不平不満をぶつけるのは得策ではない。


「あまり多くは無いが、私にもホセの筆跡を確認する機会が幾度かあった。この紙片に記された共通語の筆跡は、彼の物とは異なる」

「筆跡を誤魔化していた可能性は?」

「曲がりなりにも現地に潜伏する諜報員だ。その可能性も大いにある。

だが、ここは敢えて別の可能性から検討してみよう。これが、例の鳥を使って伝書でやり取りされた指示書そのものでは?」


まるで暗号のような意味の読み取りにくい文字列を眺め、ユーリは眉を顰めた。

万が一、あれが指示書だったとすれば、ホセは自分の死後、あの紙がどこかの勢力の……真っ当に考えれば、パヴォド伯爵が与する勢力だ……手に渡る事によって、何らかの企み事の証拠になると踏んでいた事になる。

見つけたくも無いのに、厄介事を発見してしまったのだろうか。


「解読を依頼してみよう。

ザッと読んだところ、私が最も気になる点は、ここだがな」


スッと、ゴンサレスの節くれだった指先が紙片の後半部分『都。埋。結、破。誘、魔。』を指し示す。


「最重要捜索、の方ではなくて、ですか?」

「それは読めばだいたい把握出来るだろう。

こちらは不穏な単語ばかり、連なっていると思わないか?」


言われてみれば確かに、まるで都……『王都』を埋め立てるだとか、魔法使いがそうしようと誘導しているだとか、そんな意味にも取れる。簡素過ぎるせいで、正確な意図が掴めないのは大変厄介だ。


エストの誘拐を失敗し、黒ずくめに口封じされたホセはいったい、何をやり遂げ何を防ぎたかったのだろう。

ユーリの脳裏に、イリスの横顔が浮かんで消えた。



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