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未開封の手紙を握ったままドアを開けると、眼前に純白の翼が狭い部屋の中いっぱいに広がっていた。外はもうとっぷりと日が暮れているというのに、月光を浴びるとその羽根の一枚一枚が乱反射でもしているのか、薄暗い室内でも実にくっきりとその翼は浮かび上がって見えていた。

ユーリは思わず、見なかった事にして元通りにパタンとドアを閉じ、クルリと方向転換して背中をドアにもたれ掛からせる。


「何か忘れ物でもしたんですか? ユーリさん」


だが、たった今回れ右した室内の中から、耳慣れた同僚の声音がのんびりと語り掛けてくる。ユーリは、ゆっくりと深呼吸をしてから、もう一度ドアに向き直った。どのみち、この部屋の中にしかユーリが今現在休息をとれる場所は無い。

ガチャリとノブを回してドアを押し開けると、相変わらずユーリが借りている使用人住み込み部屋の中いっぱいに遠慮なく翼を広げているシャルは、どうやら窓を全開にして窓枠に腰掛けて両足を庭に、背中の翼を室内に向けているらしい。


ユーリが立てた物音に気が付いて、庭を眺めていたシャルは顔だけ振り向かせた。

部屋に一歩踏み入って後ろ手でドアを閉めると、翼が場所を取って圧迫感というか窮屈さがどうにも際立つ。相変わらず綺麗な同僚の翼にユーリが手を伸ばそうが、シャルは頓着せず、


「今晩はユーリさん」

「今晩はシャルさん」


挨拶を寄越してきたのでユーリも同じテンポで返すと、彼はふんわりと笑みを浮かべた。何だかよく分からないが、ご機嫌だ。


「それで、人の部屋でいったい何をしていらっしゃるんですか、シャルさん」

「マスターが難しい顔をしてアルバレス様と話してばかりで、つまらないので泊まりにきました」

「……」


あっけらかんと告げられた台詞を、ユーリはどう解釈すれば良いのか判断がつきかねた。

だが、一呼吸置いて考えてみれば、そもそも王都のパヴォド伯爵邸での滞在を断られたカルロスは現在、魔術師連盟の本部の塔に宿泊しているのだ。あの、シャルを良くは思っておらず、むしろ多かれ少なかれ気味悪がっている魔術師達の集団の中に。主人であるカルロスが、忙しさにかまけて常にシャルに気を配っていないとなれば、本部の塔はこの同僚にとって居心地はとてつもなく悪かろう。

『つまらないから』なんてユーリには言っても、本当の理由はきっとそんなものではない筈だ。


「はあ……主にはちゃんと、私の所に泊まるって言ってきたんですか?」

「ええ、ちゃんと。とっても悔しそうでしたよ」


きっと、主人を差し置いてパヴォド伯爵邸に泊まる事が、だろうなあ。


「というか、シャルさんどうやってここまで来たんですか?

滞在許可、頂いて無いんですよね?

それに私、朝にこの部屋を出る時、ちゃんと鍵掛けて出たのに」


寝台に腰掛けて翼に顔を埋めてもふってみると、何とも肌触りが良い。天然の羽毛布団になりそうだ。

毛皮といい、翼といい、この同僚は羨ましい部位が多すぎる。

ユーリの疑問に、シャルはふふんと鼻で笑った。


「この館、ましてやこの部屋を長らく住処としていたわたしに、深夜に忍び込むなど造作もない事です」

「つまり意訳すると、シャルさんがここで暮らしていた頃は、うっかり外の山野で遊びほうけて門限破ってしまう事が多々あって、城壁は勿論この館の警備を上空からかいくぐるのにも慣れっこって事ですね?」


ユーリが半眼で問うと、シャルはツツ……と視線を逸らした。


「で、部屋の鍵は?」

「鍵なんか必要ありませんよ」


シャルがのんびりと答えたそれに、ユーリは首を傾げた。

この使用人住み込み部屋の一室を借りるにあたって、ユーリはゴンサレスから鍵を預かった。当然、仕事中は出入り口のドアはそれで施錠しているし、鍵を壊された形跡も無い。

シャルはのびのびと広げていた翼を音も無く一瞬にして仕舞い込み、一気にユーリの視界が開けた室内で、彼は窓の鍵をトントン、と指先で軽く叩く。

寝台の上に膝立ちになってにじり寄ったユーリは、今夜も照る照るルックなシャルに指し示された先をじっくりと観察して……ガクッと肩を落とした。


窓の鍵は、摘みを動かして開閉する簡単な作りになっていて、そこに糸状の何かが絡み付いている。

今はただ垂れ下がってだらんとしているだけの糸の先は、きっと予め外側に出しておいて、引っ張って開錠させる単純な仕掛けでも施されていたのだろう。

イタズラ好きわんこ同僚は、昔からこの手を使っていたのだろうか。コレぐらいの単純なトリック、忙しさにかまけていないで、窓を開けようとしていればユーリとてすぐに気が付いたはずなのに。


「……女性の部屋が一階ってだけでも、防犯上どうかと思うのに。

この館の防備はどうなっているんですか……!?」

「マスターが仰るには、女性部屋が一階である事は、意味があるらしいですよ」


別に二階以上に住めば必ず安全だとは断言しないが、一階だと着替えの際は必ずカーテンを閉め、幾度も施錠を確認し、それでも犯罪者から窓を破るなどの強攻策に打って出られたら一巻の終わりだろうに。

いったいどんな利点があると言うのか。


「まず、逃亡先が窓かドアかの二択から選べますね。二手に分かれて両方塞がれたらそれまでの気もしますが、一階の住み込み部屋の前の廊下に来るには、まず見通しの良い階段の前を通過しないといけません。

そこが見通せる厨房は必ず誰かしらが待機していますし。男がコソコソ通ろうとしたら、見咎められるのは確実でしょうね」


どうやら、一階だからこそ部屋の前の質素な作りの廊下に繋がる通り道は、どうしても人目が多くなるらしい。

それから、とシャルは窓枠に座り込んだ体勢からユーリの寝台に背中からぼすんと倒れ込み、そのまま寝台の上で一回転するようにして両足を室内に入れて寝台脇に着地させ降り立った。

相変わらずアクティブでお猿さんのような身のこなしの同僚には、妙なところで不意打ち的に感心するしかない。そして同時に、まさか、シャルの魅力ってコレも含まれるのだろうか、などと、自答自問してみたりもする。


「万一火災などが発生しても、一階からならば逃げ出しやすいですよね」

「う、う~ん。窓から堂々と侵入してきたシャルさんを見ていると、頷きにくいものが……」

「それよりもユーリさん、これは?」


とってつけたような駄目押しに、ユーリは口ごもった。だが、シャルはそんな同僚の様子に頓着せず、寝台に腰掛けているユーリの手首を軽く持ち上げた。


「ああ、コレですか?」

「……グラシアノ様の匂いがします」


手にしたままであった未開封の手紙にユーリが視線を移すと、シャルは手紙に鼻先を近付け、スンと小さく鼻を鳴らして眉をしかめた。

本当に、やたらと鼻の利く同僚である。


「グラシアノ様からの求婚のお申し出を受ける訳には参りません、と、お断りと謝罪をしたいと申し出ているんですが。

グラシアノ様、仕事でしばらく泊まり込みらしいんですよね……しばらく帰れないとお返事は下さる辺り、律儀だと思いません?」

「さあ、わたしには分かりかねますね。そんな事」


シャルは眉をしかめたまま、はっきり不愉快そうに吐き捨てて、ユーリの傍ら、寝台の上に腰を下ろした。もう片方の腕がユーリの肩を引き寄せて、肩口に顔を寄せた。


そうか。シャルさんにとっては、グラシアノ様が言い出した世迷い事なんて、どうでも良い興味の無い話なんですね。

これまで、シャルさんがそれについて何か仰ったりしていませんし……分かってはいましたが、何かこう……落ち込む。


「ユーリさんがグラシアノ様に嫁ぐ未来なんて存在しませんし。グラシアノ様も、何とも無益な努力をなさる」


ユーリの肩に頬をこすりつけていたシャルが、ふあぁ~あ、と、欠伸混じりにそう呟いた。


「……シャルさん、何で」

「何がです? ユーリさんはグラシアノ様からつがいになれと請われたので断った。

これでその話が済まないのだから、人間という生き物は本当に摩訶不思議です。

人間とて、虚弱なメスの方にオスを選ぶ選択権が与えられて然るべきだと、わたしは常々疑問だったのです。その点が本当に理解出来ません」

「……」


ああ。大抵の鳥さんとか、メスが『あんたダメ』って拒絶したら、オスって引き下がりますよね……潔いですね。ある種の鳥さんは、枝やら落とし物を拾ってきてメスへのアピールに愛の巣とかまで自作するのに。


「まあ、私がこの国の習慣を知らなかったのが拙かったんですよ。

シャルさんは、バーデュロイにおける愛称の意味って知ってます? 日本では、全くちっとも深い意味なんてないんですよ」


以前、馬車の中でパヴォド伯爵に意味ありげな台詞を吐かれ、動揺と馬車の振動からグラグラ揺れ動いていた姿が印象深くて、ユーリは内心ではグラの事を『ぐらぐら様』などと呼んでいたのを、うっかり口からツルッと零したら『ティティ』なんて愛称を名付け返された……一連の事態を愚痴ると、シャルは「なるほど」と笑った。


「やはりユーリさんは、子ネコ姿のままでいた方がマスターの心が平穏を保てる、という実例ですね」

「……返す言葉もございません」


ネコの鳴き声でならば、何様と呼び掛けようが、相手には全く通じないのだから。


「しかし、『ティカ』はあなたにとってはただの偽名なのですから、『ティティ』などという愛称では愛称授受なんて成立しないのでは?」

「……そういうものなのでしょうか?」


日本だと、婚姻届の名前記入欄に、別人の名前を書き込んだようなものだろうか? 無効扱いや結婚詐欺師として告訴されそうだ。


「そうですね……『モーリン』というのはどうです?」


視線を夜空へ向けつつ「んー」と呟き、何やら考え込んでいたシャルは、振り返ってそう言い出した。


「は?」

「ユーリさんの正式名は、ユーリモリサキでしょう?

マスターがそう口にしていたじゃないですか」

「いや、そうですけど」


どうだ、この記憶力! と、言いたげにふふんと鼻を鳴らす同僚に、ユーリは力無く頷いた。確かに間違ってはいない。


「『森崎』は、私のファミリーネーム、いわゆる家名ですけど、そこから愛称を考えるんですか?」

「……ユーリさん、名前短過ぎませんか」

「そんな事無いと思いますけど」


何しろ、彼らの主人の名だって『カルロス』、燦然と輝く四文字だ。


「そう言うシャルさんのフルネームは何なんですか。

主が言うには、やたら長ったらしいそうじゃないですか」

「わたしですか?

わたしの名は、『シャールデュファスロォス』ですよ」


意趣返しに、シャルの本名を尋ねてみると、同僚の口から耳慣れぬ謎の呪文が飛び出た。


「はい……?」

「ですから、『シャールデュファスロォス』です」

「それは、どっからどこまでが個人名で、どっからファミリーネームですか?」

「わたしは家名なんて持っていませんよ。『シャールデュファスロォス』が個人名です」

「……シャルさん、名前長過ぎませんか」


先ほど同僚が口にしたのと、殆ど変わらない言い方で真逆の意味を持たせて感想を捻り出し、ユーリは嘆息した。

短い呼び名に慣れていて、音の羅列が一回では覚えられない。


「ベアトリス様が名付けて下さったのですが、意味は確か……『白銀の月光にけぶる水面』だとかなんとか」

「……あー、古語ですか」


ベアトリスの命名センスに関しては、あまり考えないようにしよう。カルロスもきっと舌を噛みそうになるから、この同僚を『シャル』とだけ呼んでいるに違いない。

口の中でシャルのフルネームを繰り返し、う~ん、とユーリは首を捻った。


「シャルさんの名前は長いから、色んな呼び名候補が浮かびますね。

『デュー』とか『シシィ』とか『ロッソ』とか」

「ユーリさんの場合は短過ぎて、選択の余地がありませんね」


何気ないユーリの呟きにシャルは笑顔で、


「『ユゥ』か、『ユルユル』。どっちが良いですか?」


狙っているのか何なのか、この同僚は日本人のユーリにはうっかり、ピッタリと脳内で変な意味合いに変換される愛称を言い出した。

YOU(あなた)』か、『ゆるゆる(引き締めるべきところが緩い状態を表す擬音)』などという愛称は、勘弁して欲しいものである。


「……何で、その二つなんです?」

「あなたの名前が短いからです」

「それ以外が良いです」


ユーリの出した結論に、シャルはまたしても「まったく、ユーリさんは本当に我が儘だ」などと、ブツブツと文句を呟く。

何気ない雑談を話している間にいつの間にか、ユーリの手首を掴んでいた筈のシャルの手は、ユーリの腰に回されていた。


「ユーリさん、ちゃんとわたしが差し上げたペンダントは身に着けているんですね」


喉元までボタンを留めているので、服の下に隠しているペンダントのチェーンはこの同僚には見えないはずで。だとすると、ユーリには何の匂いも感じられないそれは、シャルの鼻で嗅ぎ分けられる濃度の芳香を放っていて、ユーリの全身を包み込んでいるのだろう。


「はい。ちゃんと持ってますよ?」

「いい匂い……」


たまに忘れがちになるが、同僚は雑食な肉食獣である。そしてこちらもうっかり失念しがちにもなるが、同僚にとってユーリは『緊急時の非常食候補』である。

シャルが満足げな呟きと共に舌で自らの唇をペロリと舐める仕草を目撃すると、ユーリの背筋に本能的な悪寒が走った。

ユーリには嗅ぎ取れない謎の香水の正体は、いわゆる『肉の余分な臭みを消すハーブか香辛料的な、シャルの食欲をそそる香り』になっているらしい。


「わっ!?」


突如としてシャルにのし掛かられて、寝台の上に押し倒された。ぐりぐりと頬が擦り寄せられるので、髪の毛が当たって非常にくすぐったい。

やけに引っ付き虫状態だ。さてはカルロスに構ってもらえなくて拗ねているのだな、と、ユーリは内心溜め息を吐く。


「もう、シャルさん今夜は甘えっ子さんですね」

「ユーリさん、今夜はもうこのまま休みましょう?

わたしは先ほどから眠たくて」


頬をペロリと舐め上げられた挙げ句、そんな要求を突き付けてくる。ヤバい。眠気を振り払わせたら、食欲に転化してしまうかもしれない。

というか、イヌバージョンならばまだしも、人間の姿だとこれは気恥ずかしいというのに。


「いえ、今夜はこれから探索ミッションがあります」


寝台の上でマウントポジションを取られたままユーリが胸を張ると、寝たい時に眠るイヌポリシーの持ち主は不満げに唇を尖らせた。


「何ですか、ミッションって」

「ここの三階に住んでいたという、ホセさんの部屋の調査です。何か手掛かりがあるかもしれませんし」

「……また面倒臭そうな」

「シャルさんはお先に寝ていてどうぞ?

どうせ、シャルさんはそこのドアから出ていったら見咎められますしね」


嫌だー、ボク寝るんだー。と、寝台の上に寝そべりユーリを抱き枕状態に抱え込んで、全身で寝入り体勢をアピールしていたシャル。ユーリが意味ありげに、チラッとドアへと視線をやった先を同僚もまた目線で追い掛け、一拍置いてから「……あ」と、息を漏らした。


「女性用の部屋に繋がる廊下が見えるのだから、わたしがそこから出ていったら、厨房に詰めている方に侵入したのが丸分かりですね」

「シャルさん、三階、上がれませんねえ」


ユーリの呟きに、シャルは一つ頷き。


「よし、だからもう寝ましょう」


晴れ晴れと言い切り寝台の上で服を脱ぎだす同僚の額に、ユーリは容赦なくチョップをお見舞いした。



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