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ラウラ本人は素の口調はざっくばらんだが、彼女がジーッと厳しくエストの側近くに付き従っている際は、エストは気が抜けないらしい。

パヴォド伯爵令嬢らしからぬ振る舞いに及ぶと、メイドの中でも年長のラウラは懇々と説教をするとかなんとか。


午後になり、お嬢様のお側に侍って、エストの求める細々とした雑用をこなす役割をラウラと交代したイリスは、早速エストの求めに応じて恋バナ茶会の席を用意していた。

色々とツッコミ所は多いが、お嬢様たるエスト本人がメイドと茶卓を共にして恋バナに花を咲かせたいようなので、ユーリは大人しく席に着かせて頂いた。

本日の噂の的は、ユーリの想い人……いや、想い狼であるシャルについて、である。


「シャルさんって、カルロス様の家の家宰さんですよね」

「ええ。シャルは幼い頃からカルロスに付き従っていたわ。

いつでもわたくしを差し置いて、わたくしの守り役であるカルロスの後ろをついていくものだから、あの頃はわたくし、シャルと毎日のように競争していたわね」

「エストお嬢様とシャルさんは、いったいどんな競争を……想像がつきません」


シャルと互いに見知ってはいても、イリスはさして彼と親しくはないのか、一応確認するように尋ねてきた。

一方、エストの幼少期からカルロスとシャルはかのお嬢様にお仕えしてきており、やはりエストは詳しい。

というか、流石はシャル。相手が幼いエストであろうと、ご主人様の後ろは譲らなかったらしい。実に大人げない話である。


「どちらがカルロスの側に相応しいか、駆けっこをしたり、わたくしのフワフワした髪を綺麗に結えるか試させたり。

わたくしへの授業とシャーリーの授業、カルロスから褒められる事が多いのは?

ふふふ、懐かしいわ」


カルロスやシャルと共にあった昔の暮らしを思い返しているのか、エストはおっとりと呟いてティーカップを口元に運び、イリスに淹れてもらった午後に嗜むお茶を口に含む。


同じ卓を囲むユーリとイリスも同じ茶と菓子が振る舞われているのだが、これも本来はエストお嬢様の為に用意された物であり、使用人が口にして良い物では無い。

厳しいラウラや、お嬢様命のセリアに見つかったら両者共に理由は違えど煩いので、見付からないように、密やかに恋バナ茶会は開かれている。


……そう言えば何だか聞き覚えがありますね、『シャーリー』って呼び方。シャルさんの家族愛称とやらは、本来そっちなんでしょうか?


「何というか……シャルさん大人げないですね」

「イリスさんもそう思いますか!

そうなんですよ、あの人、涼しい顔して実は結構、拗ねっ子で甘えん坊でワガママでヤキモチ焼きなんですよ!」


エストの思い出話を聞いていたイリスが素直な感想を漏らすので、ユーリは思わず力強く同意してしまっていた。


「それで。

嫌味ったらしくて小さな失敗をネチネチいびってきて、仕事に滅茶苦茶厳しい銀髪のお兄さんの、いったいどこが良いんですか、ティカさん?」

「……うちの先輩が、イリスさんに大変ご不快な思いをさせてしまったようで、申し訳ありません」


ある意味的確ではあるが、シャルはいったいいつイリスにそんな失礼な行動をとったのだろうか。


「いやね、ティカさんったら。

あの人はエストお嬢様にお仕えしていた先輩ですからね。それはもう、微に入り細に入り事細かく不備を指摘して下さっただけよ」


ふふふ……と笑ってはいるが、イリスの目は笑っていない。


「すみません、すみません。何か本当にすみません……」


あまりの居心地の悪さに、殆ど反射的かつ平身低頭に謝罪してしまうのは、ユーリの根っこがどうしようもなく小心者だからだろうか。それともこれは、日本人にありがちな気質だろうか。


「そんなイジメっ子のシャルの、ティカちゃんはどこがどう気に入っているのかしら?

本当にあの子に、男性としての魅力があるの? わたくし、ちっとも想像がつかないわ」


うーん? と、愛らしく小首を傾げるエスト。昔から知っている彼女からまでそんな言われようだなんて、いったいシャルはどんな仕事ぶりで暮らしぶりだったんだ。


「シャルさんと言えば、あたしが見掛けた時は大抵年頃の女性を口説いてましたね。

セリアしかり、ラウラしかり、店先のおば様からお屋敷の掃除婦に至るまで、褒めて讃えてニコニコしていましたよ」


イリスの不機嫌そうな台詞に、ユーリはちょっと、気が遠くなりかけた。

以前、セリアを口説いているようにしか聞こえない甘い言葉は慎めとヤキモチ半分に助言しておいたのだが、まさか他の女性にまで歯が浮くような口説き文句を繰り出していたとは。


「そう、それで、イリスやティカちゃんは、シャルから甘い言葉を掛けられたりした事があるの?」


困ったような表情を浮かべ、ティーカップをソーサに置いたエスト。彼女の空になったカップに新しい茶をポットから注ぎつつ、イリスは「いいえ、ありません」と、はっきり口に出して否定した。

ユーリも首を左右に振っておく。


「イリスやティカちゃんのお話を総合すると、つまりシャルはわたくしの知らないところで、『成人女性には甘い言葉をかけるのが挨拶』だと、偽りを吹き込まれた可能性が高いわね……

あの子、嘘や冗談をすぐに真に受けてしまうから」


何がどうすればそんな結論に達するのかは不明だが、エストが嘆かわしいと言わんばかりに重々しい溜め息を吐くので、ユーリは何気なくイリスの方へ顔を向けた。彼女もこちらを見ていて、図らずも顔を見合わせたような格好になる。


そう言えば、この国ではセリアさんの年齢は成人女性でも、イリスさんは……今年ようやく成人扱いなんでしたっけ?


バーデュロイの基準では、18歳のユーリは立派に成人女性だが、ユーリの感覚は未だ日本人の法がこびり付いていて、『子供じゃない』と考えた事はあっても、『自分はもう成人している』と考えた事など、そう言えば一度も無かったような気がする。

ユーリの普段の生活態度やそんな無自覚の心境を嗅ぎ取って、シャルは常に同僚を子供扱いしていたのだろうか。仕事ぶりからも、とても大人だとは認めがたかったのかもしれない。


「そんなシャルのどこに惹かれたのか、わたくし是非詳しく聞きたいわ」


エストから重ねて促されて、ユーリは戸惑った。

シャルの魅力……そう言えば、何だろう?


「えーと、シャルさんはですね、とても素直じゃないですけど、本当は優しいです。

とっても、すんごく、どーしようもなく、伝わりにくいですけど」

「優しい……?」


ユーリが懸命に捻り出した美点に、同席しているイリスはユーリの話を訝しんでいる事を隠そうともしない。


「それに、私、故郷がどこかよく分からないんですけど、シャルさんもご自身の出自を知らなくて。

こう……足下がはっきりしない不安感というのですか? そういった異邦人の些細な違和を理解して下さる共感意識を共有しているうちに……シャルさん素敵だなあ、みたいな?」


『ユーリ』は地球出身の日本人だが、『ティカ』は記憶喪失の娘さんだ。あの異世界出身者仲間意識について、これで上手く説明出来ただろうか?


「つまりティカちゃんは、具体的にシャルの男性としての魅力に惹かれたのではなく、同じ境遇である事に安心感を得て、この国でのよりどころにしていますのね?」

「ええーと……はい、多分……?」

「別に、シャルさんにどんな魅力があろうが、あたしには分かりませんけどね。

ティカさん、もうちょっと男を見る目を養った方が良いんじゃない?」


エストは何だか不穏な言い方をするし、イリスは分かり易く辛辣だ。というか、男を見る目云々に関してイリスにだけは言われたくはない。


ここで、イリスやエストの方に話を振れないのはとても辛い。何しろイリスは失恋したばかりだし、エストの想い人は『口に出してはいけないあのお方』状態だ。

必然的に、ユーリの好きなシャルさんについての話ばかりになるが、彼の同席者からの評価は何故か低い。


「あの、エストお嬢様。シャルさんと仲が良いのではなかったのでしょうか」

「わたくし? もちろんシャルの事は大切に思っていますわよ。

ただあの子は……世話の焼ける弟のようなものですもの。ティカちゃんを安心してお嫁に出せる甲斐性があるとは、とても思えませんわ」


幼少期から仕えてもらっているエストお嬢様は、バッサリ切り捨てた。なんてこった。

ユーリは慌てて、エストにシャルの美点を訴えかける事にした。


「そ、そんな事ないですよ。

シャルさん、やろうと思えば気配りも出来ますし!」


あれ。そう言えば、事前に必要そうな品を用意してサッと差し出すとか、そんな準備に動いてたのはエストお嬢様への対応だけだったような。他の方の……特に男性相手だと、敢えて空気を読んでない気がする。


「それに料理はとても上手で、その上家事全般得意で細かな雑用もテキパキこなして、毎日頑張る働き者ですし」


うん。何だかまるで良妻への褒め言葉のようだ。


「それにそれに、シャルさんは狩りも上手いんですよ。獲物を捕獲から下拵え、調理に至るまで1人でこなします!」


うんうん。これは男性的魅力? っぽい点ではないだろうか。その時のシャルさんに、私は近寄れないけど。


「ティカちゃん……」


あれ。何だかエストお嬢様とイリスさんが、生暖かい眼差しで私を見ている。

仕方がないじゃないか。私はこの国での男性としての魅力として挙げられる点を、把握していないのだから。

やはり、男は顔か武術か知力や権力、経済力なのだろうか?


「わたくしはやはり、ティカちゃんはお兄様に娶って頂くべきだと思うわ」

「同感です、お嬢様。ティカさんって、奥向きの性質だと思います」

「え? え?」

「シャルが地盤を整えるまで待っていたら、ティカちゃんが婚期を逃してしまうわ」


バーデュロイの女性の結婚適齢期は15歳から18歳辺り、既に19歳に近付いているユーリは嫁き遅れ扱いされてしまいそうだ。相変わらず、ユーリは実年齢よりも子供だと思われているらしい。

これは、ユーリが適齢期真っ只中だと思われているから、今のシャルでは夫として頼りないと思われているのか。それとも、今はまだ幼いユーリが婚期を迎える頃になっても、そう簡単にシャルに甲斐性が持てるとは予測出来ないと悲観視されているのか……どっちだろう。


「あの、私、シャルさんと結婚なんて出来なくても、シャルさんと一緒にいれたらそれで良いです」


勝手に話を進められても困るので、ユーリが自己主張しておくと、イリスは深く頷いた。


「それなら、結婚後はグラシアノ様にシャルさんを雇い入れて頂くよう、お願いしたら問題は解決ね」

「解決しません!」


慌てて否定するユーリに、エストは柔らかく微笑む。


「ティカちゃんがそう言うのでしたら仕方がありませんわ。カルロスにお願いして、シャルを鍛えてもらいましょうね」


……え、鍛えるって、シャルさん何をどうされるんだろう?

主の事だから、エストお嬢様からのおねだりには張り切りそうですけど……


不安感から、ユーリは無意識のうちにシャルから貰ったペンダントを、服の上から握っていた。

それにしても改めて考えると、シャルはカルロスの仕事の手伝いや家事担当として以外、徹頭徹尾わんことしての生き方を貫いている人だ。人間から見ると、異性としての魅力は少し分かりにくい。これが女性だったなら、『素晴らしい働き者の良妻だ!』と褒めそやされていたのかもしれないけれど。


今後はもっと同僚と相互理解を深め、家政夫としての魅力や実力以外の美点を探ろうと決意を新たにした。

そんな最中、


「お嬢様、失礼致します」


コンコンと、居間に通じるドアがノックされる軽い音と共に、ラウラの声が掛けられた。

席から立ち上がりざま「大変っ」と、小声で呟いたイリスは、自分が使っていたティーカップや菓子皿をワゴンにさり気なく戻し、証拠隠滅を図る。ユーリもそ~っとカップや皿を音を立てないようにワゴンに置き、エストの傍らに立った。


「どうかしましたの?」


素早くラウラ出迎え体勢が整ったのを見やり、変に間を空けて怪しまれないうちにエストはドアの向こう側へと応える。

イリスが開けたドア越しにラウラは一礼してから、用件を告げた。


「奥方様がお呼びでございます」

「そう、分かりましたわ。着替えてからすぐに参ります」

「かしこまりました」


貴族のご令嬢というものは、一日の間に何回もお着替えをなさるものであるようだ。

寝間着から朝のドレス、昼餉のドレス、午後のドレス。そしてまた、母に会いに行く前にお召し替え。バーデュロイのしきたりというものが未だよく分からないが、服を沢山持つのが富裕の証であるならば、着替えの回数が多いのも貴族の嗜みとかそういう習慣なのだろう。


そしてラウラはエストの寝室内を一瞥し、テーブルに1人で座るエスト、ティーセットを運ぶワゴンを比較的長めに注視した。


「イリス、そう言えばあなた、昨夜は休んでいたけれど、体調はもう良いようね」

「はい、もう元気です。ご迷惑をお掛けしてしまって……」

「それはまた。とてもとても、元気で食欲旺盛で良い事ね」

「はい?」


ここ、と、ラウラは無表情に自らの唇の端を指差す。


「ケーキの欠片が付いているわよ」

「ええっ!?」


イリスは慌てて自らの口元を触って確かめ、次いで「あれ?」と怪訝そうな表情を浮かべ、そして次第に青褪め始めた。


「……」

「お嬢様のティータイムのご相伴に喜んで預かるぐらい、お腹は快調という訳ね」

「お、お腹は、はい……」


どうやら、イリスは呆気なく先輩メイドの誘導尋問に引っ掛かってしまったようである。

そんな空気を払拭しようとしてか、エストは「そうそう」と両手を叩いた。


「イリスがザシュトを大好きだっただなんて、わたくし夕べまでちっとも知りませんでしたわ。

まだジャムが残っていたら頂けるよう、スティルルームメイドにお願いしておきましたから」

「え? た、確かにあたし、ザシュトは嫌いじゃありませんけど……?」


ラウラが取り出したお昼下がり用のドレスに着替えるお嬢様の傍らで、ユーリもまたドレスに似合う小物をせっせと準備しつつ、下手に口を挟まないよう噤んでいた。

話の流れが掴めないのか、イリスは困惑気味である。そんな彼女に、ラウラは僅かに眉間に皺を寄せた。


「昨夜は、廃棄予定の傷んだザシュトを山盛り食べ漁って、お腹を壊したのでしょう?

もう二度とそんな馬鹿な真似はしないでちょうだい」

「……は、あの……その話はいったいどこから……?」

「昨夜のイリスの不在理由を、セリアがそう説明してくれたの」


笑みを張り付けながら確認するイリスにエストがあっさり答えると、イリスは表情を崩さぬまま「さようでございますか」と、お嬢様の髪の毛を纏めにかかった。

エストの背後に回った途端にイリスの表情から笑みは消え、声に出さない「せ~り~あ~~~!!」という唇の動きと憤怒の形相が浮かび上がる。それでもお嬢様の髪を櫛で梳く動きは丁寧だ。


「あら。もしかして、本当の欠勤理由はそれではないの?」

「……」


イリスの憤懣やるかたない雰囲気を察したラウラの鋭い問いに、イリスは沈黙する。

偽りの不名誉と、縁談とホセへの想いの真実。話すべきか話さざるべきか、悩ましげに瞳が揺れる。

ユーリとしてはトイレの佳人の不名誉よりは、『失恋しちゃった。テヘ』話の方が、まだしもダメージは少ないように思えるのだが。


「いえ、ザシュトを食べ過ぎてしまいまして」


イリスは歯軋りしながらも、そう言ってエストとラウラに謝罪を敢行した。

……ユーリには今一つ理解しがたい優先順位である。



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