閑話 ご主人様から見たわんことにゃんこ そのじゅういち
盛大に後ろ髪を引かれながらも、相変わらず伯爵邸への滞在許可が下りないカルロスは、シャルを引き連れて魔術師連盟の塔に向かった。
出掛ける前にご主人様を部屋から追い出して、シャルがユーリと何事かを相談していたが、2人きりで話したい事だってたまにはあるだろう。そんなところにまで踏み込むのは野暮というものだ。……正直、気にはなるが。
なあシャル。少しは何か進展したのか? ユーリと同じ空間にいるだけでケンカ三昧な関係は、卒業したようだが……
尋ねたくてウズウズするが、ここはぐっと我慢である。
わんこやにゃんこが自発的にカルロスへ恋愛相談をしてきたり、交際の許可を求めてこない限り、息子と娘の微妙な関係にはノータッチを貫く。
主人の身で介入したりすれば、しもべ達はカルロスの意向を尊重しようとするだろう。たとえ本心が全く別のところにあったとしても。
迎えに来たゴンサレスにユーリを託し、カルロスはモヤモヤした気分を抱えたまま魔術師連盟の塔に到着した。門扉を潜り抜け、敷地に一歩足を踏み入れた途端、真正面の塔入り口の重厚なドアが、バーンと音を立てて左右に開かれた。
ドアを開け放ったポーズで両手をふんわりと広げ、佇むローブ姿の人影。
「お待ちしてましたよ、カル先輩!」
女性魔術師……の扮装を今日も隙無くビシッと着こなしている本来の性別は男性な後輩魔術師、ルティである。
「ルティ、真似しなくていい婆さんの言動までなぞるな」
「分かっていませんね、先輩」
一瞬足が止まってしまったのを誤魔化すように、早歩きで歩み寄るカルロスへ、ルティはチッチッチッと小さく舌を鳴らしながら、立てた人差し指を軽く左右へ振った。
「こうやって不意打ちで出迎える事で、来訪者の威勢を削ぎ、自分のペースで事を運べるようになるんです。流石、師匠は一々言動があざといですよね」
「……身内の俺を翻弄して、それでいったい何をどうしたいんだ、お前ら」
呆れ顔でルティの傍らをすり抜けようとするカルロスに、彼女……ではなく彼、(ああ、ややこしい)は、モノクルの奥の瞳を光らせた。
「セーンパイ、昨日アティ兄さんから聞いたんですけどー……」
「ああん?」
「ティカちゃんをパヴォド伯爵家に行儀見習いに出したって、本当ですか?」
そう言えば、一昨日の朝はアティリオの追及を逃れるのに、苦し紛れにそんな方便を使ったような気がする。
そして今日、嘘が本当になってしまったと言っても差し支えが無い訳だが。
「そうだが? 俺もパヴォド伯爵閣下から『せっかく王都に居るのだから、働きたまえカルロス』って、言われてるしな。
その間、ティカを閉じ込めておく訳にもいかんし、自由にしておくのもまた攫われそうで不安だ」
「……あたし、一昨日もセリアに会いに伯爵邸にお邪魔したんですよ。ティカちゃんの姿はどこにも見掛けませんでしたけどー」
スタスタと、シャルを引き連れ変わらず歩みを進めながら、カルロスは素知らぬ顔で頷いた。
「そうか。来客が知人だからと油断して、主人から呼ばれてもいないのに仕事を放り出して姿を現すような、そんな低俗な真似はしなかったようで何よりだ。
流石に俺じゃあ、ティカに女性としての慎みや作法を完璧に教えられねぇからなあ」
「ふーん、結構厳しいんですね、パヴォド伯爵家の教育って」
あくまで平然を装って会話を続けるカルロスの傍らに、トコトコと早足で付いて来るルティ。
「なあルティ。結局本題は何なんだ?
俺、これから医務室に寄ってくんだが……」
ルティと話しながら受付の前を目礼で通り過ぎるも、まだ纏わり付いて来る弟弟子を振り返り、カルロスは移動用昇降陣の前で立ち止まった。
ルティは毎日忙しなく仕事で飛び回っており、外回りの仕事以外でこんな風に無駄話を交わすのは稀だ。何だか学生時代を思い出して懐かしくなる。
「あ、遂にカル先輩も医療班に参加する決意を!?」
「いや、単なる見舞い」
移動用昇降陣へと、嬉しげにカルロスの背中からグイグイ押しやり、「ささ、お早く!」と訴えてきたルティは、カルロスの返答を聞いて途端に頬を膨らませた。
……やっぱり、どっからどー見ても、女にしか見えねぇんだよなあ……
紳士として、当然ルティを脱がしたり胸や腰を嫌らしく撫で回した経験も無いカルロスが、演技の上手い弟弟子の性別を見抜けなかったのも致し方が無い。
ルティの生まれもった体格や骨格がそうゴツくない、というのも長らく女装を見抜かれなかった事に一役買っているのだろう。
だが、冷静に考えてみれば、ルティは連盟内部でも貴族のお嬢様を匂わせているが、未だに独身である。血縁関係である事を隠していない大貴族の御曹司アティリオが、妹分が今に至るまで未婚でいても何の小言も説教も縁組みも繰り出さない、というのはおかしな話だ。
寿命の長いエルフ族ばかりに囲まれているとうっかり失念しがちだが、人間の貴族女性で22歳になっても未婚のままというのは、手遅れどころか人間性を問題視されるレベルで異常である。
つまり、その辺の世事を把握している人員は、ルティの実際の性別をとうに察していて、女装を黙認しているのだろうか。特に、カルロスやルティの師匠辺りは。
「で、さっきの話の続きなんですけどっ」
カルロスやシャルと共に上昇昇降陣に乗り込んだルティは、突如として表情を輝かせながら勢い込んで口を開いた。
「あたし一昨日、パヴォド伯爵邸で愛くるしさ全開の妖精と出会ったんです!」
「妖精? そんなのあの館に居たか……?」
演技や駆け引きなど欠片も見当たらない、素のままに感動を熱く語るルティの言に、カルロスはチラッとわんこの方に目線を送って問い掛けてみるも、わんこも目をぱちくりさせて首を捻っている。
長年あの館には世話になっているが、そんな生物が存在していたらシャルが嬉々として捕獲しオモチャにしていそうである。
ルティはもどかしげに両手を握って拳を作り、身体の脇でぶんぶんと上下に振った。
「妖精って言うのは、喩えですよ、先輩。
フワフワな黒い毛並みと黒曜石のようなつぶらな瞳……鳴き声も可愛いラブリーにゃんこが! エステファニア様の! お部屋に!」
「あー……」
「なっ!? カル先輩がにゃんこ話題に乗ってこないだなんて、もしや熱でもあるんですか?」
ルティ、遂にうちのにゃんこと対面したかー。そりゃあ、コイツの今日のハイテンションも納得……などと考えているカルロスの体調を案じ、自分とカルロスの額に手を当てて体温を測るルティ。
そうこうしている間に上昇は止まり、目的の階に到着したのだが、ルティが真剣な顔で「むむ……」などと唸りつつ体温を調べているせいで、どうにも身動きがしづらい。
しばし固まっていたところ、ゴホゴホと遠慮がちな咳払いが聞こえてきた。
「お、おはようございます、カルロス先輩。ルティ先輩」
これ幸いと昇降陣の出口に降り立ち、所在なさげに視線を彷徨わせているウィリーに、カルロスは「よっ」と片手を軽く上げた。
「おはよう、こんなトコで会うとは奇遇だな、ウィリー」
「さっきまで、アティリオ先輩のところへ報告に行ってましたから。その帰りです」
「そう言えば、ウィルフレドはアティ兄さんのバディだったっけ? ふぅ~ん……」
おいルティ。アティリオに近付く面子には、男女問わず真っ正面から値踏みをかます癖は直せって、何度も言ってるだろうが。
魔術師としての実力は下から数えた方が早いくせに、妙に威圧感と迫力があるルティが遠慮なくジロジロと眺め回したせいで、ウィリーは益々気まずそうに苦笑している。
「そいやウィリー、昨日はサンキューな」
「いえ。たまたま昨日はおれが見回りの日だっただけですから」
カルロスはすすっと距離を詰め、ウィリーの耳元に小声で囁いた。
王都治安部隊の夜間巡回には、定期的に魔術師連盟からも人員が派遣される。時間帯が時間帯なので、主に炎系の魔術適性を持つ男性魔術師が巡回メンバーに入って受け持つのだが、クォン契約を結び一人前扱いされているウィリーは、早くもその手の任務に駆り出されているらしい。
「それで、カルロス先輩。あのはだ……の女の子、怪我とかなかったですか?」
「おう。別段何も問題なく、ピンピンしてたぞ」
言いにくそうに言葉を濁すウィリーに、カルロスははっきりと頷いた。
安心したように、ホッと息を吐き出すウィリー。
「良かった。まさかパヴォド伯爵家の若様に、あんな猟奇的な趣味があったなんて」
「や、待てウィリー。それは誤解だからな!?」
「カ~ル先輩! さっきからあたしを除け者にして、何をコソコソとウィルフレドと内緒話してるんですか?」
昨夜の馬車内の惨状に、ウィリーとしても思うところがあったらしい。だが、グラに対する聞き捨てならない印象に、カルロスは慌てて否定した。ユーリが真っ裸だったのは、カルロスのせいというかホセのせいであるし、グラにはそれに関して何の責任も無い。
この後輩とここで出くわしたのはカルロスとしては丁度良いタイミングなのだが、しかしルティの目が気になって突っ込んだ話がしにくい。
ルティはカルロスを押しのけ、ズイッと上からウィリーの顔を覗き込んだ。いかに女性を装っていようと本性は男性たる彼は、成長が遅くてチビなウィリーよりも明らかに上背がある。
「何か今、パヴォド伯爵家の若様に、変な趣味があって驚いた~、みたいな話が聞こえてきたような……あたしそれ、すっごく気になるな~。
ね、その辺ちょっと、お姉さんに詳しく話してみない?」
お前、マジでグラシアノ様の事、マイナス方面で大好きだなルティ!?
カルロスは慌ててルティの手首を掴んで、医務室に向かって走り出した。
ポカンとした表情で先輩2人を見送るウィリーに、首だけ振り返り、
「後でちょっと話そうぜ、ウィリー!
それから、事実無根の批判的な噂を広めたりするなよ!」
「もうっ、カル先輩、強引な真似は止めて下さいよー」
念の為に釘を刺しておきつつ、カルロスは問答無用でルティを引き連れて円形の廊下を駆け抜けた。
その後を、シャルはのんびりした足取りで付いて行くのである。
魔術師連盟の本部の塔には、連盟メンバーや王都住民のみならず、バーデュロイ国内各地から治療を受けに集まる。
治癒や治療の術を扱うには、主に水の魔力を操る生まれつきの素養が必要であり、約100名ほど在籍している連盟メンバーの中でも、治癒の術を扱える者は30人にも満たない。その数少ない治癒術を扱える魔術師には、長老ベアトリスを師としたカルロスやルティ、アティリオが含まれている。
王都近郊の村々には、ベアトリスが弟子を引き連れ頻繁に見回ってはいるが、遠方ともなればなかなか足を伸ばす事は難しい。故に、大半の治癒術を扱う術者は国内各地に散らばっている。
カルロスはパヴォド伯爵領内の防御結界術の維持と、領民の治癒術を任される事を条件に、本部から離れた地を本拠地としているのである。
ルティとしては他の術者を伯爵領へと派遣して、カルロスは本部に戻ってもらいたい気持ちがあるらしいが、エストと今以上に離れ離れになり仕事に忙殺されるようでは、おいそれと移動出来ない。
医務室の出入り口前にシャルを待たせ、カルロスは個室となる病室の前で足を止めた。
「カル先輩、ここって……」
「例の、子爵んちの地下室で結界張ってたガキの部屋だな」
一応ノックをしてから入室すると、アティリオが中腰でこちらを振り向いてきていた。ノックに気付いて返事をしようとしたのに、応える前にドアノブが回されたので腰掛けていたベッド脇のイスから立ち上がりかけた、そんな体勢らしい。
「よー、アティリオ。お前がこのガキの担当なのか?」
「……カルロス。君は『入室を許可されてからドアを開けなさい』と教わらなかったのか?」
苦虫を噛み潰したように眉をひそめ、アティリオは低く短く吐き捨てる。
「閣下の屋敷以外で、堅苦しいお作法を実践すんのが面倒なだけだ」
「ルティ、そこの馬鹿に、人として当たり前の礼儀を教えてやれ」
正直、昨日から肩が凝って仕方がないカルロスである。古馴染みだけしかいない場でぐらい、砕けた会話や楽な態度でいたい。
しかし、兄貴分から話を振られたルティは、得意気に胸を張った。
「ふふん、任せて兄さん。
カル先輩、今度アティ兄さんの前で無作法なマネをしたら……」
「したら?」
「物陰に引っ張り込んで、問答無用でちゅーしちゃいますからね」
「すまんアティリオ俺が全面的に悪かっただからルティを止めてくれなさい」
ルティの持ち出した罰則を聞くなり、カルロスは迷わずアティリオに向き直って頭を下げ、一息に謝罪した。
「……まあ、カルロスが自分の言動を改めれば良いだけの話だ。ルティも本気ではないだろう」
「え? 何言ってるの兄さん。あたし徹頭徹尾本気だけど?」
ケロッとした表情で即答するルティに、アティリオが頬を引きつらせる。カルロスは、アティリオからルティを庇うように後輩の前に立ち、自らの背後に半ば隠す。
「アティリオお前、自分の妹分になんつー教育を……」
「僕はそんな教育を施していない」
「兄貴分の為に、そこまで身体を張る決意を固めさせられるなんざ、ルティも可哀想に」
「ううん、良いの、カル先輩。
だってあたしは、アティ兄さんの為ならどんな役目だってへっちゃらだもの」
空涙を拭う真似をするルティの肩を軽く叩いて励ますカルロス。
「だから違うと言っているだろうが!?」
耐えかねたようにアティリオはガタッとイスから勢い良く立ち上がり、振り向きざま大声を出すので、カルロスとルティは2人揃って唇に人差し指を当て、「しー」と、静かにするようにと促した。
顔面にデカデカと『納得いかない!』と書きなぐった顔をして、アティリオは再びイスに座り直す。
カルロスは寝台に歩み寄り、寝かされているハーフエルフの少年の顔を覗き込んだ。
顔色はそこまで悪くは無いし、呼吸も安定している。魔力を枯渇するほど使い果たして、自分の生命力さえ犠牲にして結界術を維持し、危ういところで連盟のメンバーに救出された少年は、治癒術を施され、今は峠を越してこうして病室で安静にしている。
そろそろ目を覚まして、自分で食事を取ってくれない事には、治癒術でも健康体への完全なる回復には至らず限界がある。
「で、このガキの容態はどんなもんだ?
婆さんの話じゃ、一度目を覚ましたらしいが」
「今日は僕が看ているが、この子の担当は僕じゃない。
時折経過を観察していたが、枯渇の反動で乱れた魔力の流れも安定してきたし、そろそろ起きても良い頃だ」
「こいつ、世界浄化派の連中に使われてたんだよな。
だが、王都は婆さんの結界術の影響下だっつーのは、いくらコイツがガキでも判るだろうに。何だって死にかけてまで魔力遮断結界なんか張らされたんだか」
カルロスとアティリオが見守る中、未だ名も知られぬ少年は、寝台の上に仰臥し、規則正しい呼吸を繰り返しながら意識を沈めたままだ。
ルティは少年の額にかかっている黄金色の前髪をサイドに流し、頭を撫でた。
まるでそれを合図にしたように、少年の瞼がピクリと痙攣した。
「ん?」
術者達が固唾を飲んで見守る中、少年はゆっくりと瞬きを繰り返して……うっすらと瞼を持ち上げた。
「気が付いたのかい?
どこか、痛むところは?」
すかさずアティリオが穏やかに声を掛け、ルティはベッド脇に置いてあった水差しから、カップに水を注ぐ。
少年は唇をわななかせるも、上手く声にならないようだ。カルロスは少年の背中に腕を差し入れて、そっと上半身を起こしてやった。背後に枕を置いて、即席の背もたれとする。
「お水よ。飲める?」
ルティはカップを差し出し、少年の口元で慎重に傾けてやる。彼の喉はゴクリと上下し、水を嚥下したようだ。
「……こ、こ……」
「ここは魔術師連盟の塔だよ。大丈夫、ここにいる人達は君を攻撃したり脅したりしないから」
「れん……」
少年は何事かを言い掛け、意識が朦朧としてきたのか、ぐったりと背もたれ代わりの枕に体重を預けて両目を閉じた。
そうして、か細く囁く。
「結界……無事……?」
そのまま彼は、答えを聞き届ける前に力尽きたように再び眠り込んでしまった。
少年の身を再び楽な体勢で寝かせてやるカルロスの背後で、ルティが顎に手をやり考え込む。
「……『結界』『無事』?
この子が自分で張っていた結界の事なら、尋ねるまでもなく把握しているはず」
ルティは目まぐるしく思考を回転させているのか、ポツポツと呟いた。
世界浄化派の戦力は、その多くが遠く砂漠の国に集中しているはずである。
このハーフエルフの少年が、無事かどうか安否を心配するとしたら、人質として残してきた身内の事ではないのだろうか……?