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テーブルの一角でのやり取りをヨソに、「それで」と、やや出鼻を挫かれた感のあるセリアは、自身も朝食に手をつけながら改めて真正面のカルロスに鋭い眼差しを向けた。
「説明。してくれるんでしょう?」
険しい表情のままパンを千切るセリアに、カルロスは静かに頷いて頭の中でどう説明すべきか、考えを纏めるようにしばし沈黙。
「セリアは術者じゃねえから詳しくはないだろうが、魔術には様々な効果を及ぼす独自の術が幾つも存在する。術者の数だけ魔術が存在すると言っても過言じゃねえ。
その中の有名どころの一つに、異世界から生き物を呼び出し契約する術がある。ユーリと……シャルがそれだ」
「わたしが聞きたいのは」
「分かってる。何で子ネコのユーリと黒髪の娘ティカは別人みたいに紹介したか、だろ?」
カルロスの滔々と語られるお言葉に、ユーリだけでなくシャルも異世界の住人であると知らされやや怯みながらも、セリアが不満気に口を挟む。彼は焦るなと言いたげに鷹揚に頷いた。
そして上座っぽい席に腰を下ろしているゴンサレスは、部下達のやり取りを遮るでも自らの意見を語るでもなく、黙々と朝食を口に運びつつ見守っている。
「異世界から喚び出し、契約によって術者に縛り付けた生き物をクォンと呼ぶ。
分かり易くざっくばらんに言うと、術者は自分のクォンを殺して魂を吸収すると大幅に魔力が増し、術の制御や操作が楽になって能力が向上するが、俺はユーリもシャルも殺したくないからそのまま飼ってる」
「……は? え?」
畳み掛けるように放たれる情報の数々に、セリアは混乱したような呟きを漏らすが、カルロスはインターバルを挟まず遠慮なく続ける。
「連盟の連中の中には、あくまでも善意で俺にクォンの魂をサッサと吸収しろと言う輩もいる。
黒ネコ姿のユーリは俺のクォンだと知ってる奴もいるから、こっちの姿は隠してた。例え魔術師とすれ違っても、普通の人間の小娘ならいきなり殺されかけたりはしねえからな」
「ま、待って待って」
セリアは両手を前に突き出し、カルロスの言を懸命に押し止める。
「ユーリちゃんの魂を、食べる? 殺される? 何よそれ!」
「だから、例えるならユーリは俺を今以上の無敵魔法使いにする事が出来る食べ物なんだ。
常に立場が危なっかしい連盟にとっても、優秀な術者が増えるのは歓迎する出来事だろう?」
「食べ物って、食べ物って……」
「だがっ!」
呆然とナイフとフォークを握り締めたまま、自らの朝食に視線を落とすセリアを前に、カルロスはテーブルに両手をバンッ! と突いて立ち上がり、彼が座っていたイスが背後に倒れるのも構わず身を乗り出した。
そして、ビシッとセリアの鼻先に人差し指を突き付ける。
「セリア、お前ならあの愛くるしい黒にゃんこを、容赦なくメッタメタに殴り殺せるか!?」
「!?」
カルロスからの究極の問いに、セリアの両手からカトラリーが音を立てて滑り落ちた。
「考えてもみろ! あの、鳴き声も仕草も極限に愛らしく微笑ましい子ネコを、信頼に満ち溢れた眼差しで擦り寄り甘えてくる子ネコを、奴らはたかだか魔力が十倍以上になるからとかいう理由だけで、この俺に『殺せ』とか言うんだぞ!?」
「……今の十倍以上の魔力が易々と得られるのならば、向こうの言い分の方が理に適うと思うがな」
わなわなと震えながら熱弁をふるうカルロスの斜め前の席にて、今まで沈黙を保っていたゴンサレスがぼそりと零した。
セリアを見据えたまま、カルロスは今度はビシッとゴンサレスへと人差し指を向ける。
「ほら見ろセリア! これが一般人の見解だ!
にゃんこの素晴らしさを、存在を全否定だ! お前はこの暴虐を許せるか!?」
「許せない……そうよ、カルロスさん。そんな非道な事、絶対に許しちゃいけないわ!」
「だろう!?」
「ええ!」
よく分からないが、カルロスとセリアは何かの合意に至ったらしい。彼らは暑苦しい体育会系のノリで、ガシッと強く握手を交わす。
そして、自説が全面的に支持され満足げなご主人様は、再びどっかりと腰掛け直そうとして……背後にイスが倒れている事に気が付いていなかったせいで、床に尻餅をついた。
ビミョーな沈黙が漂う中、カルロスは咳払いをしつつガタガタとやや乱暴にイスを元通りに起こし、改めて座り直す。
「つまり、だ。黒ネコのユーリが人間の姿でティカと呼ばれている事は、秘密にして欲しい。
セリアの場合は特に、ルティにうっかり漏らさないようにな」
「そんな、でもルティはあんなにネコ好きなのに……」
「ルティは主家の跡取りであるアティリオの益になると判断すれば、自分の心を押し殺せる。そういう女だよ」
真顔で語り合うカルロスとセリアのやり取りに、ゴンサレスは再び沈黙を保っている。
ユーリとしては、主がサラリと「ルティはそういう女」発言をかましたせいで、うっかり噎せかけた。ユーリにとって、あのモノクルはどこまでいっても『変態女装野郎』である。
「カルロスさんが力を付ける事と、アティリオさんの利益がどうして結び付くの」
「俺とアティリオは、得手不得手はあるが基本的に術者としての方向性が同じなんだ。師匠も同じだけにな。
つまり、俺が連盟の仕事を多く片付けられたら、アティリオは自分の家の仕事とやりたい研究に専念出来る」
「な、なるほど……つまりカルロスさんがワガママだからルティも困っている、と」
「おい」
深く納得を示すセリアに、カルロスが短く突っ込んだ。
「何となく、カルロスさんの事情は理解したわ。
ユーリちゃんが人間の姿でいれば、狙われる可能性は低いから、基本的に人間の姿にしてるの?」
「概ねその通り。あと、家事を任せるのに人間の姿の方が都合が良いとか、ネコ姿じゃ喋れないとか、まあ色々あるが」
「ユーリちゃんが人間に変身出来るって、エストお嬢様はご存知だったのに、わたしに教えてくれなかったのは何で?」
「そもそも、その事を誰にも直接は教えてない。エストは昔、イヌだったり人間の姿のシャルとよく遊んでたから、クォンはすべからく人間の姿に変身可能だと推察してたのかもしれん」
「子ネコのユーリちゃんを、お嬢様のところに頻繁に預けてたのは?」
「前回は、ユーリとシャルがケンカしたから距離を置かせた。今回のは、閣下のご命令」
まるで試合でもしているかのように、ポンポンと矢継ぎ早に繰り出される疑問に、カルロスは冷静に回答してゆく。
やがてセリアも疑問の種が尽きたのか、しばし黙り込んだ。
「気は済んだか、セリア」
「……はい」
おもむろにゴンサレスはカトラリーを置き、口を開いた。
先ほどから未だにちょくちょく差し出してくるシャルのフォークを押しやり、ユーリもイスの上で姿勢を正した。
「ゴンサレス様、私もあなたにお尋ねしたい事が山ほどあるのですが」
「おい、ユーリ」
「構わん。数日間情報収集に努めていた君が、幾つも疑問を持つのももっともだ。
私が答えられる範囲でならば答えよう」
立場を弁えよと主人が諫める声を遮り、ゴンサレスはユーリを見やり、促した。
効率的かつ、正確な情報を引き出す為には、何をどう尋ねれば良いだろうか。彼は伯爵から『爺』と呼ばれ、信を得ているようだが、怪しい行動の理由についてはまだまだ謎が多い。
子ネコ姿のユーリが屋敷内をうろついていたのは、情報を探っていた事は承知済みのようだし、ならば彼女が聞き耳を立てている事を流していたのも、聞かれても問題が無い会話だと認識していたのだろう。
「有り難うございます。
では、早速……アルバレス侯爵家の夫人に仕えるミチェルと、連盟の魔術師ルティ。この両名とゴンサレス様は、どういったご関係なのでしょう」
「それに答える前に、逆に私も尋ねたい。
ユーリ、人間の姿の君とミチェルは、いったいどういった関係なんだ?」
「……は?」
遠慮なく鋭く踏み込んでみたら思わぬ角度からのカウンターを食らったユーリは、両目を瞬かせた。
念の為に、これまでのミチェルとの接触についてを丹念に思い返してみるが、彼とは子ネコ姿でだけしか遭遇した事は無いし、同行していたシャルも黒ネコが実は人間であるなどとバラしたりしていない。
ゆえに、ミチェルはユーリを単なる子ネコとしか認識しておらず、人間の姿での面識は皆無のはずだ。
つっかえつっかえ、そういった主旨の主張を翳すと、ゴンサレスは「そうか」と頷いて溜め息を吐いた。
「おかしな事を聞いたな。君がそう思っているのならば、これ以上は問うまい。
ルティに関しては、私とあれはバーデュロイの同じ機関に所属している。時折、作戦協力や情報を交換しあうが、基本的にはあまり関わりが無い」
それ以上は聞くな、とばかりにゴンサレスは目を細めた。
『彼女』ではなく『あれ』と称している辺り、ゴンサレス氏もルティが本当は男だと知っているのだろうか。
「ミチェルに関しては……私も知っている事は少ない。
連盟に所属していない術者だが、私の知る限りどの術者の技量をも飛び越えている。
彼が何を目的とし、何を考え行動しているのか詳しくは知らぬ。余計な詮索をすれば、こちらの身が危険だからな」
ゴンサレスは木製のカップを持ち上げ、唇を湿らせた。
「彼の行動原理はとてもシンプルだ。
気が向いたから手を貸し、気勢が削がれたから手を引き、気に入らないからぶち壊す。
ミチェルの普段の言動、その大半の理由は『ただ何となく』であり、誰も適わぬ実力を秘めているだけに、予測や制御など到底不可能かつ厄介な災害に限りなく近い」
「……凄い言いようですね」
「だが、真理だ。彼は誰に縛られる必要もなく、気ままに振る舞っていても咎められない実力も兼ね備えている。
今はアルバレス侯爵夫人を気に入っているからあちらの家に仕えているが、バーデュロイでの用が済めばあっさり姿を消すだろう」
「ミチェルのバーデュロイでの用件、とは何ですか?」
「人捜しだそうだが、詳しくは知らぬ」
サラリと告げられた言葉に、ユーリは先日の誘拐事件を思い返した。
「まさか、ミチェルも世界浄化派が探しているという『黒髪黒眼の子供』とやらを探しているんでしょうか」
ユーリの呟きに、ゴンサレスは逡巡するように小さく目線を泳がせた。
「さあ、どうだかな。
……これはあくまでも私の独り言に過ぎんが、あれは元々の髪色と目の色を変えている。何も関係ないかもしれんがな」
「……え?」
「付け加えると、彼はとある人物を非常に目の敵にしていてな。
世界浄化派の目を眩ませる気かは知らんが、とある黒髪黒眼の娘を殴り倒して失神させて、とある貴族の世界浄化派アジトに運び込まれるよう細工した事がある。まあ、ルティが忍び込めるよう、手助けを要請したのはこちらなのだが」
ユーリは無意識のうちにゴンサレスの手をじっと眺めた。
手の甲は血管が浮き上がり、皺や皮や骨が目立つ、老いを重ねた手……
「あ、あの地下室に私を送り込んだのはゴンサレスさんなんですか!?」
「正確に言うと、アルバレス家の公子と君をわざと誘拐させるよう企んだのは、私ではない。
何故そんな事をする必要があるのか、彼はただ一言『敵の動きを引っ掻き回して陽動の役割を果たさせるのに、最適な人材だから』と。
確かに、世界浄化派の君への食い付きっぷりは見事だった。あまりにも簡単に連れ込むから、こちらは拍子抜けしてしまったよ」
どうやら知らないうちに、ユーリは釣りのエサとして使われていたらしい。
み、ミチェル……私が奴にいったい何をしたと!?
わなわなと震えるユーリに構わず、ゴンサレスはカルロスに向き直った。
「さて、カルロス」
「はい」
「分かっているとは思うが、少なくとも世界浄化派の黒砂は、まだホセだけでなくこのバーデュロイ国内に潜伏している」
「はい」
ゴンサレスの話に耳を傾けるカルロスの姿は神妙であり、これから告げられる言葉を既に承知しているようでもあった。
「これまで、危ういバランスの上に表面上は均衡が保たれていたザナダシアとの関係だが、近年雲行きが怪しくなりつつある。
となれば、ホセの口を封じた諜報員、突き止めねば今後は何をしでかすか分かったものではない」
「……ザナダシアが武力行使に出る、その口実を与えかねないと?」
「さてな」
カルロスの両目がスッと眇められるが、ゴンサレスははぐらかすように断定は避け濁した。
「王都での黒砂の活動拠点。
ゲッテャトール子爵本人の預かり知らぬまま、浄化派の暴走集団が過激な策を練っていた可能性が高いと、私は見ている」
何故、ゴンサレスがゲッテャトール子爵が世界浄化派に賛同していた事を……と、ユーリの脳裏に疑問が過ぎったのも一瞬。あの事件は、まんまとネコ命女装変態野郎の手のひらの上で転がされていたのだろうか。
きっとゴンサレスとミチェルは、危険を承知の上でユーリを勝手に囮にしたに違いない。
「しかし、子爵は既に捕らえられ、屋敷も王都治安部隊の捜索が入ったはずですが」
「社交シーズンの今、普段は離れた領地に住む貴族達も、社交に紛れ密会を重ねやすい」
「まさか……もとより、ゲッテャトール子爵が捕らえられる事は予め計画の一端で、水面下でザナダシアの計略は進行していると?」
「そうとも考えられる。練りに練った策を一つ用意するよりは、簡単な策を幾つもバラまく方が結果的に功を奏する事もある」
よって、と、ゴンサレスはテーブルにつく面々を見回した。
カルロスとセリア、ユーリの緊張して強張った表情をゴンサレスの感情の全く籠もっていない眼差しが緩やかに滑ってゆき、最後に我関せずであむあむとサラダの葉物野菜を咀嚼しているシャルの上で止まった。それでもシャルはマイペースに口の中のものを嚥下し、再びフォークをサラダに突き刺して葉物野菜を口に運ぶ。あむあむ。
しばしそのまま眺めていたゴンサレスの方が、諦めたのか根負けしたのか呆れたのか、シャルから視線を逸らした。
「カルロス、閣下からの要請は、引き続きユーリを情報収集に当たらせるように、との事だ」
「ですが、うちのネコにはその手の心得はなく……」
「問題無い。数日間ネコとして屋敷内を徘徊している姿を私も観察していたが、狙い澄ましたようにホセを幾度も挑発し、住人に全く警戒心を抱かせる事なく溶け込み、重要度の高い情報を持ち得る相手を選別する。
その手腕は素人である事を踏まえても及第点だ。
むしろ、熟練者であれば相手から警戒されるだろう。いかにも素人娘丸出しであればあるほど良い」
……主。私これ、ゴンサレスさんから誉められてるんですか?
“……恐らくは”
ホセを挑発した覚えなど全く無いユーリとしては、ゴンサレスは彼女を買い被っているのではないか、と心配になってくる。
「とはいえ、社交場を探るにはネコ姿では潜り込むのに不都合な点も多いだろう。
よって、ユーリ……いや、カルロスの希望ではティカ、だったか?
君には表向き、パヴォド伯爵家での行儀見習いとして勤めてもらう」
「は……?」
行儀見習い。
それは、豪商や豪農などの良家の子女が作法に厳しい高貴な家に奉公し、淑女としての立ち振る舞いや嗜み、及び知識や技能を得る。主に花嫁修行としての家事見習いであり、主家に良縁を斡旋してもらう目的もある。
パヴォド伯爵家の女主人は、元公爵姫のレディ・フィデリア。それは確かに、上流階級でも通用する作法を教えて下さる事だろう。
「これは既に閣下の下された、決定事項である」
つまりはこういう事だろうか。
『偉大なりし異世界の魔法使いカルロス様の、第二の使い魔ユーリ(本性人間/擬態種族ネコ)は、使い魔から借りてきたネコを経てランクアップし、このたびパヴォド伯爵家のメイドさんになりました、まる』