闇の中で
私は、とある会社のホームページ管理の仕事をやっている。気楽な社風の会社で、更新される記事の中には、一部娯楽を意識したものが含まれている。会社としてそれで良いのかどうかは別問題として、個人的には好きな風潮だ。
その記事の内容は節操がなく、社員旅行が近付けば、観光スポットやグルメの話題になり、冬になればウインター・スポーツが取り上げられ、夏には幽霊目撃談や怪談が載ったりした。
私の仕事はホームページ管理だから、本来は記事まで書くはずはないのだが、会社もコストをそれほどかけられない。それで私は、そういった記事の一部も担当していた。
ある時に“幽霊”が、その趣味の欄のテーマになった。ただし、それは切っ掛けに過ぎず、そこから、幽霊が存在するかどうかの話に拡がり、それから更にその科学的根拠を求める方向へ話題は移っていった。何人かの記事を担当している人間が、議論のようなものをし始めてしまったのだ。ただし、私はそれに関わらなかったのだけど。
議論は半ば泥沼化していて“存在すると言うのなら、その科学的根拠を示せ”と存在否定派がやると、今度は逆に存在肯定派が“存在しないというのなら、その科学的根拠を示せ”と返し、決着の付かない状態になってしまっていた。
その話題に皆が飽き始めていた事もあったし、雰囲気も悪い。当然、そろそろ話題を切り替えたいタイミングになった。そして、その為の幽霊存在議論を締める役割が私に回って来てしまったのだ。議論に参加していなかった私になら、双方に気を遣った巧い終わらせ方ができるだろう、という事らしい。ホームページ管理が仕事なら、それくらいやれ、というのが上の言い分だったが、私にしてみれば、都合の良い話だ。勝手に熱くなっておいて、面倒になってからこっちに押し付けられても困る。しかも、記事を書く事は本来の私の仕事ですらないのだ。
だけど、私には書く為のネタがない訳でもなかった。
俗に言う「悪魔の証明」の問題。今回の議論は、恐らくそれに当たると思ったのだ。
断っておくけど、これは別にオカルト用語ではない。「ないことの証明」が非常に難しい事を表現したものだ。例えば、
“幽霊が存在する”
これは一体でも幽霊を発見できれば、証明する事が可能だ。しかし、
“幽霊は存在しない”
これはこの世の全ての場所を、あらゆる観測方法を用いて探索し、いない事を証明しなければいけないので、事実上証明する事ができない。
こういったような「いない事」の証明が不可能なものを「悪魔の証明」と呼ぶらしい。
つまり、反証ができないのだ。
これは実は重要な意味を持つ。科学の「反証主義」という考え方と関係してくるからだ。私はこの話を突破口にして、なんとか記事を書くことにした。
まともに存在するかどうかを考えるのなら、多分私は“存在しない”方に賛成してしまうだろうと思う。でも、双方を治める為にはそれではいけない。“幽霊が存在しない”という事は証明できないから、存在すると主張する人達を納得させられるような明確な結論なんか提示できない。でも、今回この人達は科学にまで話を拡げている。なら、やりようはあると思ったのだ。
私はこのような記事を書いた。
(省略)……科学的根拠を示す、という事はその前に科学的とは何かを知らなくてはならないはずです。
ところが“科学的”という言葉はよく使われる言葉であるにも拘らず、明確な定義が存在しません。
ただし、いくつも提案がされていますし、中にはその価値を認められているものも存在するのです。
その中の一つに“反証主義”というものがあります。これは反証が可能かどうかに注目をして、それを科学非科学の基準にしようというものです。
反証が不可能なものは、科学とは呼ばないようにしよう… つまり、科学では扱えないという事です。
では、どうして反証できないといけないのでしょうか?
それには“生き残り”の発想が関係しています。経験科学は、完全に正しさを証明する事ができません。何故なら、幾らでも隠れた情報が存在する可能性は有り、また得られた情報が完全に正しいかどうかの証明も不可能だからです。しかし、完全には証明できなくても、“確からしい”とは言えるはずです。少なくともある程度の証拠があるものは、そう呼んでしまっても問題ないはず。ただし、だからと言って、何でもかんでも“確からしい”とする訳にはいきません。それが、検討の対象になっていなければ、或いは検討結果が無視されるのであれば、理論が反駁されずに存在し続けているのは当然の話でしょう。つまり、それを“確からしい”とする為には、反証できるという性質が必要なのです。
では、ここで議題に上がっている“幽霊の存在”は反証可能でしょうか?
実は、これは不可能なのです。この世のあらゆる場所を探索するのは不可能ですし、これから先、幽霊を観測する原理が発見されないという事も証明ができない。
つまり、“反証主義”を当て嵌めた場合、“幽霊の存在”は科学では扱えないのです。ただし、それは真実かどうかといった点とは関係がありません。ただ、単に“科学では扱えない”というだけです。
私達は真実を追究するのが科学だと思ってしまっていますが、実は必ずしもそうではないようなのです。例えば、“道具主義”という考え方があります。これは理論を道具として捉える発想で、やはり真実かどうかは意味がありません。
真実がどうであるのか決定できない問題というのはこの世の中にたくさんあります。そして、そういった問題は曖昧に認識しておくしかない。真実は闇の中。それは決して観る事ができない。人は、不確定性を恐れる動物です。だから不確定なものを目の前にすると、何とか無理にでもそれを決定しようとする。しかし、無闇にそれをやってしまうと、適切に事物を見られなくなってしまうのです。物事を曖昧に認識できるようになるというのは、世の中を見る上で重要な能力の一つなのだそうです。
この“幽霊の存在”の問題は、世の中にある真実を決定できない他の数多くの問題と同じ様に曖昧に認識をするしかないのじゃないか、少なくとも私はそう思います。
正直、双方が納得するように上手く書けたかどうかは自信がなかった。ペダントリーによって、無理矢理に煙に巻いただけでスマートな終わらせ方ではなかったと思う。ただし、それでもこの記事に対する反論は出なかった。少なくとも、記事を更新できる権限を持った人達は、議論を治める気になってくれたという事だろう。
この記事で、私は少しだけ上司に褒められてしまった。もちろん、お世辞だとは思うが『君が、こんな知識を持っているなんて知らなかった』と感心した風に言われたのだ。私は別に深い知識を持っている訳ではない。こんなのは、本やネットでいくらでも簡単に調べられる類のものだ。
それからしばらく経ったある日、私に奇妙な電話がかかってきた。受話器を取ると、しばらくは無言。その後で、こんな声が、
『……あなたは、幽霊の存在を信じていますか?』
何の事だろう、と思った。少し躊躇したけど私は『どちらでもありません。正直、分からないのです』と答えた。
無難な返答をしたつもりだったが、その後で自分の書いた記事を思い出した。もしかしたら、あの記事を読んで電話をかけてきた人かもしれない。でも、どうやって電話番号を知ったのだろう?
再び無言が続く。そして、その後で『……僕は、あなたを護ろうと思います』と、ただそれだけを言ってその電話は切れた。
護る? 私を?
何の事だか分からなかったが、直ぐに不安になった。もしかしたら、会社から個人情報が漏れているのかもしれない。記事の内容を読んだ誰かが、それで番号を知って私に電話をかけてきたのだ。社外でなくても、社内の可能性もある。
翌日、事務の人間に質問してみたが、情報が漏洩したような話は聞かないという話だった。
「ストーカーじゃないですか? 何かそんな感じがするじゃないですか。“あなたを護ろうと思います”って、自宅の近くをうろつくって事かもしれませんよ」
事情を説明すると、冗談まじりにそう言われてしまった。
ストーカー。
正直、そんな心当たりもない。
私は少々田舎に住んでいる。つい最近、引っ越したのだ。自宅の近くにいるのなら、陽の出ている内なら、見晴らしが良いから直ぐに気付くだろうと思うし、街灯すらわずかしかない暗い場所で、夜中に根気良く見守り続ける人間がいるとも思えない。もっとも、世の中には信じられないような事をする人間がいるにはいるが。
“護る”
護るというからには、私に何かしら危機が迫っているという事になるのだろうか。否、そうとも限らないか。ただ、もしそうだったとしても、もちろんそんな心当たりもなかった。
(なかったのだけど)。
私がその田舎に引っ越した理由は二点ほどある。まず一点目は、その借家の家賃がとても安かった事だ。二点目は、交通事情。この場所からだと、最寄り駅から電車一本で職場まで寝ていけるのだ。駅までは少々遠かったが、それでも自転車で充分に行ける距離だった。
家賃の安さは少し気になったが、治安が悪いとか、近所に嫌な噂があるという訳でもなさそうだった。問題はないと私は思っていた。
ストーカーじゃないかと言われた事が気になって、私はその日の夜、窓の外を覗いてみた。真っ暗闇。田舎の灯りの少ない夜は、本当に何も見えない。そんなにしっかりと夜の景色を凝視したのは初めてだった。今まで、大して気にしてはいなかったが、もし、この闇の中に誰かが……、或いは“何か”が紛れていたら、とても気付けはしないだろうとそう思った。
闇。視界のほとんどを埋め尽くすその黒を見ている内、私は自分が闇の中のその先を覗こうとしているのではなく、闇そのものを見ようとしているのではないかと思い始めてしまった。
どうしてなのかは分からない。
何故か、闇が生きているかのように思えてしまったのだ。闇は、光が存在しない状態などではなく、それ自体で実体を持っている。そして、その実体を持った闇が、私を呼んでいる。
(闇に惹かれる)
その時だった。
「ワン!」
犬の泣き言がした。見ると、暗闇の中に白い犬の微かな影が浮かんでいた。白が部屋の光を反射しているお陰で、多分見る事ができたのだろう。初めて見る犬だった。ここら辺りには、野犬がいるというから、恐らくその内の一匹だろうと私は思った。
何にせよ、見えない事で初めて実体を持てる闇は、その白い犬の存在によって、打ち破られてしまったのだ。もう私の目の前に広がる闇は、闇であって闇ではない。
犬に咆えられた事など、ここへ引っ越して来てから初めてだった。少し目を話すと、犬の姿は既に消えていた。一瞬の間の後で、もしかしたら、今私は危なかったのだろうか、とそう思った。なら、私は護られたという事になるのだろうか。
もちろん、それは馬鹿馬鹿しい妄想なのだろう。闇に魅せられていたのは事実だが、犬に咆えられたのは偶然だ。長い時間、窓の近くに立った事などなかったのだし、実は確率的にそれほど低くはないのかもしれない。あの電話だってきっと、単なる悪戯電話だったのだろう。そう思う事にした。
それから数日後、食堂で昼食を取っていると、いきなり女性社員に話しかけられた。何度か顔を見た事はあったが、話した事のない人だったので私は少し驚いてしまった。
「こんにちは。ここ、いいかしら?」
そう言うと、その女性社員は私の目の前の席に座った。そのまま弁当でも出すのかと思ったが、弁当の代わりにその女性社員はトランプを取り出して切り始めた。私が不思議に思って見つめていると、その人はこう言って来た。
「私、篠崎っていうの、あなたはホームページの管理をやっている人でしょう? 仕事は大変?」
なかなか無礼な態度だと思ったが、私はそれを顔に出さないように努めつつ、冷静にこう返した。
「忙しい時期もありますが、今はそれほどでもありません。ただ、ホームページの管理の延長で、社歴の作成や情報のデータベース化なども行っているので、完全に暇になる事はまずありませんが」
それを聞き終わると、その篠崎さんは「ふむ」と言い、それから、
「そんなに堅くならないで、ちょっとした世間話をしに来ただけなんだから」
と、そう言って、さっきまで切っていたトランプを並べ始めた。
「何を、やっているのですか?」
と私が尋ねると、篠崎さんは、「占いよ」と一言だけそう返した。何の占いなのかも、誰を占っているのかも言わなかった。トランプを並べながら、篠崎さんはこんな事を私に言ってきた。
「あなたの論文、面白かったわ。ああいうの、何処で勉強しているの?」
「論文?」
「ほら、会社のホームページに載せたやつ。“幽霊の存在”について。あれ、あなたが書いたのでしょう?」
それを聞いて、私はまたあれ絡みかと多少うんざりした気分になった。
「確かに私が書きましたけど、あれはほとんど一般論で、少し調べれば誰にでも書けるようなものなんですよ?」
謙遜というよりは、単に面倒くさくなって私はそう説明した。すると、篠崎さんはこう返してきた。
「そうなの? それはびっくりだわ。だって、少なくとも私はああいうの一回も読んだ事がないもの」
その時、そう言った篠崎さんの目が少しだけ真剣になった気がした。私は少し嫌な予感を覚える。
もしかしたら、私が書いたあれに反論があるのかもしれない。それで私は、恐る恐るこう訊いてみた。
「幽霊、信じているのですか?」
それを聞くと、篠崎さんはニッコリと笑った。
「信じているかいないかで言えば、“信じている”ね。でも、多分、あなたが尋ねたのとは別のニュアンスで。
その“信じている”が自然科学的な意味になるのなら、多分、私は信じていないと答えるけど」
篠崎さんは、視線をトランプに向けたままでそう答えた。私は不思議に思う。
別のニュアンス?
「“信じている”に、他にどんな意味があるというのですか?」
続けて、私はそう訊いた。すると、篠崎さんはこう答えたのだ。
「社会科学的な意味」
社会科学…、
「それって、文化として存在しているって事ですか?」
「ちょっと違うかもしれないけど、それで分かり易いっていうのなら、そう理解してもらってもいいわ」
私はその返答に少し戸惑った。それでこんな反応をしてしまったのだ。
「そりゃ、文化としてなら、確かに存在していますけども……」
すると篠崎さんは、その私の反応を見て確信したのか、私が言い終わるかどうかのタイミングでこう口を挟んできた。
「納得いかないって感じね。……あなた、幽霊の存在を、本当は信じていないでしょう?」
心中を見抜かれて、私は思わず言葉を止めてしまった。ばつの悪い思いが、膨らんでくるのを感じる。どうも、篠崎さんにペースを握られてしまっているようだ。
「あなたみたいなタイプの人には、社会的に幽霊は実在しているって言っても納得をしてもらえないのかもしれないけど、もう少し深く考えてみてね。
例えば、“法律”や“通貨”とかは、自然科学的には存在していないわ。でも、社会的には存在している。“存在を決定している”と表現してもいいかもしれない。そして、それは社会を機能させる為に役に立っている。幽霊って存在も、恐らくはこれと同じ様なものだと私は思っているのよね」
そう言い終ると、篠崎さんは「よっ」と言ってトランプを一枚ひっくり返した。どうやら占いは継続中のようだ。私はその説明に反論をしてみた。
「でも、“法律”や“通貨”は、社会制度上に存在しているものだって皆が認識しています。幽霊は、そうじゃないじゃないですか。自然科学的な概念だと思われている。同じものとして扱うのは無理があると思います」
「そうかしら? 私はそうは思わないけど。例えば、“宗教”。宗教は社会制度上重要なものだけど、神様だとか霊だとかをあたかも自然科学的に存在しているかのように扱うでしょう? その存在を信じていない人すら。先祖の霊を大切にとか、お墓参りとか。そして、それが社会的に役に立っている。具体的な例を挙げると、シャーマン的存在の人がプラシーボ効果や催眠で病気を治療したり、人間関係を修復したり。
これは“霊”が存在すると想定した上でしか得られない効果だわ。もっとも、利点ばかりがある訳じゃないのだけど。それを利用した詐欺とかね。ただし、どちらにしろ、それは社会制度からは切り離せない。霊以外にも、動物愛護なんかは自然科学上のものなのか、社会科学上のものなのか判断が曖昧になる…… 境界線が曖昧ではっきり分けられないものって多いのじゃないかと私は思うの。だから、“幽霊”が社会的に実在しているっていうのは間違っていないと思う……」
その説明を聞いて、私は何も言い返せなくなってしまった。そういった点から、幽霊の存在を考えた事はなかった。確かに、そういった捉え方もあるのかもしれない。
続けて篠崎さんは言った。
「更に言っちゃうとね。今の話を踏まえた上で、個人が霊の存在を信じるってのはアリだと私は思うの。それを社会に押し付けさえしなければ。文化相対主義に則っても認められるべきものだと思う。自分の中では信じていて確かに存在しているけど、自然科学的には“分からない”と答えるスタンス。個人的には、私はそういうのが好きだな」
私が黙っているのを気にしたのか、それを言い終えると、篠崎さんはこう言った。
「ごめんなさいね。一方的に喋っちゃって。実は、あなたの論文を読んで私、感心しちゃったのよ。でも、同時に少し悔しくもなっちゃって。自分の考えもあなたに披露してみたくなったの。子供なのね、きっと」
その時の篠崎さんの表情は、なんだか優しそうに思えた。それから、またトランプを一枚ひっくり返す。
そして、こんな事を言ったのだった。
「闇に気を付けろ」
え?
私は、その言葉に驚いてしまった。私の驚いた表情を見てか、篠崎さんはこう説明した。
「お詫びになるかどうかは分からないけど、あなたのコトを占ってたの。信じるかどうかはあなた次第だけど。ま、覚えておいて」
笑っている。
こんな説明の後に占いとは、少し意地が悪い。一体、それをどう捉えればいいというのだ。私は一応、「ありがとうございます」とそう答えた。もちろん、そう答えながら、数日前の自分の体験を思い出していた。闇に誘われたような感覚を覚えたあの体験を。篠崎さんはそれから席を立つと、去り際にこんな事を言った。
「少しだけ、羨ましいかも」
何の事なのかは分からなかったが。
帰り道。駅に着いて、自宅までの道を自転車で進みながら、私は篠崎さんと、篠崎さんの忠告について考えていた。
“闇に気を付けろ”
遅い時刻になっていたから、辺りは既に暗くなっていた。街灯が少ないので、自転車のライトがなければ、真っ直ぐに進んでいるかどうかすら分からなそうだった。
闇。闇なら、辺りに充満している。気を付けろと言われても、キリがなさそうだ。そう思ったその時、不意に自転車のライトの調子がおかしくなり始めた。明滅して、やがて少しずつ頼りなくなっていった。
嘘…… と思ったが、それから本当にライトは光を失ってしまった。辺りを闇が包み込む。しまった、と私は思った。予備のライトを用意しておくべきだった。頼るべき灯りがなくなった事で、急速に私は不安になり軽いパニックに陥った。もっとも、本当に帰る方向が分からない訳じゃない。そんなに不安になるような事でもないのだけど。
落ち着け 落ち着け
と、私は繰り返した。闇が目に刺さり、本当に私は痛みを覚えた。視界の急速な変化に目がついていけてないだけだとは分かっていたが、それでもそれは、私の中の恐怖感を加速させた。私は、自転車を真っ直ぐに進められなくなり、停車させてしまった。その時に背後から、物音が聞こえた。
カッカッカッ
爪でコンクリート道路を蹴る足音。私は背筋に冷たいものを感じた。
何かが来る。
慌てて自転車を再び漕ぎ始めようとしたが、混乱していて上手くいかない。後から迫る足音はどんどんと大きくなっていった。直ぐ近く。
「ワォーン!」
犬の咆える声が聞こえた。
私のすぐ横を足音が通り過ぎて行く。そのまま足音は真っ直ぐに夜道を遠ざかっていった。
そして。
それが終わると、自転車のライトが再び点灯をしたのだった。街灯に照らされて一瞬だけ見えた夜道を駆け抜ける犬は、白い色をしていたように思えた。
……相関関係と因果関係は違う、という話がある。人間はこの二つを混同し易く、それは勘違いの原因にもなる。相関関係とは、何かと何かが関係あるという事しか指し示してはいない。それだけのものだ。因果関係とは全くの別物である。更に言うのなら、統計的に優位な数値が出ない限り、本当に関係があるのかといった事も疑わしくなる。
例えば薬の効果だ。
誰かが薬を飲み、病気が治ったとしよう。しかし、だからといってそれで短絡的に薬が原因で病気が治ったとしてはいけない。病気が治ったのは偶然かもしれないし、プラシーボ効果かもしれない。この場合、薬と病気の回復の間には、相関関係すらない事になる。また、相関関係があった場合でも、直接的に効果があったとは限らない。その薬の効果は発汗を促すだけで、それが結果的に病気の治療に役立ったのかもしれない。もしそうならば、その薬が発汗を促さない状況下では、効果はない事になる。
科学においても、これを認識しておく事はとても重要だ。極論を言ってしまえば全ての情報は相関関係を示すものでしかない。便宜上、因果関係を示すと言ってしまって良いデータもあるにはあるが、それでも限界はある。特に生物学の範疇では、得られるデータは相関関係しか示してはいないと認識しておくべきだろう。そうじゃなければ、間違いを犯してしまう。
闇と、白い犬。
つまりは、今回のこの二つにも相関関係があるように思えるだけなのだ。本当に相関関係があるかは分からないし、あったとしても意味のないものかもしれない。
人はこういった現実を目の前にすると、そこに因果関係を見出したがるが、それは幻なのだ。特に、今回のように再現実験が不可能な例では、事実は闇の中だ。それは決して観る事ができない。
(でも)。
篠崎さんの言葉がある。
理論的には、今まで述べてきた事は正しい。でも、それとは別の所で、私はその中に不思議を認めてもいいような気がしていた。
……休日に、家の近くで近所の人に白い犬を知らないかと質問をしてみた。あの白い犬の正体を知りたかったのだ。農家のおばさんだったのだが、そのおばさんはそんな犬は知らないとそう答え、更に少し変な目で私を見た。不審に思われたのかと考え、「何度か見ているので、何処かの犬なのかと思いまして」と言うと、今度はやや心配そうな顔になってこう尋ねてきた。
「あなた、あの家にいて、何もないかい?」
何の事だか分からなかったので、詳しく聞いてみると、何でもあの家に住む人には、いつも何かしら不幸があるのだという。悲惨な事故という程でもないが、それでいつの間にかに引っ越しているのだとか。どこまで本当かは分からないが、少し不気味に思った。もしかしたら、それで家賃が安かったのかもしれない。
「変な事を訊いて来るものだから、少し心配になっちゃってさ」
と、そのおばさんは最後にそう付け足した。
“何かしらの不幸”
私はその言葉と闇との相関関係を思った。もし、あの闇が私にそれをもたらそうとしているのだとしたら……。
その晩、変な夢を見た。
私は自転車に乗っていて、闇に追われているのだ。闇はとても速く、私は簡単に追いつかれてしまう。闇に囲まれた私は、その中でパニックに陥った。しかし、その時に誰かが私を助けに来てくれた。初め、その誰かは白い犬のように思えた。でも、直ぐにそれは男の人の姿になっていた。白くて、その姿ははっきりと見る事はできなかったけど。その男の人が闇を追い払うと、私の自転車のライトが灯った。それで私は、これは先日のあの出来事なのだと悟った。いや、その時に初めてそうなったのかもしれない。
夢の最後に、男の人は私に向かってこう言った。
『闇は何処にでもいます。気を付けて』
闇は何処にでもいる……。でも、あなたは?
夢の中で、私は手を伸ばそうとしていたように思う。
そして、その事件が起こった。
……それが起こったのは、本屋を歩いている時だった。仕事の帰りに、なんとなく立ち寄ったのだ。別に何か目的がある訳じゃなかった。
それは何の前触れもなく、突然に起こった。ふと何かに呼ばれたような気がして振り返ると、いきなり視界が遮断されてしまった。徐々に光を失ったのではなく、目の前の光景が一瞬で全て消え去ってしまったのだ。
もちろん、私は混乱した。
え? え?
耳はそのまま何の問題もなく聞こえていた。ただ視界だけが全て闇になった。あまりに自然にその状態になったので、私はその異変をしばらく正確に把握できなかった。
目が見えなくなっている。
その事実を受け止めると、改めて私はパニックに陥った。
どうすればいい? 誰かに助けを?
しかし、目が見えないので、誰かに助けを求めようにも周囲にどんな人がいるのかも分からない。
形振り構わず、大声で助けを呼ぶべきだろうか? それとも、もう少し様子を見て、自然に視覚が回復するのを待つべきだろうか?
私は混乱し、恐怖で涙が浮かび上がってくるのを感じた。
『闇は何処にでもいます。気を付けて』
私は、夢の中であの人が言ったその言葉を思い出していた。闇は何処にでもいる……。でも、あなたは? 私は心の中でそう叫んだ。その時だった。白い影が、遠くの方に見えた気がした。真っ暗闇の中に浮かんでいる。その白い影は徐々に大きくなっているように思えた。闇の中を進み、私を目指しているように思える。
近付いて来ると、その白い影は男の人の姿をしているのが分かった。何故か、その男の人の周囲だけわずかに視界が蘇り、本棚や人やらが見える。男の人は、それらを避けながら真っ直ぐに私を目指しているようだった。
私は男の人が近付いて来る間中、じっと動かすその光景を凝視していた。直ぐ傍にまで来ると、白に包まれて表情が見えた。優しい顔をしている。
男の人は、黙ったまま手を差し伸べてきた。私も何も言わずに、その手を握る。大きく頷くと、男の人は進み始めた。手を握って、私を導いてくれている。
何処へ?
心の中で私は問いかけた。すると、こう返答があった。
『安全な場所まで、あなたを連れて行きます』
その響き方は不思議で、音として響いたものなのか、それとも私の心の中に直に届いた声なのか分からなかった。
普通なら、闇の中で見ず知らずの他人に手を引かれている状況下では不安を感じるものなのだろう。しかし、その時の私は何も不安に思っていなかった。この人は、見ず知らずの他人なんかじゃない。何故か、そう思っていた。多分、私はこの人に何度も助けられている。
男の人の周囲の光景がわずかに見えているのと、音が正常に耳に入ってくるのとで、私は自分が駅に向かっている事を、なんとなく察した。
人が徐々に多くなってきているようだった。気付くと、男の人の周囲以外の場所も、徐々に明瞭になってきている。駅の構内に入ったのが分かった。視界が、更に明瞭になってくる。そして、その反対に男の人の姿は徐々に薄くなっていった。
不意に、男の人は立ち止まった。そして、振り返ると言う。
『ここまで来れば、もう大丈夫です。今回は、危なかった』
それは相変わらずに、存在しているのかいないのか分からないような不思議な響き方をする声だった。
私は何も言えず、ただ頷いた。私が頷くと、男の人は私を抱きしめてきた。自然な流れで。
『申し訳ありません。後もう少しで、あなたを護り切れなかったかもしれない。もう、あなたはあの家を離れた方が良いかもしれない』
どうして?
と、私がそう問うと男の人はただにっこりと笑った。そして、そのまますぅっと消えていった。消え入る刹那に『寂しいですけどね』と、そんな言葉を残して。
男の人が消えると同時に、私の視界は完全に元通りになった。
数日後、私は男の人の忠告に従って、引っ越しを決めた。引っ越してからは、何も不思議な出来事は起こっていない。相関関係。もちろん、本当にそれが関係を持っているのかどうかは証明ができない。
篠崎さんと偶然に食堂で会った。今度は、普通に弁当を食べていた。いい機会だと思ったので、私は前に言われた占いの意味を尋ねてみた。すると、篠崎さんはやや驚いたような声を上げ、「どうしたの?今更」と、そう言った。
どうしようかと迷ったが、私は正直に最近起こった一連の出来事を話してみた。篠崎さんはそれを興味深そうに聞き終えると、「面白い話ね。何だったのかしら。目の方は、大丈夫だったの? 病院には行ったのでしょう?」とやや興奮した様子で尋ねてきた。
「目の方に、異常は何もありませんでした。疲れからおかしくなったのかもしれない、とそう言われましたよ。つまりは、原因不明です」
それを聞くと、篠崎さんはにやりと笑った。
「なるほど。それであなたは“説明”を、私の占い結果に求めてきたのね。でも、ごめんなさい。実は、あの占い、出鱈目なの」
「出鱈目?」
「そう。占った振りをしてみただけ」
私はその言葉に驚いた。
「じゃ、あの言葉の意味は? 闇って?」
「闇はあなたの論文に書いてあったから、思い付いたのよ。理論的に考えると、世の中は実は分からない事だらけ。それをそのまま受け入れるってのは、闇の中で生きているようなものじゃないかと思ったのね。あなたはそんな人なのじゃないかと思って、そう言ってみたの。闇に気を付けろ。人は弱いものだから、それに負けてしまうかもしれない」
「“羨ましい”と言ったのは?」
「そういう生き方ができる強さは、羨ましいと思ったのよ」
私はそれを聞いても納得ができなかった。そんな私の様子を、篠崎さんは面白そうに見つめつつこう言ってきた。
「ねぇ、さっきは“占った振りをしただけ”なんて言ったけど、実はそうでもないのよ。占いって要は気分の問題でもあるから。それっぽいシチュエーションを用意して、それなりに的確なアドバイスをする。あれはあれで一つの“占い”だったのね。
それとね、私の話を踏まえてくれれば、あなたは自分のその問題を乗り越えられる術を、一つ持っていると思うわよ」
もちろん、私はその意味を理解できた。
「あなたを護ってくれた男の人は、多分、あなたの中には存在しているのでしょう? はっきりと実体を持って」
私はそれを聞くと、少し照れた。そしてそれから大きく頷いた。
「人は未知の存在に、形を与え、人格を与え、なんとか分かろうと努力してきた。大自然をキャラクター化したりね。その対象と交信する術として呪術が生まれ、それは社会制度になり、文化にもなった。
それを愚かだと言う人もいるかもしれないけど、私は違うと思う。それは、闇に対する為の知恵の一つなのよ。人類の。
闇と対峙する為に、“霊”という存在を想定する。それを的確に活かすのは方法として優れているって、少なくとも私はそう思うわ」
私はそれを聞き終えると、人生という大きな闇の中で、少しの幻想を灯りとする事の意味と価値を想った。
――多分、あの男の人は、今もどこかで私を護ってくれている。