母上に言いつけると脅してくるので、あなたのお母様、後ろにいるわよ、と言いました。
この世はどうしようもない人間がいる。私の夫である。
周囲の努力むなしく、勝手に落ちていく人間がいる。私の夫である。
「帰った」
夫が昼過ぎに帰ってきた。出ていったのは昨日の夕方。朝帰りどころの騒ぎではない。
「おかえりなさい、ローラン。遅かったわね。心配したのよ」
定型文で迎え入れていいものか迷う時間である。しかし適切な表現を考えるのもめんどくさく、そのままいうとローランは鼻で笑った。
「付き合いってのがあるんだよ。お前にはわからないだろうがな」
カジノと酒が付き合いとは聞いて呆れる。昨夜は一体いくら溶かしただろうか。
「世の中には賢く美しい人がたくさんいるというのに、お前ときたらなんでそんなに……」
ローランが私のことを頭の悪い女と言って回っているのを知っている。なにかと誰かと比べて言ってくるが、そもそも、私が本当に頭の悪い女であれば、夫には無駄遣いができるお金などないはずだ。こいつは働いていないなのだから。
「こんなことで怒るなんて心が狭いな。母上が聞いたらどう思うか」
少しむっとした私を見て、夫がにやにやと笑っている。世の中の嫁姑問題をあちらこちらの飲みでしこたま聞いてきているこいつは、私が義母と仲が悪いと決めつけて、何かにつけてこういって脅してくるのだ。
「……どうぞ、ご説明なさったら?」
「強がるなって、黙っといてやるから」
私が答えると、へらへら笑って私の肩をたたき、そう言うのがいつもの流れだ。
しかし今日は違う。
「いえ、強がりではないわよ。あなた、よく言うじゃない。母上が聞いたらって。ぜひ説明した方がいいと思って、お呼びしてるのよ」
「は?」
「あなたのお母様、後ろにいるわよ」
私の言葉にローランが壊れたからくり人形のようにゆっくりと後ろを向く。
「そうね、私もじっくり聞きたいわぁ。愚息の言い分」
お義母様が口だけにっこりと笑って立っていた。
「あなた、こんな時間まで、何をしていたの?」
「え、あ、付き合いがあって」
「あなたの付き合いってなに? まさか同窓会じゃないわよね?」
「いや、そんな」
「そもそも、仕事してないんだから付き合いも何もないでしょう? え? なに、それとも。働き始めたのかしら? あなた、そんな能力ないって早々にあきらめて、婿入り先探してくれって泣きついてしたんでしょ? 屋敷主人ならがんばれそうって」
「う……」
「自分で言ったことすらやり通せなくて? しかも、なにかにつけて実家の力あてにして、中途半端に旦那気取り。いい御身分ね? ロザンナと私の仲が悪いとか決めつけてたのかしら? 勘違いも甚だしい」
コテンパンである。怒涛の勢いである。伯爵家の女主人の迫力は、代替わりしてなお、いまだ健在だ。
「あなた、グロリア子爵を支える婿である自覚がないのかしら? どうする? 家に帰ってくる?」
「いや……」
目が泳いでいる。顔も真っ青である。彼は外で働きたくない。絶対に。こいつは伯爵家三男の幼少期の自意識を捨てきれていない。
いつまでも子どもでいたい。私の夫でいれば一生ひもでいられる。ここを追い出されれば、彼は実家に戻り、否が応でも働かされる。そう思っているのは確かだ。
「いいわね。帰ったら?」
黙って聞いていた私が、そう言うと、ローランは死刑宣告を受けたかのような顔をしてこっちを見た。
「あなた、私のこと外で頭悪いとかブスだとかさんざん言ってるでしょ」
「え、あ、それは」
うろたえる姿が面白い。
「私のことも見たくないから、外で遊び歩いていたのよね。私たち離れた方がいいのかも」
「そんな、離婚は……」
すがるようなことを言う。こいつはこの期に及んで何を言っているのか。しかし、すがってくるなら好都合である。
あまりにも哀れで愚かな人間を前に、沸き起こる慈悲の心。私は心の底から優しい笑顔ができたと思う。
「……私も悪かったなと思っているのよ」
「え?」
「結婚してすぐは、あなたもしっかり屋敷の主人として働いてくれいていたもの。私も安心して任せきってしまった」
きっと不安だったわよね。そう言うと、ローランは目に涙をためて頷き始める。まぁ、しっかり覚えないといけないことにぶち当たったとたん計画的に逃げ出したのは知っている。
雰囲気に流されて泣けるのはこいつの才能だと思う。
「領地の管理って難しいもの。能力はあるのよ、あなた。だから、少し残念だったの。とても期待していて。悲しかった」
「ロザンナ……」
数字がらみにはめっぽう強かったのは事実だ。やればできるが、やらないからできない人間の典型である。要するに何もできないのだ。しおらしく期待していたと告げると、ローランの目が輝く。こいつはおだてれば木にも登っていくのだ。
ローランはこの歳になっても外からの言葉がけによる燃料投下をコンスタントにしないとやる気が持続しないタイプである。もう少し力が付けば自分で仕事のモチベーションを上げられる段階まで伸びると思っていたが、毎日おだてるのは当主の仕事も抱えた私には厳しい。
そのタイミングで伯爵家の代替わりがあった。彼の両親に時間ができたのだ。
――よし、親のすねをかじってもらおう。
相談と言って、話を持ち掛けたら思った以上に前のめりで真摯に聞いてくれて助かった。
「あなたは少し、外の世界を見た方がいいと思うの。大丈夫、あなたはできる人よ」
ローランの顔がやる気に満ち溢れていく。本当に、これが続けば楽なのだが。
「離婚はしないわ。別居ということにしましょう。あなたがご実家でしっかり働くことが身に付いたら、迎えにいくわ」
「……本当に?」
「えぇ、もちろん。手紙を書くわ。あなたも返事をしてよね?」
私には伯爵家との結婚は大きなメリットがあった。もとより、離婚する選択はないのだ。跡継ぎは弟の子と決まっている。子をつくる心配もない。
だから、彼の更生に時間がかかるのは私にとって問題ではない。
「あぁ、俺、頑張るよ」
本当に数分前に言っていたこと思い出してほしい。
「お義母様。お手数おかけしますが、よろしくお願いします」
荷物を馬車に詰め込んでローランも押し込んだ。お義母様に頭を下げると、お義母様も申し訳なさそうに頭を下げた。
「いえ、こちらこそ。捨て置かなくていいの?」
「えぇ、一度つながった縁ですから」
「親の私が言うのもなんだけど……あの子は難しい子よ」
「それは婚約の時に伺ってますよ。それを聞いて結婚したのは私です」
私がそう言うと、お義母様は頼もしい限りね、と微笑んだ。相性が良かったんですよと笑い返した。
「互いの発展のため尽力いたしますわ」
貴族的なあいさつで返し馬車を見送った。
それから半年、ローランとお義母様からは定期的に連絡が来ている。ローランは領内の事業の管理の手伝いや、街の警備の仕事をしているようだ。最近は屋敷の管理の仕事も教えてもらっていると生き生きとした文字で書いてあった。
お義母様には彼のやる気がなくなってくると教えてもらっていたが、最近その回数が減った。楽しそうに仕事をするようになったと手紙にも書いてあった。
――今度、会いに行こうかな。
そんな風に思っている時点で私も馬鹿な女である。
******
この世はどうしようもない人間がいる。私の夫である。
周囲の努力むなしく、勝手に落ちていく人間がいる。私の夫である。
この世にはどうしようもない人間をなんだかんだ好きになってしまう人間がいる。私である。
周囲の努力むなしく、勝手に落ちていく人間を勝手に拾い上げたくなる人間がいる。私である。
読んでいただきありがとうございました。
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