悪役令嬢の太鼓持ちAですが、お嬢様の悪行が足りないので私が全て演出しています
新作です。
「今日も世界一お美しいわ!」
「ヴィオラ様が歩いた後の空気まで、すごくいい匂いがしますの!」
学園の廊下に、耳障りな甲高い声が響いた。
声の主は、私の同僚である『太鼓持ちB』のベティと、『太鼓持ちC』のキャシーだ。
二人は我らが主君、公爵令嬢ヴィオラ様の両脇を固め、中身のない称賛を垂れ流している。
ダメだ、実に美しくない。
あんなものは素人仕事だ。
私、ソフィ・マルセルは最後尾を歩きながら、彼女たちを心の中で減点評価を下す。
まず、声のトーンが高すぎて品がない。あれでは周囲に「私たちは媚びていますのよ!」と、宣伝しているようなものだ。
次に、語彙力の欠如。「すごい」「美しい」の連呼は、言われている側もすぐに飽きてしまう。
真の『太鼓持ち』とは、単に褒めるのではなく、主君という『素材』をいかにプロデュースし、その価値を最大化させる『演出家』でなければならないのだ。
「ソフィ、貴女はどう思いまして?」
廊下の真ん中で立ち止まり、ヴィオラ様が振り返る。
輝くような金髪に、勝気な吊り目。黙っていれば絶世の美女だが、中身は「悪役令嬢になってチヤホヤされたい」という、承認欲求の塊のようなポンコツ令嬢だ。
私は音もなく半歩前に出ると、静かに囁く。
「美しいという言葉は、もはや陳腐です。ヴィオラ様が放つオーラは、例えるなら『冬の夜空を統べる氷の月』。誰もが触れたくてもその冷たさに指を焼かれる、孤高の支配者の風格がございます」
ヴィオラ様の背筋が震え、瞳が潤んだ。
「美しい」より、「支配者」、「孤高」と言われる方が、悪役令嬢志望の彼女のツボを突くことを、私は熟知している。
「ふふん。そうね、私ってやっぱり孤高よね」
「はい。ですが顎の角度が2度甘いです。威厳を持たせるには、まず顎を引き、扇子で口元を隠しつつ、視線だけで羽虫を射殺すような流し目が、今のトレンドです」
「こ、こうかしら?」
「完璧です。そのまま3秒キープです。……はい、そのまま歩き出してください」
私の指示通り、ヴィオラ様がポーズを決めながら、カツン、カツンとヒールを鳴らして歩き出す。
すれ違う男子生徒たちが、「おぉ……!」「今日のヴィオラ様は迫力があるな……」と道を譲っていく。
ただのワガママ娘が、演出一つで『カリスマ悪役令嬢』に化ける瞬間だ。
その背中を見つめながら、私は眼鏡の位置を直し、心の中で「よし」と呟く。
これこそが、私の飯の種である。
私はしがない貧乏子爵家の長女。
実家の莫大な借金を返済するため、この学園で、ヴィオラ様の『筆頭太鼓持ち』として、プロのヨイショ仕事に徹している。
◇
その日の昼休み、事件は起きた。
食堂へ向かう途中、向こうからドタバタと走ってくる女子生徒がいた。
特待生の平民、マリアベル・ミラセーヌだ。
ピンク色の髪を揺らし、いかにも「私、急いでます!」という、ドジっ子アピールで突っ込んでくる。
「きゃっ!」
案の定、マリアベルは何もない平坦な床でつまずき、ヴィオラ様の目前へ盛大に転倒した。
私たちの足元まで滑り込んでくるマリアベル。
さあ、マリアベルよ、どう動く?
私は瞬時に周囲の状況を確認する。
ギャラリー(生徒)多数。
ここでどう振る舞うかで、今週のヴィオラ様の株価が決まる。
「ご、ごめんなさい……」
マリアベルが涙目で上目遣いをする。
ここで動いてしまったのは、三流の太鼓持ちたちだった。
「ちょっと! お嬢様の通り道を塞ぐなんて、何様のつもり!?」
ベティが甲高い声で吠えた。
「そうよ! 貴方如きの貧乏人が謝って済むとでも思っているのかしら!?」
キャシーが追随してマリアベルを囲む。
最悪だ……。0点どころか、マイナス100点。
相手は平民の特待生。公爵家の権威を笠に着て、寄ってたかって怒鳴り散らせば、こちらは単なる『品のないいじめっ子集団』に映る。
そこに『悪の美学』はない。
ヴィオラ様も、二人の安っぽい煽りにつられて感情的になりかけている。
「そうですわ! 貴女、わたくしに恥をかかせようとして――」
ヴィオラ様が扇子を振り上げた瞬間、私は音もなく強制的に制止させる。
「お嬢様、ステイです」
「な、何よ? 今、私は悪役っぽく怒るところなのよ?」
「ここで大声を上げては三流の悪党です」
私は冷静沈着な声で、ヴィオラ様の自尊心をくすぐるように諭す。
「見てください、あの平民の目を。彼女は今、ヴィオラ様に罵倒されることを期待しています。そうすれば、『公爵令嬢にいじめられた可哀想なヒロイン』として周囲の同情を独占できるからです。ベティさんとキャシーさんは、まんまとその策にハマり、彼女の引き立て役に成り下がりました」
「ということは……私が平民の引き立て役になってたかもしれないってこと……?」
「そうです」
私は即答した。
ヴィオラ様の顔色が変わり、怒りの矛先が『無礼』から『自身のプライド』へと変わる。
「それなら、どうすればいいのよ? このまま許すのも悪役の名折れよ?」
「許すのではありません。認知しないのです。道端の石ころに腹を立てて説教する女神はいません。無視して通り過ぎるのが、今のトレンドである『氷の女王』スタイルです」
ヴィオラ様はゴクリと喉を鳴らした。
私の脚本を気に入ってくれたようだ。
彼女は振り上げかけた扇子を優雅に開き、口元を隠す。
そして足元で震えているマリアベルを、まるで空気であるかのように素通りしていく。
ここだ、今が演出の入れ時だ。
私はポケットに忍ばせていた『乾燥させた薔薇の花弁』を一つまみ取り出し、風向きを計算して空中に散布する。
さらに同時に、背後のベティとキャシーに目配せをし、窓のカーテンを少しだけ開けさせる。
パァッと差し込む陽光。
舞い散る薔薇の花弁。
その中を冷然と歩き去るヴィオラ様。
生徒たちが思わず、ため息を漏らす。
「か、かっこいいわ……」
「さすが、ヴィオラ様だ……」
「憧れるわ……」
完璧だ。これこそが私の仕事。
本来なら、ただの嫌な奴でしかないヴィオラ様を、照明・音響・演出の力で『カリスマ悪役令嬢』へと昇華させる。
我ながら惚れ惚れしてしまう『悪役令嬢ブランディング』だ。
「行きましょう。空気が淀みましたわ」
ヴィオラ様が低く艶のある声で呟いた。
マリアベルを一瞥もせず、ドレスの裾さえ触れさせずに歩き去るその姿は、まさしく『絶対女王』。
勝負ありだ。
ヴィオラ様の好感度は維持され、むしろ慈悲深き無視によって、カリスマ性が上がった。
私は倒れているマリアベルの横を通り過ぎる際、冷ややかな視線を送り、小さく呟く。
「貴女の安っぽい挑発演技は、ヴィオラ様には通用しませんよ」
その時、廊下の曲がり角から、一人の男子生徒がこちらの様子を見ていたことに気付いた。
この国の第二王子、ルーファス殿下だ。
ヴィオラ様の婚約者でありながら、マリアベルに興味を持っているという噂の人物。
彼はこちらを見て、楽しそうに目を細めている。
ヴィオラ様を見ているのではない。その後ろで光の演出を行い、薔薇を撒いて空気を操作していた私を見ているような気がした。
……嫌な予感がする。
だが、今は気にしている暇はない。
◇
放課後、サロンにて今日の反省会が行われている。
「あそこでガツンと言わなかった、お嬢様は大人ですわ!」
「全くその通りですの! あの平民といったら、とても悔しそうなお顔でしたわ! ざまぁみろですの!」
ベティとキャシーはケーキを貪りながら、的外れなヨイショを繰り返している。
やはり、この二人はダメだ。
状況が全く見えていない。
ヴィオラ様も満更でもない顔をしているが、プロの太鼓持ちAとして、私は危機管理を行わなければならない。
「ヴィオラ様、本日の『無視』は成功でしたが、懸念事項がございます」
私が紅茶を淹れながら切り出すと、ヴィオラ様が首を傾げる。
「懸念ですって? 私の完全勝利だったじゃない」
「マリアベルの行動です。彼女は転んだ際、不自然なほどルーファス殿下の教室の方を気にしていました。おそらく、殿下に『いじめられている現場』を目撃させるのが狙いだったのでしょう」
私の分析に、ヴィオラ様がカップをガチャンと置いた。
「なんですって!? あざとい! あざといわ、あの女! やっぱりあの時、踏んでおけばよかったわ!」
「いえ、踏めばこちらの負け確でした。しかし問題は来週の『園遊会』です」
私は手帳を開き、今後のスケジュールを確認する。
来週、王宮で開かれる園遊会。
そこにはルーファス殿下も、そして特例でマリアベルも招待されている。
「あの子、絶対に何か仕掛けてくるわよ! どうするの、ソフィ!? また、無視すればいいの?」
ヴィオラ様が縋るような目で私を見る。
ベティが口を挟む。
「でしたら、ドレスにワインをかけるのはいかがかしら!? これぞ悪役ですわ!」
キャシーも続く。
「足を引っ掛けて池に落とすのがいいと思いますの! 濡れ鼠にしてやりますの!」
これだから素人は困る。
発想が貧困かつ、リスク管理もできていない。
私は眼鏡の位置を直し、ため息をついた。
「却下です。ワインはドレスの弁償代とクリーニング代の無駄。池は、もし相手が風邪を引いたら『過失傷害』、あるいは『殺人未遂』の冤罪をかけられるリスクがあり、ローリターン・ハイリスクです」
「むぅ……」
私は口を膨らませたヴィオラ様に向き直り、ニヤリと笑った。
「ヴィオラ様、真のカリスマ悪役令嬢は自ら手を下しません。相手が勝手に自滅し、それを『慈悲』で包み込むことで圧倒的なマウントを取るのです」
「慈悲で……マウント……?」
「はい。今回の園遊会で、マリアベルは必ず『手作りのお菓子』的なアイテムを持ち込み、庶民派アピールと共に、殿下に接触してくるはずです」
私は懐から園遊会の会場見取り図を取り出す。
西日の角度、風向き、全て計算済みである。
「そこで我々は、この『ポイントA』で待ち伏せします。ここで彼女がアクションを起こした瞬間に、ヴィオラ様はただ一言、あるセリフを言っていただくだけで結構です」
「あるセリフ?」
「はい。あとは私が物理的に処理します」
私は自信満々に宣言した。
これは賭けではない。準備された勝利だ。
任務は絶対に失敗は許されない。
実家の雨漏りを直し、妹を学校に行かせるための、運命のボーナス査定期間だからだ。
ヴィオラ様は私の頼もしい顔を見て、満足げに頷く。
「乗ったわ、そのプラン! 見せてやるわ! わたくしの太鼓持ちの底力をね!」
「あの、ヴィオラ様。主語がおかしい気がしますが、まあ、さすがです」
私は深々と頭を下げる。
その背後で、ベティとキャシーが「難しい話はよく分からないけれど、ヴィオラ様はやはりすごいですわ!」と、いつものテンプレートを口にした。
(はぁ……彼女たちの給料を、私の取り分に回してくれないだろうか)
そんな邪な想いを抱きつつ、準備万端で迎えた園遊会。
王宮の広大な庭園に色とりどりの花々が咲き誇る中、貴族たちがグラス片手に談笑している。
だが、私にとってこの場所は優雅な社交場ではなく、戦場なのだ。
「ソフィ、今日のわたくし、悪の華として咲き誇れているかしら?」
扇子で口元を隠しながら、ヴィオラ様が小声で尋ねてきた。
私は彼女のドレスの裾をミリ単位で直しつつ、即答する。
「完璧です、ヴィオラ様。本日のドレスの深紅は『鮮血』をイメージさせつつ、レース使いで『高貴な血筋』を表現しております。さらに私の計算通りなら、あと三分で太陽が西の塔に隠れ、ヴィオラ様の立ち位置に絶妙な陰影が落ちます」
「太陽の動きまで味方につけるなんて、さすが、ソフィだわ!」
「恐縮です(ただの時間計算ですが)」
両脇では、ベティとキャシーが「今日もヴィオラ様は最強ですわ!」「ガチ女王ですの!」と語彙力のない賛辞を送っている。
私はため息を殺し、懐中時計を確認する。
午後2時15分。
ターゲットであるマリアベルが動き出す時間だ。
「……来ました、ヴィオラ様。プランB『慈悲深き捕食者』作戦を開始します」
私の囁きに、ヴィオラ様がゴクリと唾を飲み込む。
人混みをかき分け、純白のドレスに身を包んだマリアベルが現れた。その視線の先には、談笑中のルーファス殿下がいる。
手にはバスケット。中身は事前の調査通り、手作りクッキーだ。
(予想通りですね。ベタな展開で助かります)
マリアベルは殿下を見つけると、わざとらしく小走りで詰め寄る。
「ルーファス様~! 会いたかったですわ〜!」
周囲の貴族が眉をひそめる。
彼女は殿下の元へ駆け寄ると見せかけて、その動線上にいる、ヴィオラ様の方へ大きく身体を傾けた。
「きゃ〜っ!」と、何もない平坦な地面で芸術的なまでにつまずくマリアベル。
彼女の手からバスケットが放り出される。
蓋が開き、クッキーと粉砂糖がヴィオラ様の真紅のドレス目掛けて降り注ぐ。
しかし、甘い。
その軌道は昨夜、私が寮の部屋でクッションを投げてシミュレーションした通りだ。
「ヴィオラ様、セリフを!」
私の合図と共に、ヴィオラ様が練習通りに扇子をバッと開き、マリアベルを一喝する。
「お待ちなさい、平民!」
その凛とした声に、マリアベルが一瞬ビクリとして硬直する。
その隙に、私は風のように動く。
私はエプロンの裏に隠し持っていた銀のトレイを、滑り込むように差し出す。
カシャン、カシャン、カシャン。
軽やかな金属音が三回鳴る。
宙を舞ったクッキーは、一枚も欠けることなく、粉砂糖の一粒すらこぼさず、トレイの上に美しく着地させた。
仕上げに、ポケットから取り出した造花を添える。
静寂。
会場の全員が、何が起きたのか理解できずに固まっている。
地面に手をついたマリアベルが、信じられないものを見る目で、私を見上げた。
「え……?」
私は無表情のまま、トレイを高く掲げ、恭しくヴィオラ様に差し出す。
さあ、ここからが演出の本番だ。
「ヴィオラ様、こちらの平民の方が、どうしても『献上』したい品があるそうでございます」
その一言で場の空気が反転する。
ドレスを汚すための凶器が、公爵令嬢への貢物へと意味を変えたのだ。
ヴィオラ様は一瞬キョトンとしたが、すぐに私の意図を読み取った。
彼女はトレイの上のクッキーを冷ややかな目で見下ろし、鼻を鳴らす。
「ふん、なんとも不格好な焼き菓子ね。市販品を買うお金もないのかしら?」
悪役令嬢らしい、棘のある言葉。
マリアベルが「ひどい……!」と泣き崩れようとした、その時だ。
ヴィオラ様はクッキーを一つ摘み上げると、パクリと口に入れた。
「……ですが、その貧乏くさい健気さに免じて、受け取ってあげてもよろしくてよ」
モグモグと咀嚼し、ヴィオラ様はニヤリと笑う。
「味は……まあ、下民にしては頑張った方ね。ソフィ、これを皆様に配りなさい。『庶民の精一杯の味』を知るのも、貴族の余興ですもの」
ドッと会場がどよめいた。
「すごい……転んでぶつかってきた無礼者を許すどころか、その菓子を受け取ってあげるなんて!」
「しかも自ら毒見までして……なんて度量が広いんだ!」
「『悪女』なんて呼ばれているが、実は『慈悲深き聖女』なのでは……?」
称賛の嵐。
ヴィオラ様の株価が上昇し、もはやストップ高だ。
マリアベルは顔を真っ赤にして震えている。
自分の武器(ドジっ子アピールと手作り菓子)を完全に無効化された上に、「ヴィオラ様に媚びてお菓子を献上した平民」というレッテルを貼られてしまったのだ。
「う、嘘……こんなの違うわ!」
「あら、まだそこに這いつくばっていましたの? お掃除の邪魔になるわよ」
ヴィオラ様が冷然と言い放ち、悠然と歩き出す。
その後ろ姿には、後光(西日の計算通り)が差していた。
(カット! 完璧でしたよ、ヴィオラ様)
私は心の中でカチンコを鳴らし、ガッツポーズをした。
被害ゼロ。好感度アップ。ヒロイン撃退。
これぞ、プロの太鼓持ちの仕事である。
◇
騒動の後。
ヴィオラ様はベティとキャシーに囲まれ、「あの平民の顔、見ました? ウケますわ!」「あそこでクッキーを食べたヴィオラ様は、マジ神でしたの!」と持ち上げられ、ご満悦だった。
私は一人、会場の隅にある給仕用テントで汚れたトレイを拭いていた。
ふぅ、と息をつく。
今回の成功報酬で、実家の屋根の修理費は賄えるだろう。あとは冬の暖房費をどう捻出するかだ。
「見事な手際だった」
不意に、背後から声をかけられた。
穏やかだが、どこか底冷えするような声。
振り返ると、そこに第二王子、ルーファス殿下が立っていた。
「で、殿下……? このような裏方に何か御用でしょうか?」
私は精一杯の『一般侍女スマイル』で頭を下げた。
だが、殿下の瞳は笑っていない。
まるで獲物を見定めたかのように、私をじっと観察している。
「とぼけなくていい。見ていたぞ。クッキーが落ちる落下地点を読み切り、一枚も割らずに回収する反射神経。そして主人の咄嗟の行動を『慈悲』へと書き換える脚本力」
殿下がゆっくりと近付いてくる。
「君だな? いつもヴィオラの粗相を完璧なまでの『カリスマ演出』に変えていた黒幕は」
黒幕という人聞きの悪い言い方はさて置き、バレている。
私は眼鏡を中指で押し上げ、冷静にとぼける。
「買い被りです、殿下。私はただヴィオラ様が転んだ際、怪我をされないように注意していただけです」
「ほう? では、あのタイミングで西日が入るように立ち位置を誘導したのも、廊下で薔薇の花弁を撒いたのも、すべて偶然だと言うのか?」
殿下は、私の手元にあるトレイを指差した。
「あのクッキー、実は君が事前にすり替えたものだろう? マリアベルが持っていたものには、微量の下剤が含まれていた形跡がある。君はそれを察知し、安全な菓子と入れ替えて、ヴィオラに食べさせた。違うか?」
……ギクリとした。
まさか、そこまで見抜かれていたとは。
そう、マリアベルの性格上、ただのクッキーを持ち込むはずがないと踏み、私は同じ見た目のクッキーを徹夜で焼き、トレイの下に忍ばせておいたのだ。キャッチした瞬間、手品のようにすり替えるために。
「なんのことでしょうか?」
「認めないか。まあいいだろう。実は、私は退屈していたんだ。この国には『本物』がいない。どいつもこいつも、自分の役を演じることすらままならない大根役者ばかりだ」
殿下はチラリと、遠くで高笑いしているヴィオラ様を見た。
「あの婚約者も放っておけば自滅するだけの道化だ。だが、君という演出家がついた途端、彼女は『悪の華』として輝き出した。……面白い。実に欲しい人材だ」
殿下は私の手を取り、その手に何かを握らせた。
ズシリと重い。
見ると、王家の紋章が入った金貨。それも一枚や二枚ではなく、革袋だ。
「ヴィオラには悪いが、君を引き抜かせてもらう。来月から私の専属補佐官……いや、王宮の『広報戦略官』として働いてくれないか?」
「は……?」
「給料は言い値でいい。君の演出力があれば、私の支持率など自在に操れるだろう? 地味な侍女服で裏方に徹するには、君は優秀すぎる」
……言い値。
その甘美な響きに、私の脳内電卓が高速で弾かれた。
実家の借金完済。妹の学費。そして私の老後の夢である『南の島での隠居生活』。
すべてが、この革袋の向こうに見える。
しかし、私は視線をヴィオラ様に向けた。
おバカで、ワガママで、でも私の言うことだけは素直に聞く、手のかかる主君。
私が抜けたら、ヴィオラ様はどうなる?
間違いなく、三日以内にベティとキャシーの口車に乗り、画鋲入りの上履きをマリアベルに投げつけ、退学処分になるだろう。
それはプロの太鼓持ちとして、私の作品が傷つくことを意味する。
「……殿下、光栄なお話ですが」
私は金貨の革袋を、そっと殿下に押し返した。
「私はヴィオラ様と専属契約を結んでおります。契約期間中の移籍は、プロの太鼓持ちの流儀に反しますので」
「ほう、この金額を見ても揺らがないか」
「はい(内心では血涙を流しています)。それに殿下……完成された王子様を演出するよりも、あのような『ポンコツ素材』を磨き上げて一流に見せる方が、演出家としての腕が鳴るのです」
殿下は一瞬きょとんとして、それから耐えきれないように吹き出した。
「くくっ……ははは! ポンコツ素材か! ヴィオラをそう呼ぶのは君くらいだな!」
「事実ですので」
殿下はひとしきり笑うと、真剣な眼差しで私を見つめる。
「分かった。無理強いはしない。……だが、諦めないぞ。君のような面白い女性を、みすみす逃す私ではない。次の舞踏会、そこで私を唸らせるような『最高のショー』を見せてくれれば、その時は君の借金を王家が全額肩代わりしよう。……どうだ?」
私の肩がピクリと反応した。
借金全額。
それは私の年収の数十年分に相当する。
「条件は?」
「君が私のものになることだ」
殿下はニヤリと笑い、踵を返して去っていった。
残された私は重いため息をつく。
厄介なことになった。
マリアベルの相手だけでも面倒なのに、今度は国の王子が、私というモブを標的にしてしまったようだ。
さらに『私を落とすゲーム』を楽しんでいる節がある。
「……ソフィ! 何さぼってるのよ! 早くこっちに来て、わたくしを褒めなさい!」
遠くからヴィオラ様の声が聞こえる。
私はパンパンと頬を叩き、表情筋を『太鼓持ちA』に切り替える。
「ただいま参ります、ヴィオラ様! その角度の振り返り、絶品でございます!」
そう叫んで駆け出す私の背中に、殿下の楽しげな視線が刺さるのを感じる。
次なる舞台は、卒業記念舞踏会。
殿下を唸らせ、借金を無くすための『最高のショー』を準備しなければならないのだ。
◇
そして、運命の日はやってきた。
王宮の大広間にて開催された、卒業記念舞踏会。
シャンデリアが煌めき、生演奏が響く中、会場の空気は張り詰めていた。
私の予想通り、ヒロインのマリアベルが動いたからだ。
彼女はダンスの最中に演奏を止めさせ、ホールの中央でヴィオラ様を指差し、金切り声を上げたのだ。
「私のドレスを引き裂くなんて……ひどいですわ、ヴィオラ様!」
ざわめく会場。
マリアベルのドレスの背中は無惨に裂け、肌が露出している。彼女は手で押さえながら、涙ながらに訴えた。
「先ほど控え室でやられましたの! 平民如きが私と同じ舞台に立つなって……」
なるほど。古典的だが、衆人環視の中で行えば効果的な手だ。
ヴィオラ様は扇子を口元に当て、青ざめている。
「わ、わたくしはそんなことしてないわ!」
「嘘! あの時、部屋にいたのはヴィオラ様だけだったでしょう!」
マリアベルが畳み掛ける。
ベティとキャシーは「どうしたらいいのかしら……?」「やばいですの!?」とおろおろするだけで役に立たない。
私は二階席のバルコニーを見上げる。
そこにグラス片手に高みの見物を決め込む、ルーファス殿下の姿があった。
殿下は私と目が合うと、口の動きだけでこう言った。
『さあ、見せてみろ。最高のショーを』
性格が悪い。
だが、この程度のトラブルなど、私の脚本の想定内だ。
私はヴィオラ様の背後に忍び寄り、耳元で囁く。
「ヴィオラ様、プランB『断罪返し』を実行します」
「え……? ど、どうすればいいのよ?」
「マリアベルを見下ろしながら、あの一言を仰ってくだされば、あとは私が演出します」
ヴィオラ様は「分かったわ」と小さく呟くと、ゆっくりと歩き始めた。
カツン、カツン。
静まり返るホールに、ヒールの音が響く。
ヴィオラ様はマリアベルの目前まで迫ると、裂けたドレスを蔑むように一瞥すると、小さく告げる。
「あら、随分と風通しの良さそうなボロ布ですわね」
会場が凍りつく。
被害者を気遣うどころか、裂けたドレスを嘲笑ったのだ。
マリアベルが「ひどいわ……!」と泣き崩れようとした、その瞬間。
パチン。
私が指を鳴らす。
それを合図に、事前に根回ししておいた照明係が、ホールの明かりを落とした。
「て、停電か……!?」
闇に包まれる会場。
だが、すぐさま一本のスポットライトが、ヴィオラ様とマリアベルを照らす。
私は素早く自分のショールを広げながら、周囲に説明する。
「皆様、お静かにお願いします! 我が主、ヴィオラ様は仰いました。『風通しの良いボロ布』と! これは嘲笑ではありません!」
私はスポットライトの中へ入り込み、シルクのショールを、マリアベルの背中に優しくかける。
「ヴィオラ様は、マリアベル様のドレスの生地があまりに薄く、夜風で体を冷やすことを案じられたのです! 『そのような質の悪い布では、貴女の清純さが損なわれる』と!」
「えっ?」とマリアベルが声を漏らす。
ヴィオラ様も「えっ?」という顔をしているが、私は構わず続ける。
「ヴィオラ様、ご自身の愛用されている、この王室御用達のショールをお貸しするのですね?」
私はヴィオラ様に目配せを送る。
彼女はハッとして、すぐに『悪役令嬢』の仮面を被り直す。
「ふん、勘違いしないでちょうだい。そんな汚らしい背中を晒されると、わたくしの視界が汚れるからよ。……その布で隠していなさい」
完璧なツンデレムーブだ。
さらに私は、ポケットから取り出したある物を高く掲げる。
それは、マリアベルのドレスの裂け目に付着していた、小さな金属片。
「皆様、ご覧ください! このドレスの裂け目は、手で引き裂かれたものではありません。あらかじめ、縫い目が解けやすいように細工されていたのです!」
私はあえてマリアベルには目を向けず、虚空に向かって叫んだ。
「何者かがマリアベル様に恥をかかせ、あわよくば、ヴィオラ様を陥れようとした卑劣な罠! ですが、お嬢様はそれすらも瞬時に見抜き、ご自身のショールで彼女の尊厳を守られたのです!」
おおお……!
会場の空気が振動した。
私の演説と計算されたライティング、そしてヴィオラ様の堂々たる(実は状況が分かっていないだけの)態度。
すべてが組み合わさり、一つの真実が捏造されていく。
「なんてことだ……。ヴィオラ様は自分を罠に嵌めようとした相手すら庇ったのか……」
「ボロ布発言は、彼女の貧しさを指摘したのではなく、粗悪品を掴まされた彼女への義憤だったのね!」
「悪女の仮面を被った聖女……尊い……!」
拍手が巻き起こる。
最初はパラパラと、やがて万雷の拍手へ。
マリアベルはショールを羽織ったまま、顔面蒼白で立ち尽くしている。
自分でドレスに細工をしたことがバレた上に、敵であるヴィオラ様に助けられ、感謝しなければならない状況に追い込まれたのだ。
チェックメイトである。
「さあ、マリアベル様。お礼を」
私が促すと、彼女は屈辱に震えながら、小さな声で呟く。
「あ、ありがとう……ございます……」
「よく聞こえなくてよ?」
「あ、ありがとうございます! ヴィオラ様ぁぁぁ!」
マリアベルは泣きながら走り去っていった。
その背中を見送りながら、ヴィオラ様は扇子を開き、高らかに笑う。
「オーッホッホ! 当然ですわ! わたくし公爵令嬢ですもの!」
スポットライトの中、勝ち誇るヴィオラ様。
私はその影に隠れ、二階席のルーファス殿下に向けて深々と一礼した。
――どうですか、殿下。
これが私の演出する、最高の『茶番劇』です。
◇
舞踏会の後。
夜風に当たるため、バルコニーに出た私の元へ、やはり殿下は現れた。
「参った……。まさか、あそこまで鮮やかに黒を白に変えるとは。マリアベルの自作自演を見抜いただけでなく、それをヴィオラの『慈悲』に変換し、さらに会場全体を共犯者に仕立て上げる。魔術師か、君は?」
「いいえ、ただの太鼓持ちです」
私は懐中時計を確認しながら答えた。
そろそろヴィオラ様が「ソフィがいない!」と騒ぎ出す頃だ。
「約束通り、君の借金は王家が全額肩代わりしよう」
「本当ですか!?」
私は思わず食い気味に反応してしまった。
殿下は懐から小切手を取り出し、私の目の前でヒラヒラとさせる。
「ああ、ただし一つだけ訂正がある」
「訂正?」
「君を私のモノにするという条件だ。あれは撤回する」
「え……?」
私は意外な言葉に目を丸くした。
飽きられたのだろうか? それなら好都合だが。
殿下はバルコニーの手すりに寄りかかり、夜空を見上げながら言った。
「君の言う通りだったよ。完成された私の横に置くには、君はもったいない。君はヴィオラや、未熟なこの国を舞台にして裏から糸を引いている方が輝く」
殿下は私に向き直り、ニヤリと笑った。
「だから君はヴィオラの太鼓持ちのままでいい。その代わり、私専属の『裏の相談役』になってくれ。面倒な貴族の接待や、国民へのイメージ戦略、君になら任せられる」
「……つまり仕事が増えるということですね?」
「報酬は弾む。君の老後の南の島計画、豪華な別荘付きで叶えてやろう」
殿下の提示した小切手の金額は、私の借金を返してもなお、お釣りがくるほどの額だった。
守銭奴の私に拒否権はない。
それに、この食えない王子と、ヴィオラ様の両方を手玉に取るのも、そう悪い人生ではない気がしてきた。
私は眼鏡を中指で押し上げ、不敵な笑みを返す。
「承知しました。ただし、私の演出料は高いですよ?」
「望むところだ。頼りにしているぞ、影の支配者殿」
殿下が差し出した手を、私は握り返した。
「ソフィ! どこにいるのよ!? 靴擦れしちゃったわ! おんぶしなさい!」
ホールから、ヴィオラ様の情けない叫び声が聞こえた。
私はやれやれと肩をすくめる。
「では失礼します。手のかかる『主役』が呼んでおりますので」
「そうだな。……ああ、それとソフィ。今日の君のドレス姿は……ヴィオラより美しかったよ」
その言葉に、私の頬が少しだけ熱くなったのは、きっと夜風のせいだ。
私は深々と一礼し、走り出す。
悪役令嬢の太鼓持ちA。
私の仕事はまだ終わらない。
愛すべきポンコツ主君と腹黒いスポンサー、そして私の輝かしい隠居生活のために。
「はい、ヴィオラ様! ただいま参ります! その腰に手を当て仁王立ちする、お姿も芸術でございます!」
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