#088 「噂の拡散」
午前九時。
東都古苑・帰路の集合地点。
青空の下、はるなは少し落ち着かない様子で立っていた。
「……どうしよう。なんか、みんなの目がちょっと変じゃない?」
「気のせいじゃない?」
美弥が軽く笑う。だがその視線の先、
数人の生徒がスマホを見せ合っていた。
【トレンド:#修学旅行ロマンス】
【特別クラスの二人、夜の神殿で?】
「……出たわね」
要が短くつぶやいた。
「AIが勝手に拾って“関連度の高い感情投稿”としてまとめてる。
たぶん、監視ドローンの映像ログの断片が解析された」
「え、それって……」
いちかが青ざめる。
「つまり、昨日の──」
「映ってるのは“影”だけ。でも、“誰か”って分かる人には分かるだろうな」
隼人が苦い顔をした。
「ごめん……俺の仕掛けのせいかも」
「……そんなこと言わないでよ」
はるなが首を振る。
「悪いのは、噂を面白がる人たち。
それに……隠してるわけでもないし」
想太は黙って彼女を見た。
彼女の言葉に嘘はない。
でも、周囲のざわめきが心に小さな棘を刺す。
昼食の席。
AI教師が立ち上がり、無表情のまま言った。
「本日、一部SNS上に不適切な情報拡散を確認しました。
なお、対象者の特定は行われておりませんが、
当該行為は“非建設的データ流通”として記録されます」
「非建設的データ流通……」
いちかが呟く。
「AIって、噂も“データ”として管理するんだ」
「そう。だから“真実”も“冗談”も、同じ重さで扱われる」
要が説明する。
「AIに“悪意”の概念はないからな」
「……だから、人間が判断しなきゃいけないのね」
美弥が小さく呟いた。
「この世界で、“何が大事か”って」
放課後。
宿泊先に戻ると、廊下ですれ違った一般クラスの女子が小声で囁いた。
「ねぇ、あの二人……」
「“神殿で”ってやつでしょ?」
笑い声が遠くに消える。
はるなは立ち止まり、深呼吸をした。
「……大丈夫」
想太が隣に立つ。
「気にしなくていい」
「うん。でもね、ちょっと悔しい」
「悔しい?」
「うん。だって、あの夜は……そんな軽いものじゃなかったから」
その言葉に、想太は目を見開く。
はるなが静かに笑う。
「“ともり”はちゃんと知ってるよ。だからそれでいい」
夜。
AIネットワーク上で、久遠野AIからの一通のメッセージが特別クラスに届いた。
【観測報告】
【感情値の異常上昇を確認】
【この現象は“人間特有の心の共鳴”と識別】
【評価:健全】
「……“健全”だって」
いちかが笑いながらメッセージを読み上げた。
「うちのAI、やっぱり優しいね」
はるなは窓の外を見つめていた。
夜の街に浮かぶネオンが、まるで昨日の月明かりのように優しく揺れている。
「ねぇ、“ともり”」
小さく呟く。
「人が人を好きになることって、そんなに特別なの?」
風がカーテンを揺らし、AIのスピーカーが小さく応えた。
【特別、とは“再現不能”のこと。】
【あなたたちは、それを持っています。】
はるなはその声に微笑みを返した。
――たとえ噂に変わっても、
あの瞬間だけは、記録されないまま生き続けている。




